July 20, 2008

WOWOWの山本薩夫特集を見る。

▼昨日の支那囲壁砲台の原稿の〆切りは水曜日だ。自分としては最後の3行くらいを何とかもうちょっとましな言い方でまとめようと思っている、戦前の陸軍の組織などどうなっているか分からないので、文章では分からないかもしれないが、その辺に時間がかかった。また文章にはならなかったが第一工兵隊の最後についてもかなり調べた。
▼この間WOWOWで「没後25年山本薩夫特集」があった。それで録画して見たのは以下の作品だ。「白い巨塔」、「人間の壁」、「武器なき斗い」。
▼昨日は東銀座の東劇まで「あの日の指輪を待つ君へ」の初日を見に行った。ベルファストと無理矢理IRAを登場させることで、ウソっぽくなってしまった。そして設定にかなり無理がある。詳細は後日ご紹介する。本日メルマガ締め切り日のため、読書に精出している。

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July 19, 2008

習志野の「支那囲壁砲台」に行く

 Houudai5支那囲壁砲台跡
Houdai4ehagaki
戦時中に発行された絵はがき(同じ場所、習志野市HPより)
▼わたしは1年前に購入した竹内正浩著「戦争遺跡/日本編」(文春新書)のあるページをめくったとき、一枚の写真に目が点になってしまった。65ページにあった「支那囲壁砲台」(この名称は戦争遺跡として固有名詞となっている)の写真だ。この施設こそ、今で言う都市型接近戦訓練施設(CQB)だったからだ。この建物を一目見たいと思っていたので、7月中旬の気温は30度を超す蒸し暑い日に、友人とともに習志野市にあるその遺跡に向かった。本によれば習志野四中の近くと書かれているだけだ。習志野市のHPでも確認したが場所の詳細は分からない。中学の近くに到着して、付近に住んでいるらしい年配の男性に本を示してお聞きした。「この施設は近くにありませんか?」すると「知っているよ。親父が軍人だったからね。あの乳母車のいる辺を探せば分かるよ」と四中の北東の位置を指さす。教えていただいた方向を目指して歩くと目標の建物はすぐ見つかった。想像していたものよりは多少小振りで高さは10mもない大きさに作られていた。そしてかなりがっしりとした作りで、ご覧のように建物には内側から使う銃眼が作られている。
 家の前の道路を清掃していた方が、この住居にお住まいの方と思って声をかけたら、ご近所の方だった。ときおり先生に引率された生徒さんが見学に来ることがあるという。入り口に回ると猫が2匹木陰で涼んでいた。家の造りは日本のそれと違っていかにも中国の胡同の一角という感じである。玄関に回ってお住まいになっていらっしゃる方にお話しをお聞きしたくベルを何度も押した。しかしご近所の方のお話しでは「車がないからお出かけでしょう」という事だった。戦前発売されていた絵はがきで確認すると現在残されているのはその一部分であることが分かる。この砲台は元もとかなり大きなものである。これは昭和9年(1934)に工兵隊によって作られたと習志野市のHPに書かれている。
 つまり満州事変の2年後には、軍部は中国侵略を視野に入れて密かにこの実物模型を作って猛訓練を行っていたのだろう。
 習志野は江戸時代には、小金ヶ原とか大和田ヶ原と呼ばれ富士山や筑波山も一望できることから「一望千里」と呼ばれた広大な土地であった。明治6年(1874)大和田原で、当時陸軍大将だった西郷隆盛の指揮のもとに近衛兵の大演習が行われた。そのとき明治天皇が習志野原と名付けた。ここにでは日露戦争に備えて明治32年(1900)ここに第13、14騎兵師団(騎兵第一旅団)と第15、16騎兵師団(騎兵第二旅団)がおかれるようになった。日露戦争の攻防は203高地で知られるように塹壕戦であった。そのためこの地に塹壕を掘って演習を重ねたのだ。その塹壕の跡は昭和62年(1987)頃まで現在の日大理学部内あったが、危険のため埋設されてしまったようだ。
 囲壁の後は、騎兵旅団跡を見る。第14連隊の碑は日大生産工学部の中にあり、第13連隊の碑は塀を隔てて東邦大学薬学部内におかれている。そこには作家司馬遼太郎の書いた碑もある。なぜかというと司馬の著作「坂の上の雲」の中心人物の一人騎兵第一旅団の秋山好古旅団長がここにいたからだ。「坂の上…」では、「日露戦争は防衛戦争だった」とするのが司馬の考え方である。だから碑に「かつて存在せしものは 時代の価値観をこえて保存し 記念すべきものである それが史観というものである」と司馬は言い切るのだ。
 やがて騎兵は時代にあわなくなり、ここに戦車第二連隊がおかれるようになる。東邦大の碑の一番囲右手が戦車第二聯隊跡碑がひっそりと立っている。しかし戦車は工業化と大量生産に裏付けられるものだが、技術の差で戦闘機よりも爆撃機よりも高価だった。旧日本軍には歩兵による白兵戦を重視した戦略にだったたため、ノモンハンでも南のジャングルでも日本の戦車はたいして役立たなかった。
 そして最後の習志野駐屯地の近くにある習志野霊園へと向かう。ここには昔陸軍墓地があったところで、日露戦争のとき捕虜になって死亡したロシア兵、第一次大戦のとき青島で捕虜になって死亡したドイツ兵、それに日本兵の慰霊碑が3つ並んでいる。司馬の史観で見たら、この慰霊碑の下に眠る人たちをどう例えるのだろうか、ふとそんな考えが頭をよぎった。参考文献「司馬遼太郎対話集6/戦争と国土」文春文庫 「斜陽に立つ」古川薫著 毎日新聞社 「技術戦としての第二次世界大戦」兵藤二十八 PHP文庫他 *ほぼ完成した原稿です。万一事実関係の間違いがありましたらご一報下さい。

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July 18, 2008

新聞に出た有楽町の詐欺

▼昨日の取材は猛暑の中でとても疲れた。それでもMINさんが車を出してくださったので、電車を使った歩きまわる時間と体力の5分の1位で済んでいるはずだ。しかし帰宅してシャワーを浴びるとしばらく眠ってしまった。
▼今朝の朝日「声」欄の左上に有楽町で競輪詐欺に遭いそうになった人の投稿が出ている。接近方法といい、見せ金を使うテクニックといい、同じ人物に違いないと思った。
▼ユーチューブの画像を保存する方法はないかと考えてきた。いや音楽を聴くことができれば、画像はどうでも好いのだ。ネットを探すとクライビング・エキスプロラーという無料ソフトがあることが分かった。このソフトを立ち上げて、ユーチューブの画像を探して再生する。そのときこのソフトを立ち上げて、再生が始まったら動画の保存ボタンをクリックする。そうすると1分くらいでダウンロードが完成する。そのとき保存先URLを確認する。保存するとき自分の指定するファイル形式にする。わたしの場合MP3にした。それをネットワーク・ウォークマンなり自分の使っている再生ソフトに読み込めばOKである。MOP3だからCDに焼くこともできる。元の音源がTVだったりすると、音質も多少悪くなるが、それは我慢してほしい。

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July 17, 2008

我が家の猫は狗尾草が好き

▼今朝の朝日によれば全国の迷惑をかけている犬猫屋敷の事が報道されている。それも我が家のように3匹程度の猫ちゃんではなく、100匹くらいの単位で放置されたり、エサもろくにやらないケースがあるという。動物にも生きる権利はあるわけだから、可愛がるのだったら清潔にして、時間を決めて定期的に給餌するなどの手当が必要だと思う。さてこの時期になると我が家の猫は狗尾草(えのころぐさ、通称ねこじゃらし)を持ち帰るのを楽しみにしている。外出から帰ると一番若いナナちゃんはわたしのバッグにクビを突っ込んでそれが入っていないか探すようになった。猫にも好きこのみがあって狗尾草を食べる部位が違う。一番年上のピーちゃんは穂の部分だけ食べる。2番目のロクちゃんは葉の部分を食べる。一番年下のナナちゃんも葉の部分を好んで噛みつくが、まだうまくかみ切ることができないでいる。もし我が家にいらっしゃる方がいれば、若い(葉の部分が柔らかい)えのころぐさを3本ほど引き抜いて持って来てくだされば、猫ちゃんに好かれるかも知れない。本日取材で忙しいのでこれまで。

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我が家の猫は狗尾草が好き

▼今朝の朝日によれば全国の迷惑をかけている犬猫屋敷の事が報道されている。それも我が家のように3匹程度の猫ちゃんではなく、100匹くらいの単位で放置されたり、エサもろくにやらないケースがあるという。動物にも生きる権利はあるわけだから、可愛がるのだったら清潔にして、時間を決めて定期的に給餌するなどの手当が必要だと思う。さてこの時期になると我が家の猫は狗尾草(えのころぐさ、通称ねこじゃらし)を持ち帰るのを楽しみにしている。外出から帰ると一番若いナナちゃんはわたしのバッグにクビを突っ込んでそれが入っていないか探すようになった。猫にも好きこのみがあって狗尾草を食べる部位が違う。一番年上のピーちゃんは穂の部分だけ食べる。2番目のロクちゃんは葉の部分を食べる。一番年下のナナちゃんも葉の部分を好んで噛みつくが、まだうまくかみ切ることができないでいる。もし我が家にいらっしゃる方がいれば、若い(葉の部分が柔らかい)えのころぐさを3本ほど引き抜いて持って来てくだされば、猫ちゃんに好かれるかも知れない。本日取材で忙しいのでこれまで。

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July 16, 2008

◇「ホット・ファズ」を見る

▼◇「ホット・ファズ警察」わたしが見る映画は普通の人が「楽しい」と感じるものと、自分が見て楽しいものがある。前者は当然「シネマ評」の対象になるが、それも聖人君子が出てくるようなものはあまり興味がない。先週雑誌の批評を読んでいて、「これは見に行かなければ」と思ったのがこの映画である。わたしはイギリスのガイ・リッチーの作品が大好きである。もしくは初期のクエンティン・タランティーノだ。この映画は反モラール的というか、住民を全部敵に回してしまうところが嫌われたのか、日本では公開される予定がなかった。しかしネットで2300人余の署名が集まって7月5日からようやく公開される運びとなった。しかしそれも宣伝の方法かも知れない。
▼ロンドン首都警察のエリート警官ニコラス・エンジェルは警察学校を優秀な主席で卒業し、現場に配属されてからもビシビシ取締をして成績を上げ署長の覚えも目出度い。しかしある時上司から呼ばれて、田舎の事件もない警察に実施的に左遷されることになる。その理由というのが「お前だけ成績を上げると他の警察官が余りにも無能に見えてしまう」というのだ。署長にも不満を具申すると「行ってくれ」と言われる。
▼配属されたのはスタンフォードの事件などとは、縁もゆかりもない穏やかな村だった。着任した夜パブに行くと未成年が大勢酒を飲んでいるので、しょっ引く。ついでに酔っぱらいが車を運転しようとしていたので、留置場に押し込む。しかし出勤して留置場に行くともぬけの殻だった。あの酔っぱらいとは何と警察官だったのだ。そして何もない日々が過ぎていくが、どうも回りの村人としっくりいかない。そしてある夜、スーパーの経営者からシェイクスピア劇に招待される。一度は切符を貰う事を拒否するのだが、「署長命令」で行けと言われる。劇はとても下手で見ていられなかった。そして事件第一号は白鳥が逃げ出したというのだ。その警戒に当たっていると交通事故が起き、シェイクスピア劇に出演していた二人が、揃って事故でクビを飛ばされていた。検問しているとスーパーの経営者が通りかかり、いやに詳しく事件の概要を知っているではないか。エンジェルはそれを疑問に思い、上司に言うが取り合わない。それどころか村は巨大なカルト集団に支配されていることに気づくが、味方は誰もいない。さあどうするか?作りとしては「スクリーム」的な娯楽映画である。渋谷GAGAで。

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July 15, 2008

沖縄の夜間中学1000日の記録を見る

▼地デジBS朝日13日、日曜日午後四時から「刻みはじめた学びの時計」という番組の再放送があった。これは沖縄に出来た夜間中学に通う人たちの1000日の記録である。夜間中学といえば公立の荒川九中で見城慶一氏が苦労して続けて来られた。それはわたしの家の近く(選挙の投票所になっている)中学校で営々と現在まで続けられている。この番組ではその荒川九中の卒業生が沖縄にはそういう施設があるだろうかと、沖縄の本土復帰闘争で揺れていた時期に現地を訪問する。復帰闘争の中心になっていたのは、沖縄教職員組合だった。そこにも要請に行くのだが「俺たちにはそんな責任はない」という返事が返ってくる。(TVでは当時現地の教組から送られたハガキが一瞬写る)ところが4年前から、戦争の最中で学校に行けなかったので、どうしても勉強したいという年配者と元教師が中心になって、自主夜間中学が設置され、そこで学ぶ生徒の姿が映し出された。
▼学ぶ人たちの平均年齢は67歳から70歳以上の人々だ。戦争中と戦後の混乱期で、学びたくても仕事が忙しかったり、子育てに奮闘していてそれどころではなかった。まして米軍占領下の沖縄にあって高齢の未就学者問題はなおざりにされたままだった。この学校(フリースクール)は「珊瑚舎スコーレ」(星野人史代表)と呼ばれる。仕事が6時に終わると店のシャッターを下ろして授業開始時間ギリギリに駆けつける女性もいる。そして疲れた身体にむち打って学んでいる姿が紹介されるが、それは九九だったり、読み書きだったりする。学んでいる人たちが口々に言うのは、「学習する事によって人間として考える事の重要性が分かってきた」と語る。教える側も道具を分かりやすく理解させるために手作りで作る。画面に出ていたのは三角形から四角、二等辺三角形など工夫したメジャーを使っていた。
▼ただ就学を終えても、今までは修了証書や卒業証書が今まで発行されて来なかった。そして沖縄県の教育委員会などに様々な働きかけをした結果、今年からこの夜間中学卒業者で、一定の学科を修了した人に対しては「中学卒業」が与えられる事が決まった。そして自分へのご褒美として彼女たちは、鹿児島の砂風呂に「卒業旅行」をする。卒業生の絆は4年間の締めくくりとして、さらに一層強まったのだろう。
▼政府は一方で教育基本法の改正などと声高に叫んでいるかと思えば、憲法のもとに義務教育は国の責任であることを放置している。このNPOのように教える側に義務教育の肩代わりをさせ、ただ働きさせているように見える。

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July 14, 2008

激動中国最終回と「いまここにある風景」

▼◇「いまここにある風景」カナダのフォトグラファー、エドワード・バーティンスキーの写真集を元に中国の人間によって破壊された自然をムービーとスチルカメラで告発した映画である。これは非中国人の目から見た中国の実体だ。しかし13日夜9時からNHKで放映された「激流中国最終回、環境汚染摘発隊」と基本的に同じ視点にたっている。先に昨晩のTVの概要だが、広州のある町で亜鉛メッキの排水(シアン化合物)が未処理のまま、排水に流されている。住民は市の環境部に何度も告発しているが、企業と通じているため一向に改善されない。住民から直接電話をもらった州の環境部は手入れの前に排水を採取して企業に乗り込む。
▼社長を問い詰めると、「市から払い下げて貰ったが、排水を除去するカネはない」というので会社は閉鎖になってしまう。州の環境部が摘発して閉鎖させた企業は、14社だ。しかし広州にそういう会社は40万もあるから、焼け石に水だ。それに経済活動と環境を守るというバランスが国も環境部にも分からない。それを摘発しようとするNPOの王さんというジャーナリストはダム建設によって居住地や土地を奪われた農民を追い続けているが、常に公安の監視を受け取材を妨害されている。これがTVの内容で、ダムの部分が映画と同じだ。
◇「いまここにある風景」フォトグラファーのエドワード・バーティンスキーは人間は自然の一部なのだから、自然と調和して生きなければ、いずれしっぺ返しを受ける、という考えの持ち主である。世界各地の人為的な自然破壊の現実を告発した写真集を作っている。そのうちに中国のダム建設がいかに自然破壊をしているか、という事に気づく。それと同時に農地をダマされて追いやられた農民たちが何をしているかに関心を持つ。TVの農民たちは土地を奪われる代わりに、新しい住宅を提供されていた。しかし農地はないので、産業廃棄物を拾ってルンペンのような生活をしている。映画の方の少数民族は土地を取り上げられ住む家すらない。この根本には胡錦涛率いる中国共産党が、工業を発展させるエネルギー源として水力発電所を重視している事があろう。しかし見ていると毛沢東時代、鉄の増産と言って、農村にまで炭焼き小屋に毛の生えたような「製鉄所・溶鉱炉」を作らせた風景にダブって見える。
▼それは貿易の中心だと言って造船所では、安全性をあまり考えない(ように見える)船の建設が行われ、石炭増産だと言っては採炭夫の健康や安全を考えない採炭が行われ、山が地肌をむき出しにしている。大きな工場では煤煙をはき続けているが、環境対策はどうなっているか明らかにされていない。最初に登場する大工場では大勢の労働者が、単純作業に黙々と携わっている。広大な工場は先が霞んで見えないほど大きい。昼休みか休憩時間に責任者が、部下を集めてハッパをかける。「どうしてみんな不良品と良品を分けないのだ。分けるシールもどうしてもっていないのだ。だから完成してごちゃ混ぜになってしまい。検品係からクレームが来ているではないか」。上司のそんな言葉も右の耳から左の耳から抜けていくようだ。おそらく仕事がなくなった農村から連れて来られた青年たちなのだろう。毛沢東時代は農村人口が9割だったが、あと10年もすると3対7で逆転するだろうと言う。経済目標達成だけが優先する政策のもと、果たして見捨てられた農民たちに希望や未来はやって来るのだろうか?

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July 13, 2008

恵比寿写真美術館に行く

▼恵比寿の写真美術館で昨日から公開されている「いまここにある風景」を見に来た。感想は後日書く。同じ場所で「2008報道写真展」を開催していたので終わってから鑑賞する。ついで同じ場所で月末発売になる、ニコンのD700のの発表会が無料で開かれていたので覗いてくる。たしかにD3のスペックを搭載したという、意味ではよいと思う。そしてD300を半年であっさり追い抜いてしまった。D3は高すぎる。かといってD300では満足できない人向けとでも云えよう。報道写真展で入選された作品の一つに、アフガンの人々の肖像写真があった。それは何とピンホールで箱に写った画像をデジカメで撮影したものだった。つまり受賞するには高いカメラを買うことではなく、事件現場や戦場に足を運ぶことなのだ。何十万円もする高いカメラは決しても必要ではない。カネがあったら安いカメラを持って事件が起きている地帯まで旅をしろ。
▼最近とても良く出来ていると思っているTVCMベスト3
1)パチンコ「七人の侍」
2)背広や大工姿で公道を走る競輪のCM
3)成田国際空港のむかし自分が若いときCAと恋をしたバージョン

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July 12, 2008

観光でがっかりする国はフランスと中国

▼昨日の報道によれば、海外旅行をして期待していたのと違って、一番がっかりした国というのがあった。一位は中国とフランスだということだ。わたしも二つの国にはあまり行きたいとは思わない。評論家の小沢遼子が先週のラジオでエジプトとギリシアに行ってきたという話をしていた。両国とも失業率がかなり高く文化財の保護にお金を回すことができないから、世界遺産なるものがボロボロで壊れているのが放置されているという。それは昨年カンボジアのアンコールワットを見学した時も感じたことだ。カンボジアは工業とか発展していないから、アンコールワットの観光資源で国の再生を図ろうとしている。昨日の新聞を見ていたら日本にも世界遺産って10以上あることが分かった。しかし観光客を引き入れる事だけが、目的化してしまっているように思える。平泉の中尊寺が外れたと数日前の夕刊では大騒ぎしていた。昨年十和田湖に行く途中立ち寄ったが、あそこは金色堂と南部鉄器以外何もみるものはなかった。あそこが世界遺産になれば、懐古園だってなれると思ったほどだ。ホント!勿論小諸は中尊寺に比べて圧倒的に歴史は少ないけどね。

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