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February 09, 2006

◇「イノセント・ボイス」を見る

▼都内の大学で病理学を研究している医師からの「降下剤」に関する投稿は「投稿欄」に掲載しました。
▼火曜日の夕方あるところから電話があって、水曜日の仕事が急にキャンセルになった(1週間繰り延べ)。さてこんな時時間をいかに有効に使うか?「そうだ京都に行こう」というのはJRのCMだが、「そうだパスポートの申請に行こう」と思い立った。どのみち今週の土曜日も出勤で仕事だし…。近くの区役所の出張所に行ったら「本籍は隣の区」だと言われた。そうか免許証もそうなっている。そのまえに顔写真を撮らなければならない。下手だとは分かっていたが、神社の近くにある某写真館に行った。入ると水道橋の大学の芸術学科を出たという卒業証書が麗々しく飾ってあった。表に展示してある記念写真からして下手なのだが、時間がないから仕方ない。店に入って何度も大声で呼んでも出てこない。出てきても愛想が悪い。照明もギンギンでのっぺらぼうの平面的な写真で、まるでこれはレントゲン写真を見ているようだ。近くの区役所の出張所を聞くと、ぶっきらぼうに駅の隣にあると教えてくれた。ああそうだった。戸籍謄本を取って見たら、わたしの出生届を出した、当時の村の名前が誤植なのか、入力したときのミスなのか明かに違っていた。「岡」であるべきものが「国」となっていた。どうでも良いことなのでそれには目をつむる。
▼これで書類は全部揃った。有楽町に行くと順番待ちに並び、事前調査を受けて書類の不備などが指摘されるが、ここは問題なかった。それから10分ほどして正式な受け付けに回されたが、ヘボン式表記が間違っていた「U」だけ削除され「「KOC」となって、今後はこれでサインするように言われた。時計を見るとちょうど「イノセント・ボイス」の上映時間10分前だった。ここから歩いて5分足らずなので行かない手はない。家を出発して、途中仕事を一つこなしたが、正味1時間半ですべて終わった。
▼「イノセント・ボイス」エル・サルバドルの1989年頃の話。当時のエル・サルバドルは政府による腐敗・不正がはびこっていた。それに対して農村部を中心に反抵抗勢力によるゲリラが組織され12年ほどの内戦状態が続いていた。映画はその内戦がテーマになっている。両勢力とも兵士が足りなくなって、子どもたちが12歳になると学校にやってきて、「適齢者」を徴発していく。主人公チャバは父親がいなくなったあと母と年下の二人の姉弟と暮らしている。父が家出したあと、母は外に働きに出ていたが、内戦の拡大で、村の近くで撃ち合いが起き、子どもたちが心配になってくる。そして母親の資金援助でミシンを買って、子どもの洋服の仕立てでお金を得るようになる。あるときひょっこり叔父(母の弟)が帰ってきて、ギターの弾き語りをしてくれる。おそらくビクトル・ハラ(チリのアジェンデ政権当時の抵抗のギタリストだったが、クーデターでピノチェトの兵士に両手を切断されて殺された人)の曲を演奏すると、「それは禁止されている曲よ」と顔をしかめる。叔父が家にいるときも撃ち合いが始まる。そして驚くべき事に叔父は拳銃を抜き出して撃ち合いに参加する。そう叔父はゲリラだったのだ。叔父はチャバに一台のトランジスターラジオを渡し、ゲリラの「ベンセレンモス局」にダイアルを合わせて聞くように、と念をおしてどこかに去っていく。
▼チャバがラジオを聞いていると兵士に咎められるが、機転を利かせた街の牧師さんが教会のラウドスピーカーから同じ局をかけて、チャバを助ける。ゲリラと政府軍の撃ち合いがあった時もゲリラを鐘楼に導いて、彼らを有利に導く。政府軍が少年たちを徴発しようとした時、前の晩チャバの知り合いのゲリラが、「明日徴発があるから少年たちは身を隠せ」と知らせてくれるので、ノートを引きちぎって「明日は身を隠せ」というチラシを作る。少年たちはみんな屋根の上に隠れているので、政府軍の徴発は失敗に終わる。3人の少年たちはここにいても仕方ないからゲリラの基地に行こう、と相談して教わった夜道を歩き始める。所が寝始めた途端政府軍の攻撃が始まり、牧師を含めた良心的な人たちは皆殺しにされてしまう。そして3人の少年たちも引っ立てられて「刑場」へと連行される。これがポスターの写真だ。そして河原で一人またひとりとガバメントで頭を撃ち抜かれる。そしてチャバの番が来て引き金を引かれた瞬間、ゲリラが撃って来たので逃げて一命を取り留める。
▼村は焼き払われ、母や祖母たちは難民となって逃げ始める。チャバがいなくなった事を知った母は半狂乱になって息子を捜し始める。諦めて焼け果てた自宅に戻ったときチャバが逃げ帰って来る場面に再会を果たす。そして母は生活資金を稼ぐ貴重なミシンを売り払ってチャバをアメリカに脱出させる。
▼わたしが一番印象に残ったのは、アメリカの軍事顧問団が来て、子どもたちにガムを与える。チャバも無邪気に「美味しい」とそれを噛んでいるのだが、村人が「そんなの吐き出しなさい。アメリカ兵は政府軍を訓練して、わたしたちを殺そうとしているのだから」という場面だった。チャバは疑問に思いながらもガムをはき出す、この場面だった。シネスイッチ銀座のみ。
▼ひつじねえさんは毎日北海道から写真レポートを送って下さっています。「投稿欄」をご覧下さい。

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