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September 19, 2007

那須与一裏ばなし

Yoitizo源平合戦800年のモニュメントの与一。クリックすると画像は大きくなります。
▼ブログに毎日執筆をはじめてから2日前に1000回を超えた。それまでもWebの日記に書いていたから連続するとその3倍くらいにはなると思う。今朝は薬がなくなる直前なので、いつものクリニックに行く。次回は血液を採取して再度脂質チェックをしましょうということになる。昨日のアクセスを分析するとN県から3件のアクセスがあった。そのまえの日はわたしの実名で検索している人がいた。毎日アクセスを分析しているので、通常とは違う動きがあるとすぐ分かる。何かわたしについて知りたいことがあれば、身分と職責を明かして直接メールを下されば良い。このブログに全部自分の本当の事を書くほどわたしはお人好しでもない。
▼今回旅先でブログとWebを更新することができたのは、ノートパソコンを持参したためだ。ノートを色々使ってみたが、1年前にP社のWシリーズに切り替えた。小型のものはS社など数社で出ている。しかし小さすぎてもキーボードが使いにくかったり、光学式ドライブが別売りだったり、電源の容量が少なかったり、頻繁にモデルチェンジをしたりすると困る。P社のは軽くて頑丈だし、キーボードもそこそこある。これで最低5年は使えるだろう。それに宿泊する施設はすべてLANケーブルが各室で使える事をチェックしてあった。最初に泊まったところはフロントに「パソコンを使いたい」というと「ケーブルが必要」と言われたので、「持参した」というと、「ホテルの独特の形式がある」と言われる。借りたものを見ると確かに、昔のモデムのようなものがついている。それをパソコンにつなげてスイッチオンにすると、最初にホテルの案内が流れる仕組みになっていた。博多では単にLANケーブルを挿すだけで使うことができた。いずれも高速回線で自宅で使っている光と変わらなかった。航空機に乗ったとき、パソコンに衝撃を与えずに運ぶには、それなりのキャリーバッグが必要になり、それも買い替えた。
▼さて那須与一裏話である。平家物語裏面史を牟礼町の「源平まつづくり協議会」がリーフレットにまとめており、地元の歴史家の近藤敬司さんが書いているので抜粋してご紹介する。わたしは「正史」より「裏面史」が好きなのである。那須与一の弓は何メートル飛んだのかという人がいるが、祈り岩から平家の女官である玉虫前の扇まで編集長が見たところ30mくらいだった。与一は扇を落としたあと頼朝から5つの国をもらい、そこの地頭になった。地頭というと今の県知事、税務署長、警察署長と同じ3つの絶大な権力を持つ。しかし地頭制度は頼朝が作ったばかりで、実際与一がどんな良い思いをしたかは不明だ。もう一つの褒美は那須家総代に任命された。しかし彼は11人兄弟の末っ子だったので、兄たちの機嫌は悪くさぞかし居心地が悪かったに違いない。
▼戦いから那須城に戻った与一は、短い期間に寺や墓をたくさん建てる。もらったものはすぐ使ってしまわないと、明日は何が起こるか分からないと考えたに違いない。現実に屋島の合戦が終わったのは3月で、翌年9月には与一の親方義経は追われる身になっていた。といいう訳です。

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