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August 06, 2007

◇「モン族の少女パオの物語」を見る

▼メルアドを変えて戻って来てしまう読者がいる一方で、メルマガを送信してから昨晩は2人の珍しい方からメールを頂いた。アドレスの一方的な変更は「拒否」という事だから残念ながらそのように理解するしかない。休日はどうしてもアクセス数が減る。ところが昨日は「F木一夫」の言葉が入っていたらそれだけで20件もアクセスがあった。みなさんのご興味のあることはそんなところなのかなとため息が出る。
▼朝食が済んでから映画の上映時間をチェックするため、携帯で「ぴあ」のサイトにアクセスするが、「渋谷」から先が混雑していてアクセスできない。仕方なく一度切ったパソコンを立ち上げてチェックすると、11時半からかと思っていたら、11時15分の上映開始である。泡を食って着替える。といってもパジャマ代わりに着ていたUクロのTシャツは着替える時間がなく、そのままで家を飛び出す。きょうは誰ともデートの約束はないからよいことにしよう。表参道を下りて青学の前を通ると女性モデルがロケをしていた。エビちゃんならサインを貰おう(エビちゃんファンの筈がない。冗談だよ)と思ったが、知らないモデルだったので無視する。先日原稿を2本と言ったが、厳密にいうと「シネマ」は2本セットだから3本である。シネマを書くための時間的なコストは次のようになる。映画は大体2時間で映画館までの往復は2時間。ブログ部分の原稿執筆に1時間、それを原稿用に短くするのに30分で合計5時間半となる。行けば食事もしてくるし、1本のシネマの原稿を書くのにほぼ1日かかっている計算になる。お読みになる方はその辺のところをご理解いただきたいのである。
▼◇「モン族の少女パオの物語」(原題は「石垣越しの笛の音」だ)ベトナムの少数民族モンは山の奥深いところに住んでいてまだ日本の明治時代のような家父長性が残っている。少女の家は家柄が由緒ただしく、一族の長を勤める父親は男子の出生だけを心待ちにしている。だが生まれて来たのはパオという主人公の少女だったので、出産祝いに駆けつけて来た一族は「何だ女じゃ役に立たない」と落胆して帰って行く。父には最初の女キアがいたが、子どもを産むことが出来なかったので、出産するために連れてこられたのはシムだ。しかしシムも女の子を産むことしかできなかったので、遠くの町に出て行ってしまう。そして生まれたパオを育てるのはキアの役目となる。
▼そして20年後の育ての母キアが逆巻く流れの岩に真っ白なスカートを残してどこかに姿を消してしまう。一族は総出で探すが見つからないので、自殺して死んでしまったに違いないと遺体が発見されないまま葬式をする。ところが父が急病になり、昔の女の名前を呼ぶので気の毒に思ったパオは実母を探す旅に出ることになる。そこで再び5年ほど前の話になる。パオが町に出て手作りで作った小物を市場で売っていると一人の笛を吹く青年が彼女をじっと見つめている。そして彼女の家を突き止めて家の外で笛を吹いて出てくるように誘う。やがて気脈を通じ合う若い二人。笛の青年は自分の近くの祭りに招待する。茶屋でひと息入れようとしていると、いなくなった母が着飾って誰か男とにこやかに会話しているではないか。パオはお茶を注文したにもかかわらず脇目も触れず「汚らわしいお母さん」と思って逃げ帰る。やがて母の相手は笛の青年の父親だったことが分かる。つまりパオと青年は異父兄妹だったのだ。
▼再びバスに乗って育ての母を探す旅に戻る。バスとジープを乗り継いで徒歩で10日余の道のりで目的地にたどり着く。家を探してベッドに身体を横たえている疲れた母に声をかけると「夫」が戻ってきて再びパオはその家を飛び出してバスに飛び乗る。途中の休憩所でお茶を飲もうとすると母にそっくりの姿を見つける。バスの物陰から見ていると笛の青年の父と暮らしている母の姿を確認する。彼女は姿を見せないまま再びバスに乗る。泥で汚れた窓からは見えないパオを見送る二人の姿が見える。
▼そして家にたどり着くと父を一生懸命看護している養母の姿があった。ベトナム版三益愛子(古すぎるか?)の「3人の養母」というような内容の話だ。現実の主人公が最後に登場し、「人間にはそれぞれ抗うことのできない運命というものがあるのだ。しかし人間はどこにあっても死ぬまで命を大切に一生懸命生きなければならない」と語るのが印象に残った。渋谷シネアミューズで2006年のベトナム映画で第79回アカデミー賞外国語映画部門を受賞した作品。人生きれい事だけではすまないことがたくさんあるのです。とてもよいのでぜひご覧頂きたい。

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