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February 22, 2007

◇「ルワンダの涙」を見る

▼1年ほど前に「ホテル・ルワンダ」が、「暗すぎる」という理由で配給会社を頼らない方法によって日本で公開された。今回は場所は同じだが、宗教者の立場から「ウガンダの虐殺」を考えたものである。
▼◇「ルワンダの涙」(原題はshooting dogsであるが、理由は後で説明する)1994年にルワンダで大統領が暗殺されてから、フツ族によるツチ族の虐殺が始まる。あちらこちらでその口火は切られるのだが、これはある工業専門学校の教師と、マラソンランナーの女子生徒、そしてクリストファー牧師の3人と、そこに駐留することになる、200人ほどの国連平和維持部隊の話だ。虐殺に怯えた人々が学校に駐屯しているUN平和維持軍を頼って逃げてくる。最初はその人々に門を閉ざしていた維持軍だが、牧師の取りなしで門を開ける。フツ族はすでに五寸釘を打った棍棒や、刃の長い鉈を持って虐殺を始めている。子どもや生徒たちは怯えて匿ってもらおうとする。そして難民たちの中に、自主的に食料調達、治安維持、燃料確保をする3つの自治組織が出来ていく。
▼教師の青年は何とかこの様子を世界に知らせる事はできないかと、フランスのTVクルーの女性たちを誘って殺害現場を撮影しようとする。しかしそこでかつて教え子だった青年が虐殺に加わっているのを見て、茫然自失状態になってしまう。ようやくの事で死体だけ撮影するのだが、あまりにも酷い状態なのでとても放映出来ない。
▼駐屯地(実は学校)の中で出産する女性もいる。しかし薬もなければミルクもない。クリストファーは何とか外出して薬局の薬剤師を騙して「自分用」と偽って薬を手に入れ素。しかし駐屯地に戻るとその母親たちも含めて、恐怖心から脱出を試みるがフツ族に見つかり、赤ちゃんもろとも殺害されてしまう。
▼一体国連維持軍は何のために来ているのか?牧師たちは聞きただす。指揮官は「平和の維持が目的で攻撃されない限りこちらも反撃できない。平和状態を維持するのが我々の任務である」という言説を変えない。目の前で虐殺が行われているにもかかわらずである。食料も燃料も底をついてくる。マラソンランナーの少女に「燃料がない」と訴えられた牧師は「こんな時に使えない聖書ではしかたない」と、机の上に並べられていた聖書を燃料として燃やすよう指示する。部隊の指揮官は殺害された人肉を食べる犬がたくさんいるから発砲したい。ついてはフツ族に誤解を与えないように牧師さんから、あらかじめ発砲の理由を伝えてやってほしい」と頼まれる。牧師は「犬が発砲したのか?発砲しない犬をなぜ射殺するのだ」とくってかかる。これが原題の解説である。兵士はドイツの徴証をつけてライフルはFALだったがあれはよい性能の銃だ。
▼そして撤退命令が来てフランス軍部隊が到着する。住民たちが喜んだのもつかの間。ヨーロッパの白人だけが対象だとして、黒人夫婦であっても置き去りにされる。ツチ族の間に深い落胆の気持ちが蔓延する。少女は「私たちはどうなるの?牧師さんや先生は逃げないでしょう。」と訴える。そして最後の正餐式をしているとき、UN部隊撤収の命令が下る。教師は怯えてTVクルーと一緒にトラックに飛び乗る。しかし牧師は「自己犠牲こと聖職者の最も美しい行為である」とツチ族の住民とともに学校に残る決意をする。UN部隊が撤収した直後、フツ族による「作業開始」の命令が下って棍棒や鉈を手にした男たちが殺戮を開始する。
▼ご覧のように西側の宗教者の視点で、「慈愛と自己犠牲」を描いたもので宗教者だけでなく、「少女の言葉」は相当の力をもって訴えかける。そして国連平和維持軍の目的もまたそうである。しかし覚めた眼で見ると、宗教だけでも人を救うことができないのではないか、という気持ちになる。西側の宗教とは「唯物」であり、「神は絶対の存在である」それゆえにまた矛盾点も多いのであろう。これは先日某読者と会ったときの話の一部である。六本木東宝シネマ、千葉でもやっている。

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