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November 17, 2006

「西部戦線異状なし」と教師の役割

▼先日◇「西部戦線異状なし」を見たことは書いた。そこで感じたのは、戦争を美化する教師の役割である。昨日とも関連するのだが、某教育委員会で発言のテープに出てくる人たちは、おそらくわたしと同年配の人だろう。だから戦後まもなくの、「民主教育」を受けているはずなのに、みんなコロリと「転向」して戦争を是とする考え方になってしまっている。上記映画で主人公の青年は、教師の話に感激して「前線に行く決意」をする。そこで見たのは晴れがましい英雄たちの姿ではなく、食料すら満足に配布されず、砲弾によってちぎれて死んでいく、同僚たちの姿だった。そして後半一時帰国を許されて、母校に戻るとくだんの教師は、相も変わらず「前線に行って英雄となる道を選べ」とアジテーションをし、生徒たちはそれをうっとりとして聞いている。主人公が「戦場の実体」を話をすると「卑怯者」、「そんな筈はない」という心ない言葉を投げつけられる。
▼強行採決された教育基本法とはまさに、このような戦争に協力し、死ぬことに疑問を差し挟まない人間を作ることにある。「ダカーポ」12月6日号「メディア批評」で斎藤貴男が言っている。「一連のいじめ自殺事件とも併せて、学校の教師たちはけしからん、とする短絡的なイメージ。ここは国家の強力なリーダーシップで彼らを善導してやらねばいかん、といった安易なロジックではなかったか」と。まさにその通りであろう。与党だけで強行採決するのは、「不祥事」が「多発している」今こそチャンスだと考えている、彼ら支配者の焦りの現れである。

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