« 企業と癒着を深めるNHK | Main | 広がる不審者情報メール »

February 13, 2005

「大統領の理髪師」をルシネマで見る

▼いやはやブログの更新では参りました。実家からパソコンを持ってこようかと思ったのですが、ノートパソコンの3倍くらいはあるので持ち帰りは止めました。接続できない理由をわたしなりに考えてみました。ハードの問題は一応解決したと思います。それはフォーマットしたことにより、アクセス中に再起動をくり返す事はなくなったからです。となるとニフティの回線ではないかと思ったのです。かつてニフティは佐久と軽井沢にアクセスポイントがありましたが、それは廃止になり、一番近いのは上田と松本になりました。ここまでは問題なくアクセスできました。ところが昨年夏からニフティの「合理化」によって、アナログのアクセスポイントは、全国統一の0053で始まる番号になりました。帰宅してチェックすると以下のように書かれていました。「アクセスポイントの回線利用状況は約15分ごとに状況がチェックされ、その時点の状況を元に回線利用状況が自動的に変わります。 回線状況が良好と表示されていてもアクセスポイントご利用のタイミングによってはつながらない場合もありますので、 あくまでも目安としてお考えください。」。
▼これですね。割を食っているのはアナログ回線利用者です。それにわたしの実家は田舎ですから電話回線そのものが少ない筈です。契約者が都会だと100本あれば、その数の回線が引いてある訳でありません。もっとも電話の利用が集中する時間帯に合わせて必要な本数の回線だけを引きます。これは秘密ですが、想像では都会ならば100本で30回線くらい。過疎地ならば100本で実回線は5本とか10本となるだろうと推測されます。そうなるとNTTのプロバイダーに替えるか我慢するしかないようです。
▼ 昨晩9時半からNHKBSで「遠くにありてにっぽん人」という番組をやっていてつい見てしまいました。登場したのは日本経済新聞社の「日経金融新聞」シカゴ支局で記者として働いている、まやみき(漢字は忘れた)さんだった。彼女の仕事はシカゴ証券取引所で、中国の投資家の動向を取材することだ。雑用のアルバイトとして入社したのだが、猛烈な働きぶりを認められて、金融専門の記者として現地で採用される。取引所でトレーダーの取材をするほか、中国や香港の投資会社の若者達の会社や自宅まで訪問して本音を引き出す。仕事の話ははさておきこの原稿ではテーマを一つに絞る。今回は彼女は関西出身のジャズシンガーとしても、とても有名であることだ。年齢は40歳くらい、夫は70歳半ばのサキソフォン演奏者である。激務が終わると着替えてジャズクラブで夫とともに5人編成のバンドで歌手として唄う。彼女はあるときカンボジア難民の事に興味を持つ。なかなかツテが得られないが、音楽に興味を持っている人を自分が唄う店に来てもらって、糸口をつかむ。ある難民は夫がポルポト時代の虐殺を体験して、ようやくアメリカに逃げてきたが、今でも悪夢にうなされ、アルコール浸りの生活だ。マイノリティの彼らには仕事もない。小学生くらいの娘たちは、毎食毎食インスタントラーメンだけを食べている。あるとき二人の難民は梱包会社にアルバイトの口が見つかるが2ヵ月限定で健康保険などは一切つかないで、時給7ドルだ。まやは取材を重ねていくうちに難民が住んでいるボロアパートの屋上に野菜を栽培していることを発見する。
▼聞くとアメリカでは野菜なども全部カネを介して買うしかない。しかし自分たちがカンボジアにいた当時は、土地は自由であり、そこにタネを播いて収穫したものは自由に食べることが出来たと訴える。アメリカの豊かさとカンボジアの豊かさの根本的な違いはこれではないかとまやは気付く。きょうも渋谷で映画を観ていたら、近く公開される「ベルリン僕らの革命」(「グッバイ・レーニン」の青年が金持ちを狙った誘拐犯になる)という映画の予告でこんな場面があった。誘拐された男が「金持ちになったら自由になれるかと思ったら、責任と義務でかえって自由を拘束されることが分かった」というのだ。わたしも精神生活の自由度というのは、カネの多寡だけではないということではないかと思う。そしてカンボジア難民のこの言葉を重く受け取る金融専門記者のまやであった。最後はクラブでたしか「湖畔の宿」をブルースでかみしめるようにじっくり唄うところで終わっていた。
▼◇☆☆「大統領の理髪師」実家から帰省してまっすぐには自宅にもどらない。この映画を観ようと事前に予定を立てていたが、11日公開なので時間が分からない。自宅に電話して新聞の映画欄を見てもらう方法もあるが、「余計な事をやらせるな」と叱られそうな予感がしたので止め、携帯には「iモード」があることにふと気付いた。新幹線の中で確認したら、2回目の上映が渋谷ルシネマで12時40分からだ。そのためにいつもより2本も早い新幹線に乗ったのだ。渋谷東急で野菜サラダを買って、持参したお握りとツナ缶で、それに「おーいお茶」で昼食を済ませた。
▼1960年の韓国。「これは架空の作り話だ」と最初のテロップで出てくる。話は李承晩大統領は選挙で選挙管理委員まで巻き込んだ不正選挙を行って、失脚する。変わって登場したのは朴正熙(韓国の人名はなかなか出てこないので、一字一字作らねばならない)だ、町の理容師(ソン・ガンホ)は妻の出産の時、李の不正を暴くデモに巻き込まれる。は大統領府と同じ町にいたため、内密に出前で理髪を頼まれる。警護室長からは「必ず閣下とおよぶように」と厳しい条件を付けられる。ところが最初の時うっかり首にカミソリで傷をつけてしまい、冷や汗をかく。そして政権末期、「北特殊部隊」がソウルを襲う。しかし兵士達は緊張のあまり次々下痢で落後してしまう。そしてスパイ事件が発表されるが、たんなる下痢も[マルクス病」だとして、密告の報奨金に目がくらんだ人々によって「下痢」=「マルクス病」だとして無実の人々は次々逮捕され、3人は死刑になってしまう。そんな一人に小学生の理容師の小学生の子どもも逮捕され、電気ショックの拷問される羽目になる。少年のため釈放されたものの、電気ショックで歩けなくなってしまう。
▼ガンホは名医と聞くと全国各地をたずね歩く。そしてついに山奥の祈祷師の所に辿り着く。その言葉は「龍が倒れた時その目玉を菊の花を煎じた茶を飲ませよ」というものだった。朴が警護室長官の流れ弾に当たって死亡したとき、葬儀の大きな遺影が「龍の目玉」だと気付いて、苦心の末目玉の顔料を削ることに成功する。
▼平和なささやかな市民生活を営んでいる一般の人が、理髪師として政権と関わりをもったため、最愛の息子まで悲惨な目にあわせて、父親と母親の誠心誠意こめた努力によって介抱の糸口を見つける。それに韓国の政争というものがいかにナンセンスだったかを、ユーモアを込めて告発する。
▼ブログとは何かという質問が何人もの方から寄せられてます。これは、「ウェブログ」を短くしたものです。言ってみればウェブに日記を書き続けるような事から発展しました。さらに特別な仕組みを使わずにHPに書き込める仕組みが作られて、誰でも簡単に作れるようになりました。いきなりブログに切り替えをするつもりはありません。講習会や話し合いをくり返して、皆さんが慣れたところで1年後をメドに切り替えるつもりです。うさこさん、水玉さん、ぽちぽち山さん、どうぞご心配なく。(16968p)

|

« 企業と癒着を深めるNHK | Main | 広がる不審者情報メール »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「大統領の理髪師」をルシネマで見る:

« 企業と癒着を深めるNHK | Main | 広がる不審者情報メール »