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April 30, 2006

◇「グッドナイト&グッドラック 」を見る

▼編集会議が終わって飲んでいるとき誰かが「旅情は好きな映画だ」という話になった。どんなの?と聞くと「記者と中国人看護婦がでてくるの」という。「そりゃ違うわ、『慕情』だよ、』記者はウィリアム・ホールデンの」とわたしは主題曲を口ずさむ。「ター、タラララ、ラーララ」。そうそう、でも「旅情もすきだ」と食い下がる某女。1週間前の日本経済新聞最終面に小田島雄志だったらボケはじめた老夫婦の会話が出てきて、上記のように映画のタイトルも主演者もごっちゃになって、その正解を見つける作業がボケ予防になるのだと書いていた。
▼先週初め家族からわたしにお勧めの映画があった、と云われた。「何?」と聞くのだが、単館上映以外の言葉を覚えていないようだった。それ以外映画の内容も出演者のヒントも何一つない。わたしはそれでも2日間必死に考えていた。考え始めて2日目の午後3時ころだったがふと、「グッドナイト&グッドデイ」ではないかと映画の内容を家族に電話したら、「おそらくそうだと思う」という返事が返ってきた。
▼ベトナム戦争後半、解放戦線の攻撃が激しさを増してきたので、米軍は北ベトナムに戦略爆撃機B52などを使って爆撃(いわゆる北爆)をはじめた。これは主権を犯す戦争行為であることは云うまでもない。もし北ベトナムが大陸間弾道弾ICBMを持ってアメリカを攻撃しても、文句は言えない。しかし北ベトナムにはそんな力はなかった。アメリカは北の病院を狙った攻撃すら行っていた。当時TBSTVのニュースキャスターをしていた田英夫は1967年に「北ベトナム取材「ハノイ――田英夫の証言」を放送した。ところがアメリカ大使館筋からTBSは赤化しているという攻撃を受け、田は辞職に追い込まれる。そのときの最後の挨拶は「それではみなさん、さようなら」といつもとまったく同じ挨拶で締めくくってキャスターを降りた。この「グッドナイト&グッドラック 」を見て、この事を思いだした。
▼◇「グッドナイト&グッドラック 」冷戦が始まってアメリカ国内ではマッカーシーによる「非米委員会」(政府機関や報道機関にいるといわれた、いわゆる共産主義者狩り)が発足し、上院議員のマッカーシーはその先鋒に立った。そしてあちこちの共産主義者を摘発する。アメリカのほとんどすべての報道機関もマッカーシーに反論して、ライセンスを取りあげられるのが怖いので、口をつぐむか反論をせずマッカーシーの云ったことだけを報道した。しかしゆいつCBSTVの教育委員会委員長エド・マローだけが、自由な報道を守るという立場でそれに反論しようと考えた。登場するのは昔のフィルムに出てくるマッカーシーそのもので、マローたちと対決することになる。CBSの社長も立派だと思うのだが、平日のゴールデンアワーなので、娯楽番組に差し換えれば儲かるのだが、あえてそれをしない。他の放送局はマッカーシーの云っていることを、検証もせずそのまま載せるのだが、マローたち10人ほどのスタッフは、一つひとつ検証して、マッカーシーが引用する言葉も自分の都合の良い部分だけ利用していることが分かってくる。そして非米委員会の実写、国防省の暗号係の女性が審問に引き出される。彼女は暗号係に配属されてただ云われるままに、タイプしていただけで内容は知る立場になかったと証言する。しかしマッカーシーは「FBIの覆面捜査官が彼女が共産党の集会に出ていた、資金カンパをしていたという証拠をつかんだ」と言い張る。しかしまともな弁護士やマローたちは、「匿名の告発がまかり通りならば、密告社会になって何でも有りだ」と反論する。丹念な検証の上にマッカーシーのウソを否定する番組を作る。その前グループの責任者ジョージ・クルーニーはスタッフに、「マッカーシーに難癖を付けられるとまずいので、心当たりのある者は降りてくれ」と要請する。一人の男は「10年ほど前に別れた妻が共産党の集会に出たことがある」と申し出てスタッフを降りる。はたしてマーローたちの作った番組は、いくつかの新聞で勇気ある記者によって絶賛され力つけられる。しかしマッカーシーからは「反論番組の枠提供」を要求される。そしてマッカーシーの実写は、マローを社会主義者だという証拠があると口汚く罵る場面がでる。マローは「マッカーシーは自分の敵はすべて共産主義者の汚名を着せるのが手口だ」と暴く。CBSの奮闘もあり、マッカーシーの論法は影響力を失っていく。そしてアイゼンハウワー大統領の実写「我が国は民主的な司法制度があるから、理由なく牢獄に放り込まれることはない」と強調する。CBSは予算縮小をせざるを得なくなり番組は日曜日の別枠に移動し、スタッフは「あと5回の番組は打ち切り」を宣告される。しかし世論の流れを変えさせたという、CBSのスタッフの影響力は大きく評価されている。それに引き替え日本の報道機関の情けなさよ。ジョージ・クルーニーはこの間のCIAは石油会社の手先だったという「シリアナ」とか、今回も良い映画を監督している。六本木バージンシネマ他。
▼チケットプレゼントのお知らせ。5月7日(日)午後2時から「ウィーン少年合唱団」のコンサートのチケットをプレゼントします。場所:新宿初台東京オペラシティ。対象者:この1ヵ月以内にWeb『鍵盤乱麻』ならびにメルマガに投稿してくださった方を優先します。先着4名様まで。ご希望の方は至急メールか電話を下さい。

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April 29, 2006

編集会議の夜

▼夜は編集会議があった。終わってから連日の訪越報告会になって主としてMINさんがお話をした。毎年連休中はどこかで飲み会をすることになっている。Maさんが一度も六本木ヒルズに行ったことがない、とおっしゃるので、連休中の某日そこに行くことにした。ヒルズの森美術館では、おりしもデジタル画像で復活したダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の展示をやっているようだ。そのあと藤まつりを見て、一杯飲むというコースになりそうだ。わたしはそれよりも、ここのバージンシネマで、きょうから上映がはじめる「グッドナイト&グッドラック 」を見に行ってくる。

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April 28, 2006

訪越報告会無事終了する

▼昨晩のベトナム報告会は雨天で欠席通知が相次ぐなか、無事終了しました。ベトナムで買ったまま封を切っていなかった民族音楽を聴き、またベトナム産のウィスキーをチビリチビリと飲みながら楽しいひと夜は更けていきました。『鍵盤乱麻』の行事予定は5月中旬に秋田、山形から新潟まで6000円で東日本一日一周の旅を行います。これはすでにチケットを購入して準備は完了しています。6月はスパリゾート・ハワイアンズ(旧常磐ハワイアンセンター)に1泊2日で11500円(東京駅か新宿駅まで直行の送迎バス付き)の旅を行います。二人1部屋なので二人単位でのお申込をお願い致します。
▼パソコンを取り替えた昨年末に、デュアル・ディスプレイにしておいて正解だった。1週間ほど前に1000枚ほどのアンケートの入力と解析を頼まれた。列番号が「AT」まである。データ入力は繰り返しだ。普通だとディスプレイ1画面に17インチを使っているが「AE」くらいまで表示される。しかしデュアルは分割されないで通して見ることが出来る。200個くらい入力していくと、統計の傾向が出てくるので画面を一々確認しなくても入る。一応昨日昼に納品が終わって、あとはどんなグラフにするか、注文を待っている段階である。出来るならば統一メーカーの、同一製品で揃えておくと苦労しなくてすむ。
▼しかしCNNニュースというのはもう少しまともかと思って見ていた。しかし基本はアメリカのプロパガンダであることが分かった。あの湾岸戦争の時、極右TVでならした「FOX」と何ら変わるところがない。

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April 27, 2006

亀戸天神は藤祭り

▼このところ「みのカメ」に近所が頻繁に登場する。昨日もトップページにある、亀戸天神の藤が紹介されていた。この藤棚は数年前に、池の工事をしたとき、藤の木を入れ替えたら、その年は全く咲かなくなってしまったことがある。昨日のTVを見ていたら、その藤の木を手入れする専門の職人さんが、大阪から通年でやってきていることが分かった。また今年の連休も、わたしのように遠出をすることが出来ない貧乏人で賑わう事だろう。写真は昨日夕方撮影したものだが、あと1週間もすれば、満開になると思われます。そのみのもんたの番組を見ていると、この週間ほど腕時計がクローズアップされる。オメガの58万円ほどする高い時計なのだが、これも企業とタイアップして宣伝しているのだろう。
▼連休中頃に3日ばかり帰省するのだが、家にいるときは近くの穴場をご案内することができると思う。しかし連休で腹立たしいのは、JRの運賃が引き上げられて仕舞うことだ。普通は利用客が多いときは、サービスで引き下げられるのが当たり前なのだが、利益追求に走るJRは値上げして平然としている。「大人の休日」の会員になって、往復200kmの距離ならば、5%の割引きでチケットが買えるというので前回利用して見た。しかし、安売りチケット店より100円ほど高いので、あまり意味はなかった。当然これも連休中は利用の対象外となる。驚いたのはカードが2枚来て、そちらはETCカードになっていた。しかもETCカードの会員料金として年間500円の引き落としの通告があった。口座が間違っていて「引き落とせない」というので、さっそく「車に乗らないので解約したい」と通告したら書類を送るといってきた。うっかりしていると毎年500円引き落とされるところだった。
▼自宅のCATVは先週土曜日に設置が終わった。ビデオやHDD録画器のコード類が複雑に入り組んでいて、しかもわたしが不在だったので、工事関係者は頭を悩ましていたらしいが、写るようになった。昨年末から使っていたTVも地デジが入るようになって具合が良い。何を見ていても「データ」ボタンを押すと、郵便番号を登録してあるので、家の近くの天気予報が出てくる。わたしは「CNN」などのニュースと、時々WOWOWが写ればよいのだが、これは別料金なのだ。昨日申しこんだら、書類を送るから印鑑を押して返送してくれという。そうそう昨日は「ディスカバリー」を見ていたら「軍用ヘリ」の特集をしていてこれは面白かった。わたしが昨日「恥ずかしい」と書いたのはこの類の書籍だ。昨日も久しぶりに本を買った。「決定版ティガー重戦車パーフェクトバイブル」というのだ。本は置くところがないから原則として買わない事にして、図書館を利用しているのだが、これは半年ぶりくらいに買った。先日の新聞に「本の雑誌」の目黒孝司が本が増えて家を2軒借りていた。新築の家にそれを入れようとしたが入らない。考えた挙げ句、「あっても見ない」という結論に達して、本を段ボールで400箱も古本屋さんに引き取ってもらった。しかし原稿を書こうと思っていた肝心の本を1冊捨ててしまって後悔していると言っていた。まあそんなもんである。
▼そして今まで使っていたCATVの機材はわたしの部屋に持ってきた。何せ買ったら毎月5000円も払わなくてはならない。あと5年くらいは使えるだろう。ベトナムに行く直前に壊れたH社の全自動洗濯機だが、サービスマンがやってきて調べた結果、修理代の1万5千円を払って新品と交換してくれた。設置が終わったのはちょうど成田から帰ってきた朝だった。H社はトラブルをひた隠しにして交換しているのだろうか?
▼今晩はベトナムで買ってきたウィスキーを用意したので、ふるってご参加いただきたい。

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April 26, 2006

「マルクスだったらこう考える」を読む

▼学校に講義に行く曜日が変わったので、お会いする先生方も違ってくる。昨日はI先生とお話をした。わたしと同年配なのだが、数年前にご主人が定年退職なさった。そこで「家事を手伝う」という話をして後片付けという事で決着した。何をするのかと思ったら自動食器洗い器を買ってくれただけで、本人は何も手を下さない。洗浄力はたいしたものでピカピカになるという。たしかそうかも知れないが、我が家のような狭い家では大きすぎて設置する場所がない。その後ご主人は料理学校に通っていらっしゃるという。メールをテキストファイルなどとして保存する方法を聞かれた。授業開始まで10分を切っていたので、来月一泊のオリエンテーションがあるので、そのときお話しする事にした。
▼学校に行く前に、近くの大通りで北海道旅行にご一緒したTさんに会った。ベトナムに出かける時も、ちょっと勤務していらっしゃる店に顔を出して、「これからベトナムに行ってくる」とお話したので、「危なくないの?」と様子を聞かれた。昼間普通のところを歩いている分には問題ないとお話しする。コンビニも自販機もないことをお話したら「遅れている」とおっしゃる。コンビニが便利かと云えば、道路を倉庫代わりに使っている訳で、別のリスクを抱えている事を忘れてはならない。元々わたしはコンビニに行くのは指定された料金の支払い。宅配便の持ち込み、それに缶ビールを週に一度買うくらいしかいかない。
▼今読んでいる面白い本。先日わたしが山田詠美の『風味絶佳』の感想文を書いたので、何人かの読者の方々が「なぜ編集長はいつもと傾向が違う本を読むのだろう」といぶかしがったという話を聞いた。いやそれは新聞広告を見ていて、家族に聞いたら「持っている」と云ったので借りて読んだだけの話だ。『鍵盤乱麻』に紹介したら恥ずかしいような本は書かないだけである。話がそれたが的場明弘著「マルクスだったらこう考える」光文社新書のことだ。本書は1週間前にHP研究会があったとき、神奈川県の某大学教授とレイバーネットの某氏から紹介されたものだ。マルクスは実はピストルが好きだったという余談もあるがそれはさておき。本当に革命政党が云っているような事をマルクスが云っているのかを検証しているが、自分が欲しいものを必要なだけ手に入れることが出来る世界というのだって、それは環境に負荷を与えるし、彼はそんな事を言っていないという。さらに弁証法的唯物論というのは、ソ連共産党が自分一党支配のために発明して論法であってマルクスはそんなことを云っていない。さらに労働運動に対する批判は舌鋒を極めて、弱者を救うためには自らの賃金の切り下げやワークシェアリングをしない労働運動はニセものだと指摘する。わたしが云うと角が立つが、本書は一読の価値がある。
▼明日27日午後5時半開場でMINさん宅で「見てきたベトナムとホーチミン市報告会」を開きます。ブログに書ききれなかった意外な事実、それに未公開写真多数。さらに買ってきた民族音楽のCDもお聞かせします。どうぞふるってお出かけ下さい。
▼「ER11」でエリザベスは24日で辞職してしまった。ますます見る気がしなくなる。

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April 25, 2006

24日朝刊のトップニュースに疑問あり

▼日曜夜あたりのTVから昨日朝の新聞を見ていて、日本はおかしくないかと思う。なぜ千葉7区のM党候補者当選がトップニュースになるんだ。みんな横並び。朝のTVはM党幹部が延々と話をする。選挙とは心理戦でもあり、正しい事しゃべっていれば当選するという訳でもない。ポスターだけみたら、わたしだって、あの女性に一票入れてしまう。自民党は埼玉の副知事を引っ張ってくるなど、明かに千葉県民をバカにしていた。トップにすべきは岩国の反米軍基地候補が当選したことだと、思う。さらに沖縄市長に同じように米軍基地強化に反対する市長が当選したことだろう。さらに云うなら沖縄の米軍基地のグアム移転費を60億ドルで決着させた、N防衛庁長官もこれはもはや売国奴といわずして何と言うのか。一般論でいうなら引っ越す人の費用を大家が負担するというのは、大家が自分の都合ですぐ退出して欲しい時だけだ。例えば先週の森本毅郎スタンバイのコメンテーター住信基礎研究所主席研究員伊藤洋一でさえ「ふっかけているんだから、言い値ね払うことはない」と云っているにもかかわらず7千億円!それを嬉々として払う神経はわたしに分からない。きっと沖縄返還の時のような密約があるのだろう。その財源はこの4月から引き上げられた、税金などの費用が当てられるのだろう。
▼昨日の山手線ストップした事故。運転手さんが「いつもと違う振動がした」と緊急停車させて点検をするきっかけになった。1週間前にゆりかもめの車軸に金属疲労が出た時、運転手のいない交通システムは何も事前の警告はしなかった。人間の重要性というのはこういうところにあると思う。わたしは東京駅は混雑すると思い、万一の場合は秋葉原まで歩く方法も考慮して上野で下車した。すると4時10分で、運転再開の一番列車が動き始める時だった。
▼「週刊金曜日」の「中山千夏の身の上下相談」というコーナーがある。(毎週執筆者は交代する)先週の質問は「夫婦で旅行するのが好きだが、必ず途中でケンカになってしまうが、どうすれば旅行中ケンカをしなくて過ごせますか?」という女性からの問いがあった。それに中山答えて曰く。夫婦に限らず、性的関係にあるカップルが旅行をすると、必ず途中で一回はケンカになる。数多の例を見聞きすると性的関係がある人と旅行してケンカをして別れる。またのど元過ぎれば別の異性と旅行をしてケンカ別れになる。ならばそういう人と旅行をせず、友人と旅行するか一人でツアーに入るのが正解であると結論していたが笑えた。
▼日曜日夜10時8ch「人物ライブ・スタメン」の後半を見ていたら「エビちゃんを目指せ、人気雑誌の専属モデルになりたい」という昨年同時期同様の企画をやっていた。雑誌とは「キャンキャン」の事だ。ベスト3に残った女性を密着取材する。応募した理由は別れた男を見返してやる。ミス日本になった姉より目立ちたいなど様々だ。アルバイトで稼いだ15万円をすべて使って20歳の女性がエステに通う。親を引き連れてイオンに勝負ドレスを買い出しに行くとか、ちょっと信じがたい風景が広がる。わたしは茨城出身の20歳の女性が良いと思っていたが、今年の優勝者はいなかった。「見返す」ことに賭ける女性の意気込みにはタジタジとなるばかりだ。
▼昨晩某読者から2ヵ月ぶりに投稿をいただいた。メールの着信が携帯にあったのですぐ電話して「生きているの?」と話しかけた。生きているどころか書いていらっしゃるように近々お目出度いことがあるという。27日も出席されるようお願いしたので、どうやら半年ぶりくらいにお目にかかれそうである。

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April 24, 2006

佐久平は梅の花が満開で雪のよう

標高700mくらいの盆地の桜は三分き咲だ。だから懐古園も連休中が満開になりそう。しかし1000m」の軽井沢あたりの桜のつ蕾はまだまだ固い。近くの千曲市(旧更埴市)では杏の花が満開と報道されている。いつか一度は行って見たいと思うがまだ、見た事はない。こちらについてお茶を一杯飲んでから、父の見舞いにいく。老健施設に入れてもらったのだが、数日前から肺炎になり、併設されている、病院に入っていた。意識ははっきりしているが、かなり衰弱している。エクス線検査で、肺に影はなく、尿道感染の可能性がある。sかも白血球の数も増えているという。この先あまり長くないような気がする。昨晩NHKBSでマイケル・クライトンが云っていたが、人間だけが永遠に生きることが出来るわけではない、と云っていたが、その部分に関する限りその通りだ。あとの京都議定書を否定する部分は、勝手なアメリカ野郎という感じだった。そのあと老健施設に契約に行く。不動産の契約のように、重要事項の説明がある。近くのメルシャン美術館で、ロダンの愛人だったカミーユ・クローデル展をやっていた。次回行こう。Kouchi(Mobile)

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April 23, 2006

◇「V・フォー・ヴェンデッタ」を見る

▼どうも前2本の映画紹介が気に入らない。やはり見てすぐ書かないと、印象が薄れてしまって、支離滅裂なことを書いているなー。昨晩はあれから地方新聞のための原稿を書いていたが、文章を短くするのに、随分苦労してしまった。それはブログに書いた原文が悪いということに気づいた。今後は数行でも、すぐ書いておこう。昨晩NHKBSで午後10時からカメラマンの広河隆一が「チェルノブイリ事故から20年」を放映していて、たまたま途中から見た。ふる里を捨てなければならなかった家族と、次々襲ってくる死という恐怖。そして苛酷な運命と闘う人々の顔は輝いて見えるという、締めくくりの言葉はジンと胸に突き刺さった。
▼◇「V・フォー・ヴェンデッタ」もし逮捕拷問されて、「仲間の名前を白状すれば助けてやる。そうでなければ殺す」と云われたときどうするか?先に紹介した「再訪ベトナム」の中に当時の解放戦争に参加して、女性たちもそういう課題を突きつけられた。「ベトナム写真展」の時も政府軍兵士に川で、水責めにあっている若い女性の姿は痛々しかった。彼女たちは「知っているから口を割って助かろうとする。ならば知らなければ口を割らない。」と覆面をして会議に臨んだというエピソードが紹介されている。近未来のイギリスは独裁国家になっている。そして独裁者はTVというメディアを通じて、自分の絶対権力を誇示する。ある日TV局に勤めるイヴィー(ナタリー・ポートマン)は禁止されている夜に外出して自警団に捕まるが、「V」と名乗る仮面の男に逃がしてもらう。Vは独裁国家にただ一人立ち向かおうとして1年後の11月5日ロンドンにある国会議事堂を火の海にしてみせる、と予告する。イヴィーは監視カメラに写っていたことから、警察や保安警察に追われることになり、Vに匿われれる。そしてこの国が独裁国家になったのは20年前の「小学生中毒死事件」「貯水池の毒投入事件」など一連の未解決になっている事件が発端になっていることが分かる。そして逮捕され「Vの正体を知っているだろう。それを云えば釈放するが、そうでなければ即射殺する」という拷問を受けるのである。監視カメラで監視されるのが常態化した日本。未解決事件の数々。首相の言い分だけ一生懸命報道するマスメディア。そして各地で発足しつつある「危険情報を発信するメール」という実質的な自警団の発足。何と日本の今と似通った世界であるか知ることになる。

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April 22, 2006

◇「プロデューサーズ」を見る

▼日曜日と月曜日は介護帰省をするから、きょうはこれから出勤。このところ飛びこみでパソコン相談が多い。昨日午後はその一つに伺った。自宅のパソコンでHPを作って職場で更新しようとしているが、うまく行かない。お金はいくら払っても良いから何とかして欲しいとおっしゃる。ありがたいことである。しかし世間相場というものもあるから、暴利をむさぼる訳にもいかない。方向を勘違いして、場所を探すのに1時間もかかってしまったのは失敗だった。確かにサーバーと接続出来ない。2時間見たが、パスワード類はまったく問題ない。ウィルス対策ソフトが問題かと思って、セキュリティ関係を見たが「HPビルダー」は「スルー」になっていて問題ない。2時間以上やっても無駄なのでパスワード類だけ預かって自宅で実験することにした。昨晩は夜もレッスンが一件あった。夜帰宅してから自分のパソコンに預かってきたパスワードでアクセスしたら、問題なく更新できた。そこで成功した印として、あるページに「TEST060421」と入れてアップデートしておいた。こうなるとお使いのノートパソコン固有の問題であろう。来週はソフトとノートンを全部削除してやってみようと思っている。
▼◇「プロデューサーズ」先週発行されたある新聞で、この映画の事を「ナチスを皮肉っているから良い映画である」と書いていたがバカじゃないかと思う。わたしに言わせればナチズムとスターリニズムは共通している。それに某国のマスゲームなんてナチスの分列行進と何も変わりはしない。両方に共通しているのは自分の頭で考えず、「号令一つで動く」人間を作る事である。そういえば映画館の予告で「マスゲームの少女」というイギリス映画が上映される。予告を見ていたらNHKBSで放映された、イギリスのドキュメンタリーと同一のものだった。つまり「将軍様」の前でマスゲームをすることを夢見ていた少女が選抜試験を勝ち抜いて、見事その「栄誉」を勝ち取るまでが描かれている。
▼さてどうやったらカネが儲かるかを考えるのがプロデューサーであるとしたら、どうやって顧客が節税できるかを考えるのが会計士であろう。前者が映画に登場するマックスで後者がレオである。カネがないプロデューサーの顧問会計士を務めているのがレオなのだが、仕事に行っても文無しで逃げ回るだけのマックス。それに金庫にはカネは入っていない。マックスはお年寄りの老婦人を騙してカネを集めるのが得意である。ならば上映作品をでっち上げて、カネだけ集めて逃げれば良いではないかというグッドアイディアを思いつく。まずはその詰まらない脚本選びだが「春の日のヒトラー」という本を探し出す。書いたのはビルの屋上でハトを飼っている、ヒトラー信奉者フランツだ。ナチスのヘルメットを被って、ルガーP08を振り回す気むずかし屋だが何とか契約にこぎ着ける。あとはキャストとスタッフ選びである。
▼事務所には背の高いスウェーデン出身のウーラ(ユマ・サーマン)である。困っている様子にほだされて、芝居が始まるまでとりあえず秘書として雇うことを決める。マックスは一張羅の赤いスーツを着込んで、介護施設に入っている老女たちを言葉巧みに口説いて、200万ドルを集めきる。集まってきた演出家やデザイナー、振り付け師たちはみんな怪しいゲイの男たちだ。難儀のすえようやく上演にこぎ着ける。初日に「幸運を」と云うのは業界の禁句なのだが、「脚を折れ」というのが正しい。ところがヒトラー役は本当に脚を折ってしまい、代役を立てることになる。公演の幕があくとナチのPRのように見えた観客の一部はブーイングで立ち上がって帰ろうとする。しかしよく見ているとヒトラーを賛美しているように見えて、こき下ろしていることが分かってくる。そして大ヒットのロングラン。プロデューサーは止めるに辞められず芝居は続けられる。だがウーラとレオは儲けたカネを握って二人は海外に高飛びしてしまう。ユマ・サーマンは現実に1m85くらいある人だ。「ムーランルージュ」」のニコール・キッドマンも同じくらい背の高い人だが、この映画ではきれいに撮れている。巨人のユマと他の俳優がこびとに見えて浮いている感じがした。セリフは面白いが、ナチをパロディ化しているところが分かりにくい。
▼仕事が終わってからナタリー・ポートマンの「V・フォー・ヴェンデッタ」を見てきた。時間があったら明日朝帰省する前に書こうと思う。そのまえにこれから締め切りを過ぎたシネマの原稿を執筆する。

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April 21, 2006

◇「美しき運命の傷痕」を見る

▼このところ出会い系サイトのメール攻勢がもの凄い。毎日40から50通くらい送られてくる。もちろんブロックしてあるのだが、それでもその網の目かいくぐって送られてくるから、ドメインで毎日10個くらいをブロックする。
▼昨日「てんぐさ」さんの投稿メールが締めきり直前に着いたと書いた。その後ご本人から電話があって、「午後6時に送ったが掲載されただしょうか?」とご心配の電話があった。ベトナム中央郵便局から送ったエアメールも10日から2週間もかかってとても驚いたが、都内同士で2時間もかかるのも困ったものだ。おそらく動画配信とか、上記スパムメールが異常に増えている結果ではないかと思っている。
▼◇「美しき運命の傷痕」何やら刑務所らしきところから出所した一人の男。やくざ映画と違って出迎えの車もない。目の前に野鳥の巣があり、そこから落とされた雛を拾い上げて戻してやる。想いが尽きないのは妻(キャロル・ブーケ)に引き取られた子どもたちのことだ。昔の話に引き戻される。彼は小学校の教師をしていたのだが、あるとき男子の教え子が控え室にやってきて、愛を告白していた。いきなり教師の部屋に入って来た妻と娘に、その場面を目撃され、「このケダモノ」と云った調子で怒りを買い離婚させられる。彼は3人の娘に会いになんども妻の家を訪ねるが、すべて拒否される。たまたま「会わせろ」、「会わせない」でやり合っているとき妻に暴力を振るって半身不随の身体にさせてしまったことから刑務所に入っていたのだ。
▼そしてお話はその3人の娘の現代に戻ってくる。長女(エマニアル・ベアール)はカメラマンと夫と3人の娘と暮らしている。ところが夫が自分の身体をまったく触らなくなってしまった。妻はかなり強引に夫に迫るが(この場面の心情の描き方は優れている)、「止めろ」と云って妻を突き飛ばして行ってしまう。不審に思って電話のリダイアルなどを調べると果たして、取引先の経営者の女性とデキていたのだ。妻は決然として母と同じように別れる決意をする。情けない夫は愛人にも振られて自宅に戻るが、妻は決してドアを開けない。
▼そして一人暮らしを続ける次女は半身不随になって山間の施設に入っている母を見舞うのを習慣にしている。いつもの列車でいつもの車掌、いつもの待合室、男性関係はまったくない。ところがある日待合室で不思議な若い男が待っている。何か話たがっているのだが、分からない。何回目かに自宅に誘い、裸になると意外な告白をされる。実は彼こそあの時の父の教え子だった事が分かる。そして父にときめきを感じて自ら裸になったのだという。つまり父は母の想像するような男ではなく、教え子を拒否して説得している最中だったことを知る。母は誤解をして父と離婚し、さらに刑務所に送りこんでしまっていたのだ。
▼そして大学生の三女は、父のような大学教授に恋をしてしまう。修論かなにかの面接は面接官の前にある箱から「籤を引く」その設問は「王妃マルゴとは」だった。この答える場面は面白かったが、1分くらいで終わってしまう。そして面接官の一人である指導教官はなぜか。ギリシアに生徒を連れて行ってしまって欠席している。自分の苦しい気持ちを教授の家に行って、クラスメイトの友人に訴える。教授の妻も外出から帰ってくるので、「こういう場合どうすべきか?」と質問すると「奪い取れば良いのよ。実はわたしもそうだったの」というが、顔を出したのは当事者である夫の教授だ。彼のあわてふためく応答振りは多いに笑える。
▼久しぶりに3人姉妹は母のリハビリ施設を訪問して、父の事件の真相を伝える。しかし話が出来ない母はいつもの筆談で、「わたしは、たとえそうだったとしても後悔していない。わたしは正しかったのよ」と決然として答える。ここで最初のシーンと同じ万華鏡が登場する。岩崎宏美の「万華鏡」を歌詞を思い出す。「ショーウインドウ万華鏡のよう…」。この歌詞の場合めまぐるしいことだけが強調されている。だが映画の万華鏡はグルグル廻った画像で本質が何か分からないという事を言っている。つまり最大の被害者は疑惑をかけられた夫ではなかったのか。トリコロール三部作キェシロフスキー監督が残した脚本による。

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April 20, 2006

「民主主義」の根本を考える時(VSJ13)

▼本日メルマガ締め切り日です。投稿される方はお忘れなく。
▼まだ北爆が行われたいたころ、ハノイにも日本から数人の記者が常駐していた。その一人K記者は当時のベトナム労働党の幹部に呼ばれ、「戦後日本はどのようにして奇跡の経済発展を遂げたか?」聞かれたという。その中でどうしても「歩道橋」の概念を理解してもらえなかったと云っていてのを思い出す。だが今こそ、ベトナムには歩道橋が必要な時に来ている。本論になるが、ベトナムは戦後日本の復興をモデルにしているのだろう。1本の柱は経済建設で、もう一つは観光立国である。カオダイ教本山に行ったときも、大勢の観光ガイド専門学校学生が実習に来ていた。卒業したらそのままガイドになれるのかと聞いたら、あと2年専門学校に行き、そのあとさらに語学専門の学校に行くのだという。タンさんも3年日本にいたが、そのときはベトナムとの調整役だったので、日本語を習得したのは帰国してからだったという。現在その要求に応えるべく、サイゴン市内には「さくら」という大きな日本語学校があった。
▼ベトナム南部が解放されてから、ベトナム労働党幹部は考えた。キューバのように急激に外国企業の国営化をすれば、敵視されて経済封鎖をされてしまう。北朝鮮のように主体思想優先にしても孤立させられてしまう。革命で一番難しいのは、政府を攻撃している時は味方の食料を確保することだけを考えれば良い。ところが成就した暁には敵でおあった部分を含め、全国民を食わせる義務が生じる。あのネルソン・マンデラが政権を握って来日したとき、南ア連邦から「割り箸を買って欲しい」と政府に懇願していた。
▼全国民を食わせて行くために、いち早くアメリカからも観光客を受け入れる。そして主食の米だけでも全国民を食わせて行くことはできるが、国際競争力を高めるには生産性の高い工業を誘致して行く。そのために道路などのインフラ整備を優先させていく。だから軍隊といえども、平常時にあっては独立採算制をとる。
▼以下はわたしのカンだけで書いているのでそのつもりでお読みいただきたい。ベトナム戦争当時、はベトナム労働党と云ったが、その昔はインドシナ共産党と云っていた、ところが20年ほどまえに、あえてベトナム共産党に名称を変えている。解放当時ベトナム労働党の第一書記(最高の実力者)はレズアンという人だった。彼は実は南の出身者である。サイゴン周辺はカンボジア出身のクメール族の人がと、華僑がたくさんいる。おそらく北は南「解放」を、ずっとその政治目標として来たに違いない。だがレズアンが全面に出ると、南の人たちからは「北に行ったあの裏切り者」と思われかねない。だからレズアンは、ホーチミンの死を最大限利用しようとした。ホー叔父さんなら、みんな云うことを聞くだろうと。解放戦線議長は南出身のグエン・フー・ト、パリ和平会談にはグエン・チ・ビンなどを配置した。
▼解放後は南の経営者の力と、貿易関係のコネクションを最大限利用して生産量を上げる。だが最初の頃何が行われたか本多の著書を読むと、「密告」と「解放軍報(クアンドイ・ニャンザン)」を利用した「資本家の摘発」であった。その行き過ぎ現象は、現在もまったくなくなった訳ではない。同書には解放直後は「全員殺される」と思っていたサイゴン人たちも、一安心したあとは「解放軍」が規定した「禁制品」を街頭で売り出すしたたかな様子も描かれている。「交通警官に賄賂が利く」とガイドさんが云った話はご紹介した通りである。交通警官に利くならば、それはどのような場面でも通用するという事だ。賄賂が大がかりになると「収賄・汚職」になっているのが現在のベトナムの状況である。人間というのは体制が変わっても清廉潔白でいられる人は少ない。だから人間であるとも云える。「民主化」というのは民衆の下からの力によってなりたつものであると思うが、ベトナムの場合「密告」と「摘発」は民主化とは異なると思う。
▼ベトナムで発行されている4月19日付けの「ラオドン(労働)」という新聞で、ベトナム共産党「ニャンザン」元編集長は次のように語る「汚職防止の問題の根本は党内の民主問題の解決だ。党が民主的でないことが汚職まんえんの最も重要な要因だ。もちろん、民主はあるが不十分だ」。「われわれの根本目標は民を富ませ、国を強く、社会を公平、民主、文明的に建設することであるはずだ」。
▼「民主主義」という言葉がベトナム全体に行き渡るには、もう少し時間がかかりそうである。
▼以上でベトナム報告はすべて終わりです。27日の報告会はお申込がありません。23日朝までにお申込がこれ以上増えなければ、中止とさせていただきます。

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April 19, 2006

若者が元気な理由は(VSJ12)

▼あの後カンボジア国境にあるカオダイ教総本山に行ったのだが、守備範囲ではないのでMINさんの報告をお待ちいただきたい。本多の著書にも2ページだけ、目玉の写真と最高責任者とのインタビューが紹介されているが、解放直後ローマ法王庁と同じ独立をめざしていたが、解放戦線から拒否されて現在に至っているもようだ。
▼この地方の道路を走っていると砲弾を切って加工したような巨大な容器を6個もつけて走っているバイクがいる。タンさんに聞くとベトナムは石油が採れて安いので、カンボジアに持っていって売る人だという。さらにタンさんは「ベトナムではバイクが1台あれば色々な商売をして生きていくことができます」と語る。ベトナムでは米の三毛作が当たり前である。だがその田んぼを潰して、カンボジアとの幹線道路を作っている最中だ。その分米は輸入することになるわけだが、「あと20年もすれば巨大な工業国になります」と話す姿には未來に対する自信が溢れている。この国の若者は、と云っても話したのは二人のガイドさんだが、そういう希望があるから、目先の多少の不自由や経済的な貧しさは克服して行こうという風に見えた。道路を走っていると何かの肉が木に吊して売っている。あれは何か?と聞くと「冷蔵庫がないから、牛の肉をああやって切り売りするのです」という。昭和30年初期、わたしの家にも冷蔵庫はなかった。だから肉を食べるのは、年に数回自宅で飼っている卵を産まなくなった鶏を絞めるときだった。ふとあまりにも似ている自分のふる里の事を思った。犬の事も聞いてみたが、犬は番犬として飼うものであり、一定の大きさになると、「ちょうど食べ頃だ」ということになるらしい。
▼クチから帰る時間は午後5時頃を予定していたが、3時に着いた。日系商社で3年ほど働いていたというタンさんは京セラとキヤノンのデジカメの部品を扱っていて名古屋と熊本にいたことがある。帰着する時間が早すぎたので、気の毒に思ったのか買い物につきあってくれた。タンさん一緒だったので安心して買うことができた。わたしはベトナムの民族歌謡曲を買おうと思ってCDショップに連れて行ってもらった、タンさんに「静かな曲」というと店の人と相談して見繕ってくれた。そしてケースのセロファンを破ってさわりを聴かせてくれた。「OK」というとそれを新しいセロファンの袋に詰め替えるだけ。そうして3枚ほど買い求めた。帰国してみたら全部CD-Rだったので対応再生機でなければならないことが分かった。そしてプラスティックのケースには証紙が貼ってあった。なるほどこれが正規盤の証しなのだ。さらに街頭には海賊版DVDが溢れており、つい最近公開が終わった「フライト・プラン」も売っていたが買わなかった。
▼ANAの中では現在映画館で公開している映画が放映されていた。「ナルニア国物語」、「イーオン・フラッグス」、「SAYURI」、それに「博士の愛した数式」などだ。わたしは最後のを行きに見た。大沢真幸の恋愛を数値化した著書のようで、周りが騒がしいせいか、内容はまったく理解ができなかった。
▼明日は最終回の「ドイモイは何を目ざしているか」。
▼昨日から新学期。わたしは今学期から火曜日の4時限担当になった。

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April 18, 2006

いよいよM16の試射をする(VSJ11)

M1carbin小屋に展示してあったM2カービン銃
▼実はジュネーブ条約によって戦争で使う兵器とか銃弾も決められている。第二次大戦後しばらくは7.62mmの弾が使われていた。ところがアメリカのストーナー社は223弾というのを考えた。口径は約22だが火薬の量が普通の3倍はある。だから当たるとすぐは死なないが内臓をえぐって傷口を大きくして出る。死んだ兵士は置き去りにすれば良いが、死なない兵隊は3、4人がかりで運ばなくてはならないから、戦闘能力は落ちる。しかも弾は小さいから、戦う側は沢山運ぶことが出来る。と、まあ223弾はこのように非人間的な弾なのである。
▼マガジンに入った弾は銃本体に差し込まれる。そしてチャージングハンドルを引くとM16のロータリーボルトが見え、くだんの軍人はマガジンと弾に遊びがないか指で確認し、チャージングハンドルをゆっくり戻す。これで装弾は完了した。そしてセレクターのセイフティから中立のsemiに切り替える。見ていて「あぁ実物と同じ操作だ」と呟いた。おお、そうだこれはホンモノだった。モデルガンはセレクターの前がsemi、中立がsefty、後ろがautoになっていていささか実用性には欠ける。このような操作は全部頭に入っているから自分でやりたかったが、ここまでは軍人がやってくれた。そしてフロントサイトとリアサイトを指さし、射撃場にある「タイガー」の絵を狙えと指さす。当てたら何かくれるのかな?いやいや温泉地の射的ではないからそんな期待をしてはいかん。銃身は固定されていて、前方約90度より左右には動かない。もちろん上下も10度くらいしか動かないようになっていた。トリガーをおもむろに絞る。ガァーンと見聞きしているより意外と大きな発射音がした。もちろん貸し出しのイヤープロテクターをしているが、安物で殆ど役に立たない。バックストックからかなりのショックも伝わって来る。音が大きいのは射撃場が谷間のようになっているせいだろう。こんなに大きかったら居場所をすぐ見つけられてしまう。今後こういう機会はないだろうと、ゆっくりと5発撃った。データベースの写真「GUN2」は撃っている最中なので銃口の脇に空薬莢が舞っているのが見えよう。そして「GUN3」は「撃ち方止め」の図。長い間訓練しているから意識していなくても、撃たない時には人差し指がまっすぐ本体に添えられてのを評価して欲しいぞ。<
▼まあこうしてわたしの長年の夢は叶ったのである。帰国してから「ベトナムロード/戦争史をたどる2300キロ」石川文洋著 平凡社1300円によるとクチ観光地は軍営企業で、戦争博物館の他197社の軍営企業があり、外国との合弁で自動車組み立て、建設、衣料生産など幅広く手がけている。95年の総売上高は4兆ドン(3億6千万ドル)余だったという。そしてこの本が出版された11年前、すでにこのクチ射撃場でAKを観光客に撃たせていたとある。なーるほど。武士や軍隊というのは何も生み出さない穀潰しであることはご存知の通りだ。ベトナム人民軍はそれではまずいと考えたのだ。そして文字通り「武士の商法」としてこのような商売を考えたのだろう。それで色々疑問が解けた。つまり最後市内の1kmくらいの間にある軍事博物館で同じような展示物が多いことだ。博物館ごとにそれぞれの軍事部門が独立採算で経営しているから、同じ戦車や車両が出てくるわけだ。
▼それにしても本多の記事でも石川の記事でも、銃器に関する間違った記述が多い。本多のではR15とかガーラント銃と書いてある。石川の本ではAK40となって、現実に存在しない銃が出てくる。おそらく取材した当人の聞き違いだろう。それぞれAR15、M1ガーランド銃、AK47と表記するのが正しい。大新聞社の朝日や、大出版社の平凡社では、高い金を払って専門の校正者を雇っているにもかかわらずこの有様。まぁ銃の名前を間違えても「戦場の村」、「再訪戦場の村」が優れたルポであることには変わりはないことだけは確かだ。
▼編集長のVSJオタク訪問記はいつまで続くのか心配されていたみなさん。ご報告はこれで終わりです。とくに励ましのお便りもお怒りの声もありませんでした。あと1、2回全体の感想を書きます。おつきあいありがとうございました。

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April 17, 2006

射撃レンジに下りる(VSJ10)

Gomurinゴムはこうして採取する。
▼みなさんお元気であろうか?日曜になるとグッとアクセス数も減って普段の半分くらいになる。この数ヶ月常時執筆者がいきなり書いていただかなくなってしまった。そう言えば昨晩ジャスミンさんからメールがあって、メルマガ4月2号から復活してくださるという。彼女の場合は休載の連絡も事前にいただいていて、そのことはみなさんにご報告してある。できれば27日も来ていただきたいが、まだその件に関してご返事は頂いていない。HPのコーナーも1年以上変化がなかったものはこの際整理しようと思っている。空きスペースを作らないとビデオ動画も入らない。
▼昨日は色々身辺に変化があった。TVをいわゆる地デジにしたこと。CATVに正式に申しこんだので、1、2週間後にはチャンネル数が増える。わたしはどうでも良いのだが、我が家には熱烈なソフトバンクファンがいる。スカパーにすれば全試合見ることができるのだが、CATVのひと月3990円の契約で今見ている地上派プラス38チャンネルになり、ソフトバンクも100試合くらい見ることが出来るという。
▼もう一つはGさんに笑われるが、携帯にプラスモバイルSuicaの機能を組み込んだことだ。いわゆるおサイフケータイというやつだ。いや言い訳をするとMINさんと一緒にJRの旅のクラブに入った。そのときにビザカードを作らされる。木曜日の新聞を読んでいたら、モバイルスイカを持っている人は1000万人を突破したが、おサイフケータイの利用者はたった3万人ちょっとだという。少ないうちにやって使用報告をしてみようと思っただけだ。しかし、サイトにアクセスして使えるようになるまで、2時間も悪戦苦闘した。これでは誰でもできないと思った。
▼わたしの場合このカードを使うと実家に帰る往復新幹線が200kmを超えるので、往復を指定席で買うと5%割引きと云っているので、これが本当ならかなり助かる。今週末には母の介護認定で帰省しなければならない。介護認定は毎年4月に検査更新される。身体の機能検査は終わっているが、精神の方はいつもの病院に行かなければならない。このことはいつものケアマネージャーさんから連絡があった。ついでに今までの担当女医さんは産休に入ったとの事である。そうここにも書いた二人目の細い指輪をした女医さんだ。わたしの目に狂いはなかった。このことを書くとまたGさんに、「何か勘違いしているんじゃなの」と笑われる。
▼「プロデューサー」を見たがいずれ書く。
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー10(VSJ10)ガイドのタンさんはブービートラップが終わると小さな直径3mほどのくぼみを示し、「これはB52が落とした爆弾のクレーターである」と真顔でいう。こんな小さいのB52である筈がないが、タンさんはベトナム戦争が終わって2年後に生まれたと云っていてから無理もなかろう。その先を歩いていると何かバァーンという爆発音がした。何だろうと思ってしばらく歩くと射撃場が見えてきた。的までの距離はおよそ100mで高さが10ほどの土地をくりぬいて、さらに跳弾予防のためかドラム缶を5段ほど積み重ねてあった。弾売り場の前には写真の銃が並べてあった。手前からM79グレネードランチャー、M1カービン、AK47、M16A1、モシンナガン1981(ベトナム写真展のポスターの少女が背負っているのはモシンナガン1943だ)AKM74、それにレミントンM700。都内のモデルガンショップでもこんなに沢山並ばない。シューティングレンジで撃つことが出来るのは、M16、AK47、それにランボーのM60だった。M16の223弾というのは、自衛隊に入隊でもしなければ撃てない。
▼もともと日本で銃を所持するのはかなり面倒である。まず公安委員会に申請すると警察による身元調査があって「許可」がでればまず散弾銃を持つことが出来る。さらに散弾銃を10年間もつとやっとライフル銃になる。ライフル銃は他人から借りて撃つことも出来ない。わたしたちは6ドル払って5発の弾を買った。弾はクリップに入れて渡される。シューティングレンジに下りると30代後半の曹長クラスの精悍な顔つきをした軍人がクリップから弾を外してマガジンにこめてくれた。

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April 16, 2006

タロイモの試食(VSJ9)

Kuti2わたしもマネして入ったが出られなくなってしまった。
▼金曜日夜はHP研究会。「週刊金曜日」7日号に「雅子さん皇室止めませんか?」を書いた某通信社のOBと、前日に懇談したジャーナリストから、ここには書けない裏話の提供があった。さらに民主党の小沢の登場に関して、自民党のポスト小泉と云われる人々には、もし総裁に当選しても、党を引っ張っていく力はない。だから小沢は福田あるいは公明党と組んで時期首相を狙っているという説が有力であるという話になった。
▼◇「美しき運命の傷痕」銀座テアトルシネマで見た。監督は「ノーマンズランド」のダニス・タノヴィッチ監督。3人の女性の恋物語だが、末娘の恋には胸が張り裂けるような気持ちになってしまった。「VSJ」の連載は今週半ばあたりに終わるのでそれからご紹介しよう。
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー9(VSJ9)クチとはなにか少し説明しなければならない。メコンデルタにあってクチ、チャンバン、ベンキャットは鉄の三角地帯と呼ばれた。すなわち解放戦線の南部の強固な根拠地となっていて、米軍が何度となく一斉攻撃をしたが跳ね返していた。証跡博物館には1トン爆弾が展示されているが、その効力は実質的に原爆に劣らない。つまり数百メートルを一瞬にして焼き尽くして真空状態にして、さらに10mくらいの地下工作物も破壊する。これはその後第二次湾岸戦争で、フセインの隠れ家を破壊するという目的で使われた。クチの解放勢力は延べ250kmに及ぶトンネルを掘ってこれに抵抗したのだ。そうは云っても犠牲も多かったはずだ。あるとき米軍がトンネルを破壊すべく爆薬を仕掛けた。そしてスイッチを押したが爆発はおきない。「what happend」と云って見に行くと仕掛けた数分の間に爆破装置のリード線は切断されて、大量の血が延々とトンネルの奥まで続いていたという話がある。つまり爆薬が仕掛けられたと分かった時点で、解放戦線の兵士は身を挺してそれを切断して、穴の奥へと爆薬を持ち去ったのだ。爆薬は再生して敵を攻撃する地雷に作り替えられる。
▼昨日ご紹介した、穴にわたしも入って写真を撮ってもらったが、足場がなくて身体が抜けなくなり、人民軍の兵士とガイドさんに引っ張り上げてもらった。わたしの身体でそうだから巨漢の米兵は頭くらいしか入らない。現実にアメリカ人観光客も大勢見に来ているが、潜ろうという人は一人もいない。しらばく歩くと初日に紹介した破壊された米軍戦車が出てきた。本多と石川は解放後2ヵ月後に、国際記者団の一行50人ほどと一緒にここを訪れているが、そのとき破壊された戦車は3両ほどあったらしい。その後観光用に現在の1両だけ残され、誰でも上って写真を撮ってもらえる。さらにブービートラップが沢山の展示されていた。「ランボー1」を見るまでもなく、痛たそうーだ。ガイドさんはわたしたちは別に残酷な事が好きな訳ではない。米軍と戦うには武器が不足していた。だからイノシシなど野生動物を捕獲する技術を転用しただけだと語る。
▼さらに進むと米軍が投下した不発弾を解体して、手榴弾や地雷などを作る地下工場や着衣を作る工場があるが、これは電源スイッチを入れると人形が動き出すので驚く。爆弾の解体など危険な仕事は男が行い。危険でない作業は女性が担当したという。ホーチミンサンダルを作る実演もやっており、これもトラックなどの大きいなタイヤをくりぬいて貼り合わせていた。これは10年持つというのはガイドさんの話だ。子ども用のサンダルも売り出していたのはご愛敬。さらに当時の解放地域の人々が常食していたというタロイモの試食もあった。ほっかりとサツマイモのように蒸してあった。岩塩と胡椒のようなものが置いてあってそれを付けて食べる。3つほどいただいたが、始めて食べるには良いが、毎日食べると飽きが来るだろう。ついでにいうとベトナムの食生活に欠かせないのは味の素であるという。そしてその原料となるのが、このタロイモで味の素はすでに昔からベトナムに進出していたのだ。
▼きょうで終えようと思ったがまだ続く。時間的に前後するが明日は射撃だ。

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April 15, 2006

クチトンネルの入り口で(VSJ8)

Kaihogun1
▼謹告:訪越報告会開催のお知らせ。
日時:4月27日(木)午後5時半開場
場所:MINさん宅
条件:一品持ち寄り会費制
参加資格:どなたでも可
▼家の近所が急にあわただしくなってきた。そう、あの新東京タワーの話だ。建設される場所というのが、わたしの住んでいるところから電車で一駅の所にある東武鉄道本社近くの区画整理で出来た空き地である。距離にして2kmくらいだ。それで先週あたりは鼓笛隊による「歓迎パレード」が始まった。
▼昨日某所でわたしのことが話題になったらしい。曰く「毎日書くロボット」とか「毒茸を食べても平気は胃袋を持った男」とか…。ロボットならば腕が勝手に書いてくれも知れないが、こっちは考えながら書かねばならない。みなさんはお分かりにならないかも知れないが、例えば戦車の記述をするときにも、「戦場の村」の事を書く時も大量の資料をひっくり返して格闘している。
▼ベトナム・センチメンタル・ジャーニー8(VSJ8)▼運転手さんは腕を水平にして肘を外に突っ張るようにグーの動作からパーとかチョキを出す。ガイドのタンさんが「何だかわかりますか?」というのでクビを横に振る。交通取り締まりの警官の所在を示す、ドライバーの相互扶助行為なのだという。つまりパーは「大丈夫」でチョキは「警官がいる」と言う合図なのだ。日本でも対向車にヘッドランプのパッシングで知らせることがあるが、それと同じだ。さらに道路のあちこちで淡いオレンジ色のつなぎの制服を着た、オートバイに乗った交通警官に捕まっているドライバーの姿を見かける。タンさんは「こちらの警官は賄賂がいくらでも利きます」というので、さらに驚いた。
▼車が郊外に出るとヘルメットを被っているオートバイが増えてくる。聞くと市内はスピードが出ないからヘルメットの着用は義務づけられていない。しかし郊外はスピードが出るから義務なのだという。それでも100%が被っている訳ではない。見ているとレンタルヘルメットの店も存在する。交通取り締まりを知った人が検問を通り抜けるためにそこで一時的に借りるのだろう。さらに駐車場ではバイクの料金の他に、ヘルメットの料金まで別に徴集するのだ。みんなしっかりしている。あちこちにヘルメットを着用するよう訴える大きな看板が目に付くようになる。
▼農村の風景は、牛がのんびりと草をはんでいる姿を除けば、30年ほど日本のそれとさほど変わらない。唯一違うのは水牛が多くいることだ。サイゴン周辺では田んぼを潰して、カンボジアに行く幅の広いまっすぐな道路を建設している最中だ。タンさんによれば米はタイや近隣の国、あるいは日本から輸入するようになったが、これがベトナム工業化と近代化の道につながると確信をもって語っていた。農村の家屋はニッパ椰子でふいたものが多いが、あとは素焼きの瓦だ。途中電柱も日本のそれと違いブロックのスケルトン方式のものがあった。途中ゴムの林で一時休憩をした、下りると小さな子どもが数人いて、素朴な木でできたお土産を売っていたが、相手にはしなかった。ゴムの木は見たところ20年くらいに見えた。おそらくこの辺はアメリカの枯れ葉作戦で樹木は一本残らず焼かれたところなので、新しく植林されたのだろう。よいゴムを採取するたえに幹にらせん状の切り込みを入れた上に、スポンジのようなものが巻かれて雨水が入ってゴム液が薄まらないように工夫されている。そこで5分ほど散策して、さらに走行すると抗米救国の戦いでなくなった兵士たちの巨大な墓地があった。その先に烈士たちの子弟(親を亡くした)が学ぶ学校が建てられていた。
▼走り始めて2時間半ほどたった10時頃、いよいよクチに到着した。周囲はグリーンの人民軍の制服をした兵士がたくさんいるのでちょっと緊張する。しかし銃を持っている兵士は一人もいない。本多が解放2ヵ月後にここを見学したときは、黒い解放戦線の制服を着た20人くらいの兵士たちが武器弾薬を身体につけて護衛に当たった、という写真が掲載されている。まずこの場所の解説ビデオを15分くらい見せられる。考えたのだがこのクチは解放戦争の聖地として、ベトナムの子どもたちの学習の場になっているのだと思った。ビデオをDVDにしたもので、画質が荒れているのは仕方ない。クチの人たちがいかに平和を愛して、米軍と果敢に戦ったかが紹介されていた。それが終わるとガイドの他に人民軍の兵士が、わざわざホーチミンサンダルを履いて当時の格好をして案内ツアーに出発する。まず枯れ葉で隠された、地下トンネルの入り口を探してみろという。

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April 14, 2006

サンパンに乗る(VSJ7)

Nisikis

▼ベトナム・センチメンタル・ジャーニー7(VSJ7)
▼本多勝一の「戦場の村」を読んでいても、メコン川の解放地区の場所がどこであったか、戦争中なので秘密である。そこで昨晩「本多勝一集13/ベトナムの戦後を行く」を借りてきた。現在のメコンクルーズの船着き場があるのはミトー(表記はガイドブック、本多はミイトーと呼ぶ)で、本多が行ったのはさらにその下流にあるフンミイ村のラスグアといところであることが明記されていた。
▼最初の休憩所には何やら犬小屋に金網が貼ったものがあった。「あれは何か?」と聞いて覗くと、体長3m周囲の一番太いところは20cmくらいのニシキヘビがいた。写真撮影用に飼育されているようなので、「噛まない?」と聞いたら「ウン」とこっくりするので安心してクビに巻いて写真を撮ってもらった。この休憩所は沢山の試食や試飲が用意されていた。次の休憩所は楽器演奏と民族歌謡の紹介があったが、詳しくはMINさんの手記をご期待いただきたい。それが終わると手こぎのサンパン(さっぱ舟のようなもの)に乗り移る。この日の舟は乗客4名、漕ぎ手の女性は2名だった。ニッパ椰子の生い茂った細い水路を巧みに1本の櫓を操る。もっとびっくりしたのは梶は足で操る。だから彼女たちの右足の親指は異常に大きく発達していた。果樹を育て、サンパンを操り、生涯おそらくこのニッパ椰子の島から出ることなく暮らすのだろう。10分ほどたつと島の船着き場に戻り、大きなエンジン付きの舟に乗り換える。再び対岸に着くと別の船がいたので、義経の八艘飛びのように陸地に着いた。
▼後の大きなレストランの食事は象耳魚と呼ばれる大きな魚の唐揚げが出た。別に瓶入りのハイネケンのビールを注文したが美味しかった。ホーチミン市の大衆的なビールは「タイガー」(現地ではナチスの戦車同様、ティガーと呼ぶところもある)と呼ばれるもので、シンガポールとの合弁会社で作っている。ハイネケンはデンマークの会社との合弁だ。この詳細も夜の食事のことも省略し、いよいよ翌日はクチトンネルツアーに参加することになる。この日の夜はホテルの日本語デスクに「良い店を紹介してくれ」と頼んだら、結構高いベトナム料理のコースだった上に、酒のつまみのような辛いものが多かった。わたしたちは無駄遣いをしなくてよいように、近くのデパートでタイガービールの6本パックとウィスキーを買い込んで、ホテルの冷蔵庫で冷やして飲んで行ったので、レストランでは一滴も飲まずに帰ってきた。
▼3日目迎えの車は朝7時半に迎えに来ることになっていたので、朝食は朝6時半には済ませてまっていた。ふたたび別のメルセデスのワンボックスカーで迎えに来てくれたガイドさんはタンさんだ。乗っていたのは近くのキムドンホテルに泊まっているという、20代後半の青年が一人だった。ガイドブックにはトンネルに潜るので、汚れても良い格好で参加するようにと注意書きがある。今時こういうツアーには人気がないのだろう。もう一つの見学場所であるカオダイ教総本山は、カンボジア国境にあり、今日の走行数は片道220kmだと云われる。わたしの実家が東京から直線距離で190kだからそれにほぼ匹敵する距離だ。運転手さんは前日よりも上手い(より一層神風運転だ)。身体を固くして手すりにつかまる。市内を抜けると運転手さんは行き交う車に、パーとかチョキの日本のじゃんけんと同じ動作をくり返す。これは一体何なのだ?
▼「MINさんの訪越記」連載が始まりました。トップページからご覧下さい。

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April 13, 2006

メコン川を渡る(VSJ6)

Coco
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー6(VSJ6)出発する前から1日目は市内を歩いて巡る。2日目はメコンツアー、3日目はクチトンネルに行こうと決めいてた。問題はどこに申しこむかだが、都合の良いことに止まったホテルの一階にツアー申し込みデスクというのがあった。わたしが現地から毎日ブログの更新をすることができたのも、実はそこにインターネット無料で日本語が使えるパソコンがあったからだ。その速度はADSLだろうと推測された。メコン下流は「九龍」とも呼ばれている。香港にもそのような所はあるが支流になるに従い、枝(えだ)分かれしてたくさんの支流と中州がそんざいするからだ。わたしたちはそのツアーに申しこんだ。一人40ドルだ。
▼翌朝メルセデス・ベンツのワンボックスカーがあちこちのホテルの日本人を拾って、総勢8人になった。静岡から来た夫妻、仙台空港から成田で乗り継いだ夫妻、江戸川から来た親娘、それにわたしたちだった。メコン川まで車で1時間半。朝8時に迎えに来たが運転手さんはバイクラッシュの市内を巧みにすり抜けていく。昨日も書いたがバイクが多いから一方通行の道を逆行しているような錯覚を受ける。隣の車(もしくはバイク)との車間距離は2cmから5cm、前の車との距離は30cmくらいまで詰める。そして先に行きたいときはクラクションを鳴らしてどかせる。窓際に座っているとジェットコースターよりもスリルがあり、ブレーキを踏むように足を突っ張るので、1時間も乗っているとすっかり疲れる。最初の尼寺は省略し、メコン川には午前10時半ころ到着した。河幅は約1kmくらいだろうか。対岸に渡るには10人乗りのエンジン付きの船に乗る。本多勝一の「戦場の村」ではメコンのどこかの河を手こぎのサンパンで戻ってくる記述がある。この急流を手こぎでわたるのは、現地の人に取っては当たり前の事かも知れないが、かなり難しいと思う。メコン川は夜になると解放勢力の夜襲を防ぐために、ひと晩中照明弾が打ち上げられている。
▼エンジン付きの船が出港準備をしているとき、船着き場の女性がココナッツの実を客の人数分運び込んだ。きょうのガイドであるタンさんの横顔を見ていると、彼の引き締まった顔が解放軍のゲリラのように見えて来た。船着き場と船にはベトナム民主共和国の赤地に黄色い☆のマークがまぶしく掲げられている。船が出港するとまもなくココナッツのクビというか、幹との実の接触する部分が切られストローが差し込まれたものが全員に配られた。混じりけなし100%のココナッツのジュースだ。ちょっと生臭かったがとても新鮮で美味しかった。本多か解放戦線の基地から、政府軍陣地に戻るとき米軍の砲撃があり、対岸で1泊することになるが、わたしたちは5分で対岸に着いた。
▼船が着いた中州にあったのは解放軍陣地ではなく、バナナやココナッツ、養蜂などの果樹園だった。

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April 12, 2006

VSJ5サイゴンはバイクの波

Uh1UH1とバルカン砲
▼1週間前に38度の所にいたと思ったら、昨晩は帰宅する時、吐く息が真っ白だった。あらかじめ真冬の格好はしていったが、この温度差には全く参ってしまう。
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー5(VSJ5)証跡博物館から徒歩で10分足らずの旧大統領官邸に向かった。今は統一会堂という名称になっているがこの周りにも、日本語を話す物売りが沢山いた。とくに絵はがき売りは「5個○万ドン」と云ってしつこく食い下がってきた。75年4月30日北ベトナム正規軍の戦車を先頭にこの独立宮殿に入場する場面は、今思いだしても涙が出てくるほどだ。そのときの戦車が2両、広い庭の片隅に展示されている。入ろうとすると午後1時からだと書いてあるので、まだ11時半だったが早い昼食にすることにした。メニューの文字が分からないので宮殿の脇にある、外人観光客がいたオープンカフェに入ることにした。BLTサンドを主として食べたのだが、ふだんの倍はあろうかと思うくらいの量があった。食べ終わっても時間にならないので、コーヒーをもう一杯注文した。時間になっても切符売り場は開かない。直接入ればいいのかと思って、入ろうとすると二人のベトナム人からしかめっ面で「ノー」と叫ばれた。他の観光客も時間になっても開かないので戸惑っていた。
▼ホテルの朝食で食べたフランスパンはとてもうまかった。このレストランで食べたサンドウィッチも美味しかった。できることなら持って帰りたい程だった。最終日スーパーで買ったフランスパンが美味しかったら持ち帰ろうと思ったが、そこのパンはそれほどではなかったので、余分には買わなかった。ご覧のようにわたしは「証跡」を中心にして書いている。この日の後のことはMINさんの報告を待っていただきたい。
▼外にでてもう一つ疲れるのはオートバイの群である。サイゴン以南のカントー方面にもかつて鉄道はあったが、ベトナム戦争戦争で破壊されて今はなくなっている。公営バスもあるにはあるが時間が不定期と車内が不潔ということで、多くの人々はオートバイで移動手段となっている。老若男女みんな駅前にある駐輪場の自転車を一斉に引っ張り出したようにバイクの暴走が始まる。いや実際は暴走ではないのだが、朝6時半頃から午後4時半頃までが、間断なく暴走が行われているように見える。最初右側通行というのに違和感を覚えたが、それだけではない。どこへ云ってもサイゴン市内は、数百台バイクの集団が襲いかかってくる。それで目が回ってしまう。市内は信号を守っているが一方通行のところなど、バイクは歩道を自由に逆行する。それに右折するときは、日本の左折とほぼ同じで、歩行者はいようがいまいか信号は無視される。ここで問題なのは歩行者が歩道を横断する方法である。バイクは切れ目がないからいつまで待っていても止まってはくれない。だから多少少なくなったら、バイクの運転者の目を見ながら渡り始める。そのとき決して走ってはならない。走るとバイクの運転者は歩行者を避けられないからだ。バイクは切れ目がないから、あくまでもゆっくり相手の眼と運転の呼吸を見て渡りきるのだ。このタイミングをつかむまで時間がかかった。バイクの運転者は当然ノーヘルメットで、排気ガス予防にどれだけ効果があるかどうか分からないが、日本の花粉対策より洒落たマスクを付けている。そして2人乗りどころか3人乗り、4人乗りは当たり前である。この1日中続くバイクの波はサイゴン名物だが、始めて見る人は圧倒され、しばらくは船酔いのような気分になってしまう。

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April 11, 2006

戦争証跡博物館に行く-VSJ4

M48
▼本多勝一と石川文洋の本を読んだのは、現実に行われた作戦と、実際踏査した部分をシンクロさせて考えることにある。例えば石川の「ベトナム南北縦断2300キロ」によると、ドンコイ通りは邦訳で「蜂起」であり、当時は米兵相手の酒場が沢山あったとある。フランスとの戦いに勝利してからこの名称になったという。町に「COM」という看板がたくさんあった。はたしてこれはインターネット関係の仕事かと思っていたが、かなりの田舎に行っても看板がでていた。これは「米」とか「小さく砕けた」などの意味であることがわかった。また「CA」とは小さな魚であるという。昨日某読者がメールをくださって、「戦争オタクの編集長と一緒にベトナムにいかなくてよかった」と呟いていたのはおかしかった。昨日は不在中ご不便をおかけした各方面にブログの存在をお知らせしたので、アクセス数が普段の倍くらいになった。ありがたいことである。さらに別のサイトで連載しないか、というお誘いもあった。
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー4(VSJ4)次に向かったのは戦争証跡博物館である。ちょっと道を迷ったがフランス領事館の少し先にあった。途中MINさんが喉が乾いたというので、露店でなく普通の小売店に入ったが8千ドンも取られた。やがてミネラル・ウォーターの適正価格は5千ドンであることが分かる。水の値段が分かれば、他の物の高低が分かってくる。石川の著書によれば93年当時ホテルで飲んだハイネケンが3万ドン、タイガービールが1万ドンとある。戦争証跡博物館は文字通り戦争、兵器のオンパレードである。博物館正面入り口から右にかけてまず一番ゴツイのがM48パットン戦車、次が日本の74戦車に似ているM60、そしてベトナム戦争であまりも有名になったM113ACP兵員輸送車があった。本多勝一の「戦場の村」ではM113戦車という記述があるが、12.7mmの機関銃が2丁装備されているだけで、大砲が装備されていないので戦車とは言えない。ホーチミン作戦博物館の方に展示されていたのは米軍から奪ったもので、ベトナム正規軍のマークが付いていた。証跡博物館の方には米軍の☆マークがついていた。ついでに云うと今NHKBSで再放送されている「コンバット」を見ると、ドイツ軍戦車はこのM60にナチスドイツのマークを付けたものなのでとても変だ。
▼さらにこの中はベトナム戦争で使われた銃器の展示室があった。マニアが見たら狂喜乱舞しそうな展示物である。みなさんに一々ご説明しても興味がないだろうから、これは遠景写真で済ませる。ただオール金属製の銃器には防錆のためラッカーた塗ってあり、ピカピカしておもちゃのように見えたのは残念だった。そして正面にはどこもホーチミンの像がデンと控えている。会場を出て左にはあの「地獄の黙示録」でも有名になったUH-1ガンシップが展示してあった。映画そのまま窓脇にはバルカン砲が設置してあり、アメリカ人見学客など喜んで記念写真を撮っていた。
▼そして左の建物には世界のベトナム戦争に反対する運動の展示コーナーがあった。その一角にわたしの仕事上の先輩Kが単身行っていた「ベトナム戦争反対ゼッケン」と著書の展示があったので懐かしく見て来た。帰国してそこで撮った写真をメールでお送りしたら奥さまからご返事をいただいた。ご本人は体調を崩しており、「4月9日はゼッケン開始の日だ」と意気軒昂であるとの事だった。さらにその先には政治犯を収容していたコンソン島のトラの檻が再現されていた。暗闇に檻の中には拷問でやせ細った人形が展示してあって、一瞬ギョッとする。さらに死刑に使われたギロチンの実物模型もあって、早々に退出してきた。

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April 10, 2006

VSJ3呼び込みが多いサイゴンの町

Fantom
▼帰国した8日は身体がカチカチだった。何せあの椅子は、歌舞伎座の3階席のようで身動きどころか足も組むことができない。欧米人にとっては座棺に座らせるような苦痛だろうと想像される。そんな席では仮眠することもままならず、8日はもう断続的に寝ていた。スチュワーデス、いやいまはキャビン・アテンダー(CA)と云うんだった。彼女たちは離陸と着陸のとき乗務員用の椅子に腰掛けるだけで、あとは6時間たちっぱなしである。ホーチミン市など往復12時間も働きづめなのではないかと思った。それで9日は久しぶりに乳製品を食べたせいか体調が極めて悪かった。どこかに出かける気力もなく、かろうじて近くのスーパーに買い物に行き、ついでに図書館に立ち寄って本多勝一集10巻「戦場の村」を借りて再び読んだ。もう一冊は石川文洋の「ベトナム縦断2300キロ」だ。日本からホーチミン市までは4300キロだからベトナムがいかに細長い国かお分かりになろう。そして「戦場の村」を一読していただければ、「ベトナム戦争が内乱だった」という考えは吹っ飛ぶに違いない。
▼「週刊金曜日」を読んでいたら「アフリエイト」を始めるというので、さっそく応募した。いや別にカネが目的ではない。北村編集長とはまったく知らない間柄ではないので、多少とも力になればと思っただけだ。
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー3(略称VSJ:Vietnam Sentimental Journey)ホーチミンの町を歩いていて一番疲れることは、ホテルを一歩でただけで客引きがよってくる事だ。1歩出ると隣のエステだかマッサージの女性が来る。物売りは大体日本語で呼び掛けてくる。さらに繁華街を歩くと「ヲンナ」とか「××××」という放送禁止用語で日本人を呼び込む。最初「ヲンナ」とは何のことなのか分からなかった。「女」なのである。それだけ呼び込みが多いという事は、それに応じる日本人がいかに多いかという事の証しでもあろう。ホテルのロビーではキャバクラやカラオケに行ってきたという話をしている。そして町のホテルや銀行などは依然として「サイゴン」という名前を使っている。ホーチミンという呼称は政府機関が使っているだけだ。
▼生前ホーチミンは元々「自分が死んだら南北ベトナムが見渡せる小さな山に散骨して欲しい」と云っていた。しかし当時のベトナム労働党レズアン第一書記など旧守派はそれを無視して、ホーチミンの遺体を防腐処理してレーニン同様自分を権威づけるのに最大限利用した。それどころかサイゴンの名前を変えてしまった。ということはそれだけサイゴン市民の不満を買っていることになるだろう。それに石川文洋の本を読むとサイゴンは華僑に支配された町であり、ベトナム戦争下にあっても彼等は一般人がとうてい入ることができない高級クラブに出入りしていたという記述がある。つまりホーチミン市は現在もまた華僑やマフィアに支配された町なのである。派手なアオザイを着ているのはそういう種類の仕事に携わる女性たちで、高校生など日本のそれとあまり変わらない服装だった。
▼町は建設ラッシュであり、小さなものは人海戦術の手作業で工事が行われ、大型のものは日本とさほど変わらない重機を使って行われている。ホーチミン作戦博物館の裏庭には米軍のファントム戦闘機やスカイレーダー、りゅう弾砲などが展示されていた。

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April 09, 2006

VSJ2「T54戦車に会う」

T3584
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー2(略称VSJ:Vietnam Sentimental Journey)タンソンニャット空港に着陸する直前、わたしの時計を2時間巻き戻して現地時間に合わせ、MINさんの時計はそのまま日本時間にしておいてもらった。ゲートを出ると現地スタッフが、わたしたちの名前を上手なひらがなで書いた紙を持って待っていてくれた。名前の一人は急に旅行をキャンセルした人だったが、とくに問題はなくワンボックスカーで20分ほど離れたドンコイ(反戦という意味)通り市内へと車は向かった。途中ガイドのシンさんから滞在中の注意事項についてレクチャーを受けた。シクロやタクシーには絶対乗るな。パスポート、帰りの航空券それに多額の現金はホテルのセーフティボックスに預けること。出歩く時はバッグは背中に回さず、たすき掛けにして身体の前にして抱えるようにする、などだった。
▼翌朝はドルしかないので、朝食はどうするのか心配だったが、ガイドがホテルの5階で朝6時から朝食が食べられると聞いて安心した。レストランでスープ、コーヒーなど一品ずつ選んでいると、ウェイトレスが「セットメニュー」の方を指さすのでそれにした。ここのバックグラウンド・ミュージックは大体西欧のポップスだったが、一曲だけ演歌の旋律に思えた。良く聞いていると、それは果たして「津軽海峡冬景色」だった。腹ごしらえをしてから、持参した日本語の地図のコピーで見学すべき所をチェックする。全部歩きまわっても半日程度ですみそうなので、市内を理解するためにも、荷物は少なくして歩くことにした。最初は中央郵便局に行ってハガキと切手を買う。ここでは、ポストカードプリーズとオーバー・シースタンプで通じた。目指すはとりあえず歴史博物館だ。この辺はMINさんに説明していただくこととして省く。その手前に「ホーチミン作戦(サイゴン解放作戦の事)博物館があり、午前9時の開館と同時に行った。ドルで入館料を払おうとしたが、美しい受付嬢はクビを縦に振らないので、庭先に展示してあった旧ソ連製T54戦車の前で記念写真を撮る。これは独ソ戦で勇名をはせたT34戦車の発展型だ。T34は2名乗車だが、T54型は4名に仕様変更されている。受付嬢は一人だったのを幸い、柵を乗り越えて戦車にさわって見た。主砲は54口径100mmで前に口径7.62mmの機関銃を2丁と12.7mmの重機関銃を1丁備えている。装甲は現在の戦車の半分くらいだが、車体正面が100mmで砲塔が200mmとなっている。ベトナム戦争で解放勢力の戦闘は主としてゲリラ戦だったので戦車が登場するのは、最終段階の半年くらいで北正規軍の保持するものだった。

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April 08, 2006

予定通り無事帰国しました。

▼ホーチミン市でも毎日ブログを書き続けることが出来ました。どなたからメッセージをいただけるかと思ったら、カイロのhiroさんがおどろいてブログにコメントいただきました。わたしは「ベトナム・センチメンタル・ジャーニー」でこの欄に今晩から連載を始めます。では夜に続く。
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー1(略称VSJ:Vietnam Sentimental Journey)ちょうど31年前の今頃、タンソンニャット空港は米空軍最大の基地があった。北ベトナム正義軍とベトナム解放勢力は、6月の南部完全解放を目ざして、攻撃計画を立てていた。タンソンニャット基地には、米軍との妥協の産物として解放軍の連絡所が置かれていた。指揮部隊から「4月××日集中攻撃を行うから覚悟せよ」という指令は、当然事前に届いていたが、それと分かるような行動を取れば、敵の米軍と南ベトナム軍に攻撃を事前に察知されてしまう。だから、駐在所に小さな待避壕を掘っただけだった。そして決められた時間に、友軍の耳をつんざく激しい十字砲火が始まる。連絡所に待避する解放勢力の軍人たちは、「自分たちは砲撃で粉砕されてもよいから、もっと激しい攻撃をせよ!」と心の中で叫びながら、身の回りに落下する友軍の砲撃に耐えた。4日深夜タンソンニャット空港に着陸しようとする、わたしたちのジェット機の機内スクリーンには、空港の誘導灯が、まるでそのときの十字砲火のように見えた。後輪のブレーキがかかり、蒸し暑い待合室へと降り立った。
*注:当時ベトナムは南北二つの分断されていた。その歴史を振り返れば長い話になる。いわゆる「ベトナム戦争」(現地の解放勢力では「抗米救国の戦い」と云われていた)とは西側、とくにアメリカがつけた勝手な呼称である。しかし今回現地の若いガイドの方々も今回はそのように呼んでいたので、そのように表現させていただく。

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April 07, 2006

クチ・トンネルに行ってきました

▲日本で何が起きているかわかります。西日暮里で催涙スプレーがまかれたようですね。それとロッテ、ヤクルト、ソフトバンクホークスが負けたことも。これもホーチミン市にいて分かります。きょうは念願のクチ・トンネルに行ってきました。最大の収穫はM16ライフルの実弾射撃体験が出来た事です。5発で6ドルでしがが、生涯これから出きるかどうか分からない体験です。あとはお土産を買って、現地時間午後11時55分の飛行機に乗って、成田に朝7時45分ころにつきます。時差はマイナス2時間です。では帰国したらまたお話しましょう。

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April 06, 2006

メコンデルタツアーに行ってきた

▲こちらはNHKのCS海外専門チャンネルがあるので、国内の天気予報、クローズアップ現代など、ほぼリアルタイムで情報を得ることができます。きょうはメコンデルタ・ツアーに行ってきました。ニッパ椰子の密林を小さなサンパンに乗って進んでいくと別世界に住んでいるような気がします。それにしてもどこへいっても、いつもバイクの群れに出会います。とにかく運転手さんの腕を信じてメルセデス・ベンツのワンボックスカーに乗りました。昨夜はホテルのビールが高かったので近くのデパートに行ってタイガービール6本入りを買ってきてのみました。売り場には清酒から焼酎まであったのには驚きました。いよいよ明日は解放戦線兵士が潜って米兵と戦ったクチトンネル見学と、カオダイ教の寺を見学します。しかし飛行機は夜12時近くの離陸なのでそれまでの時間をどうするか困っています。では、また。

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April 05, 2006

ホチミン市は朝8時で33℃ですわー

▲ハーイ日本の皆さんお元気でありますか?MINさんと編集長は6時間も飛行機に揺られてホーチミン市にやってきました。大体$が通用します。食事はカタコトの英語で何とかやりくりしています。きょうは戦史博物館に行って48式戦車や113ACP兵員輸送車、UH1武装ヘリとバルカン砲で記念写真を撮ってきました。それでご機嫌です。しかしこちらのホテルにはパジャマがなくて参りました。まあ元気でやっていることをお知らせしたくて書きました。ではまた明日。

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April 04, 2006

では土曜日朝まで…

▼昨晩お送りしたメルマガに書いた理由により、おそらく週末の土曜朝までブログならびにWeb欄外篇の更新は出来ません。ブログだけはネットカフェがあるようなので、挑戦してみます。ということは、あちらは八戸駅前よりも開けていることになります。くり返しになりますが、この間のメール、携帯電話、ファクスの送受信ならびにご返事をすることはできません。
▼また土曜日朝までトップ写真の更新が出来ません。あまり遅くなってから公開してもタイミングが外れます。そこでこの先週末から日曜日に撮影した、東京の桜の写真をデータベースにご紹介しましたので、ご覧下さい。
▼M編集長から「ところで週末締めきりの原稿はどうなっているか?」というメールが来ました。まぁ飛行機が1日以上も遅れるということもなくはないから、念のため火曜日朝書いて送るからとご返事しておいた。流行作家でなくても、そのくらいの心がけはしている。
▼きょうの「みのかめ」はわたしの家から徒歩3分の場所にある、亀戸香取神社の植木市だった。先日夜中に桜の枝を折ってきたのもここだ。
▼『鍵盤乱麻』メルマガをお送りしたらホットメールのアドレスの方々はすべて返送されてきた。その数10数通に上る。ホットメールのメールボックスを速やかに空にしていただきたい。もしくは新しいアドレスをお知らせいただきたい。次号も戻ってきたら、残念ですがアドレスすべて削除します。

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April 03, 2006

企業と癒着した監査法人

▼歩きすぎたので、どこにも出かけなかった。ウダウダと本を読んだりしていた。午後から旅行に必要なものを点検して、いつものデイバッグに詰め始めた。ところがいくら探しても夏用のスラックスが見つからない。これは買いにいくしかないと思い、少し雨が降り出した中、近くのMUJIまででかけた。ちょうど手頃なのがあったので、裾の長さを計って仕上がり日時を聞いたら、何と驚いたことに5日後の金曜日だという。もうその日は、現地を出発して帰国してきてしまう。今時珍しい悠長な仕事をしていると思ったが、間に合わないので駅ビルのユニクロに行ってTシャツ3枚を買い、スラックスの裾上げは15分で終わった。
▼夜入浴が終わって洗濯機を回そうと思ったら、断続的にカタカタという音がして回らなくなってしまう。買ってからまだ1年ちょっとの筈だ。家にはきれい好きな人がいて、休日など一日中洗濯機はフル回転をしている。マニュアルを読んで、ネットのAとBの清掃をしても直らない。スイッチを断続的に入れてみたらエラーコード「hd」というのが出てきた。どうやら本体の回転軸に何かが絡まってしまったようだ。修理に来て貰うまで近くの大型コインランドリーに行かなければならない。
▼やはり夜、同じマンションに住んでいる町会との連絡係の人が、同じ町内に出来る焼却場建設に反対する署名要請書を持って、協力を依頼された。図書館に行く途中に出来る民間の処理場なのだが、地元に十分な説明もないまま、建設工事は基礎を終えている。隣接する近隣の住宅や事務所には大きな「建設反対」という文字が墨書されている。
▼しかし古くはカネボウ、最近はライブドアに関わっている監査法人とは一体なにをするところなのだろう。どこもみんなウソの報告書作りに協力して、最後は解散に追い込まれている。色々調べて見ると一般企業が東証に上場するときは、その監査法人のお墨付きをもらって、監督官庁と東証に「安全な会社である」ことを証明してもらうらしい。だから知られていない監査法人よりも、名の通った監査法人の方が当局の心証を良くして、書類の審査が早いということになるらしい。しかしその結果はなれ合いで、企業に都合のよい「書類」だけを書くことになる。株主総会の文書などを見ると、「当監査法人と該当する会社との間には何の利害関係もない」などと麗々しく書かれているが、実は利害は一致しているのである。「週刊金曜日」の最新号で、「日経新聞の黒い霧」を書いた大塚将司氏は「果たしてライブドアの上場廃止は適切な処置だったのか?」その前に、もっとやるべきことはあったのではないかと書いている。つまり、粉飾決算は当然司直によって解明されなければならない。しかし東証は株主の権利を守る義務がある。ライブドアの株を買った個人投資家たちは、「あわよくば一儲けしよう」という気持ちがあったことは事実だろう。しかし上場廃止とは会社が会社として機能しなくなった時であり、今回はそれに該当せず行きすぎであるというのが、大塚氏の論拠であった。

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April 02, 2006

◇「山猫」ヴィスコンティを見る

▼◇「山猫」ヴィスコンティの名作だったが、先日NHKBSで放映されたので、再び録画して見た。話はイタリア統一戦争だが、その戦争の内容はかなり複雑なのでこのサイトをご覧頂きたい。シチリアはご存知のように石ころだらけの貧しい島だ。その没落しそうな「山猫」の紋章を持つ貴族サリーナ侯爵が話の中心になる。古さを守ろうとする侯爵と、目先の利く甥のタンクレディ(アラン・ドロン)は時代の変化をかぎ取りいち早く赤シャツ隊として知られた革命軍に参加する。だが目を負傷して帰ってくる。そこで絶世の美女アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)と出会って恋に落ちる。面白いのは政権を取って昔の皇帝軍と同じ服装で侯爵の前に現れた時のセリフだ。侯爵「なんだ軍服は赤くなかったのかね?」、甥「いや革命が成功したとき、二つの選択肢がありました。革命軍のままでいるか、皇帝の軍隊になるか?でもこっちの服装の方が通りがよくて、尊敬されるのです」といけしゃあしゃあと云うのである。当時の革命も今の革命も本質はあまり変わらないのかも知れない。
▼昨日表参道に住む親戚の家に行った。通常は新年の挨拶に行くのだが、家族が風邪を引いてひと月ばかり寝込んでしまったので、3ヵ月も遅れた。親戚一同で「マイセン」で黒豚のロースカツ定食を食べ、青山一丁目まで歩き、地下鉄で赤坂見附に出た。そこから清水谷公園→四ッ谷→市ヶ谷と歩いた。わたしはそこで一行とは別れ、単独行動を取って浜離宮恩賜公園に行った。ここも先日「みのカメラ」で菜の花畑を放映したせいで、もう途中の歩道から動きが取れないほど混雑していた。園内を1時間ほどかけて一巡して、出口まで戻ってくると3人の女性が、大道芸というか江戸時代から伝わるお神楽をしていた。一人は三味線を弾き、他の二人は傘を使って鞠をお互いの別の傘に渡したり、輪を転がしていた。
▼いよいよ明日3日夜からNHKBSで待ちに待った「ER11」が放映される。みなさん録画お忘れなく。「ER」が好きだった、ぽちぽち山さんどうしているかな?年賀状で「今年は投稿する」と云ってたけど、そうそうツーガールさんも生きているかな?『鍵盤乱麻』メルマガは、今回に限り明日3日午後8時締めきりです。

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April 01, 2006

バスで座席を譲られる

▼桜が咲く頃になるとどうしてこんなに冷え込むのだろう。31日夜、千葉市の護国神社でお花見をした。昼間から寒かったので、真冬に実家に帰る時と同じ防寒装備は完全にした。帽子に手袋まで用意して行ったが正解だった。MINさんは限定販売の旭鶴の初搾りだったかな、それを持ってきてくださった。スズちゃんは2歳になったA子ちゃんを連れて参加してくれた。A子ちゃんはとっても可愛くて、参加者は口々に「可愛いーねー、」「子どもは可愛いという表現を通じて2度親孝行をするんだよ」というような話になった。公園には発電機を持ち込んで、煮炊きしたり、桜にスポットライトを当てて宴会をしている人たちがいた。わたしたちもその側に近づいてブルーシートを2枚敷いた。ご馳走は沢山あったのだが、鮨、刺身、乾き物ではいくら食べても身体は暖まらない。1時間ほど色々な酒を飲んだが、身体は冷え切ってしまった。このままでは帰れないということで、再び千葉駅地下のキノエネへと繰り出した。ここには禁酒、節酒をしなければならない人も来ている。困ったことだが、酒を飲み過ぎてどんな死に方をしても、自己責任だからもう何もう何も云うまい。そこで2時間近く飲んだが、どうやって帰ったかはっきり覚えていない。近くの神社の桜が見事に咲いていたので、結構大きな枝を折って自宅に持ち帰った。風呂にも入らず、そのまま寝てしまった。
▼きのう「みのカメラ」を見ていたら墨田公園の芸者さんによる接待所が映っていた。仕事も一段落したところで、見に行こうという気持ちになった。家からはバスで15分も乗ると隅田川に到着する。今年の桜は、色がちょっとくすんで見える。目ざす接待所の場所は例年同じところだ。和菓子とお茶のセットが500円だった。バリエーションは蕨餅、みたらし団子、普通の餡の団子と3つから選ぶことが出来る。接待してくれたのはちょうどみのもんたのTVに出た芸者さんだった。
▼帰りもバスに乗った。席を空いたのを気づかずに立っていたら、40歳くらいのかなり太った女性が「どうぞ」と空き席を指さしてくれた。これは始めてのことなので、ショックだった。そんな歳に見えるのかな?帰宅して家族に話したら「その頭じゃね」と云われた。落合恵子もわたしと同じ年齢で、最近のエッセイで「髪を染めるのは止めた」と書いていた。向こうはカットがきれいだし、着ているものも違う。わたしももうちょっとおしゃれな洋服を着ないと、みすぼらしく見えてしまうのだろう。

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