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June 27, 2007

「監視」されるのは快感だろうか?

Senmaida輪島の千枚田
▼高橋真梨子の検索言語は昨日も一番多かった。コンサートというのは普通、その日唄う曲のプログラムを配るのだが、この日は何も配られなかった。
▼スライドのデジタル化は当面60枚だったが、紙のマウントを剥がして、スキャナーで読みとって補正してまた元のマウントに戻すという作業は、結局1日かかってしまった。きょうは紙焼きの物をデジタル化する。
▼先日の「IRAQ/狼の谷」は実は先週の「週刊金曜日」の映画で紹介されていた。しかしわたしは雑誌は手許のバッグに入れて持ち歩いていたが、忙しくてそれを1週間遅れで読んでいた。だから映画を見終わって2日後に読んだ。紹介記事で言っているのは、これはトルコで作られた映画であるという。そしてトルコですらアメリカに対する怒りがこれほど盛り上がっている。さらに日本は世界中に自分の国で起きている、政治に関する出来事を、このように発信する映画を作ったことがあるか?という問いかけである。ヒットしたと言っても高々「踊る大捜査線・レインボー・ブリッジを封鎖せよ」というテンターテイメントで、とても恥ずかしくて世界に通用する内容ではない。
▼日経では昨日から1面トップの企画で「監視社会の足音」という企画が始まった。つまり監視するシステムというのは、権力の側が意識的に作り上げるものと、ネットのユーチューブの配信サイトのようなものがある。後者は2日前の朝日でも紹介されていたが、追い越す車が交通事故を起こした。その様子をビデオで撮って、上記サイトに投稿したところ、社員が勤務する会社のサイトに抗議が殺到した。そのうち会社の周囲へもビデオカメラを抱えた普通の人が、事故を起こした社員を撮影するためにうろつきはじめた。最終的にネットの抗議により事故を起こした社員は退職せざるを得なくなってしまったというのだ。
▼日経の記事では渋谷のスパの爆発事故で次々普通の人々が撮ったビデオ画像が寄せられ、取材する記者自身も映っていたというのだ。さらに日経の記事では「見られていることを自ら律する糧にできれば、ネット文明は輝きを増す」と締めくくる。しかし政治的状況や国会がどんなに盛り上がってもデモには人は集まらない。しかしサッカー場や野球場は満員御礼がでるほどだ。このギャップをどう考えるか。つまり戦争でも「攻撃」とは常に弱い部分に向けられ、自分よりは強い部分には向かわない。匿名は自分が安全圏にあるという認識のもとに、書く、映すという行動につながる。これがもし政治家を監視するという方向に行けば、もっと日本は住みよくなると思うのだが…。

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