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April 08, 2006

予定通り無事帰国しました。

▼ホーチミン市でも毎日ブログを書き続けることが出来ました。どなたからメッセージをいただけるかと思ったら、カイロのhiroさんがおどろいてブログにコメントいただきました。わたしは「ベトナム・センチメンタル・ジャーニー」でこの欄に今晩から連載を始めます。では夜に続く。
ベトナム・センチメンタル・ジャーニー1(略称VSJ:Vietnam Sentimental Journey)ちょうど31年前の今頃、タンソンニャット空港は米空軍最大の基地があった。北ベトナム正義軍とベトナム解放勢力は、6月の南部完全解放を目ざして、攻撃計画を立てていた。タンソンニャット基地には、米軍との妥協の産物として解放軍の連絡所が置かれていた。指揮部隊から「4月××日集中攻撃を行うから覚悟せよ」という指令は、当然事前に届いていたが、それと分かるような行動を取れば、敵の米軍と南ベトナム軍に攻撃を事前に察知されてしまう。だから、駐在所に小さな待避壕を掘っただけだった。そして決められた時間に、友軍の耳をつんざく激しい十字砲火が始まる。連絡所に待避する解放勢力の軍人たちは、「自分たちは砲撃で粉砕されてもよいから、もっと激しい攻撃をせよ!」と心の中で叫びながら、身の回りに落下する友軍の砲撃に耐えた。4日深夜タンソンニャット空港に着陸しようとする、わたしたちのジェット機の機内スクリーンには、空港の誘導灯が、まるでそのときの十字砲火のように見えた。後輪のブレーキがかかり、蒸し暑い待合室へと降り立った。
*注:当時ベトナムは南北二つの分断されていた。その歴史を振り返れば長い話になる。いわゆる「ベトナム戦争」(現地の解放勢力では「抗米救国の戦い」と云われていた)とは西側、とくにアメリカがつけた勝手な呼称である。しかし今回現地の若いガイドの方々も今回はそのように呼んでいたので、そのように表現させていただく。

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