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August 23, 2005

「イラク派兵州兵のその後」を見る

▼「イラク派兵州兵のその後」1年ほどまえにNHKで紹介された、アーカンソー州の州兵たちは国内で防災の任務だけしていれば、良いと思った。しかし法律が突如変えられて海外派兵でイラクに行くことになる。前回は50過ぎた親父や高校をでたばかりの青年が特訓を受けるまでで終わっていた。今回は派兵されて任務についている様子と、帰国までの2クールの放映だ。
▼前回は第二次大戦で使ったおんぼろ車両まで引っ張りだして、行く様子もあった。今回は緊張した面持ちで任務についている。紹介されたのは国民議会選挙実施に当たっての警戒と夜間の捜索だった。彼らはプロの海兵隊や特殊部隊ではないから、やっている事は警察のような任務で穏和に見えた。だが迫撃弾が宿営地に打ち込まれたりすると緊張する。そして週一回の休日も危険だから基地の外にでることはできず、TVゲームで遊ぶという退屈なものだ。何故彼らがイラクに来たか、それは州兵に登録することによって日本円で月に3万円の手当が支給されるので、家計の足しになるという理由で何の疑問もなく入隊していた。その条件は年間2週間ほどの訓練に参加することだけだった。
▼しかしイラクに来ると任務は死と隣り合わせだ。前回紹介された、七面鳥農家の夫。牧師だった男は防弾チョッキを着用すると身体に痛みを訴えるようになり、治療を受ける。印刷会社のセールスマンは元兵士だった経歴を買われて、少尉に任命されてみんなを率いる。高校を卒業したばかりの青年は、ハイキング気分だったが、警戒のハマーに乗ってミニミ機関銃を構える狙撃兵の任務に就き、現実の厳しさをしる。彼は任務の成績が良かったため、2週間の休暇で米国に帰って、母校の授業でイラクについて後輩に話をしてくれと頼まれる。牧師も治療のため米国に送り返されるが、仮病の疑いが取れず除隊にはならず、訓練基地内で掃除などをさせられることになる。
▼さて今年3月帰国することになる。その直前子どもが産まれたばかりの男性兵士が死亡する。その荷物を見ると新生児用のおもちゃが散見される。同僚は黙ってそれらを送り返すビニール袋に詰める。前回親子でイラクに行くことになった、父親は爆撃で下あごと右手を失ってしまう。一時期危篤状態になったので、米国に残った家族や息子は心を痛める。そして帰還の日、あと6年延長すれば特別待遇をする、という通達もあるが、「こんな所に一日だって長くいたくない」とみんな吐き捨てるように言う。上記の父親は軌跡の生還を果たす。しかしイラクで任務に就いている時は1ヶ月70万円が支給されたが、なぜかゼロになってしまい生活にことかく有様だ。見ていると死亡一時金は2700万円だという。わたしはこれで傭兵会社や民間軍事会社が存立する理由が分かった。イギリスの傭兵は1ヶ月200万で傷病や死亡手当は一切ない。自分で保険をかけていくしかない。つまり国家がすべての面倒を見るのが兵隊で、コストを下げるためにすべて自腹なのが軍事会社なのである。
▼昨晩のHP研究会で語ったことは、明日朝まで待たれよ。24日、25日は緊急の介護帰省をします。

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