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August 24, 2007

夏と蚕を飼育した想い出

▼「半島を出でよ」は上巻を寝る前に3時間ほどで読み終わった。エンターテイメントでそれほど面白くもない。ただ下巻の巻末にある資料■軍事&安全保障・特殊部隊・兵器・武器の部分にある書籍はわたしもかなり持っている。きょうは午後から学校の後期授業が始まる。そして夜はC市内で編集会議があるので、結果として総武線の始発から終点まで一往復するので、下巻は簡単に読み終えると思う。
▼朝刊を見ていたら本のCMに目が行った。それは「大人のための『ローマの休日』講義」というのだ。サブタイトルに「オードリーはなぜベスパに乗るか」とある。わたしの住んでいるマンションの隣にあるのがベスパの倉庫である。あーあのグレゴリー・ペックが扮する新聞記者が乗っていたのが、ベスパだったのかと改めて思いだした。もうこれも10年以上前の話なのだが、先日亡くなった藤岡琢也がTVドラマで新聞記者を演じたことがあった。そのとき駐車場の心配がないので、という設定で自分の所有するベスパを使って撮影したことがある。
▼駐車禁止の取締が厳しくなってから、宅配業者のみなさんもご苦労なさっているようだ。わたしの家に来る宅配業者も、集積所からリヤカーで荷物を運んでいる。うーんこうなると若くて体力がないと宅配の仕事は勤まらない。リヤカーというのは最近では地震などの災害があったとき便利だという事で見直されている。わたしの幼い頃は農作業にはリヤカー全盛時代だった。蚕の飼育は春、夏、秋と3回あったような気がする。米の収穫は年に一度だから現金は秋の脱穀が終わらないと手に入らない。繭は出荷すればすぐお金になるから、農家にとっては野菜や果物の生産が盛んにならなかった当時にあって、農家の貴重が現金収入だった。蚕が小さいときは、エサである桑の葉を包丁で細かく刻んで与える。蚕が大きくなるに従って葉を切るは幅が広がっていく。最終段階になると桑の枝ごと切り取って蚕の上に載せていく。最初は背負子で運んでいた桑もその頃はリヤカーでないと運ぶ事ができなかった。
▼わたしの実家は、実は蚕を飼っていた小屋(蚕室)を改築して現在の形になっている。そこには当然蚕と一緒に人間も住んでいるのだが、蚕が大きくなるに従って、人間の居住スペースが次第に狭くなっていく。最終段階になると人間様は一部屋に押し込められる。そしてミシミシという蚕が桑を食べる音を聴きながら眠ることになる。そして夏は花火が子どもの楽しみであった。それにも関わらず、煙火が蚕の生育に悪影響を与え死んでしまうという事で花火遊びをさせて貰うことが出来なかったことを想い出す。

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