映画「シンデレラマン」を見る
▼昼頃だったが携帯に「○○××警察署ですが○○○××××さんですか?」という電話がかかってきたのでびっくりした。わたしの名前を初対面でフルネーム間違えずに読むことができる人はまずいない。「あなたのクリアファイルが落ちていました」という連絡だった。実は金曜日に紛失したことに気づいて、土曜は自宅を探し、日曜は出勤して事務所と、なくしたと思われる場所周辺を探して、もう諦めていたところだった。そこには書類とともに、多少の現金が入っていた。昼食もそこそこにみどり台から新千葉まで行って、そこから目的の警察まで20分ほど歩いた。なぜ警察がわたしの携帯とフルネームを間違えずに言えたか理由が分かった。ファイルにはヨドバシカメラに腕時計の電池の入れ替えを依頼した伝票が入っていたからだ。わたしは落とし物は今まで、全部警察に届けている。そのおかげか金銭など一円もなくなることなく、ちゃんと入っていた。因果応報、やはり人のためになることはちゃんとやっておくべきだ。
▼日曜日の朝日、JRの広告に登場した「高地くん」は、あの高遠菜穂子さんと8分の1位の血のつながりがある。わたしは遠戚であって、彼女と血ではつながっていない。
▼土曜日パン屋さんにいったら、映画の話で弾む女性店員さんが、わたしが2週間ほど行かなかったので、「どうしたのだろう、心配で仕方ない」と言っていたというのは店長さんのお話であった。「店長さんはわたしの携帯番号もメールアドレスもご存知ですから、連絡していただければ、即駆けつけます」とお話しした。しかし行かなかったのはその前1週間に二度買ったこと、自宅の冷蔵庫に保管しなければならないので、その保存スペースの問題もある、とお話ししたら安心していた。彼女は最近見た「ディア・フランキー」がよかったと言う。感想を求められたが、映画をたくさんみているので、すぐ返事ができなかった。しかし「ああそうです、イギリス人の知人も良かった」とお話ししたら、安心したご様子だった。それで「シンデレラマン」の感想を聞かれたが、こんど見てからお話しましょう、と帰ってきた。
▼◇「シンデレラマン」昨夜の朝日夕刊に沢木耕太郎も批評を書いていた、こっちを書く前に彼の原稿を見てはならない。わたし流の独自の視点で書かねばならない。ストーリーは「ロッキー1」にかなり似ている。1933年頃のアメリカは大恐慌のどん底ににあった。主人公のボクサーであるジム・ブラドックはプロボクサーであるがもう選手としては戦えない年齢になっている。ある試合で負けてから、プロモーターに「もう歳だから」とライセンスを剥奪されてしまう。残った仕事は日払いの沖仲士の力仕事しか残っていないが、失業者はワンサと来ているから選考に漏れたら食うにも困ってしまう。現実に家には3人の子どもと妻が待っている。そしてついにガス、電気まで止められてしまうので、壊れた塀を拾ってきて燃やして暖を取る。失意のどん底にあって、政府失業対策の資金を貰ったり、炊き出しに並ぶ。そしてついにはプロモーターの集まりに行ってルンペンのように頭を下げて、拠金を仰ぐ。そんな時ある試合で対戦相手が欠場したから、1回だけでてくれとセコンド兼マネージャーをしていた男から頼まれる。かろうじて勝ったジムはライセンス復活も視野に入ってくる。そしてマネージャーは175ドルを持ってきて「これで次の試合のために集中練習をしろ」と言う。実はマネージャーはその資金を作るため、家財道具を全部売り払っていた。その一方経営者に彼にライセンスを与えて試合をすれば、経営的にソンはないと言葉巧みに説得する。
▼沖仲士の仕事をしているとき親友は、資本と対決するにはストライキしかないと訴え、労働組合を組織しようとしていたが、彼は労働争議の最中事故で死亡してしまう。つまりアメリカはニューディール政策を取ったが雇用状況は一向に改善されなかった。労働者の一部は政策の限界を直視し、政府に雇用を作り出すよう運動をしようとしていた。リンクをご覧になっていただければ分かるが、失業者が減少し始めたのは第二次大戦を待たねばならなかった。ジムが再起を果たすアリーナは大多数は普通の労働者で占められている。そして負けた事のない大男に立ちはだかる、それに対するさえない中年男。これは別の見方をすると、失業にあえぐ人々の希望の星であるジムの一挙一投頭足、ジャブや一打に政府や大資本家に対する反撃と受け取っているのだ。この連帯感がジムを強くさせたのではないかと思う。もちろん映画だから、貧困に耐える妻や子どもとの家族愛が大きなテーマになっている。しかしわたしはそれよりもニューディールの中の期待の星となったジムの事を考えた。
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