雑誌『世界』7月号を読む
▼孤独な作業は終わった。昼間は比較的時間なありそうな人数人に、念力パワーを送って見たが修行が足りないせいか、一向に効き目がないので諦める。離れ小島に残された俊寛のような気持ちを振り切るべく、ネットワークウォークマンをミニコンポにつないで音量を上げる。このHDDにはマタイ受難曲から八代亜紀、そしてクリスタル・ケイなど連続して聞くと1週間分くらい入っているので退屈する事はない。
▼本当はもうちょっと余裕を持って仕事ができる筈だった。ところが午前中に行ったところのファクスの調子が悪くて、10時半で終わる予定が、午後1時までかかってしまった。事務所に着いたのが2時近かったから、郵便局が閉まるまでに持ち込まなければならなかったので、もう時間との戦いになってしまった。しかも外は雨なので、条件は最悪だった。
▼昨日人間ドッグの事を書いたら、ご自身は耳が不自由になってきたとい読者からメールをいただいた。そして毎日読んでいる50人の読者のために目を大切にして頑張って欲しいというメッセージが添えられていた。最近知人から教えられたのは、血圧がたちまち下がるという「韃靼そば茶」というものだ。飲んだご本人によると「飲んだ翌日からたちまち10位下がりだした」という。わたしも試しているが、ストレスが多いせいかまったく効き目は出てこない。
▼もう何日も図書館から本が来ないので、身の回りにある物を手当たり次第読み出している。先日は仕方なく長距離移動のため、朝の三鷹駅で雑誌『世界』7月号を買って備えた。今月号で良かったのはJR西日本の事故で野田正彰が書いている部分。ここでは列車など乗客を運ぶ業務は目的がはっきりして単純に見えるため、軍隊に似てくる。だから業務の通達が命令調になり、日常的に起きる多くの操作ミスを、上司に言いにくくなる。いけないこと、やってはいけない事を自由に言え、検討できる職場の文化を創らなければ、安全に強い組織にはならないと指摘する。「改憲潮流の中のメディア」の座談会、「戦争で死ぬと言うこと」、「若者は保守化しているか」、佐藤優の「民族の罠」が力作だった。
▼佐藤はこの中で、当時ソ連共産党の「プラウダ」に「万国のプロレタリアート団結せよ」、「万国の被抑圧民族団結せよ」のスローガンが併記されていた事の矛盾を指摘している。プロレタリアートを主体にした論理構成で考えると、民族的差異は本質的意味をもたない。どの民族に所属していようと資本家は資本家であり、プロレタリアートはプロレタリアートにとっては打倒対象に過ぎない。逆に考え被抑圧民族といいう切り口だと階級対立は捨象される。その矛盾を「解決」するために「良いナショナリズム」と「悪いナショナリズム」という二分法が生じた。この論法で行くと「中国を侵略した帝国主義としての過去をもつ日本のナショナリズムは悪く、民族解放闘争を行った中国のナショナリズムは正しい」という分かりやすい絵が描かれる。しかし民族問題は常に重層的構造を持っている。北京政府からの独立を求めるウイグル人やチベット人のナショナリズムについてはどう評価すればよいのか。二分法では処理できない深刻な問題だ。
▼巻頭の読者の投書欄に、名大名誉教授の田口富久治が「佐藤優の『国家の罠』を読んで」という言う一文を寄せていた。そこでは佐藤は獄中でヘーゲルの「精神現象学」を繰り返し読んでいた事を評価している。
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