« NHKのジェンダー感覚を考える | Main | どこまで信頼できるウィキペディア »

April 27, 2007

南米と目的が異なる日米のバイオ燃料

▼メールをチェックするとS社のソフトの不具合によるダウンロードの案内が一件、ニフティの掲示板の変更の案内が来ていたので、さっそく必要な手続きをした。「読者の広場」(会員制)の見かけは代わらないが、写真などのアップロード出来る筈なのでご利用いただきたい。
▼朝○×連の捜索など、急に問題化された30年前の「拉致」事件はどうやら首相がアメリカ訪問をするに当たっての手みやげという意味合いが強いようである。しかしTVの前で、お年寄りなどが、捜索の模様をくぎ付けになってみている姿を見ると、その「宣伝効果」は抜群であると思う。とくに北海道の場合は、父と一緒に母国に帰国したというだけの話で、言ってみれば夫婦喧嘩の変形のようにも見える。
▼昨日朝日夕刊に掲載された、亀戸天神の藤の写真だが、わたしはあの撮影現場にたまたま居合わせた。普通ではあの高さから撮影はできない。彼(撮った人)は伸縮自在の2mくらいのアームの上に小型デジカメを取り付けていた。そして鏡を2枚使って、仮名手本忠臣蔵のお軽のように、合わせ鏡の要領で手許でフレームを確認する。そしてリモコンでシャッターを切るのだ。すべて自作のようだったが、中々工夫されていた。これがあれば脚立などを持ち歩かなくても、高い角度から撮影することが可能だ。
▼きょうからバイオ燃料が市販されるようだ。マスメディアは、食糧不足、コーンの値上がりなどその否定的側面だけ一生懸命報道する。元々これは南米でエネルギーをアメリカの石油に依存しないで、しかも雇用を増やして独自の経済圏を作ろうという狙いで発展させたものである。最初アメリカが京都議定書に署名を拒否していたように、石油メジャーや穀物メジャーの思惑で動かなかった。ところが、「バイオもカネになる」と判断したそれらの人々が方針を変えただけの事だ。だから南米のアメリカ依存のエネルギー政策からの脱却を目指しているのと、儲けのためのバイオ燃料とは、立脚点が違うのである。

|

« NHKのジェンダー感覚を考える | Main | どこまで信頼できるウィキペディア »