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January 23, 2006

奥田瑛二の「るにん」を見る

▼バスなど小型の乗り物に乗っていて、ふとこんな妄想に取り憑かれることがある。例えばこの乗り物が、難破船か方向を失った宇宙船だったとする。その中に数人の異性がいたとすると、果たしてわたしはどの女性を心の頼りとして生きていくことができるだろうか、と。人は一見孤独な状況におかれても、誰か自分の事を気に掛けていてくれると言う想いがあると、生きていく事ができるのかも知れない。
▼◇「るにん」わたしはこの映画の奥田瑛二監督はもっとも嫌いなタイプである。それは映画において退廃的な極みを、まるで実生活のように演じるのが上手いからなのかも知れない。では、二枚目の俳優が現実生活においても映画のように素晴らしいのかと言えば、それはおそらくまったく異なるのだろう。奥田がこの映画を八丈島で撮ったのは3年前のことで、どうしてもシネマスクエアとうきゅうで上映したくて、この映画館の上映枠が空くのを待っていたという。先日ラジオに出演していて彼の事が多少分かったのだが、贅沢をしたくて稼いでいるのではなく、映画を作る資金を稼ぐために色々している。妻の安藤も撮影に行っていて自宅に帰って来たかと思うと、お金をもってすぐ出かけて行ってしまう、とこぼしていた。劇映画一本作るのには億のカネがかかる。奥田はサラリーマンなら一生かかって稼ぐ金額を、撮影資金を集めるために、頭を下げまくったと言う。そして評判になった「少女 an dorescent」がようやく60%の資金を回収し終えたところだ。それで奥田を助けなければと思って新宿歌舞伎町に出かけた。
▼朝早いのにもかかわらず、コマ劇場の小林幸子の新春特別公演には、叔父さん叔母さんたちが十重二十重の行列を作って開演を待っている。いちどこれも見なければと思う。映画館の方はマニアらしい人たちで7割くらいの入りだ。お話しは江戸時代八丈島に島流しされた人たち。例えば放火などは罪が重いが、未成年だとこの遠島になる。そのような人たちは、この島に来たら脱出できない。その中に元吉原にいた遊女の松坂慶子がいて、この島に来てからも食うために身を売っている。そして島にいる流人たちは、船が着くたびに赦免状来ていないかと期待をするが、ほとんど該当しないので失望する。ある時一人の若い男が遠島でやってくる。松坂と彼は何かそのとき「深い闇に引かれる」のを感じる。島に住む流人たちはいずれも、江戸にいる家族などは皆、自分の事を忘れてしまっているのではないかと思い、クサヤ2枚を持って心の傷を癒すために松坂の所を訪ねる。
▼島でも江戸と同じく飢饉があり、2,300人の人々が死ぬ。代官所には白米があるが、島民や流人が口にする米などないのだ。それを怒って人々は押しかけるが、代官は鉄砲隊を用意して彼らを拒絶する。当然テーマは島抜けの話になるのだが、松坂と若い青年は「夫婦の契り」をしても片方は身を売っている訳で、何を生きがいにして二人の関係は存立するのかという事になる。最後に二人の間には究極の精神関係がそれを支えたのだという事を示す。
▼現時点から40時間ほど介護帰省をするので、明朝の更新はありません。

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