ヘンリー・フォンダ最後の「黄昏」見る
▼昨日「戦艦ポチョムキン」を見たと書いたら、某読者から「編集長はポチョムキンが嫌いの筈だったのでは。疱疹で頭がおかしくなってしまったんでは…」という携帯メールをいただいた。そこで多少言い訳(ご本人にはすでにお送りした)を書かせていただく。「戦艦ポチョムキン」は今まで最後まで通して見たことは一度もなかった。あの階段を乳母車が落ちていくシーンでイヤになってしまったらだ。今回はハリウッドが、エイゼンシュタインをどう学んだのか知りたかったからだ。ポチョムキンは艦長をやっつけて、市民との連帯を果たす。それがポチョムキンに食料が運び込まれる場面で記号的に表される。さらにロシアの駆逐艦が向かって来て、あわや一戦を交える所まで来る。お互いに相手の位置を確認する計測を始める。そして主砲を相手に向け、「味方になれ」と手旗信号を送る。まぁここら辺まではセオリー通りなのだが、コミュニケーションも取る手段もないのに、駆逐艦がポチョムキンの味方になってしまうのが、どうも納得いかないと思った。心理描写というより、動きだけを強調するアジテーションの手法に思えた。
▼昼間はヘンリー・フォンダ最後の映画「黄昏」、ライザ・ミネリーの「キャバレー」、そしてケビン・スペイシーの「ギャングスター・ナンバー1」を見た。最後の「…ナンバー1」にはギャングの手下の運転手役に今をときめく、コリン・ファレルがでていた。時間がないので「黄昏」だけ書く。この映画は公開当時たしか日比谷のみゆき座で見た覚えがある。当時はそれほど感じなかったけど、この歳になって来ると年老いたフォンダの心境がよく分かってくる。湖の畔の別荘で妻のキャサリン・ヘップバーンと二人で暮らすフォンダ。ここからは現実のフォンダの生き方とオーバーラップするのだが、娘のジェーンとしっくり行っていない。それは大学教授を辞めたあと、気むずかしく、何かと怒りっぽく、思いこみが激しく自己中心の行動をするので、妻以外からは嫌われている。そんなところに再婚しようとしている歯科医とその息子がやって来る。そして1ヵ月息子を預かって欲しいと頼んでいく。最初はうまく行かなかった元教授と孫のような二人だったが、湖でレインボートラウトの釣りをするうちに、本音をぶつけ合って心を開いていくという話。だれでも体力がなくなると行動する事に自信がなくなり、自分中心に動き回りたくなる。だがそこを行動的な妻の献身的な努力で、一歩一歩困難を乗り越えて、人生の終末を迎えようとしている。そして長い間真っ正面から向かい合って話すことができなかった娘とも、ようやくコミュニケーションができるようになる。
▼これを見てふと「八月の鯨」を見たくなった。しかしこれはDVDどころかもうビデオでも発売されていない。
▼きょうは仙台から旧友が訪ねて来るので、一日接待をするので、これで終わり。身体は痒くなってきたので、かなり疱疹のかさぶたが固まって来ていると思う。
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