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February 10, 2006

生きることは課せられた仕事

▼3日前にネパール軍の写真が掲載されていた。3人の兵士が写っていて、手前がマシンガンなのだが、イギリス製のスターリングL2A3で口径9mmで今となっては旧式で34連発。後ろの二人の兵士が持っているのは同じくイギリスのFALの突撃銃でL1A1でこれも旧式と言える。しかも右の兵士は遠足で疲れた小学生のように、だらしなく銃をクビからぶら下げている。これではイザという場合すぐ撃つことができない。経済的に豊でないと軍備にカネをかけることもできないから、もはや世界の旧式に類する武器を使わなければならない。そして兵士がいかに士気がないか一枚の写真から判断することができる。
▼いつも発行当日でしか届かない「週刊金曜日」が木曜日に届いた。寝る前にパラパラとめくっていたら、辺見庸が「自分自身への審問」という連載が始まっていた。辺見はわたしとほぼ同じ年だが、病気で倒れるまで大活躍していたジャーナリストだ。今は脳出血とガンで右手右足は麻痺で、左手は点滴の管につながれているというから、誰かが後述筆記しているのだろう。
▼辺見がここでこう言っている。「死ぬまで例えごく短い期間であっても、脳の病気が再発して私がただ生物学的な生としてしか存在できなくなるとしたら(著作権上の問題で引用を中略)いまここにあり、意識し想像する私としては甚だつらい」。わたしが薬を飲むのを一時的にせよ止めようと考えたのは病院に入院中の父の姿を見てからだ。両親とも降圧剤を10年以上飲んでいて、こうなったのではないかと思った。幸いな事に現時点で父はわたしの事を「東京から見舞いにやってきた息子」と認識できるようだ。両親とも数年のうちに、そうできなくなる日がやってくるのだろう。健康状態をすべて管理されて、自己が認識できず、たんに生かされている状態で果たして幸せと言えるだろうか?それが怖くなって薬を中断した。
▼しかし考えてみれば、そうなったときは死への恐怖自体がなくなってしまっているのだろう。この疑問に答えるべく、辺見の連載ではV・Eフランクルの言葉が引用されている。「生はいまや、与えられたもの(ゲゲーベンハイト)ではなく、課せられた(アウフゲゲーベンハイト)ものでもあるように思われます。生きることはいつでも課せられた仕事なのです。このことだけからも、生きることは困難になればなるほど、意味あるものになる可能性があるということが明かです」(「それでも人生はイエスという」山田邦男・松田美佳訳)
▼本日夕方からMINさん宅で、ささやかな飲み会を開いています。参加ご希望の方はどなたでもお出かけ下さい。

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