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August 31, 2007

神風スケジュールの添乗員さん

▼特急バスライナー東北一周旅行は昨夜23時に東京駅に着いた。わたしはいつものように上野駅で添乗員さんにお別れした。別れるとき、「日本の観光地はみんな同じでダメですよね」と話したら、彼女もそれを肯定するようにうなずいていた。例えば十和田湖と摩周湖はどう違うか?湖面を見ただけでは分からない。摩周湖は湖面には下りることができない。土産物店で判断すると北海道は木彫りの鮭をくわえた熊で、十和田湖は、いぶりがっこに、南部鉄器それにきりたんぽ…。後は何もなかったなー。歌で言えば向こうは「霧の摩周湖」こっちはない。琵琶湖では「琵琶湖周航の歌」というのがあった。だったら十和田湖でも悲劇を作り上げるか?松島も金持ちになるとかいう貧乏くさい人の図画を売っているが、他県の人には何の意味か全く分からない。観光地にはどこも記念写真を撮る写真屋さんがいる。日時を入れ替えて小一時間を散策したあと、希望者には1枚千円で写真を売る。しかし見ていると40人の団体で買う人は4,5人という寂しさだ。こんな商売をいつまでやっているつもりだろう。
▼古い観光遺産を食いつぶしているだけで、新しい工夫が何もない。十和田湖は夕食までバイキングだった。旅館の通路のカーペットは大きいホテルだったがかなり汚れが目立った。瓶ビールが1本800円だというので、到着してから外出して近くの雑貨屋で500ミリリットルの缶ビールを300円で4本仕入れてきた。こんなビールの差額で儲けようと考えていては客はやがて来なくなる。十和田湖は初夏と秋の紅葉だけで潤っているように見えた。続いて行った奥入瀬は…。カメラを向けると、軽井沢の白糸の滝の小さな渓谷との違いは分からない。食事はどこに行ってもまずかった。和倉温泉の方が遙かに美味しく、手抜きがなかった。おそらく地震で客が減っているから必死に盛り返そうと努力しているその反映であろう。わたしの目的は十和田湖と奥入瀬だけ見る事だったから、初期の目的は達成出来たが、添乗員さんに集合時間で追いまくられる旅であった。
▼添乗員さんの追加報告だ。彼女は今日一日休んで、明日から風の盆のツアーで一泊二日。帰ってきて次の日からミステリーツアーで2泊3日、「ミステリー」なので本人もその日にならないとどこに行かされるか分からないという。北海道から客が羽田に着いてそこからバスで廻るのだが、客が北から来るので、行くのは西方面と推測されるという事だった。「ご希望でしたら羽田に来ていただければ、1席くらいなんとかします」とおっしゃって下さったが遠慮しておく。さらに彼女はこの夏「東北方面で2泊3日のスケジュールを空けておくよう」会社から連絡があった。行ったら青森のねぶたが一日目で、終わって午前4時に宿舎というところに行ったら男女別ではあったが、大広間で雑魚寝だったので驚く。もう朝5時には朝食の準備で音楽がガンガン鳴って寝ていられなかった。翌日は秋田の竿灯の夕方まで雨か風で決行が危ぶまれたが、行くことが出来た。しかし帰りはバスの中で車中泊の2泊三日で約3万円であった。良かったら来年来てくださいと云われたが、こういう神風スケジュールは身体がもたない。
▼彼女は後半ちょっと口を滑らせて他の「B」という観光会社の「お客さんと」言ってしまった。最終段階ではろれつが回らなくなっていたが、かなりハードなスケジュールであちこちの観光会社に派遣されているのだろうと思った。

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August 30, 2007

朝は寒い十和田湖にて、

昨日は郡山からバスに乗って青森の十和田湖まできた。走行距離は600キロを越すと思う。H旅行社の二万円のツアーで、今日は奥入瀬から松島にいく。数日前の朝日にでていたが、この会社の添乗員さんは関西だけで、約800人もいると報道されていた。みんな雇用保険などがない、など無権利な状態におかれている。私達のバスに乗って下さった方は瀬戸朝香に似た、高輪に住む24才の女性だった。彼女は前の日にも今日とあなじコースを走り、夜12時に自宅に帰り朝5時起きで帰と言う。しかも自宅では翌日の準備もしている。聞いたらその前に黒部アルペン・ルート二泊三日を三連続やっている。だから自宅に戻るのは10日位だと言う。若い時しか出来ない仕事だと思った。今朝は十和田湖遊覧船に乗った。Tシャツと短パンできたが寒かった。中にはホテルのドテラ着た夫婦がいたが、奇妙な姿に思わず吹き出してしまった。
Kouchi(mobile)

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August 29, 2007

朝イチ午前7時のやまびこに乗る

夕べは「ハチミツとクローバー」を見たが朝早い新幹線「やまびこ」に乗る必要があって、原稿を書いている時間がなかった。映画は漫画が原作で、予告を見た時に行こうと思ったが行く事ができなかった。美大生のしほのぼのとした、青春群像で良かった。詳しくは後日書く事にする。上野駅にて。
Kouchi(mobile)

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August 28, 2007

◇「グムエル/漢江の怪物」を見る

▼丸の内口にある丸善に行った。目的の好戦ムード映す着物柄の展示は中々見つからなかったので店員さんに聞く。それは3階のGコーナーにあった。店員さんも言っていたが「展示」とは名ばかりで、矢絣の着物が1点あっただけだった。本を買おうと思って行ったのだが、判型がA4と大きかった。わたしは本は原則として新規購入しない。モノを増やさないように心がけているので、図書館にはなく、どうしても必要な文庫本か新書版だけを買う。読み終わったら神田駅文庫に寄贈する。あの世まで本を持っていく事はできないので、こうして絶対量を増やさないようにしている。というのは父の入棺の儀式の時、好きな雑誌「文藝春秋」を1冊入れようとしたのだが、係員から「ダメ」と言われて表紙だけ切り放して入れた経緯があるからだ。その本のコーナーには某美術史家の本も数冊あった。この美術史家は某大学の名誉教授で「イコン」などの解析の世界的権威である。授業を受講したりこの人の本も10冊以上読んだが、どうもわたしにとってはこじつけに聞こえるから最近は読んでいない。「図説/着物柄に見る戦争」も立ち読みだけで帰ってきた。
▼秋葉原にひと月振りくらいに立ち寄った。今度の日曜日に使う道具も買わなければいけないのだが、ぶらっと歩いてみた。するとある店のDVDコーナーに「ビリーキャンプ」の英語版(海賊版と書いてあった)が6800円で売られていた。さらに店頭の紹介文に「英文ですが見れば分かります」と表示されていた。まさに「見れば分かる」のだ。
▼さらに近くの書店に立ち寄ったら、日曜日のNHKで紹介されたドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だが、岩波の新訳は1、2巻だけ売り切れていた。後の3~5巻まで続くかどうか見物だ。
▼◇「グムエル/漢江の怪物」土曜日のWOWOWで放映されたもの。韓国にある米軍の医療機関で米軍の医師は不要になった薬品を漢江に捨てるよう、韓国人助手に命じる。助手は「処理しないで河に捨てるのはまずいのでは…」と医師に言うが「これは命令だ」と言って大量の薬品をそのまま河に捨てる助手。しばらくしてその薬品が化学反応を起こして巨大な怪物を生み出す。怪獣グムエルは風光明媚な漢江をところ狭しと暴れ回る。そして河のほとりで掘っ立て小屋に住みあまり売れない店を開いて居眠りばかりしている。そこに登場したグムエルは、次々と人を飲み込んで食べてしまう。グムエル対策に動員された警察や軍隊もまったく役に立たない。そして主人公ソン・ガンホは娘がグムエルにさらわれ、「助けてー」という声が携帯にかかってきて行方を探す。そして娘は弟と一緒にグムエルのねぐらに捕まっているのだが、中々脱出できない。そして最後は姉弟が力を合わせ、火炎瓶を作ったり、アーチェリーを火矢に使ってグムエルをやっつける。そして米軍基地では「何もなかった」と平然とした記者発表が行われている。
▼「トンマックルへようこそ」同様、韓国の反米意識をうまく利用したB級映画である。しかし後半のストーリーははちゃめちゃである。

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August 27, 2007

マイケル・ムーアの「シッコ」を見る

▼昨日夕方から撮りためてあったビデオを数本見た。そのうちの1本「グムエル」を見たせいか夜中はずっと怪物に追いかけられる怖い夢を見ていた。
▼昨日の朝日の映画紹介欄にも出ていたマイケル。ムーアの最新作◇「シッコ」(SICKO)を見に行った。最初に足の大けがをした男性が大きな傷口を自分で縫い糸と針を使って縫合している画像が出てくる。思わず顔を背けてしまう。ついで指を製材のチェンソーで指を2本切り落とした男性が出る。中指を縫合するのに700万円、薬指は144万円かかると保険会社が言うので、彼は安い指だけ治して中指は捨てる。アメリカは国民皆保険ではないので、保険に入る事ができる人だけ入る。他の貧乏人は実費を支払うしかない。しかし例え保険に入っていても、医者にかかる前に申請しなければならない。気を失って救急車で運ばれた女性が言う。「気絶して病院に入る前に携帯を拾って電話しろというの?」もちろんそんな事はできない。
▼また保険会社の査定をする女性や、査定に難癖をつけて保険会社に利益をもたらす医師も登場する。査定する女性は涙を流して「あんな仕事を辞めて良かった」ともらす。そして辞めた医師の証言では「却下の人数が多いと保険会社からボーナスが出た」と証言する。払っているのに「出ない」というのは、昨今明らかになってい日本の保険会社と同じ「払うべきを払わない」という陰湿な行為である。こんな事を誰がやったのかムーアは録音記録を探していくと、ニクソンだったことを突き止める。そしてヒラリーは選挙公約で「国民皆保険」をキャッチフレーズにしたけれど、医師会のロビー活動はすさまじく共和党に強烈な献金が行われ、ヒラリー本人にもカネを渡すので「皆保険」はいつのまにか立ち消えになってしまう。
▼現実にアメリカ国民の中には隣のカナダに渡って治療する人もいるし、ニセの「結婚相手」を探して配偶予定者として治療を受ける人もいる。なぜならカナダは医療費は無料だからだ。そしてムーアはイギリスとフランスに渡って調べる。イギリスは1944年に終戦を迎えるが、5年後には皆保険を実施している。ムーアはそれはおそるべき「社会主義や共産主義と同じでは」とインタビューするが相手は保守党で「困っている人が裕福な人が助けるのは当たり前」と政治的立場とは違う事を明言する。
▼続いてフランス医師夫妻は二人で月収90万円という事で、家賃20万円の家に住んでいる。夫は確かに高給取りだが、患者の予防治療をすると給料が増える仕組みだ。例えばタバコを止めさせた。体重を減らして体脂肪を少なくすることができた、などだ。つまり予防にカネを使えば医療費は安くて済む。フランス人に聞く、「なぜこうなの?」。「それは政府が国民を恐れ、国民が政府を監視しているから」だと答える。そしてアメリカは逆だろうと返される。
▼そしてムーアはグアンタナモに拘束されているタリバンやアルカイダ容疑者は治療費アメリカ国内にあって治療費が無料である事をしり3隻のクルーザーキューバへと向かう。どうやって向かったかは国防相の規定で明らかにできないと省略される。グアンタナモでハンドマイクで訴えるが追い返され、キューバ本土に上陸する。という事はパスポートを持参していて、おそらくメキシコなど第三国を経由して来ているに違いない。そこで911のガレキの処理や救出活動にボランティアで参加していて肺気腫など、様々な健康被害にあった人の診療を受けさせる。アメリカでは50ドルもする吸入器がたったの5ドル。なぜこんな事が可能なのか?今は医者をしているゲバラの娘のインタビューも出てくる。かなり太っているが眉間から眉からにゲバラそっくりだ。彼女は「国民の健康を生涯にわたってみるのは国家の義務です」と毅然と答える。
▼ムーアの「華氏911」や「ボーリング・フォー…」はアイデア勝負で成功していた「きわもの」である。しかし今回のムーアはインタビューをする中で監督自身が変化していることが高く評価できる。日比谷シャンテで。

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August 26, 2007

ハードな土曜日は終わる

▼昨日は猛暑の中屋外の仕事だったのでいささか参った。しかし毎年最終土曜日にあるハードな仕事はこれで終わる。引き続き来週日曜日は、これもまた年間スケジュールのハードな仕事が一本入っている。きょうはこれから朝一番の上映に日比谷まで向かう。
▼日比谷の映画については明日書く、いくら日曜日でもこれで終わってしまう訳がない。日本橋丸善に行こうと思って、運動不足を解消すべく銀座から歩き出す。山野楽器店には昨年の紅白から流行りだした歌手の歌を大々的に流していた。わたしあの歌も歌手もちっとも良いとは思わない。正月などどこを歩いていても、あの曲が流れていたから、耳を塞いで歩いていた。911の被害者を歌ったことが出発だと聞いているが、アメリカ軍が世界で殺害している人数はおそらく911の死者が一日分に相当するだろう。その国家テロに目を瞑って貿易センターの被害者だけに目を向けるのは誤りである。
▼わたしは「嫌い」となっがら本当に耳を塞いで通る。会いたくない人には近寄らない。嫌いな人は実際に電話もメールも着信拒否にしてしまうほと徹底している。ウソだと思うならわたしに携帯メールでも送って、試していただきたい。着信したらまだそれほど嫌われていない証となるだろう。
▼日本橋は丸善に行った。24日の朝日に「図説/着物柄に見る戦争展」を見るためだ。いくら探しても見つからなかった。新聞の切りぬきを持参しなかったからいけないのだが、帰宅して切りぬきを再度見たら、会場は丸の内丸善だった。これではいくら探しても見つからない筈だ。月曜日か火曜日にもう一度行かなければと思った。
▼金曜日編集会議にはわたしが一番早く到着した。次Maさんがやってきてサイフから千円札を出して一枚、また一枚と合計3枚並べ始めた。どうしたのかといぶかしい顔をしたら、一月前の取材の事を思いだした。Maさんがサイフを忘れて編集長に借りたのだった。「これで全額ね」というMaさん。「利子はないけど身体で払うなんて言わないでね。お断りするから」とわたし。「それは失礼な云い方だ」とHさん。そこは「いやいや倫理的な意味で言っているのです」とうまく逃げるわたしだった。そんな事を言ってお互い大笑いになった。
▼しかしあそこの「道の駅」でわたしが食べた「蟹とエビ丼」は酷かった。サンプルには普通の蟹とエビ丼だった、一番時間をかけて出てきたのはエビとカニをタマゴで絡めて揚げてあった。しかもご丁寧に三つ葉まで添えてある。言ってみればエビとカニのカツ丼風の食べ物だったのだ。新鮮なエビとカニを期待したが、これには食欲が失せてしまった。調理場の人は料理の基本を知らないのではないかと思った。でもそのあと館山道が全通した記念に、千葉東からの交通料金当ての賭けをしてMaさんが負けて、わたしが一番正解に近かった。その記念品はビワのソフトクリームで、ようやく機嫌が直った。

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August 25, 2007

特攻艇「震洋」の事

▼「半島を出でよ」下巻は電車の中で読み終わった。うーむあのプータローのような集団になぜビルを内部から爆破解体するような技術があったか不明であるな。あと銃に関して明かな間違いがいくつかある。たとえば「コンバットでサンダース軍曹がもっていたマシンガン」」という一節で口径が45口径11.25とあるのは11.43ミリの間違いである。チェコのスコルピオンはマシンガンと分類されているが、拳銃の発展系である。それと銃弾の説明でたとえば「9ミリかける45」と表記されているが、これは村上氏をして理解していないのではないかと思われる。最初の9ミリとは口径であって「かける」以降は銃弾のリムから弾丸の先端までの長さである。「かける」では一般の人は何を云っているのか理解できない。ま、エンターテイメントとしては面白いが、底の浅い本だった。今朝のNHKでは新訳のドストエフスキーがもの凄い人気であるという。30代の頃に読んだが、新訳のこれを買って今度はもう一度読み直してみるかな。
▼今朝の朝日「夕陽妄語」で加藤周一が房総半島にあった海軍特攻艇の基地で、終戦間近に働いていた武藤勝美氏の「声」に乗った投稿のことで書いている。海軍特攻艇とは館山にあった「震洋」の事である。震洋の事は鳥尾敏雄の「死の棘日記」に詳しいのでごらんいただきたい。鳥尾は小さな島で特攻艇の責任者をしていた。特攻艇「震洋」と言えば勇ましいが、実際にはベニアで作った舟に爆弾を乗せた簡単なもので、来るであろうアメリカ軍の上陸用舟艇に体当たりする仕組みだ。だがこれは現実の作戦では使われなかったと思う。
▼ではその「震洋」の乗組員たちは終戦後どうなったかというと、もちろん武藤氏のように逃げ帰った人たちもいた。しかし幹部らはその技術やノウハウを生かして「競艇」という道を選ぶのである。そしてその最高責任者はご存知笹川良一になった経緯があるのだ。
▼本日朝から仕事なのでこれまで…。

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August 24, 2007

夏と蚕を飼育した想い出

▼「半島を出でよ」は上巻を寝る前に3時間ほどで読み終わった。エンターテイメントでそれほど面白くもない。ただ下巻の巻末にある資料■軍事&安全保障・特殊部隊・兵器・武器の部分にある書籍はわたしもかなり持っている。きょうは午後から学校の後期授業が始まる。そして夜はC市内で編集会議があるので、結果として総武線の始発から終点まで一往復するので、下巻は簡単に読み終えると思う。
▼朝刊を見ていたら本のCMに目が行った。それは「大人のための『ローマの休日』講義」というのだ。サブタイトルに「オードリーはなぜベスパに乗るか」とある。わたしの住んでいるマンションの隣にあるのがベスパの倉庫である。あーあのグレゴリー・ペックが扮する新聞記者が乗っていたのが、ベスパだったのかと改めて思いだした。もうこれも10年以上前の話なのだが、先日亡くなった藤岡琢也がTVドラマで新聞記者を演じたことがあった。そのとき駐車場の心配がないので、という設定で自分の所有するベスパを使って撮影したことがある。
▼駐車禁止の取締が厳しくなってから、宅配業者のみなさんもご苦労なさっているようだ。わたしの家に来る宅配業者も、集積所からリヤカーで荷物を運んでいる。うーんこうなると若くて体力がないと宅配の仕事は勤まらない。リヤカーというのは最近では地震などの災害があったとき便利だという事で見直されている。わたしの幼い頃は農作業にはリヤカー全盛時代だった。蚕の飼育は春、夏、秋と3回あったような気がする。米の収穫は年に一度だから現金は秋の脱穀が終わらないと手に入らない。繭は出荷すればすぐお金になるから、農家にとっては野菜や果物の生産が盛んにならなかった当時にあって、農家の貴重が現金収入だった。蚕が小さいときは、エサである桑の葉を包丁で細かく刻んで与える。蚕が大きくなるに従って葉を切るは幅が広がっていく。最終段階になると桑の枝ごと切り取って蚕の上に載せていく。最初は背負子で運んでいた桑もその頃はリヤカーでないと運ぶ事ができなかった。
▼わたしの実家は、実は蚕を飼っていた小屋(蚕室)を改築して現在の形になっている。そこには当然蚕と一緒に人間も住んでいるのだが、蚕が大きくなるに従って、人間の居住スペースが次第に狭くなっていく。最終段階になると人間様は一部屋に押し込められる。そしてミシミシという蚕が桑を食べる音を聴きながら眠ることになる。そして夏は花火が子どもの楽しみであった。それにも関わらず、煙火が蚕の生育に悪影響を与え死んでしまうという事で花火遊びをさせて貰うことが出来なかったことを想い出す。

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August 23, 2007

小松崎茂とボックスアート

▼今朝の朝日の社説は「警官の銃対策を急げ」だった。それによれば、警官の銃を使った犯罪が昨年は9件、今年は既に4件起きているという。
▼今朝は何が何でも医者に行って薬を貰って来なければならない。きょうのテーマ「小松崎茂とパッケージアート」だ。内容はしばらく待たれよ。2日連続してなぜか、村上龍の「半島から出でよ」が話題になった。昨晩はHさんが文庫本を持っていらしたので「貸して」と頼んだが、「ダーメ」というつれない返事だったので、帰宅してから図書館にオーダーを出した。現在読んでいるのは五味川純平の「ガダルカナル」だ。
▼昨日は「鐙」と書いたら「難しい字にはふりがなを」というメールを頂いたので、付け加えた。
▼わたしは毎日、朝日、日経など3種類の新聞を読んでいるのだが、その一つに昨日「モノが語る戦争/小松崎茂と戦争画の進化」という連載があった。一言でいうとK記者は戦前戦意高揚画を描いた藤田嗣治と小松崎茂は同類であり、それは小林よしのりにつながるという、極めて乱暴な原稿を書いているのだ。藤田と小松崎は違うだろう、とわたしは思う。藤田は軍部に奨励されて(カネをもらって)戦意高揚の為の絵画を描いていた。
▼わたしは以前ご紹介したが、人介して小松崎さんに会ったことがある。それは1995年の事だった。気むずかしい人だから30分も会ってくれれば大成功だ、と言われて恐る恐る柏のご自宅に伺った。ところが意気投合して2時間も話を聞くことができた。そして持参した「小松崎茂の世界」という画集にサインまでして下さった。むかし戦争賛美の絵を描いただけで非難されるなら、山本薩夫はじめ「進歩的」な映画監督は戦前殆ど「満映」などで戦争協力映画を作っていた。
▼わたしの手許には新聞に載っている挿絵(無神経にも左右の縮尺を2分の1に縮めている)と同じ、絵はがきがある。これは5年ほど前に原宿で開かれていた個展で売っていたものだ。たしかにパンツアーG型(sdkfs71)タンクの写真が大きく描かれてはいるが、小松崎さんはナチスドイツの信奉者ではなかった。記事にはならなかったが、インタビューしたときソ連やスターリン体制に対する批判をかなりしていらっしゃった。わたしに言わせればスターリン体制とナチズムは表裏一体なので、小松崎さんはナチスの支持していなかったという事は確信を持って云える。
▼では兵器が好きな人がみんな好戦的なのか?わたしもそうだが「週刊金曜日」の北村編集長もあるとき編集後記で「戦車をみて胸が躍る」という主旨の事を書いていた。それは単に「強いモノへのあこがれで」「好戦思想」とは一線を画す。それを発展すると押井守はやはり兵器が好きのように見えるが、小林よしのりとは似て非なるものだと思う。お盆直前にNHKBSで押井守の特集があった。のべ30時間はあったと思うがようやく全部見終わったところだ。作品もそうだが押井監督へのインタビューや「パトレーバー2」がどういうコンセプトで出来上がっていったか。またその旧中央防波堤の取材のシーンがアニメの画面でどのように表現されていくのかが、興味があった。
▼切って捨てるのは簡単である。小松崎あるいは押井守の作品になぜ多くの若者が興味をもって駆けつけるのか?その辺をきちんと解明していかないと、若者世代の支持を失って行くばかりであろう。

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August 22, 2007

「き○いに刃物」、「警○官に拳銃」

▼いつも飲んでいる薬が22日今日で切れるので、昨日朝一番で近くのクリニックへ出かけた。ところがどうやっても建物の3階の受け付けに入ることができない。エレベーターで5階まで上がって外部階段を使って3階まで下りたがドアにカギがかかっていて開かないのだ。もう一度1階に戻って張り紙を注意深く見たら、16日から22日まで夏休みという掲示があった。残念、こんな事だったら15日に無理にでも通院していたのに…。そして2階の薬局には「医師の処方箋がないと薬は出せません」という注意書きが張り出してあった。わたしの飲んでいる薬は2種類で朝飲む薬の一種類はあと5日分ある。だが血管を広げる薬が昨日で終わってしまった。血圧を測ってみると、気温が高いと血管は広がっていて、それほど高くはないしこのままもう1日待つしかないと思っている。
▼もう一つ、ついに歯医者さんに出かけなければならない状態になっている。歯科医は嫌いな理由がいくつかある。その一つが30年ほど前のことだったが、親知らずが痛んで我慢できなくなったので、出勤途中にあった新橋の歯科医の前に並ぼうとして、「痛さ」の説明をしたら、くだんの歯科医が「そんなに気易く来られても困る」と言われたからだ。歯科医とはそんなに敷居の高いものだったとは知らなかった。そこで応急処置をしてもらって、もう二度と歯科医の門は潜るまいと誓った。それから以後20年前から虫歯は一本あったがずっと我慢していた。ところが最近それが抜けそうなところまで来た。ではどこの歯医者に行くか?今色々思案している。その第一候補、歩いて15分くらいのところにある、飲み友だちの友人の奥さんが経営している歯科医だ。場所を確認したら1年前に入院していた病院の窓から見える場所に、その歯科医はあった。
▼しかし心配なのは「腕」と「相性」である。気に入らなかったら友人の奥さんだと断りにくい。極端な話「下手でも」友人関係を壊さないために義理で通わなくてはならない状態にならないだろうか?そのこともそれとなくお聞きした。すると「気に入らなかったら変えていただいて結構です」という返事が返ってきた。あとは勇気を持って行くだけだ。
▼拳銃を使った事件が次々起きている。3日前は何だったか忘れた。しかしラジオでは「薬莢がみつからなかったから回転式拳銃と見られる」という。家族からはそれはどういう意味かと聞かれる。拳銃には大きく分けて自動拳銃と回転式拳銃があって、自動式は撃った瞬間に薬莢が外にはじき出される。回転式は西部劇などに出てくるリボルバーで、全弾撃ち尽くしたところで手動で薬莢を排出する。だから薬莢から足が付きにくいという利点がある。自動式は戦争の多かったヨーロッパで、弾倉の交換が早く出来るという事で発展し、リボルバーは絶対発火ミスがないという条件でカウボーイなどが愛用した。つまりリボルバーは人を撃つためにあるのではなく、馬に乗ったカウボーイが片足の鐙(あぶみ)を外して落馬したとき、そのまま引っ張られると自分が死んでしまうので、馬を確実に殺して自分の命を救うという目的があったのだ。
▼翌日の九州の暴力団幹部の殺傷事件、そして昨日はキャバクラに通っていた警察官が、ホステスさんを殺害して自分も自殺してしまった。拳銃を使った殺傷事件は必ず真性拳銃が使われる。それなのに取締はソフトエアガンだけが、その対象になる。真剣にやって欲しいのは真性拳銃の取締なのだ。「き○いに刃物」が昨今は「警○官に拳銃」という事になってしまう。

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August 21, 2007

スクリーン・リーダーの事

▼先週ある人から「B5、4ページの会報を作っているのだが、これを目の見えない人に見てもらう良い方法はないだろうか?」という電話がかかってきた。それで猛暑の某日短パンにTシャツ、サンダル履きという軽装でそのお宅まで出かけた。相手はわたしより10才くらい年上の知り合いの男性だし、盆休みだからと考えての事だった。このお宅には昨年暮れも、押し詰まってから出かけた事がある。そのときは駅まで迎えに来てくださった。あやふやな記憶だったが、無事相手のマンションの入り口まで辿り着いた。
▼相談というのは最近会員になった女性なのだが、中途失明で「会報」を読むことができないので、ヘルパーさんかボランティアさんに朗読して貰っているという。それも相手の都合に合わせなければならないから不便だ。相手からは「テキストデータでおくって貰えないか?」という相談だった。わたしの直接の相談相手は「テキストデータ」自体お分かりにならない。会報は「パーソナル編集長」というDTPソフトで作られている。この拡張子は「PAT」である。テキストからPATにする事はできるが、その逆は出来ない。相手の希望に添うには、もう一度テキストで入力し直さなければならない。そしてご本人もまた目の調子が悪くて通院していらっしゃる。▼その場で、千葉県最東端にお住まいの女性のお宅まで電話をした。毎号スキャナーで読みとってテキストデータにして、CDーRで送りましょう。という事で合意した。直接の相談相手のお宅を辞去するとき、相手の住所を教えて下さって、ふと見るとメールアドレスもあるではないか。CD-Rをわざわざ郵送で送るよりも、こちらの方が遙かに楽だ。帰宅してからスキャナーのOCRで読みとりデータ変換して誤字をチェックする。今回は原本があったので誤字は極めて少なくて済んだ。データをメールでお送りすると果たして1時間後に「読めました」という返事が来た。中途失明というのではかなりご苦労されているのかと推測する。しかしパソコンがあるとスクリーンリーダーで音声に変えて聞くことが出来る。お聞きすると「総てが音声に乗るわけではない」という事だが、殆どの内容は理解できるようだ。
▼パソコンをやっていてこのように人のお役に立つことがあると、「やっていて良かった」と思える一瞬である。

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August 20, 2007

◇「22才の別れ」を見る

▼「♪あーなたに、さよならって、云えるのは、きょうだけ」そう「22才の別れ」のイントロである。昨日は朝食を食べ終わるのも早々に、ブログを書きかけのまま新宿まで出かけた。どうも原稿は一気呵成に書かないと、つじつまがあわなくなってしまう。あとで冷静に読んでみると変なところが2点ばかり出てきて、論理の整合性が保てなくなってしまった。おおきょうはメルマガの締め切り日である。前回忘れた方も今回は執筆をお願いしたいのである。
◇「22才の別れ」主人公の川野(筧利夫)は44才で福岡の商社に勤務する年収1500万円の、エリートサラリーマンである。毎日マンションの前にあるコンビニで夕食のおかずを2000円くらい買い込んで一人で食べるという寂しい生活を送っている。家の中には待つ人もなく、玄関の電気のスイッチを入れると、居間にはHOゲージの模型電車が走り回っている。彼は先輩を差し置いて専務から「上海への転勤の内示」が届いて心が揺れている。そんなある日いつものようにコンビニに行って夕食のおかずを買うと、いつもの女性店員花鈴が「失業してしまったから援助交際をしてくれ」と頼み込む。彼はサイフから5万円ほどを抜き取り、「大事に使うのだよ」帰ってきてしまう。
▼会社には同僚でたんなる飲み友だちの有美(清水美砂)がいるが、彼の煮え切らない態度にイライラしている。そのうち川野は花鈴と結婚を前提につきあっても良いかという気持ちになる。ところが彼女は花鈴がボロアパートで一緒に暮らしている青年がいることを発見して川野に告げる。しらべて行くと花鈴は高校時代から大学にかけてつきあっていたふる里大分の葉子の娘だという事が分かって驚愕する。葉子とは当時御茶ノ水の昌平橋近くのアパートで暮らしていた。(当時ならば当然3畳一間のはずなのだが、これはかなり広いアパートだ)そして葉子の22才の誕生日の事が甦ってくる。バイトをしていた川野はサイフを叩いて、ケーキを買ってアパートに帰る。葉子は「大学を卒業したら一緒に大分に帰ろう」と彼を説得するが、東京に居残る道を選ぶ。
▼そして暗くなっても布団を表に干しておいたため、急な雨で布団をずぶ濡れにしてしまう。葉子は「今晩は泊まっていってもよかったのに…」というのだが、濡れた布団では役に立たない。ケーキとビールでささやかな誕生祝いをすると、雨の中、葉子は一人帰って行ってしまう。そしてふる里に戻った葉子は一人娘を産んだあと亡くなってしまったという便りが届く。しかしまさかその娘の花鈴とこういう運命の再会になるとは思わなかった。
▼川野は花鈴が一緒に生活している男と一緒にさせようと奮闘する。そして会社には辞表を提出し、いつもの居酒屋で有美に絡まれるのだった。「♪あーなたに、さよならって、云えるのは、きょうだけ」…今回テーマになっている花は「彼岸花」である。尾道三部作を撮り終えた大林監督は九州3部作の2段目に臼杵を選んだ。しかし肝心な花鈴と高校時代の初恋の女性にまったくの新人を持ってきたことで、盛り上がらない。清水美砂がヒロインだったらよかったのに…。それに地域依存型のストーリーが散漫すぎる。テアトル新宿で。

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August 19, 2007

◇映画「Tokko(特攻)」を見る

▼ニューヨークに住む30歳くらいの日系二世女性リサ・モリモトは、20年前に死んだ叔父が特攻隊員であった事を最近知った。生前彼は一度も「特攻隊員」であった事を明かさなかった。特攻はイラクの自爆テロとどう違うのか?アメリカ兵は生きる為に戦争をするが、特攻は死が目的となっている。それは彼らの自主的願望であったのか?
▼リサは叔父がなぜ自分が特攻の生き残りだったかを話さなかったのか疑問に思う。そして5人ほどの生き残りの隊員を捜し出して訪ねる。「自分から進んで「特攻」を志願したのか?」「怖くなかったか?」日本人ならばおそらく聞きにくい事も、二世の彼女ならではの聞き出す事に成功している。生き残った隊員たちは、少年兵くらいから志願している。きちんとした学問を受けている大学生ならば、「聖戦」などはあり得ないだろうと考えるだろう。しかし陸軍よりの制服が格好良い、海軍を志願した彼らにとって、「軍艦」は力強さを感じ、また所属する戦闘機も陸軍よりも数段に格好よく見えた。
▼もう戦争の終盤になると、ひたすら体当たりの特攻訓練だけが行われた。そして特攻は自らの意思とは関係なく「順番」がやってくる。心の中では生きたいと思っても、建前のお国のために、あるいは陛下のためにが優先される。これは映画「清作の妻」においても同じ状況が出てくる。妻と一緒にいるよりも、村の人たちの「愛国行進曲」と日の丸の旗で送り出される方を9選ぶのが、「正しく」、「名誉」なことなのである。だから選ばれたら、本心はどうであれ「断ること」、「家族との泣きの別れ」などは女々しいこと烙印を押される。村という監視社会が機能しているのではなく、「建前で生きること」が美化されてしまう。もうそこには「抵抗」などという言葉は存在しない。
▼「戦前・戦後一貫して戦争に反対した」という人々がいるが、それは組織的な抵抗ではなかった。牢獄に閉じこめられている一部の人の頭の中に存在した。外で命がけでレジスタンスをした、フランスやイタリアより、極端に言えば牢獄の中の方が遙かに安全であろう。「抵抗し得ない」雰囲気というのは、絶対主義天皇制の中で真綿で首を絞めるように作られてしまった。「お国のため」「陛下のため」という言葉がいきなり出てくるわけではない。これが今日的状況と極めて似ている。水島朝穂のHPをご覧頂きたい。今は外堀を埋められ、学生やフリーターには「レンタル軍隊派遣業」すら出来上がろうとしているのだ。
▼特攻隊の生き残りの人たちは「沖縄戦が始まる前に、なぜ降伏する事できなかったか」と語る。それは昨日来書いている事で、戦局を有利に導いて、自分が戦犯として処刑されない道を探っていたのだ。これはNHKBSで16日(金)、18日(土)と二夜連続でジョン・フォードの「ニュルンベルグ裁判実録」が放映されたが、の日本の東京裁判と全く違った構造で驚いた。ナチスドイツの残党にはかなり公正な裁判をしているように見えた。とろこが東京裁判は、戦争責任者の「処刑」だけが先行した。だから後者では「戦争を命令した責任者の解明」なおざりにしただけではく、温存されたままだった。
▼特攻隊員は、水杯で乾杯し美しく死んで行くことを強要された。そしてそれを讃える「陛下のお言葉」も出てくる。「特攻兵器」とは、産業と資源が戦争を支えている事を見ることが出来なかった、絶対主義天皇制の当然の帰結である。特攻隊で死んだ兵士は4000人で、アメリカの統計によれば沈んだ戦艦は40隻だという。その確率100分の1。人間を生きていている人間と見ず、単に鉄砲玉と見た人たちはこれをどう思うだろう。丸山眞男的に戦争に積極的に協力せざるを得なかった精神構造を解明するドキュメンタリー。渋谷シネ・アミューズで。

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August 18, 2007

インリンのブログ「頑張れ!日本」を見る

▼先日の千葉東方沖地震は、わたしの家でも結構揺れた。夢うつつだったが、ドアか窓を開けなければと思った。ところが朝6時に起きてから家族に「今朝の地震の揺れは大きかった」と言っても誰も知らないという。わたしは「惚けてしまったのだろうか?」と不安になってNHKTVのスイッチを入れたが何も云わない。6時半にいつものTBSラジオに切り替えるのだが、午前7時近くになってようやく、千葉東方沖という第一報が入ったので、「ボケではない」事に確信が持てた。最初の千葉東方沖地震はもう10年以上も前の事になる。当時事務所は稲毛にあって、隣に住んでいた若い奥さんが大きな声で「アーー」と何回か叫んでいたのを記憶している。コスモスさんの日記「曇のち時々…」でも同じような事を書いていらっしゃる。おそらくこれは大きな声を出すことによって危機感が身体の中から発散されて、安全装置が働くのではないかというような事を書いている方がいたが、なるほどと思った。
▼テレビの「愛エフ」という、主として女性芸能人が料理を作ってゲストの男性に食べさせて点数を競うという番組があある。出来た料理を評価してスタジオにあるボードに、作者の名前を貼るのだ。しかし料理がまずいとスタジオだけでは間に合わなくて10chのスタジオを飛び出して車庫の方まで行ってしまう場合もある。タレントのインリンさんも菓子類はもの凄くうまいのだが、普通の料理は誰もが喉を通らない事が多い。ところが彼女のブログ「インリン・オブ・ジョイトイの日記/愛のテロリズム」16日付の「頑張れ!日本」で凄いことを書いているのでびっくりした。このブログを見たらしっかりした頭脳を持っていて、日本の某宗教団体に席巻されている女性タレントとは、まったく違う事が分かった。わたしが解説するよりブログをご覧頂きたい。

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August 17, 2007

◇「日本のいちばん長い日」を見る

▼「日本のいちばん長い日」NHKBSで15日の丑三つ時に放映された、1967年に作られた東宝映画。監督は岡本喜八である。、黒沢年男演じる陸軍省軍事課員が、反乱軍を動かす役割を気味が悪くなるほとうまく演じていた。鈴木貫太郎内閣は陸軍大臣や海軍大臣を説得してポツダム宣言を受け入れるべく閣議をまとめる。そして天皇の上奏すべく文案を練り上げていく。何度となく書き直しが入り、宮内省の職員は筆文字でそのたびに書き直す。しかし最後は録音に間に合わせる時間がなくなるので、挿入文という形式になる。録音盤は知られているように「正」と「副」が作られ、宮内省皇后官職事務官室の金庫の奥深くしまわれる。反乱軍は近衛師団の森師団長を殺害し、命令書類を偽造し録音盤奪回作戦を立てる。原作は大宅壮一という事になっているが、実際に執筆したのは当時文藝春秋の社員だった半藤一利である。今出版されている本はそのように半藤の名前になっている。本は借りてきてあるが、どこからどこまでが真実かあるいはフィクションなのか、現時点では判断できない。しかし岡本監督のたたみかけるような演出は見事と言うしかない。
▼映画によれば内閣や宮内省の侍従たちはポツダム宣言を受け入れる条件として、「お上(天皇)の立場はどうなるか」の一点に絞られるようだ。映画の最初の方で原爆が広島と長崎で投下される場面が出てくる。しかしその映像は広島のそれではなく、ビキニ環礁の水爆実験に見える。映画では原爆が投下されたから、戦争を終結する意思を持つようになったと暗示する。しかし歴史を見ればそれは間違っている。
▼つまり現実にはポツダム宣言前に降伏するチャンスはあった。しかし天皇は自分が戦争責任を取らされるのではないかという判断で、一発逆転のチャンスを狙っていた。それがガダルカナルから始まり沖縄、硫黄島、さらには日本本土の空襲へと無駄な犠牲を強いる結果になった。
▼このことは「週刊金曜日」666号の鹿児島大学木村朗氏のインタビュー「今こそ原爆神話の解体を」に詳しい。アメリカは日本側が軍事的に完全に敗北し、政治的にも降伏を模索していたにもかかわらず、どうしても原爆を使いたいために、最初から認めるつもりだった天皇制容認の意図を「無条件降伏」で隠して、原爆実験成功前の降伏を回避しようとしていた。
▼そして木村氏は被爆ナショナリズムに触れている。戦後の保守政治は一時期の鳩山を除き、アメリカの原爆投下に対して意見を言わなかった。リベラルな側にも加害責任を意識するあまり「あれだけアジアで悪いことをしたのだから、原爆投下もやむを得なかった」など意見が多く流布されている。さらに、アメリカの論理と「原爆神話」の容認は保守の側だけにあるのではない。そしてよく使われる「唯一の被爆国」という論理は事実と異なり、外国人被爆者を斬り捨てる論理である。現実に連合国の捕虜を含む15ヶ国7万人以上が被爆し、4万人が犠牲になっている事実を殆どの国民が知らないし、学校でも教えられていない。これは一種の「被爆ナショナリズム」と言われても仕方ない。
▼そしてドイツ降伏から沖縄戦の敗北など降伏するチャンスは何度かあり、ポツダム宣言が出てすぐ受諾すべきだった。それなのに「聖断」などと称して(映画でもそうだった)天皇のおかげで戦争が終わったという見方すらある。(と木村氏は語っている。詳しくは上記雑誌を買って読んでいただきたい)

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August 16, 2007

97000番は湧々さんに

97000
▼ご覧のように97000番は湧々さんがゲットされたのでお知らせする。このペースで行くと11月末には10万番の大台に達することができそうだ。みなさんのアクセスに心から感謝申しあげる。いやお盆休みに入ってからのアクセスは通常の半分くらいにまで減ってしまって少々滅入っていた。アクセスが減ると1日40件ほど送られてくるスパムメールも半減する。湧々さんは記念品は事前にお送りしたので、今回は「辞退」された。実家には自宅に置くことが出来ない本を、段ボール箱で10箱くらいの本を送ってある。これも何とか1年以内をメドに片づけたいと思っている。先日の新盆の時には高校教師をしている甥に、本好きの甥に好きな本を持っていくようお願いした。彼が選んだのは遠慮して5,6冊にとどまってしまった。持っていく人がなければブックオフに頼んで引き取ってもらおう。ただし急激な環境の変化は、母の精神状態を悪くするので気をつけなければならない。
▼佐久地方の新盆(当地では「にいぼん」と呼称する)は12日に仏壇に供える花を買いに行くことから始まる。新盆の時だけは一回限り、新品の盆提灯が飾り付けられる。これは「一回だけ使うのだからもったいない」と1式二組を母の姉弟たちが贈ってくださった。13日は村の人たちが挨拶に訪れる。一様に「今年は寂しいお盆様です」と声をかけてくださるので、それに対応してご挨拶をする。人々は朝からやって来るのだが、ピークは13日の夕方が最も多い。9時半になったので外灯を消して家の戸締まりをした。すると午後10時過ぎになって、ドアフォンを押す方がいる。慌てて外灯を点け、参拝してもらうように祭壇を開く。するとひっつめ髪で80歳近い女性が数珠を取り出して「般若心経」を10分ばかり唱えだしたのには驚いた。わたしは知らない方だったが、その女性はわたしの高校時代の事をちゃんと覚えていて話してくださるのにはさらに驚いた。もうパジャマに着替えていたが失礼のないように対応させていただいたつもりだった。
▼今回は3泊4日だった。普段決して用いる事のない礼服にネクタイ、替えのワイシャツ3枚など荷物は海外旅行用のキャリーバッグを使っても入りきらなかった。もっともそれは進行中の仕事の確認をするため、ノートパソコン一式を持参した事にもよる。車で走っていたら、車で10分くらいのところに、新しくネットカフェが出来ていることがわかった。とにかく映画「腑抜けども、…」と同じネット環境だ。考えついた最終手段はノートパソコンにFOMAの端末を繋いでネットに接続する方法だ。今後はもうノートパソコンは持参しなくても済みそうだ。
▼昨日諸々の連絡があるので正午に帰宅した。神経を使うからお酒は寝る前にだけ飲んだが酔わない。流石に昨夜は撮りためたHDDレコーダーの「日本のいちばん長い日」を見ている途中で眠くなってしまった。NHKBSで放映した押井守も全部録画してあるが、果たして見終える事ができるのはいつの事になるだろう。

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August 15, 2007

寺の寄進が檀家一軒40万円とは。

▼佐久地方にG院と言う寺がある。父もここで戒名を付けてもらった。永平寺で修行したという坊主は養子で酒が好きで飲み始めると、いつまでも「もう結構です」とは決して言わないので、檀家からは極めて評判が悪い。その寺が百年ぶりに改修するとかで、総代が集められた。改修費用は4億9千万円。分担金は総代が60万円、普通の檀家は40万円だという。実家に帰ると亡くなった父宛に、趣意書と振り込み用紙が同封されてきていた。確かに同封されている、建築施工会社の写真を見ると、寺は朽ち果て、何やら獣ものの巣らしいものまで散見される。昨今の税金のアップに、消費不況で、40万円を捻出できる人はどれだけいるのだろう。多くの住民からは、不満の声が沸々と出ている。叔父などは戒名はいらない、今使って俗名でやるから、寄付など一切しないと、開き直っている。
Kouchi(mobile)

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August 14, 2007

朝晩は冷え込む長野にて

お盆休みのせいかアクセス数が、中々97000番に達成しません。映画は面白い作品を紹介しているつもりです。ぜひお時間を作って渋谷、銀座までお出掛け下さい。いずれも、単館上映です。タリバンが韓国人女性人質二人を解放したと言うニュースが報道されている。交渉が難航している事でふと良いことに気づいた。タリバンも原理主義のようだ。韓国のお隣にある北朝鮮も主体思想と言う原理主義の様なので、直接交渉を頼めば、意外と早く解決するかも知れない。いやいやそれよりも、韓国軍をすぐアフガンから撤退させる事が、解決の道筋であろう。父の新盆で小諸に来ている。日中は猛暑だか、田んぼを渡ってくる風は涼しく感じる。そして朝になると布団一枚では寒く感じる。
Kouchi(mobile)

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August 13, 2007

◇「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を見る

▼先日旅行した石川県能登にある携帯の電波も届かない、ある小さな村の話だ。
◇「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」道路に座っている黒猫がダンプに跳ねられそうになる。しかしネコは助かったが、それを救おうとして老夫妻が揃って跳ねられて命を落とす。場面はその告別式と、それに間に合わなかった長女澄伽(佐藤江梨子)はタクシーから降りると「3360円」と怒鳴って実家に戻ってくる。あくまでもお人好しの兄嫁の待子は「ハイハイ」と言ってサイフを持って払いに出て行く。実は澄伽は売れない俳優のタマゴとして兄の仕送りを受けて上京していたが、借金に追われ、プロダクションには「生意気だ」と言われて舞い戻って来たというのが実体だ。
▼そして兄和合宍道(長瀬正敏)は炭焼きをして生計を立てている。さらに澄伽の妹清深は高校生で密かにマンガを描き続けている。澄伽は何かというと妹が自分をテーマにしてマンガが雑誌に紹介されて、過去を暴露されたから売れないのだと、そればかりを根に持って妹をいじめる。つまり澄伽はジコチュウで動き、エゴ丸出し人間なのである。人間関係を若干説明すると和合家は宍道は父の連れ子で、長女、次女とは血がつながっていない。待子は新橋のコインロッカーで生まれた過去があり、親なし子として育てられ食品会社に勤めていたが、結婚紹介センターのお見合いで宍道と結婚した。しかし結婚から数ヶ月経っているにもかかわらず、待子を抱く気配がないのが妻の心配のタネである。
▼澄伽はプロダクションに連絡をしようとするが携帯の電波が通じない田舎なので大いにむくれる。妹にパソコン持っていないかと聞くと「そんなモノはない」という返事で村の雑貨屋に行けば30分千円のものがあるというので出かける。店番は高校時代に「交友」していた相手で「10分なら300円でいい」と言ってくれる。澄伽はTVで見た新作の脚本を書いている、新人映画監督の住所を調べて手紙を出そうとする。その文房具店では真っ赤な便せんと封筒を買う。昔の相手は「カネに困ったらいつでも相談にのるからさ」という声をかけてくれる。最初のうちは監督から色よい返事が来るがしばらくすると途絶えてしまう。兄嫁は澄伽の無理難題をすべて聞き入れるが、宍道は「今後仕送りができるかどうかちょっと待ってくれ」と返事する。
▼兄は炭焼きの仕事から帰ってソーメンを食べているが、タレには何も入れない。ところが妻は「薬味を入れた方が身体によい」と無理遣りタレに薬味を振りかける。「いらないと言ったらいらないんだ」とタレを投げ飛ばすとそれが待子の目のコンタクトの間に入って入院してしまう。そしてその間に宍道に姉の澄伽が「私との約束を守っている?」とカッターナイフを喉に突きつける。そして兄と澄伽の「約束」とは何か、妹の清深は目撃してしまい、「これをネタにまたマンガが描ける」とほくそ笑む。そしてその作品がマンガ雑誌の100万円の懸賞を見事ゲットする。清深は自分の道は自分の力で切り開くのだと実感する。そして勇躍バスに乗り込み動きだすと、姉の澄伽がもの凄い形相で追いかけて来る。姉にいじめられ「ごめんなさい」を連発する妹が一番したたかだったという話。
▼木谷有希子原作の作品を実写映画化したもの。TBSラジオの金野某映画評論家が今年の日本映画ベスト1と言っただけある、最高に面白いブラックユーモアな作品でした。そういうのに興味がない方にはお勧めしません。イヤぁーこういう澄伽キャラの人はどこにも現実にいるモノですね。渋谷シネマライズ。

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August 12, 2007

◇「オープン・ウォーター2」を見る

▼先日きくちゆみさんのブログを見ていたら沖縄の辺野古海岸で米軍の会場基地建設に反対しているリーダーで、牧師の平良夏芽さんが、防衛施設庁に雇用されたダイバーと対峙していたとき、水中でエアボンベのバルブを締められたという事件の事を書いていた。(上記8月7日のポッドキャストの音声を参照)わたしもダイバーの資格を持っているが、水中で空気タンクのバルブを締めるというのは絶対やってはならない行為で、これは殺人と同じ事をしているのである。それなにの平良さんは淡々とダイバーを恨むでもなく、いつか一緒に酒を酌み交わすことが出来る日が来ることを願っている。この経緯はマスメディアは黙殺しているが、きくちさんのブログと「週刊金曜日」の先週号と今週号に詳細が出ている。さてその海に関連した映画を1本ご紹介する。
▼◇「オープン・ウォーター2」2があるのだから当然1もあるのだが、「1」はまだ見ていない。5年前、高校を卒業したばかりの5人の男女の過去に撮影してホームビデオで5人の関係がわか。そして成人した今のメキシコ湾で豪華なヨットに乗り込もうとしている6人(リーダーのガールフレンドが増えたので…)。一組の夫婦は生まれた間もない赤ちゃんを連れている。そしてその母は幼いとき水遊びをしていて父が水死したことがあり、それがトラウマになっている。桟橋からヨットにわたるのも彼女にとっては命がけの事で常にライフジャケットの身につけている。やっとの事でよっとに乗ると楽しいパーティが始まる。夫婦は赤ちゃんのキャビンに寝かせ、声が聞こえるようにスピーカーを船上に持ち出している。リーダーは株のトレードをやっていて大金を手にしてこの豪華な「ゴッド・スピード号」を手にしたと自慢する。そして連れに派手なガールフレンドを連れてみんなに見せつける。
▼気晴らしに一泳ぎしようとドボンと海に飛び込む一同。子ども連れで水嫌いの女性も元カレに抱きかかえられて海に突き落とされる。「彼女が水恐怖症だったのを知らないのか」とみんなに非難される。寒くなってきたのでヨットに上がろうとするのだが、ハシゴが下りていないし、救命用の浮き輪すら流していない。豪華ヨットなので喫水線からデッキまでは3mほどもあるから、飛びついても手が届かない。唯一後方にアメリカ国旗が垂れ下がっているので、それに飛びつくが旗は無惨にも裂けてしまう。どうするか?赤ちゃんの泣き声は聞こえるし、このままでは脱水症状で死んでしまう。そして寒くて凍え死んでしまう、ライフジャケットを寄こせとか、お前の責任だとかエゴむき出しの責任のなすりつけあいがはじまる。
▼ピンチの時にその人間の本性が出てくるというのは本当だ。通りがかったクルーザーも事故とは思わないで通り過ぎる。そしてみんなが着ている水着を脱いでつなぎ合わせればロープの代わりになるという工夫も出るが、いずれも寸でのところで失敗してしまう。それに諍いから事故も起き、このまま立ち泳ぎしたまま死んでしまうのはゴメンだと見えない陸地に向かって泳ぎ出す人もでてくる。たんなるパニック映画ではなく人間のむき出しの本性が見えてくるのが心理劇として成功している。実際にあった話をヒントに作られたドイツ資本の映画で、出演者はアメリカ人の無名の俳優たちだ。監督の確かな腕が冴える。銀座シネスイッチで。
▼トップページに汐留めの向日葵を入れました。お盆休み中には97000番になると思いますが振るってアクセスをお願いします。数日間ブログは更新しますが、HP部分の更新はできません。

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August 11, 2007

◇「海は見ていた」を見る

▼みなさんのブログやミクシーを拝見していると「暑いときもクーラーは身体に悪いからなるべく入れないで我慢する」という方がいらっしゃる。わたしもエアコンは嫌いだがスイッチを入れないと精神が集中しないので除湿にして入れる。それと1日に3,4時間は外に出て汗をかくようにしている。また冷たい飲み物は一切やめて、1日2リットルくらいの暖かい麦茶を飲むようにしている。いずれにしても体内の新陳代謝をよくしないと身体にはよくない。
▼今朝も渋谷に行こうと思って早起きしていたのだが、食事を終わって後片付けをしてネットで上映開始時間を確認したら、午前10時で、もうあと45分しかなかった。先週も後片付けをせずに飛び出しているので、きょうは12時半からの2回目にした。
◇「海は見ていた」NHK8日深夜BS。主演の清水美砂を最初に見たのはNHK朝の連ドラ「青春家族」だった。米軍の情報部に勤務する男と結婚してしまったが、最近ますますよい女優になってきた。舞台は江戸時代富岡八幡宮近くにある岡場所。遊郭に一人の侍が逃げ込んでくる。どうやら刀傷沙汰で人を殺めたようである。遊女に頼んで匿ってくれという。その必死な姿に、遊女のお新は同情し、元結いをほどき、着衣も町人風に着替えさせ裸になって布団にはいって絡み合っている様子をする。そして立ち入り検査をする岡っ引きをやり過ごす。若い侍はその後も感謝して通ってくる。ある時垣根に卯の花が咲いていたと言ってお新の髪につけてやる。そしてあろう事か、自分の婚約話をする。お新はもしかしたら若侍が自分を身請けしてくれるのでは、と淡い期待を抱いていたのだが、見事に打ち砕かれる。そして若侍は「ただ居心地がよいから通ってきた」と告げる。お新は座が白けないように自ら笑ってその場をごまかす。
▼お新はそのご男性不信に陥る。しかし遊郭のやり手婆が病気になってから菊乃(清水美砂)が変わりに店を取り仕切る。そんな時お新はまた貧乏な町人良介と恋におちいる。良介はまさに貧乏を絵に描いたような生活で、物乞いをして貰った食事を連れて歩いていた野良犬一緒に分け合って食べた、という話にいたく感動する。そして菊乃は身請けしてくれそうな老人と懇ろにしているのを良く思わない男(奥田瑛二がこういう役はうまい)が現れ、彼女を激しく折檻する。命をなしたかと思われる激しさに、良介は義侠心を起こしてもみ合って彼を刺し殺してしまう。人を殺めるのは江戸時代にあっても御法度である。役人に見つかれば処罰されることは間違いない。
▼そんな時台風が下町に押し寄せ遊郭も水に浸かってお新と菊乃はようやくの事で屋根に逃げる。そしてこれが最後だからと一張羅を着て屋根に登り助けを待つ。すると良介がどこからかさっぱ舟を探して救助にやってくる。そして3人で乗ろうとすると舟が転覆しそうになるので菊乃は意を決してサッと舟を飛び降り、「二人でお行き」と促す。そしてこの台風で殺した死体も行方不明になり、このことは「海だけが知っている」ことだから安心して二人で新生活を送るようにと、持っていた有り金全てをお新に渡す。泣きながら遠ざかる舟、夜空には天の川と流れ星が一つ流れていく。菊乃は「あーあまた一人になってしまった、だけどもまた一からやり直せばいいや」と呟く。
▼やはり山本周五郎の貧しい人に焦点を当てた作品は、山本一力の「あかね雲」を遙かに凌ぐ。そしてCGで作った江戸の町、大橋(現在の両国橋)下町、大がかりな台風で家が沈むシーンも砧の撮影プールを使ってとてもよく再現されている。熊井啓監督作品。

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August 10, 2007

「リビエラを撃て」を途中で止める。

▼ブログの検索用語をチェックしていると、みなさんは俳優の動向を知りたくて見ている事が分かる。日曜日の「天然コケコッコー」の事を書いたら「右田そよの母」という検索用語でいらした方がお一人いた。わたしはそんな映画の本質に関わらない事はどうでも良いのだが…。一つ付け加えると夏川結衣と佐藤浩一は01年のNHK「ある日、嵐のように」で共演している。夏川は江守徹の愛人で密命を帯びて佐藤浩一に接近する役目をおっていた。この時はどうも意味が分からない役回りだった事を覚えている。
▼図書館の新刊のところに高村薫の「リビエラを撃て」の文庫本があった。一度読もうと思っていた時期があって借りてきた。しかし、銃とか無線に関して誰か協力者の力を借りて書いているのだろうが、こなし切れていない。例えば無線と無電が混在している。銃はたくさん出てくるが、使用方法を理解していない。拳銃を構えて相手を脅す場面で「ハンマーをハーフコックにする」と書いているが、そんな事はあり得ない。「スライドを引いてフルコックにする」が正しい。ハーフコックとは暴発を防ぐためにフルよりも半分ハンマーに近い位置に戻すことである。専門家の意見は聞いたらしいが、実際にモデルガンを使って検証するとか、お金があるのだから海外取材に行って実際jに銃を撃ってくれば分かることだ。事々左様に間口を広げすぎて収拾が付かなくなっているのだ。上巻の3分の2ほど読んで時間も無駄だと思い、読むのは止めた。今朝はナナチャンの抜糸で犬猫病院に行かなければならない。これでとりあえず終わり。

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August 09, 2007

初対面の方とヴィスコンティで盛り上がる

▼「残暑」になったとたんに猛暑が続く。わたしは去年の事があるので、午前10時から午後3時までは、なるべく外を歩かないように心がけているのだが、そういかない日もある。そんな時は綿100%の野球帽を被って薄着で歩くようにしている。
▼新聞版の「シネマ紹介」(メルマガでお送りしているものと同一)を七夕で有名な神奈川県某市で郵送購読してくださっている方とお目にかかった。わたしより10歳ほど年上の男性である。(女性に会っても決してブログなどに書かないからご心配なく)前回の「シネマ」に書いた「魔笛」に興味をもち、かつ同感されて1昨日夜自宅に電話を下さった。注意深く行間を読んでいただければ、わたしが何を云いたいのか、分かる方は分かってくださる。単なる映画の内容の要約ならば「ぴあ」とか映画紹介の雑誌をみるだけで分かる。つまり映画評論家Y和夫に代表される、左翼映画人はともすると「階級的視点」だけが映画評価の基準となっている。そして白か黒、右か左、2者択一と、まるでデジタル信号の世界である。
▼そして生き方そのものを「儒教的倫理観」で推し量る。かつての社会主義、共産主義運動の理論家、指導者が「倫理観」がどうだったかというと、マルクスなど家政婦に子どもを産ませたりしていて多分に怪しい。その他その価値基準で推し量ると、怪しい人は現代まで掃いて捨てるほどいる。昨夜の人は仮にK氏とする。K氏はイタリア文化や芸術に詳しい方でオペラなどは「魔笛」のザラストロを演じた事があるという実力の持ち主である。初対面であったにもかかわらず、ヴィスコンティから山田洋次論にまで話は広がった。ルキノ・ヴィスコンティはイタリアの歴史書を紐解くとでてくるほど有名な貴族の出身で、なおかつコミュニストになってナチス占領軍と果敢にたかかい、逮捕され死刑判決を受ける。しかし危機一髪で脱出に成功する。そして戦前は「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で、戦後は「山猫」、「地獄に堕ちた勇者ども」、「ルートヴィッヒ」などカネに糸目を付けない豪華セットを再現して話題を呼んだ。
▼昨晩も彼の性的嗜好から、「家族の肖像」、「ルートヴィッヒ」がいかに優れた作品であるか論議は尽きなかった。さらにイタリアの左翼運動の現状、そして息切れしているフランスの左翼など新聞では決して分からない情報交換をした。そして何故わたしの「シネマ紹介」の記事に興味を持ってくださったかお聞きした。すると「グッドナイト&グッドラック」の紹介記事をお詠みになって探したところ、近くでは市川のコルトンプラザでしか上映していなかったので見に行った。観客はたった3人くらいだったがとてもよかった。どうして世間の新聞はこういうよい映画を紹介しないのだろうと疑問を持つようになって、以後わたしが書いている「シネマ紹介」に出た映画は必ず見るようにしている、とおっしゃってくださった。この映画はとても気に入ってDVDも発売後購入されたという事だった。
▼その他好きな映画監督や女優の事など、3時間ほどお話しさせていただいたが、時間は瞬く間に過ぎていった。ご病気をお持ちで「来年まで生きていたらまた1年後にお会いしましょう」と約束してお別れした。パソコンはお持ちなのだが今現在はインターネットにつながっていないという事で、来週中には専門家を読んで接続をするとおっしゃってくださった。だから来週からはブログのアクセス数も増える筈である。先週の土日あたりからアクセス数が急に20から30位増えているので、これが継続するよう気合いを入れて書かなければならない。

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August 08, 2007

NHKアメリカの秘密尋問所を見る

▼先日大房岬を取材したとき、案内の相沢氏から次のような話しがあった。房総捕鯨の祖・醍醐新兵衛は江戸時代から捕鯨を営んで来た。明治になると関澤明清がアメリカ式捕鯨や缶詰工場等を導入し、館山を近代水産業のに発展するため貢献した。明治時代になると小谷源之助など房総の鮑漁師(海士)たちはアメリカのモントレーに渡り、機械式潜水漁や、あわびのステーキの缶詰などを普及させた。ところが戦争が始まると日本人強制収容所に入れられ、上陸地点になった館山の地形などを情報収集に協力させられたというのだ。
▼昨晩NHK1ch午後10時から「アメリカ秘密尋問所/日本人2000人が語った機密情報」を見て、この話が現実味を帯びてきた。アメリカは日本侵攻にあたって米軍の被害を最小限に押さえようと考えていた。そこで考えたのは捕虜を尋問して情報を詳しく聞き出す事だった。それは東部ワシントンにも、イタリア、ドイツ軍向けの尋問所があった。日本の場合は地理的な理由でカリフォルニアにあり、その名は「TRACY」と名付けられた。まずやったことは撃沈した戦艦「飛龍」の乗組員を救助して聞き出す。これは「陸(おか)に上がった軍艦」の初日に新藤監督が語った事で「戦艦は沈没しても1割の人は何らかの理由で助かる」というのだ。その飛龍は他の多くの戦艦の設計思想と一致したので、主砲の性能、装甲や魚雷、燃料の位置などが聞き出される。そしてそれはその後の海戦に生かされることになる。米軍が最も知りたかったのは電探(レーダー)の性能、酸素を燃料にした魚雷の性能だった。日本のレーダーは実用化していなかったが、魚雷は酸素を使うと航跡が見えないので米軍には脅威だったに違いない。
▼その後空爆がはじまると、日本の航空機の作成方法が、部品を地方で作って一ヶ所に集めて組み立てる事が分かる。尋問の結果、名古屋の三菱でエンジンを作っていることが分かり精密爆撃の資料となる。アメリカの公立文書館にある尋問資料には「備蓄燃料の位置や量まで書かれている。尋問は二世が担当し、聞き取る項目はマニュアル化され、英文には日本語も書き添えられていて、それを日本兵に見せるようになっている。「生きて捕虜の辱めを受けない」という自縛で中々喋らない日本兵に手こずるが「暗号解読の方法から、日時によって数字をプラスマイナスさせる手口までアメリカは把握している。アメリカが航空機で知りたかったのは日本軍の「雷電」であり、これはB29に対抗出来ると言われていた。だがアメリカは尋問でこの詳細を掴み、雷電の弱点を把握して対抗に成功する。戦争末期尋問の焦点は「日本人の戦意」を重点的に行われる。多くの尋問調書は「空爆だけでは戦意を失わないだろう」という結論だった。それが作戦にどう生かされたか分からない。アメリカのスパイは日本に上陸はしていなかったかも知れない。しかしそれ以上に日本人の心理や地形、武器の配備を詳細に把握していたのだ。これによって戦局をアメリカに有利に導いていった。
▼日曜日の朝日2面に、携帯を使いこなす自民党の小林温IT議員の「活躍ぶり」が大々的に紹介されていた。しかし昨晩出納責任者が、選挙アルバイトに現金を払ったとして逮捕された。これで小林の運命も連座制の責任を問われるのでj風前の灯火となる。

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August 07, 2007

NHK「C571よ永遠に」を見る

▼先日新聞版の「シネマ紹介」を郵送でお読み下さっている方に暑中見舞いをお送りしたところ、昨夜わざわざお電話下さった。まだ直接お話しした事も、お会いしたこともないのだが、○日お会いしましょうという事になった。
▼「読者の広場」ですが、手違いにより閉鎖されてしまいました。ニフティから案内があったときすぐデータ移行手続きをしたつもりだったが、日曜日にアクセスして下さったかたから「アクセス出来ない」というご連絡を頂いた。さっそくニフティに連絡を取ったが、「90日間アクセスしないと閉鎖する」という連れない返事だった。少なくとも1ヵ月に2回ほどはアクセスしているつもりだったが、そういうルールになったらしい。さっそく様々な方法でアクセスして過去のデータは救出することに成功した。読者のみなさんも最初だけいつものパスワードでアクセスして、「お気に入り」に入れていただければ、次からは簡単にアクセスできる筈です。どうか月に一度くらいは書き込みをお願い致します。
▼昨夜NHKハイビジョンを見ていたら山口を走っている「C571号復活」のドキュメントをやっていて、つい最後まで2時間見てしまった。常磐線を走っていたC571号はその後新潟に行ったり、その後羽越線で脱線事故を起こして廃車寸前になる。さらに阪神大震災の時も修理中で台車から落ちてボイラーが傷ついてしまう。だが幸いなことに復活して山口線を走っていた。ところが昨年機関車の車検(検修)をする時期になり、梅小路まで腫れ物を運ぶように運搬される。
▼そして解体、蒸気機関車(SLという云い方をわたしは好まない)は台車、ボイラー、そして動輪が主なパーツである。背骨となる台車からは3つの亀裂が見つかる。見つける方法は赤と白のスプレーを二度吹き付けて傷を浮き上がらせる。そしてボイラーは民間の会社に出すのだが、ピストンは全て取り替える。ところが機関室はボロボロになっていたボルトを締めることも、溶接をすることも出来ない。90本あるピストンは作り替え、機関室は場所を一つひとつ確認しながら溶接できるところだけ慎重にくっつけていく。組み立てが完成したあと水を注入して圧力をかけていくと、水が染み出すので、再度溶接をやり直すことをくり返す。
▼梅小路機関区では、生産していない部品は鋳型を使って作り直したり、旋盤で削り出す。梅小路でもC57機関車を知悉している人は誰もいないから、古い検修簿を取り出して試行錯誤だ。担当者は通勤の間も窓ガラスに設計図を書いては消し、悩み抜く。そして台車と機関部、それに動輪をくみ上げて試運転をする。急ブレーキをかけて検温器で検査すると片方の車輪だけ熱が高い。再び解体して原因を探る。担当者は蒸気機関車の止まった瞬間下にもぐり込んで原因を探ろうとする。また試験走行中の時機関車から身を乗り出し、異常を目視しようと必死だ。さらには機関部に横たわって走らせながら状況をチェックする。そして台車に乗せる位置が1ミリずれていたために摩擦熱が発生していたことを突き止める。納期を1ヶ月遅れてしまうが、蒸気機関車を動かすための作業は重病患者を外科手術で救い出すにのそっくりで、思わず手に汗してしまう。乗客の安全を守るために命を賭けている男たちの半年にわたる戦いに胸が熱くなった。

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August 06, 2007

◇「モン族の少女パオの物語」を見る

▼メルアドを変えて戻って来てしまう読者がいる一方で、メルマガを送信してから昨晩は2人の珍しい方からメールを頂いた。アドレスの一方的な変更は「拒否」という事だから残念ながらそのように理解するしかない。休日はどうしてもアクセス数が減る。ところが昨日は「F木一夫」の言葉が入っていたらそれだけで20件もアクセスがあった。みなさんのご興味のあることはそんなところなのかなとため息が出る。
▼朝食が済んでから映画の上映時間をチェックするため、携帯で「ぴあ」のサイトにアクセスするが、「渋谷」から先が混雑していてアクセスできない。仕方なく一度切ったパソコンを立ち上げてチェックすると、11時半からかと思っていたら、11時15分の上映開始である。泡を食って着替える。といってもパジャマ代わりに着ていたUクロのTシャツは着替える時間がなく、そのままで家を飛び出す。きょうは誰ともデートの約束はないからよいことにしよう。表参道を下りて青学の前を通ると女性モデルがロケをしていた。エビちゃんならサインを貰おう(エビちゃんファンの筈がない。冗談だよ)と思ったが、知らないモデルだったので無視する。先日原稿を2本と言ったが、厳密にいうと「シネマ」は2本セットだから3本である。シネマを書くための時間的なコストは次のようになる。映画は大体2時間で映画館までの往復は2時間。ブログ部分の原稿執筆に1時間、それを原稿用に短くするのに30分で合計5時間半となる。行けば食事もしてくるし、1本のシネマの原稿を書くのにほぼ1日かかっている計算になる。お読みになる方はその辺のところをご理解いただきたいのである。
▼◇「モン族の少女パオの物語」(原題は「石垣越しの笛の音」だ)ベトナムの少数民族モンは山の奥深いところに住んでいてまだ日本の明治時代のような家父長性が残っている。少女の家は家柄が由緒ただしく、一族の長を勤める父親は男子の出生だけを心待ちにしている。だが生まれて来たのはパオという主人公の少女だったので、出産祝いに駆けつけて来た一族は「何だ女じゃ役に立たない」と落胆して帰って行く。父には最初の女キアがいたが、子どもを産むことが出来なかったので、出産するために連れてこられたのはシムだ。しかしシムも女の子を産むことしかできなかったので、遠くの町に出て行ってしまう。そして生まれたパオを育てるのはキアの役目となる。
▼そして20年後の育ての母キアが逆巻く流れの岩に真っ白なスカートを残してどこかに姿を消してしまう。一族は総出で探すが見つからないので、自殺して死んでしまったに違いないと遺体が発見されないまま葬式をする。ところが父が急病になり、昔の女の名前を呼ぶので気の毒に思ったパオは実母を探す旅に出ることになる。そこで再び5年ほど前の話になる。パオが町に出て手作りで作った小物を市場で売っていると一人の笛を吹く青年が彼女をじっと見つめている。そして彼女の家を突き止めて家の外で笛を吹いて出てくるように誘う。やがて気脈を通じ合う若い二人。笛の青年は自分の近くの祭りに招待する。茶屋でひと息入れようとしていると、いなくなった母が着飾って誰か男とにこやかに会話しているではないか。パオはお茶を注文したにもかかわらず脇目も触れず「汚らわしいお母さん」と思って逃げ帰る。やがて母の相手は笛の青年の父親だったことが分かる。つまりパオと青年は異父兄妹だったのだ。
▼再びバスに乗って育ての母を探す旅に戻る。バスとジープを乗り継いで徒歩で10日余の道のりで目的地にたどり着く。家を探してベッドに身体を横たえている疲れた母に声をかけると「夫」が戻ってきて再びパオはその家を飛び出してバスに飛び乗る。途中の休憩所でお茶を飲もうとすると母にそっくりの姿を見つける。バスの物陰から見ていると笛の青年の父と暮らしている母の姿を確認する。彼女は姿を見せないまま再びバスに乗る。泥で汚れた窓からは見えないパオを見送る二人の姿が見える。
▼そして家にたどり着くと父を一生懸命看護している養母の姿があった。ベトナム版三益愛子(古すぎるか?)の「3人の養母」というような内容の話だ。現実の主人公が最後に登場し、「人間にはそれぞれ抗うことのできない運命というものがあるのだ。しかし人間はどこにあっても死ぬまで命を大切に一生懸命生きなければならない」と語るのが印象に残った。渋谷シネアミューズで2006年のベトナム映画で第79回アカデミー賞外国語映画部門を受賞した作品。人生きれい事だけではすまないことがたくさんあるのです。とてもよいのでぜひご覧頂きたい。

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August 05, 2007

◇「天然コケコッコー」を見る

▼本日メルマガ締め切り日です。午後8時の締め切り時間をお忘れなく。昨日のブログに関しては数人の方から励ましのメールを頂いた。普段は何を書いても何の反応や感想も送られてこないので、とても元気が出てくる。うれしいことである。前夜、家族は外泊をしたのでわたしはネコたちと1人で留守宅を守っていた。ネコがわたしの部屋に集中するのではないかと心配したが、それぞれ自分の好きな買い主の部屋で寝ていた。わたしの部屋にいたのは一匹だけだったので助かった。
▼昨日の朝刊によるとビール会社の売れ行きが下がっているという。そこで会社が考えたのは利益を確保するために、ビールの値上げをすることだという。ビールだけでなく、コンビニや他の衣料品などもそうなのだが、「売れない原因」を彼らは真剣に考えているのだろうか。購買力を刺激するには、労働者の賃金を上げれば良いという単純なことなのだが、ビールは飲まなく生活出来るので、これではますますモノは売れなくなる。
▼昨夜NHKBSを見ていたら、昭和38年の特集というのだった。その中に舟木一夫の「高校三年生」の特集のようなモノがあり。それに関連して「学園広場」の映画が出てきた。確か姿三千子と倉石功のキスシーンが「バタフライ・キス」として当時話題になったのだという。倉石が姿を抱きしめてキスしようとすると、「そんなのは大人のするキス」と拒否する。倉石がどうすればよいのか問うと、お互い両手を後ろに回して唇をそっと触れるように合わせるのが高校生らしいキスなのだというのだ。わたしは同時代に高校生活を送ったが、男子校だったので、そういう事にはまったく縁のない生活を送っていた。
▼◇「天然コケコッコー」舞台は島根県の浜田市、10人に足りない生徒がいる中学校に東京から一人の転校生大沢広海がやってくる。同級生のいなかった右田そよは胸を膨らませて彼を待つが、やってきたのはイケメン少年だった。この映画の中に高校に合格した大沢に「何のプレゼントがいい?」と、そよが聞くとプロレスのチケットではなく、そよのキスがよいという。誰もいなくなった二人きりの教室で、キスしようとすると、背の高い大沢に押しつけられるようになる。右田は「わたしが上げるものだからポーズが違うように思う」と言って大沢を椅子に座らせ、自分の位置を高くして目的を達成する。TVをみてこのシーンを彷彿とさせた。わたしのふる里同様、村には店も、医者もいない。したがって少年・少女たちの楽しみは海で遊ぶという素朴な遊びしかない。噂によると大沢の母は離婚して実家に戻ってきたらしい。実家というのは野菜をリヤカーで引き売りしている、右田のお爺さんだ。都会から来た大沢は取っつきにくいが、そよはそれが良くて段々心を通わせて行く。海に行くとき「自殺した人のお化けが出るから決して通ってはいけない」とい道を大沢は行く。そよもおずおずと付いていくと「二人きりになりたかったから」という答えが返ってくる。八岐大蛇を対峙する素戔嗚尊の神事が奉納される夏祭りの夜のこと。今までチョコは弟にしかやることがなかったバレンタインデーの事。地方に住んでいればみんな味わったであろう疎外感を叙情的に歌い上げる。ある時そよの父(佐藤浩一)がが大沢と電話していると、いきなり電話を無理遣り切り、「大沢の家とつきあうことは許さん」と激怒する。その理由は広海の母と恋仲にあったのだが無理遣り引き裂かれたのが理由ではないかと分かってくる展開は良くできている。
▼付添の教師3人に生徒2人の東京への修学旅行で広海の元同級生が「プレゼント」として取り壊したコンクリートの塊を投げるシーンも秀逸である。そして高校進学試験になる。広海は丸刈りの坊主頭になるのはイヤだから東京の高校を受けようかと迷う。しかし合格発表の日、二人は手を繋ぎながら同じ電車で発表を見に行き、「合格」のオレンジ色の封筒を二人一緒に持ち帰る。広海は坊主頭になり、そよは真新しい高校の制服に在校生たちはまぶしさを感じる。くらもちふさこの大人気漫画「天然コケッコー」が原作。そよの母を演じた夏川結衣は、こういう農家の嫁役を演じる事ができるのかという位演技は良くなった。銀座シネスイッチ。「大房岬要塞の取材余話」は火曜以降になります。

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August 04, 2007

東京湾大房岬要塞跡を訪ねる

Hasshadai
 新藤兼人監督の最新作「陸(おか)にあがった軍艦」を初日初回に見に行った所、監督が舞台挨拶で次のように語った。「軍隊の悲惨さだけを強調しがちだが、本作品は冷静に見たら滑稽であることも強調した」と。映画の中では木製の戦車に木製の擲弾筒をもって体当たり訓練をする。鉄の戦車に人間が体当たりした位で勝てる筈はないのだが、ノモンハンでは「戦車の数より兵隊の数が多いから1人が1両爆破すれば勝つ」という珍妙な論理がまかり通るのが軍隊だ。
 日本の主要港湾を外国の攻撃から守るという目的で、函館始め全国で要塞建設がはじまったのだが、その一つが「東京湾要塞」である。明治13年に砲台の建設に着手されている。さらに明治20年には東京湾防御10年計画が立案される。第一次大戦までは軍艦が主力の戦いなのだが、第二次大戦になると航空機や潜水艦の存在を無視できなくなり、要塞の考え方も次第に変わってくる。つまり航空機からの偽装対策も必要になり、かつ爆撃に耐えられる砲側部のコンクリートの厚さが3mにもなる。
 当然要塞は軍事基地なので一般市民が立ち寄ることなど出来ず、憲兵隊や特高警察が市民を監視し、戦争中は東京湾側の列車の窓は鎧戸を下ろす事を義務づけられていた。では装備する主砲はどうするか?軍艦を狙うには強大な砲でなければならない。おりからワシントン軍縮条約で日本は軍艦の総トン数を減らさなければならなかった。そこで標準が当てられたのは、廃船になって除籍された戦艦「鞍馬」か「伊吹」(と推測される)の20センチカノン副砲2門が大正18年、大房岬砲台に設置される。当然敵艦を挟み撃ちする必要があるので、もう一つは対岸の剣崎砲台に設置された。
 要塞地帯は陸軍に所属していたが、海域部は海軍横須賀鎮守府の管轄になっていた。そして不思議な事が起きたのは昭和16年12月8日対米開戦の夜の事だった。一隻の潜水艦のスクリュー音を日本軍は捕らえた。そして潜水艦めがけて一発の砲弾が発射されたが、船はどこかに去ってしまった。ここから実弾が発射されたのはこの一発だけだったらしい。
 今回取材にご協力下さったのは相沢伸雄さん(NPO法人南房総文化財・戦跡活用フォーラム理事長)である。相沢さんは教職に就いていたが、この戦跡を紹介することで、平和の大切さを今にアピールしたいという一心で早期退職をし、この運動に情熱を傾けていらっしゃる。まず砲台跡を見る。そのあと探照灯跡、監視台跡を見る。日本軍にはレーダーはなかったので目視とこの探照灯が物をいう。探照灯敵艦を照らして巨大な双眼鏡のような測定器で距離を測って弾丸を発射する。120トンもある重い大砲を船で運び、海岸からどうやって80mもある大房岬まで上げたかその方法は推測の域を出ない。またコンクリートの厚さと、その技術のすばらしさは今でも十分通用する。さらに海まで下りるとカタパルトのような物が残っている。生き残った人の証言によると、靖国にある人間魚雷1型回天をさらに小型化した、寝て操縦する10型回天がを運んだという。ここが10型の特攻基地になっていたのだ。さらに写真の後ろにある断崖では、山岡部隊という特殊部隊が断崖登攀訓練中に少なからぬ人が命を落としたという。そこではアメリカ大統領暗殺計画をたて、兵士もアメリカに潜入しても不審に思われないよう、長髪で背が高く日常会話は英語を話し、装備も日本軍にはないような最新鋭兵器まで持っていたという。アメリカへの輸送手段もなかったのにこの訓練をする異常さだ。
 軍隊は個を殺し、敵を抹殺する事を目的化するために作られていることだ。一見信じがたい滑稽な訓練も日常化する。相沢さんは「国民投票法が実施される3年の間に何としても戦争の愚かさを遺跡を通して知って貰いたい」と、きょうも汗をかいて車を走らせる。
▼正式原稿は以上。これでも200字ほど長すぎるかも知れない。取材のネタではこの10倍くらいは書ける。明日からは原稿にならなかった取材余話を書くつもりである。ああ盆休みまでにあと2本原稿を仕上げなければならない。

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August 03, 2007

A青龍の事で考える

▼梅雨明けで猛暑なのである。思わず松田聖子の「夏の扉」を口ずさんでしまう。「♪髪を切ったわたしにー(セイコ!)、違う人みたいと、あなたは少しテレタよう」コンサートに行くとこの場面で観客は総立ちになるのである。それなのにわたしは昨日館山方面に行っていた。富山町の大房岬にある戦前の軍事要塞の取材である。これは明日締め切りの原稿なのだ。直前の取材はいかにも付け焼き刃だが、それは仕方ない。今朝一番で書けばよいのだが、朝から会議があるのでこれから出かける。明朝にご期待いただきたいのである。
▼折から話題になっているA青龍の事。彼の叔父さんはモンゴルの社会主義が崩壊するまで秘密警察のトップの地位にあった。このことは佐藤優の「国家の罠」の中に出てくる逸話である。それで彼が今やっていることは母国に対する投資である。この事は「ダカーポ」609号の24ページにスポーツライターの武田頼政氏が「A青龍の八百長疑惑」書いている。曰く「A青龍が外貨獲得のための経済装置として存在し、日本の文化の継承などは配慮されていなっているからです。」「彼は休みの度にモンゴルに帰り、ビジネスにいそしんでいます。A青龍、H鳳、K鷲山などモンゴル人力…」と続く。つまり彼は旧ソ連の目先の利く共産党幹部は経済マフィアになったようにモンゴルのマフィアにつながっているのである。
▼多忙のため今朝は以上。

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August 02, 2007

質から量への転化

▼ようやく梅雨が明けた。ところが我が家は事情があって銭湯に通っている。昨夜はネットで銭湯を探したのだが中々見つからない。1年ほど前に行った家の近くの銭湯は閉鎖されて更地になっていた。探し回った挙げ句、ようやく隣の江東区の銭湯を探し当てた。ここも今日2日木曜日はお休みなので、きょうは別のところを探さなければならない。その風呂までは歩いて15分ほどかかる。だから家に帰るまでにまた汗をかいてしまう。ふと幼い頃を想い出す。なにせ村だったし、内風呂などというたいそうなものは殆どなかった。良くてもドラム缶を改造した五右衛門風呂だ。それで村の中心に村の人たちが力を合わせて公衆浴場を作った。と言っても人を雇うほど豊かな村ではないので、村人が順番で風呂当番をする。たしか中2日休んで3日目に風呂がたった。巨大な木製の回覧板のようなものに当番に当たる村人全員の名前が書かれていた。当番に当たった家は木材や廃材を集めて風呂を沸かし、終わったあとは風呂掃除をしなければならなかった。だが1年に一度廻ってくるかどうかわからない順番が来る日は楽しみだった。
▼村の中心にある風呂までは500mくらいあった。夏は良いのだが信州の冬は寒い。風呂から出て手ぬぐいを(当時タオルなどなかった)ぶんぶん回して家まで帰る途中、凍ってしまって氷柱のようになってしまった。そういえば7年ほど前に行った北海道の阿寒湖のほとりにあったホテルに泊まったとき、バスガイドさんが同じような話をしていた。それによると屋上に温泉があって、髪を濡らして上に向けて引っ張ると凍ってしまい、「鬼ーーぃ」などと言って遊んだということだった。
▼昨晩某男性読者と久しぶりにお会いした。自民党政権の凋落から農林大臣の辞任まで話は弾んだ。さらに某詩人から、もうファウストは全部捨ててしまうとか人生論にまで及んだ。突き詰めた話というのは、愛情を形で表す事は可能かどうか?だった。愛の代償に何を求めるのか。確たる証明の一つは現在のところ性的なものか。あるいは現金の多寡か。金銭で豊かな生活を送る事ができるか。このいずれかではないだろうか?dさがそれも実はかなり曖昧なものであり、こんなに尽くしたのに、こんなに大金をつぎ込んだのに、見返りがない。あるいは見返りが少ないという痴話話、いや渡辺淳一のような一見「美しい日本」、いや「美しい性」というようなエセ小説が生まれるのではないか。というような話で落ち着いた。
▼ふとウディ・アレンの「ブロードウェイと機関銃」に出てくる会話を思いだした。妻を寝取られた男が、相手の男の家の玄関で叫ぶ。「妻を返してくれ」、「いま取り込み中だ」、「なぜそんなに熱心なんだ」、「昔から量から質への転化というじゃないか」、「だれがそんな事を言ったんだい」、「カール・マルクスさ」というのだ。今朝は一日取材で急がしのでこれまで。

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August 01, 2007

ナナちゃんが不妊手術から帰る

▼1年前の29日が退院した日でちょうど隅田川の花火大会だった。1年間休んでいた筋力トレーニングを再開する事にした。腕を頭の後ろで組む上半身腹筋50回、寝たまま足を上げる下半身腹筋30回、スクワット50回、まず腕立て伏せ20回から始めた。▼選挙の結果にガックリしてただ海を見ている人もいるらしい。開票を待つまでもなく結果は分かり切っていたのに…。実績も何もない無名の新人が、号令だけで当選するほと選挙は甘くない。
▼先日土曜日に「陸に上がった軍艦」を見終わって館内から退場する順番を待っていた。普通は立ち見は入れないのだが、この日は新藤監督の舞台挨拶があったので通路にも座らせていた。わたしは67番だったので前から4列目の中央に座ることができた。出口は一つなので観客は監督やスタッフがで終わってから、後方上部の出口から順番に出される。混んでいるので順番は中々やってこない。後ろにいた年配の女性が、「こういう映画若い人に見て貰いたいわね」、「もっと宣伝して欲しい」などと勝手な事を言っている。岩波ホールに来ている人もおおよそ同じような感想を口にする。
▼しかし若い当事者は自分が今やっている事が、政府の情報コントロール化にあり、携帯の利便性という裏側には、自分が監視されている事に気づかない。だから若い人がこういう映画をわざわざ見に来るかと言ったら、それはまずあり得ない。TVで放映されたとしても見ないだろう。映画は確かに良くできている。ともすれば悲惨な面だけを強調する戦争を考える映画が多い中にあって、時にはユーモアを含めて、戦争状況にある人間の滑稽さを強調している。だがその視点は戦争を何らかの形で体験したり、父母から見聞きしている世代でないと理解は出来ない。だからもし若者にこの映画を見て欲しければ、「自分なりの解釈」をつけて説明してあげないと「真剣でこんな事をやっていたの?」という疑問が返ってくるに違いない。
▼もう10年以上も前の事になるが、岩波書店から出ていたミヒャエル・エンデの「モモ」が急に売れ出して、担当者が首をひねっていた。調べたら小泉今日子が「愛読書」として語っていたからであることが分かった。そういう方法で言うなら、小倉優子とか中川翔子(二人ともわたしの好みではない、念のため)に「『陸にあがった軍艦』みて泣いちゃった」とか、倖田來未に「陸軍艦みないと遅れちゃうぜ」とか言わせないと、今までとは違った観客層は動員できない。それとも「フジロック・フェスティバル」にコーナーでも作るか?
▼それも全部できそうにないから、映画制作に一口1万円の出資をする。お金の見返りはないが、その分はチケットの現物で還元される。あとは他力本願でなく、見た人が具体的にどのように良かったか、周囲の人たちにお話しして映画館に足を運んで貰うことだ。
▼飼い猫のナナちゃんが10ヵ月になったので、2日前に病院に前泊して不妊手術をして今朝9時に帰ってきた。前泊させたのは、「当日の朝は食事も水分も与えないように」、という注意事項があったからだ。ネコが3匹もいる我が家でそのような事をするのは不可能なので、3500円別に支払って前泊させた。5日間抗生物質を飲ませ、10日後に抜糸する。というわけでブログのアップロードが遅れたのであります。

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