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September 20, 2005

小倉の松本清張記念館に行く

seicho
松本清張記念館入り口で
▲わたしは買い物には興味がないので、ガイドブックをみて小倉に行った。ちょうど「黒地の絵」の特別展示をしていた。博多から小倉までは鹿児島本線の快速に乗って約1時間10分ほどだった。なぜ松本清張なのかは、今晩お送りする予定のメルマガとも関連してくる。この記念館は東京杉並にあった松本の書斎と応接室を移転して忠実に再現してある。もちろん建物の中に入ることはできないが、1階と2階の該当する書斎、書庫は手に取るように見ることができる。もうこれは移築したと言った方が早いくらいだ。松本が生きた時代と松本の作品を並行して見ることができるパネル展示もあり、社会情勢も作品に深く影響していることが具体的に説明されている。たとえば八幡では何がやられていたかという説明では、中国から持ってきた(強奪に近いと思う)鉄鉱石をここで溶かして鉄板を作っていたのだ、というような説明だった。
▲上記「黒字の絵」は朝鮮戦争当時敗色が強い戦線に配属されようとして黒人兵が、この地方の祭り太鼓が鳴り響くとき脱走して、民家に押し入った話がテーマだ。当時の新聞はプレスコードで「米兵」と書くことはできなかった。それで「6尺豊かな大男」という表現だった。新聞には載らなかったがうわさは急速に市民の間に広がり、恐怖心を煽った。最近公開されたアメリカの公文書では約200人余が脱走したということになっている。松本はこの事件をモチーフにして、脱走した黒人兵に押し入られ妻を強姦した男の話を創作した。その男は当時秘密の仕事だった。朝鮮戦線で死亡した米兵の死体処理のアルバイトをしていて、その仕事の最中妻を暴行した男に死体に再会するという話だ。そのあとどうなったかは、小説をお読みいただきたい。
▲この執筆の逸話が紹介されていた。それは松本がこの取材をしていることを知った、地元文学サークルの青年数人が押しかけてきて、「自分たちも同じテーマで書こうと思っているから執筆を止めてくれ」というものだった。松本は頭の中の構想でしかないものを、自分に止めろというのはお門違いである。両方で書けばいいのではないかと申し出を断った。その後何年たっても、青年たちがそれをテーマに書いた形跡はなかったという話だ。なんとなくどいうグループかわかっておかしかった。
▲隣の黒崎という駅は八幡製鉄の溶鉱炉を作る耐火レンガを作る黒崎窯業という専門の会社があった。さらにその隣には「スペースワールド」というけったいな遊園地がある。駅前には巨大な実物大スペースシャトルの模型がある。そして大観覧車には人の姿はない。しかも長いジェットコースターにも乗っている人はまばらだった。祭日なのにである。当然ワールドの駅に乗り降りする人はほとんど見当たらなかった。これも八幡製鉄所の遊休地を使って作ったのだが、千葉川鉄の大型ショッピングセンター同様、やがてゴミとなる運命を持っているに違いない。これも昨日と同じ博多駅前のネットカフェで更新しています。
▼午後7時過ぎ帰宅しましたが、メルマガ作るのはかなり遅れます。最悪明朝になります。すみませんお待ち下さい。すみません。お送りしたメルマガ<Mail&E-Mail>の後半「▲働きすぎの時代 森岡孝二著 岩波新書」からは星林さんの投稿でした。うっかりしてしまいました。お詫びして訂正します。

▲Kouchi(Mobile)

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