« ◇「ヘアスプレー」を見る | Main | 軍事には必ず利権が伴う »

October 23, 2007

「学徒兵、許されざる帰還」を見る

▼「♪これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛」これは松坂慶子が昔唄っていた「愛の水中花」という曲で作詞は五木寛之だった。またCDなどなく、45回転のドーナッツ盤のレコードジャケットは網タイツでバニー姿の彼女だったので、つい買ってしまった。いまあるサイトを見るとこの歌に引っかけて「これもウソあれもウソたぶんウソきっとウソ」と揶揄している。)(この部分の具体的な引用部分はわたしである)
▼「学徒兵、許されざる帰還」NHK21日午後9時を見た。それまで不勉強だったのだが、特攻には海軍の特攻隊と陸軍の特攻があったのだ。海軍は陸軍に先行して行われた。それで陸軍は焦って特攻隊を組織する。海軍は新鋭の零戦(「レイセン」と呼ぶ、当時敵性用語の英語でゼロなどと言う筈がない)はなかったので97式を使う。訓練する話も出てくるが、一番効果的なのは敵艦の上空45度から突撃するのがもっとも当たりやすい。しかし速度は出るが、一式戦闘機「隼」は時速320キロ以上の速度になると加速に耐えきれず空中分解してしまう。それで敵艦に水平に当たるように操縦するのだが、それはもっと難しい。陸軍第六航空隊が訓練しているときも海軍から「何をしているのだ」と批判が入るので必死に訓練をする。
▼しかし性能の悪い戦闘機で出発しても、実際は航空不能になってしまう例が97式の場合はとても多かった。「征ってくる」と二度と生還しないつもりで出かけても途中で海上や島に不時着して帰ってくる兵士が次第に増えていった。ここで取り上げられた陸軍特攻隊は「震武隊」と呼ばれた。そして不運にも生還した兵士が入れられたのは福岡にあった「震武寮」といわれた監禁施設だった。そして態度の悪い将校に「なぜ生きて還ってきたのか」と連日責められた。出撃した特攻隊の兵士の数は1276人で生還した兵士は605人で何と半数が生きて戻ってきたのだ。さらに沖縄まで到達したのはそのうち1073人だ。
▼彼らは出撃するとき拳銃を渡され、弾が二発入っていた。そして一発はエンジンを破壊するために使い、2発目は自害するためにつかえと言われていた。しかし学徒動員で知的水準が高い彼らに「天皇のために死ね」などという道理が通じる筈はなかった。だから自害せずに戻ってきたのだ。そして彼らを「俺も後から君らを追って死ぬから」と言ったのは今朝の朝日の天声人語の最後の方で名前が伏せて書かれている、菅原道大中将、で彼は戦後ののうのうと生き抜いて92才で天寿を全うしている。
▼テレビで自分が生きていることを恥じて、なくなった戦友を慰霊するために全国を行脚している島津等さんのような人もいるのだ。昨日読んだ五味川純平の「ガダルカナル」でも分かるが、日本の場合は陸軍と海軍がアメリカと違って連携作戦というものをした事がなかった。声の大きな辻政信のような参謀に引っ張られて戦局を冷静に分析できないものが、兵士に食料も与える事ができず無駄な戦死をさせる事になったと指摘する。酒など飲んでいて見逃した人は、今晩深夜0時20分から再放送されるので録画しても見ると良い。

|

« ◇「ヘアスプレー」を見る | Main | 軍事には必ず利権が伴う »