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February 04, 2007

NHK「大化の改新の謎」を見る

Koinoamaniこれが鯉の甘煮だ
▼近所の一周忌はまるで葬式のような派手さだった。喪主というか長男の挨拶を聞いていると彼のこだわりが分かった。
▼墓はわたしの家の実家の隣だった。焼香が終わると一人ひとり団子が手渡され、その場で食するのだ。隣の墓地を見たら普通の仏教式のに混じって十字架「+」の印の墓石が見つかった。人々はどこかの大学教授だったらしいと噂する。わたしは墓石の後ろに回ってみたら、KO大学附属高校教諭とあるのが読めた。死んでからも自分の職業を自慢したいのかなー。それで享年43歳か。死んでしまってはお終いだ。特養ホームの関係者に聞くと、「惚けてしまえば政治家も大学教授もみんな同じ」ということなのだ。懐古園の脇にあるホテルに場所を移して宴会が始まる。半年ほど前にバカらしい結婚式があったところだ。わたしの大嫌いな鯉の甘煮というのもあった。天ぷら一つを食べてみれば、料理長の腕は分かる。海老の衣ばかり多くてパリッとしていない。
▼その親戚筋の小学校時代同級生だったHちゃんが来ていた。挨拶に言って「だれだか分かりますか?」と聞くと。「もしかしてHちゃん?」と言ってくれた。痩せて丸顔だった昔の面影はまったくないと言う。それはそうだね、45年ぶりくらいの再会だから。四方山話の後に健康状態を聞いた。子どもは4人おり、50歳を過ぎたときどうも心臓の具合が悪いと思って検査してもらったら、弁だか心臓に近い血管に穴があいていることが分かった。大きければ皮膚を移植するのだが、小さかったので縫ったらしい。そのとき「手術をするなら55歳までだ」と言われて55歳で手術の決意をして、結果は成功して現在に至っているという。出産する時もそれは分からなかった。しかしバレーボールや山登りがとても苦痛だったので、今にして思えばそれが原因だったのだ、という事だった。
▼母がデイサービスの日だったので、施設にいって話をして帰る。今日はみんなと一緒にいるせいか、まともだった。気候は温暖だったが、知らない人の間に座っていることはかなり疲れる。それに寒冷地に行くと途端に右足の関節が痛くなる。午後6時過ぎ帰宅する。
▼NHK「大化の改新の真相」の続き。一般的にわたしたちは「日本書紀」で蘇我入鹿は悪者で、彼を殺してから大化の改新がうまくいくようになった、と教えられた。昨日も実家に持ち帰っていた、岩波の「日本書紀」上巻を読みながら帰ってきたが、その記述は下巻である。しかし中国の律令国家をマネしたのはもっと後である。蘇我入鹿と父の蝦夷は豪邸に住んでいたことになっているが、発掘調査をして見ると眺めのよい高台に小さな高床式の家を建てていた。それは侵略をいち早く発見して対応策を立てやすい位置であった。
▼日本書紀は中大兄皇子が書かせたものだから、彼の都合の良いように書かれている。蘇我入鹿は、唐との外交政策を巧みにして天皇を守るという立場で腐心していた。ところが皇子は何も勉強せず唐に戦いを挑んだところが、唐の楼船(まるで戦艦と航空母艦を一緒にしたような長さ120m余の船)のこてんぱんにやっつけられる。それから慌てて防備に方針を変える。
▼なぜこうだったのか。おそらく蘇我入鹿の祖先は朝鮮の血が混じっていた。だから軍備だけではなく、外交政策を巧みにする事が日本の生き延びる道だと考えていた。それが皇子には邪魔な存在だった。ある研究者は日本書紀を分析して、大化の改新前までは中国人の書記に書かせたものであろう。だから原文の発音も中国式で文法的にも間違いはない。ところが蘇我入鹿暗殺から大化の改新になると文法上の誤りが20以上もでてくる。だからこれは後年書き直されたものだと、指摘する。
▼奈良のの一地区の蘇我入鹿を氏神様と祀っている地区がある。戦争中は軍部に蘇我入鹿は逆臣だから、氏神を変えろ」と圧力をかけられたが断固して跳ね返したという。一木堀の素朴な蘇我入鹿の像は今でも村の人達の宝物となっている。

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