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May 19, 2006

上総国分寺尼寺跡を訪ねる

 昨日の朝は某大学で仕事のクレームに関する打合せをした。それは10分ほどで終わったが、構内の張り紙を見ると19日セパ交流試合がマリンスタジアムで行われる。当大学の学生証か職員の身分証明書を見せればワンコインの500円で試合を見ることが出来るという。しかし19日はかなりの雨が降りそうなので、せっかくの企画が実現するか微妙である。我が家でもきょうは神宮球場へソフトバンクとヤクルトの試合を見に行く人がいるが、まず無理ではないかと思う。
 さてその後袖ヶ浦市にある「東京ドイツ村」へ取材に行くことになっていた。今回もわたしが担当である。先週は国労、今週はドイツ村と結構ただ働きが多くて忙しいのである。国労はすでに新聞にして発行されているので、「読んでみたい」という、奇特なご希望の方がいらしたら声をかけて頂きたい。PDFでご紹介させていただく。
 元へ、それでM編集長の妻Kさんの所有する、ナビ付きの車で無事ドイツ村に着いた。ところが荒天のため設備点検で休業だという。平日に予告することなく、平気でに急に休んだりする変なテーマパークである。何故事前に電話して調べないのだろう、文句を言っても仕方ないので近くのファミレスで、腹いせに豪華な大盛りのカツ煮弁当を食べて作戦を練った。ガイドブックを見て上総国分寺尼寺跡に行くことにした。尼寺とあればどんな遠くでも行かない手はない。カーナビに尼寺跡展示館の電話番号を入れると、あら不思議地図に目的地がセットされる。もうバ○でも運転できるのだ。カーナビは取材の必需品だ。
 20分くらいで場所に着いた。今時いい年をした大人が午後見学にやってくるのは珍しいのだろう。元地元の中学校の校長とおっしゃる係員が手ぐすねを引いて待っていた。別にお願いをした訳ではないが、映画が20分だから見ろ、そして模型が動く、全部で1時間もあれば全部説明できるからというので、断る理由もないのでありがたくご高説を承ることにした。以下その本番原稿の前の下書きだ。
 某電力会社のCMに登場する床暖房・小野妹子(おのの・いもこ)が聖徳太子の命令で,遣隋使として当時の隋へ派遣されたのは西暦607年のことだった。妻夫木聡がCMで言うように彼は男であった。彼が持参して国書には「日がのぼるところの天子が、日がしずむところの天子に手紙を差し上げる」と書いてあった。つまり当時の日本は中国の随の皇帝と対等の立場を強調したかったのだ。これに対して皇帝はたいそう怒ったが、日本と友好関係を築くことは、当時朝鮮半島を支配することを狙っていた隋には好都合だったため、国交は実現した。つまり日本は中国の仏教の権威を利用して国を律令国家にしようして利害が一致したのだろう。
 市原市にある国分寺はそれから140年ほど後の741年に聖武天皇の詔により、国の繁栄を祈るために全国で60ヶ所余りの場所に建てられた。当時中国は僧寺だけだったが、日本は光明皇后の強い意志によって尼寺(法華滅罪之寺)と一緒に作られた国立寺院であった。市原市にある上総国分寺はその中でもかなり大きなものだったという。高さ60mの七重の塔があったというので、現在の鉄筋コンクリート建ての市原市役所よりも高い建物だ。当時の技術でこの高層建築物を立てるのは容易でなかったと想像できる。基礎の石は蛇紋石で統一されている。巨大な石はおそらく鋸山あたりで採掘され、海で市原沖まで運ばれ、そこから川伝いとコロでここまで持ってきたのだろう。動力は人力だけだから時間もかかる。主要な部分は奈良から技術者が来たようだが、あとは地元の労力が徴発された。だから人心を平穏に安静にさせるための建物は人々の反感を買い、支配者のもくろみとは逆に恨みを買ってしまった。
 さて問題の尼寺だが正倉院に見られる貴族文化が花開いた時期に異常気象が続き、天候が不順で作物の不作が続いたので、人々は飢えや疫病に苦しんでいた。さらに蘇我入鹿のクーデターなど政治の争いや国際関係の緊張で人々は苦悩していた。こんな時支配者の考えることはひとつ宗教を利用することだ。聖武天皇と光明皇后は自らを仏の下部として仏教の力を利用して人々の心をひとつにまとめるために、この国分寺を全国各地に作った。
 とくに市原の尼寺は寺域が全国でも一番広く、発掘調査によって付属施設を含めた古代寺院の全貌がはじめた明かになった国分寺尼寺跡として、昭和58年と61年にその遺跡の主要部が国の史跡として指定された。ちょうどバブルの時期ということもあり、回廊と中門が三州瓦を使って見事に復元されている。静かにここに立って未完で終わった草むらを見ていると、思わず1200年も遡ったような気分になってくる。とくに如来像の髪である螺髪や、寺名を土器に墨書したの「法花寺」というやさしい文字には当時の人々の息づかいまで感じることができる。場所:市原市国分寺寺台中央3丁目5番2号 史跡上総国分寺尼寺跡展示館電話0436-21-7633月曜休館、説明をしていただくにはなるべく平日の午後が好ましい。事前の予約をすれば尚可。
 取材を終わったら別の人がわたしのカメラを見て、「一眼デジカメですか?高そうなカメラですね。プロですか?」などと話しかけて来た。ここでつきあっているとまた時間がなくなる、「ええ、本体だけで軽自動車が買えます」と逃げ帰って来た。前にツテを頼って戦争挿絵画家の小松崎茂氏を、柏のご自宅まで訪ねたことがあった。氏も実はカメラマニアであることは承知していた。コレクションもあったのだが火災で殆ど燃やして仕舞われた直後だった。わたしはそれを意識して買ったばかりのニコンF4を、持っていったら、「おお良いカメラを持っていらっしゃる」と話が大いに弾んだことがある。小松崎氏は気むずかしい人だから30分も話を聞く事ができれば大成功と言われたが、そのときはマニア同士で2時間も話が弾んだ。おおいかん、これで予定原稿の文字数を大幅に超えた。
▼昨日のETC必置科に関して某読者からご意見を頂いた。「第一の理由は、パチンコカードの様に、天下り先の確保かも。財団のトップはトヨタの社長ですが、専務理事は元国交相局長、他の役員も半数は元高級官僚で、他は関係業界の代表ばかりです。」
▼本日は終日、東北新幹線と新潟新幹線に乗っていますので、携帯はあまりつながらないと思います。携帯メールでご連絡下さい。

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