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March 31, 2008

◇「ビルマ、パゴダの影で」を見る

Bokutei2(墨堤の桜)
▼わたしたちがミャンマーと言って何を思い出すか?パコダ、スーチさん、軍事政権、かつての「ビルマの竪琴」くらいだろう。先日NHKBSでこの映画が再放送されたので、1956年の小学6年生の頃に見た。この映画を再度見て、「なるほどこういう映画だったのか」と思った。その戦争中の侵略に対する反省として日本はもっとビルマ民主化の為に力を尽くしてよいのではないかと思う。
◇「ビルマ、パコダの影で」スイス人のジャーナリストマティアス・ケリンさんはあるとき一度ミャンマーを訪問してその素晴らしさにすっかり魅せられる。と同時に寡黙なその国の人たちに疑問を感じる。帰国して国連難民弁務官関係者に聞くと、この国ではたしかに人権抑圧が行われていると言う。そこで彼女は取材ビザの発給を求めるが拒否される。しかたなくスイスの国内向けにミャンマーのPR映画を撮るという目的で入国する事に成功する。しかし取材に行ってもこの国の公務員が取材スタッフにピッタリ寄り添って、国民の声などきくことができない。もっぱらパゴダなどを撮影するだけだ。しかしミャンマー政府の派遣して案内人が帰ってから朝までの時間はある。その隙を狙って少数民族の住む場所に現地案内人の手引きで訪れるが、最初はみんな何かを警戒して押し黙ったままだ。
▼そのうちタイとビルマ国境に難民がいるらしいという事が分かり、今度はタイ側から国境を目指す。しかしタイ側も難民が増えるのを警戒して、今では追い返したり、現ミャンマー政権に通報している。実はビルマには少数民族がたくさんいる。そして宗教も仏教だけと思われがちであるが、実際には多くの回教徒もいるのである。「国家統一」を目指す現政権はその少数民族の人々がジャマで迫害・弾圧をつづけてきた。その実例として土地を持っている人たちに、外貨を導入して観光施設を作るとして強制排除するのである。
▼少数民族の人々もただ黙って無抵抗状態でいるわけではない。ある難民キャンプには両親を目の前で殺害され、子どもだけで1ヶ月も歩いて逃げて来たという少女もいる。そして無抵抗ではこのミャンマーは安心して住める国にはならないとして、少数民族ごとに武装抵抗組織が作られて、組織的な軍事訓練も行っている。その一つにカメラは入るが、学生運動からこの組織に発展したという青年指導者は目の輝きからして違う。そして逃げてきた少年少女のために学校を建設して、少数民族の言語のみならず英語や数学、などもちゃんと教えている。つぶらな瞳の少女たちにマーティー監督は聞く、「将来何になりたい」と。すると少女たちは「教師」、「古里に帰って先生になりたい」と豊富を語る。
▼近隣の中国などの石油、鉱山利権と結びついた現政権は、文字通り私服を肥やすために少数民族を抹殺しようとしている。しかし少数民族の誇りまでは消し去ることはできないのだ。渋谷アップリンクで。渋谷東急本店の先にある20席くらいの小さな映画館である。
▼1日前と違ったあまりにも寒かったから、ユーロスペース入り口にある「ちりめん亭」でラーメンを食べた。映画終わってから小雨が降り始めた中をWまで歩く。わたしのように順番を待っていた人たちが押しかけて来ていた。荷物はとても重い。それに桜の咲くライトアップを何点か撮ろうを思ってカメラを持参したが、雨と荷物の重さで参ってしまい、まっすぐ帰宅した。
▼昨日から「MINさんのあたふたチュニジア訪問記」の連載(不定期刊)をはじめました。『鍵盤乱麻』HPトップページか、昨日のリンクからご覧下さい。

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March 30, 2008

NHK「刑事の現場」を見る

Geikosan(こんな芸者さんがお茶を出してくれる、墨堤で。クリックすると拡大します)
▼昨晩放映された「アドマチック/隅田川」は大体わたしの行動範囲になる。ただしわたしはグルメではないし、健康上の理由で肉類、卵、乳製品、甘味は一切食べないので、それらの店にみなさんをご案内することは出来ない。まだ「どぜう」は姿を見ただけで逃げ出したくなる。昨日は予告したとおり、午後から墨堤通りを歩いた。最寄りの私鉄駅から浅草まで15分程度で浅草に出た。吾妻橋から駒形橋を渡り、墨田区側に移動して桜橋まで渡る。そして振り出しに戻ってから、あとは全部自宅まで歩いて帰ってきた。ゆっくり歩いたから3時間くらいだった。足に自身のある方ならば、このコースの観光案内をしながご一緒することはできる。観光案内の場合言問橋東詰めにある「上総屋」という小料理店で打ち上げとなる。
▼家に着く直前に携帯に見知らぬ番号が点滅した。出ると渋谷にあるW社からだった。昨年のクリスマスイブあたりに、あるモノを大金を払って予約した。度々引き延ばされるので「もしかして詐欺かな」とも思ったがネットではなく、わたしは現物を確認して申込みをしているので間違いなかろうと思って待っていた。じかし時間が時間で、昨晩の疲れが残っていて渋谷まで出かける元気はなかったので、日曜日に行くと返事をして電話を切った。
▼NHK土曜ドラマ「刑事の現場」を2回目から見ていたが、昨晩で終わってしまった。偶然気がついて見始めたので初回は見逃したが、現在の所再放送の予定は決まっていない。ドラマの大筋はいわゆる所轄署が舞台である。どこの警察や検察など国家公務員の組織もそうだが、腕の立つのは特捜や県警などに引き上げられてしまう。1月頃だったが長野県松本で特急から下り損ねた副検事が、一つ先の駅で気づき「公判に間に合わないから下ろしてくれ」と緊急停車させた事件があったが、この副検事も調べてみると事務官上がりの検事であった。つまり優秀な検事は中央に引き抜かれる。地元ではそれほど重要な事件も起きないと考えている副検察は司法試験に受かっていない事務官に特別の教育をして、正式には副検事として仕事に当たらせているという事が分かった。だから検事補がダメという訳ではないが、寝過ごして自分の都合で緊急停車させるなど「ゆるい」のである。こんな自分勝手な事をしていていいのだろうか?
▼話が逸れてしまった。団塊の世代の刑事それに鑑識や巡査が始まろうとしている中、その技を若い世代にどうやって伝承していくかが、このTVドラマのテーマとなっている。最終回は刑事(寺尾聰)が昔犯罪に関わっていた男の家を訪ね、出産祝いを渡し夫をそれとなく外に連れ出し犯罪のあった「12日は何をしていた?」と事情を聴く。刑事は犯罪をしたものをただ逮捕して終わりにするのではなく、出所したあとも更正するように就職するときの身元保証人になってやったりしている。所がその夫はそれをもう自分が容疑者にしていると逆恨みして、深夜歩いている刑事を後ろから遅い頭に大けがをさせる。しかもそのあとトカレフを使ってバスジャックまでしてしまう。ここで寺尾の部下の若い刑事森山未來(演技がとてもうまい)が丸腰でバスに接近し説得に当たろうとする。しかも森山の父親も昔刑事をやっていて、犯人を説得しようとして失敗し殉職していたのだ…。
▼最近のドラマや映画の傾向として容疑者を射殺して終わりというものが、アメリカの映画の影響を受けているせいかとても多い。だが犯罪を起こした原因をさぐらなければ、問題は再発するだろうし、悪循環である。良くも悪くも団塊の世代の所轄の刑事が県警のやり方に反発しながら地道に捜査に当たっていくというのがテーマになっていて見応えがあった。
▼チュニジアにご一緒したMINさんの「あたふたチュニジア訪問記」の連載が始まりました。どうぞお楽しみに。

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March 29, 2008

辻井喬の講演で感じたこと

Bokutei(29日午後墨堤で)
▼昨晩は何か行きがかり上、カラオケボックスに行って自宅に着いたのは午前零時頃になってしまった。夜更かしは身体に良くないような気もするが、カラオケには5年ぶりくらいに行ったような気がする。わたしの場合ストレスを溜めるのがもっとも悪いので、たまにはカラオケでリラックスするのも良いのだ、と自分で納得する。先週はTVで懐メロ番組が2つあって両方とも見た。わたしが一番印象に残ったのは「東京」である。作曲家である男性は当時名古屋に住んでいて東京まで週一回だったか、月2回だったか彼女に会うために上京していて最終の新幹線で名古屋にもどって行った。その電車の中でこの歌詞を作ったという。そしてこの「東京へは、もう何度も行きましたね」と歌い終わってから、二人の恋の結末が紹介されたが、こういう話を聞くだけで泣けてしまう。某読者は「神田川」だそうで相手の男性(現在の夫)と銭湯を出る時の合図を決めていて、それが確か(酔っていてはっきり覚えていない)が鳥の鳴き声を口笛で合図をした。ところが「神田川」の歌詞とは違って待たせていたのは常に自分の方だったという。
▼NHKTVニュースを見ていたら、土浦市にある入間基地霞ヶ浦分屯基地にPACK3ミサイルとXバンドレーダー(らしいもの)が今朝未明に運び込まれたという報道をしていた。その画像を見ると午前2時頃なのに基地の入り口で何やら旗を掲げて抗議行動をしている人たちが映っているのにそのことは一切無視して、何も報道しない。NHKって本当におかしい。その一例が衆参逆転現象で一つの法案が参院で否決され衆院で再可決されるとき「憲法の規定によって、衆院の議決が優先される」と必ず一言付け加えるのだ。とすると「憲法に違反した自衛隊は」と言わなければ公平とは言えない。憲法に違反している例は山ほどあるがNHKはそういう事実にはほおかむりして、政府与党に都合のよい部分だけを「合法」と声高にアピールすのである。
▼わたしがリーダーを使って読んでいるブログの一つにMという編集者が書いているものがある。その最近号で全日本民医連の総会で作家の辻井喬(堤清二)さんの講演の一部が引用されていて印象に残った。さっそく同団体のHPを見たが最新号はアップされていないので、M氏のブログから肝心の部分を引用したい。3月24日付の「全日本民医連新聞」に掲載されているという。
 「また、考えるべき点として、『議論に勝っても相手が敵意を抱いては勝ったことにならない。議論と生活感情が離れてはいけない。理論と感情がバラバラで構わないという態度が、理論を弱くする』と指摘しました」。という部分である。
▼ブログを書いているとアクセス数が麻薬のようになって書くのを止められなくなるのである。それで「ブログランキング」とかに夢中になって参加する人たちがたくさんいる。しかしブログランキングで上位になっても、一部マニアと「空中戦」をしているのが「快感」になるだけで、世の中は変わらない。むしろそのことで反論したりしてストレスが溜まるだけである。という訳で土日に執筆するのは明日30日で終わりとなる。本当はこれから映画と行きたいところがだ、天気が良いのでおそらく墨堤通りの桜見物になろう。

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March 28, 2008

◇「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)」を見る

▼学校の新学期に向けての教職員会議があった。会議が終わって持参した弁当を食べていると何人かが弁当を覗き込んで、「愛妻弁当ですか?彩りがいいですね」とか話しかける。学校職員のMさんは「若かった頃、夫が一度だけ弁当を作ってくれて、卵焼きがとてもきれいに出来ていた。職場に持っていって食べていたら、みんなに『どうやって作るの?作り方を教えて?』」と言われたがグッと詰まってしまい、それきりになってしまったという話をしてくれた。先日の卒業式の写真を撮ってCDに焼いて送ったのだが、「どうしても開かない」と言われて冷や汗をかいた。自宅に持ち帰って調べたが何も問題なく開くことができた。実は焼いた後はHDDからデータを消去してしまっていたのだ。おそらく読みとる側のCDドライブとの相性だろう。帰る途中秋葉原で途中下車をしてCD(DVD)プレイヤーを探した。いつもの店で1980円という中古で保証書がついている物件が見つかったので、さっそく買い求めてきた。クラシックのCD1枚相当の値段である。さっそく接続してグレン・グールドの「ゴールドベルク協奏曲」を再生してみた。誰も部屋にいなかったし、スピーカーだけは良いモノを買っているので、聴くと限りなく実際の音に近く聞こえてきた。
▼たわいのない話を2つ。先日夜遅くケーブルTVで「西部警察」の古いのをやっていた。登場する主人公はジョー(御木裕)で病原菌を背負って抗体の注射をしなければ生き延びられない。そこに東京都の下町にある浄水場に汚染菌を撒くと脅す犯人。ジュラルミンケース1個に入ったドル札を用意させる。ドル札が警察に持ち込まれた時、裕次郎扮す売る課長が「都知事の許可がでた」というセリフがある。現実との公私混同の新銀行対応時期と絶妙のタイミングに驚いた。
▼そして昨晩テレビを見ていたら「シカト」という言葉を卓球の福原愛ちゃんの口から出てきた。わたしは知らない言葉だったのですぐ辞書を引いた。すると「(花札の紅葉の札の鹿がうしろを向き知らん顔しているように見えることからという) 相手を無視すること。「―する」とあった。これで今晩は一つ利口になった。
▼◇「パレスチナ1948・NAKBA(ナクバ)」1943年生まれの写真家の広河隆一氏は67年にパレスチナに渡って、キブツダリア(社会主義共同体食堂のような所)でアルバイトをしていた。そのときなぜパレスチナの人がイスラエルに追われてこのような生活をしなければならないか、という事に疑問をもってカメラを持つようになったらしい。その近くにあったナクバでは土地を追われる事に抗議した一般の男女が多数殺害された。調べて行くとそこでは280名の人々が何の理由もなく、後ろ手に縛られたまま銃で撃たれている。広河氏の原点はこの「疑問」を持ったことと、食堂で働いていて出逢った人々を追跡することから始まる。
▼一方ではホロコーストを経験したことを世界中にアピールしているユダヤ人の人々。取材していくなかである一人の老人は「ホロコーストとは結局ユダヤ人の自分たちさえよければ良いという利己主義なんだよ」という言葉は的確にその実体を述べている。広河はキブツダリアで出会った一人の6歳くらいの少女の事を覚えていた。彼女には確か姉さんがいたはずである。尋ねると「パレスチナゲリラに入って戦っている」とAK47を持って仲間と映っている一枚の写真を見せられる。広河は必死に消息を確かめるとシリアだったかどこかの収容所に入れられ拷問を受けていることが分かる。そして広河は弁護士を通じて彼女との接触をもち、ようやく釈放させることができる。その後は彼女の成長と看護師になって、最後は結婚して子育てするところまで映像で追っていく。
▼イスラエルの人々はこの土地は南アフリカの富豪から買ったというが、入植地には立派な家が建てられたり、280人が殺害され埋められた場所は今海水浴客の駐車場に変わっている。理不尽な土地収奪は何によって起こったか、そして土地を追われた人々はなぜ抵抗せざるを得ないか、広河の冷静なレンズは告発する。渋谷ユーロスペースで。

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March 27, 2008

爆笑問題ニッポンの教養in京大を見る

▼今朝も早くから会議であるので、手短に書く。25日のNHK夜10時からの「爆笑/京都大学編」をご覧になっただろうか?テーマは「創造力」で京都大学に行って早朝始め、6人の学者と討論をする。場所は大くて「けやき会館」くらいの広さはあった。そこで田中は物理系は正しさが簡単に証明できる。しかし文系は証明するのが難しいという論議をはじめる。その問題提起に切れてしまうのは中辻憲夫(発生生物学)教授だった。田中は物理だって、仮定の上に論理を組み立てているのではないかという。理系は数学や数値でそれは積み重ねて証明されると反論する。
▼昨日書いた、「マルクス」についても自称右派の論客という佐伯啓思(社会思想史)
教授が説明する。その論文が出たときは、みんなが共感をもって支持された。しかしソ連崩壊でわかるように約100年後、もしかして間違っていたのではないかという論理もでてくる。そこでわたしの論理になるが「科学的」というまやかしの哲学である。正しいと思ったら「マルクス」や「科学的」などという言葉を使って剽窃する必要はない。昨日「レインボー」に投稿された水玉さんの一文の最後から3行目を読ませていただいて、学問つづける難しさというのを感じた。
▼NHKBS2晩目の「カストロ/ゲバラの素顔を語る」を見た。インタビューするのは、フランスの新聞「ル・モンド・ディプロマティーク」のイグナシオ(イニャシオ)・ラモネである。この日カストロはいくつかわざと間違えて(誤魔化して)発言している。イグナシオが「ゲバラはトロツキー主義者でしたか?」に対して、カストロはしばらく考え「いやーそんな事はなかった」トロツキズムとは言わばスターリンが自分に反対する集団をそう読んだだけである。思想としては「世界同時革命」だが、ゲバラは著書を読んでもそのような考え方を持っていない。この部分はカストロは正しい。そして明かな間違いは「ゲバラはソ連に反対していたか?」に対して「いやむしろゲバラはソ連よりだった」という。これは国連の演説でゲバラはソ連を非難しており、ソ連を支持していたのはカストロの方である。そしてボリビアやコンゴの失敗は、組織活動に慣れていない連中を連中を連れて行ったゲバラの見込み違いだという。さらにボリビアでの戦闘はすべてリアルタイムで知っていたというのは、会話の中ででてくる同じゲバラの別の部隊と連絡が取れなくなっていたための失敗だった、という事と矛盾する発言で失敗を知ったのは、2ヵ月後くらいに生き延びた数人がキューバと連絡を取ることが出来てからである。
▼今キューバでは思想建設という中で清貧で革命的気概を持ち続けたゲバラが再評価(利用)されている中でのカストロの彼に対する位置付けをかいま見た。

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March 26, 2008

チュニジアの7日間という手記を発見

Susu(スースでも首から携帯をぶら下げる情けない姿よ)
▼またニフティのブログにトラブルが発生している。事前に予告がある定期的なメインテナンスならば対応が事前に出来るがいきなり24時間もだから困ったものだ。ニフティにはちゃんとしたプログラマーはいないのだろうか?思うに基幹のサービスをしっかりしないで、携帯対応やトラックバックの部分をいじっているときにトラブルが発生する事が多いように感じる。
▼昨日の朝日都内の夕刊8面にチュニジア料理の店が紹介されている。チュニジアにご一緒した方にはご紹介したが、千駄ヶ谷の「H」という店である。写真には「クスクス」が紹介されている。シェフによると、「バターは一切加えず、オリーブオイルで調理します」と言っているので、現地で食べた味と同じ筈だ。店内は「チュニジアン・ブルー」で統一されているというから、興味のある方はどうぞ。以前一度書いたがこの店の存在は、わたしの担当医から「事前学習にどうぞ」と言って紹介された経緯がある。
▼「チュニジア」でネット検索をしていたら、ある政治家が9年前に書いている「チュニジアの7日間」という連載記事に出あった。連載の中で歴史と観光について書かれているのは16回から18回までの3回である。その政治家F氏がなぜチュニジアに興味をもったかが興味のあるところである。つまり非同盟諸国会議がユーゴ崩壊と指導者チトーの死で事実上崩壊してしまった。その後政権をスムーズに移行できた国として、事実上立憲君主制とも言えるこのチュニジアに興味をもったのだろう。もちろん招待されて会議に出席したわけではある。
▼帰国してから色々調べてみると、第一次湾岸戦争でアラファトが、イラクを支持してから中東の各国はかなり混乱したらしい。そしてチュニジアの「イスラム原理主義」勢力もそれに余勢をかって反政府運動を起こそうとしたらしいが、政府のいち早い対応でそれは鎮圧されてしまったらしい。隣のアルジェリアなどではそれが出来ていないのは、様々な歴史的経過があるのだろう。しかし観光立国として安定しつつあるチュニジアにとってそういう道の選択肢はなかった。だから今にして思うとアルジェリア国境の警備が一層厳しかったのだろう。
▼F氏が観光見物で見ているのはカルタゴ遺跡やスースの市場、それにバルドー博物館である。カルタゴではF氏らしくマルクスの著書を通じて分析しようとしているが、マルクスはあまりデータがなかったと見えて短い論文でお茶を濁している。だから通俗的な観光案内所の域をでていない。カルタゴやハンニバルを記述した歴史書はたくさんあるはずだが、あくまでもマルクスの著書にこだわり。金科玉条のようにするのはF氏らしい。それに関連してカルタゴ遺跡に隣接して墓地について書いている。わたしが行ったときはガイドさんが「カメラを持っていってはいけない」というので持参しなくて残念だった。実際禁止されてはいなかった。Fが指摘するのはフェニキア人(チュニジアに住んでいた彼らの先祖)が、子どもを生け贄にしたという話だ。F氏がいったときはまだ、そんな幼子を大勢生け贄にしたという証拠はない、というのが9年前の学説だったという。しかし我々が行った時は、それは完全に否定されて、生け贄には動物が使われたらしいというのが通説だとの事だった。
▼あとカルタゴ遺跡に隣接する広大な大統領官邸に向けてカメラを向けてはいけない、フィルムを没収される、というのは当時も現在も同じである。官邸の周辺あちらこちらには兵士の歩哨所があって監視の目を光らせていた。

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March 25, 2008

NHKBS再放送「カストロ革命を語る」を見る

Neko6(チュニジアの猫6)妊娠していてお腹が大きかった。ホテルのレストラン付近にいた野良猫。
▼木曜日の夜10時頃だったが、友人H氏から電話があった。普通その時間帯は携帯の電源は切ってあるが、この日はオンになっていた。名前を見るとHという友人からだった。向こうから電話があることなど、まったくないのだが、「会って話したい事がある」という。借金とか保証人はお断りするのだが、これから出かける。話というのは今週の土曜日夜に集まりがあるから来てくれという内容だった。話の内容は理解出来たが、土日と夜の外出(仕事)すべてお断りしている。身体は一つ、わたしは残っている時間をもてあましている訳ではないので、その旨をお話しする。
▼昨日調子の悪いミニコンポのCD部分をどうするか友人に相談した。D社まで地下鉄で出かけると往復2時間かかる。親友に修理を依頼しても、部品をそのD社から買ってもその部品だけで4千円はする。さらに手間賃が必要となる。最近秋葉原などでDVD兼CDプレイヤーが単体で3千円から5千円以内で売っているので、必要ならそれを買ってきてケーブルで繋ぐのが一番安いという結論になり、修理はあきらめてしばらくこのままで使うことにする。
▼昨晩NHKBSで午前零時15分から、1年前に放映されたフランスのドキュメンタリー「カストロが語る革命1」が再放映されたので録画して見た。5回シリーズなのだが、1回目は生い立ちからモンガダ兵舎襲撃に失敗するまでで、ここまでは本で知られている事ばかりだが、結構面白かった。襲撃に失敗して3人だけ逃れるのだが、逮捕したバチスタ政権の中尉が、カストロを逮捕した瞬間「決して名前を名乗るな。思想は殺せない」として射殺を免れた話まで、今晩はゲバラとの出会いになりそうだ。

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March 24, 2008

録画した映画をたくさん見た日

Neko5(チュニジアの猫5)
▼管理組合の総会があった。議題はここに書くような内容ではないので省略する。実はわたしはケーブルTVのデジタル回線を1年前から引いているのだが、昨年秋から調子がかなり悪い。それはケーブルで提供される番組だけではなく、地上波にも及んでしまっている。そしてNHKなども常時ではないが時々モザイクがかかったり、音声すら途切れてしまう。もうこうなると船酔い状態で見続ける事ができない。画像をビデオで撮ってDVDに落とし、ケーブル会社に持ち込んで検証してもらった。その結果基幹ケーブルが旧式で細いから、新しいケーブルから直接マンションのわたしの部屋に引き込むという事になった。(およそそんな説明であった)ただそうするには管理組合の承認と、工事をするにあたって、ケーブルが隣の2軒の軒をはわせる。そこで工事をするにあたっての許諾が必要になる。そんなこんなで会議が終わる頃にはケーブル会社が表に来て待機してくださって、理事会に挨拶をしてくださった。さらに欠席者へわたしは工事の説明と挨拶に行く。夜9時頃になってケーブル会社からメールが入ったので、時間とか詰めの話し合いをしねばならなかった。そんな訳で1日中そんな連絡に明け暮れて出かけることはなかった。
▼その代わりHDDビデオに撮りためていた映画を4本ばかり見続けていた。1)「007カジノ・ロアイヤル」、2)「ディーパー・テッド」、3)「守護神」、4)「亀は意外と早く泳ぐ」、5)「京都迷宮案内・最終回」などだった。1)は最近の007のシリーズの荒唐無稽な発想なシリーズに比べると原点に回帰しているように思える。しかしかなり殺伐としていてやりきれない。2)は香港の「インファナル・アフェア」のリメイクである。しかし香港のそれに比べてやたらと人を殺すので見ていてかなり憂鬱になる。3)いかにもハリウッドの「海猿」という先の読める映画である。ルネ・ルッソは「アウトブレイク」と同じ、自分を理解してくれない夫と別れて出て行くという役柄である。4)上野樹里主演で意外と面白かったのはこれ。わたしはこういうナンセンス映画が大好きである。蒼井優のドコモのCMで海外携帯を持っていてパリで、恋人らしき男と再会するという設定は、この映画がベースになっているのかとうなずいた。5)いつも思うのだが杉浦記者の書く原稿を書いている作家はかなり腕の立つ名文家である。
▼データベースにチュニジアで撮ったTVの画像を入れました。とりあえずMOL00AとMOL00Dのファイルがそれで、各1分間です。

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March 23, 2008

◇「ダージリン急行」を見る

Neko4(チュニジアの猫4)
▼昨日のブログで少々誤解があったようですが、「F生」さんは今月3月末で退職しますが、「今後3年間は今のような仕事に一切関わりを持ちたくない」とおっしゃっているという意味です。わたしの表現力の不足でご迷惑をかけた事をお詫びします。もちろんわたしの事ではありません。F生さんの事を若干付け加えます。わたしが、メルマガを送ったり退職後の連絡方法をお聞きしました。すると「高性能GPS(登山用の10万円以上するものらしい)を持っているから携帯も持たない」とおっしゃいます。わたしは「高性能は良いがそれは本人が迷わないで元に戻るためのGPSで、わたしから連絡を取ることができませんよ」と言いました。すると「今後携帯は持つ予定はないし、フリーメールのアドレスでもとりますよ、というご返事でした。メルマガをお読みになりたい方は、一度でもお会いしたことがあれば「紹介者」がなくてもお送りしますので、お申し出下さい。毎月5日と20日の午後8時にお送りしています。本日これから管理組合の総会で忙しいのです。
▼◇「ダージリン急行」父が死亡したことをきっかけに、何かと諍いばかり起こしている3兄弟は、長兄フランシスの呼び掛けてでインドのダージリン急行に乗って人生を見つめ直そうと提案する。映画の本編が始まる前に10分くらいの「ホテル・シュバリエ」が上映され、3男と恋人がフランスのホテルを舞台に「別れと再会」の必要性について語られる。そして本編は走り出したダージリン急行に飛び乗ろうとして失敗するビル・マーレイとかろうじて飛び乗る3男ジャックの話として展開する。指定の急行の飛び乗るが、待っていたのは全身包帯ぐるみになったフランシスの姿にみんな驚く。交通事故で大けがをしららしい。仕切屋の長兄はいきなりパスポートをみんな俺に預けろという。そして急行は走り続けるが、車内の女性職員に手を出す3男や、毒蛇を持ち込んで車掌に下車を命じられる次男などがでててんやわんやになる。
▼そしてついにある駅で強制的に荷物ごと放り出される。ところが下りて歩いている途中、インドの子どもたちが河を渡ろうとしている時、ロープが切れ一人の少年が溺れ死んでしまう。必死に助けた事を認められ歓待される。そして再び駅に向かおうとしているとき、「ぜひ葬儀に参列してくれ」と頼まれる。そんな事で四苦八苦してようやく母が籠もっている山頂の寺にたどり着く。母はすでに自分の世界を持っており、3人の子どもにかまけていることなく、朝になるとどこかに行ってしまう。3人はこれからどうすべきか、山に登って考える。旅をしている最中仲良くなったからこれで良いんじゃないか、という結論に達して再びイギリスに帰国しようという事になるが、チェックが済んで荷物を載せチケット拝見の段階になって、再びインドに残ろうとタラップを踏まずに、走り出したダージリン急行に、今まで持っていた大きなヴィトンのバッグはすべて捨て、身体一つで乗り込む。父が死んだ事などが終わりの方に出てきて分かりにくいが、3兄弟の信頼をインドに行って回復することが出来たというロードムービー。
▼現在この映画は日比谷、新宿、恵比寿で上映している。わたしはどうしても午後2時に自宅にいる必要があって、わざわざ恵比寿ガーデンシネマまで遠出して見てきた。

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March 22, 2008

チュニジアのCDをようやく聞く

Neko3(チュニジアの猫3)
▼今月末にある職場を定年退職することになった友人F生(『鍵盤乱麻』HPトップページ「投稿の頁」で登山の事を書いていらっしゃる方)さんから「チュニジアの話を聞かせてほしい」というメールがあったのは先週の事だった。悪夢のような1週間の仕事も午前中に点検し、メールで納品が終わったので午後から出かけた。F生さんは退職したら「もう今後3年間は今のような仕事には一切関わりたくない」とおっしゃる。では盆栽でもされるのですか、とわたし。同じ職場にいるKさんが「そんな事趣味ではない」という。わたしは3年も持つ筈がない。1年もたてばむずむずしてきますよという。Kさんは「半年がいいとこね」という。遊びや趣味は仕事をしていて時間をつくって出かけるから楽しいのであって、毎日が日曜日だったら、おそらく退屈になっていまうと思う。
▼もっともF生さんは登山家で、モンブランを始め世界のあちこちの山を趣味で登っていらっしゃる。もしかして未踏峰の山を狙うのか?地方公務員だった奥さまも今年定年になるが、「どこに出かけてもいいけどお義母さん背負っていってね」と申し渡されているという。母堂はわたしの母と同い年だが寝たきりで、自宅に引き取って介護をしていらっしゃる。ただ寝たきりではあるが健康状態に問題はない。F生さんはさすがに「背負ってまでしても出かけられない」という事だったから行動範囲は限られよう。定年で時間が自由になってもこういう問題が出てくるのである。そのF生さんの職場に、アルバイトで来ている女性とお目にかかった。彼女の家では20歳になる老犬の介護をしているという。そして犬3匹で猫が6匹いるというからこれも大いに驚いた。こちらはたった3匹で手を焼いているというのに…。
▼昨日届いた「週刊金曜日」を見ていたら「ミXシーの規約が改正される」事が問題にされていた。読者のみなさんも数人は会員になっていらっしゃるのでお気をつけ頂きたい。19日までの案は「本サービスを利用してユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。」だった。これは大変な事になってしまうな、と思った。こうなるともう一切私的なことは一切書くことができない。19日以降は改正案が掲示されており、4月1日から実施される。もし心配の方がいらしたら、「利用規約」をじっくりお読みいただいた方が安全であろう。わたしはしばらくの間書き込みを止める。
Tucd(チュニジアで買ったCDその1、ご希望の方に実費でコピーしてお送りする)
▼海外旅行をしたとき、その国のCDを適等に選んで買ってくる。今回も最終日にチェニスのメディナで4枚買ってきた。地方にも売っていたが5Dくらいした。添乗員さんにお聞きすると、チェニスにいくともっと安くなるからと引き留められていた。結局路上の販売店で3Dになっていたので「4枚買うから10Dにしてくれ」と頼むと、女性店員さんは「OK」してくれたのでここで買った。帰国してから問題なのは自宅のミニコンポが壊れていて、音飛びすることだ。デスクトップパソコンの場合はCDの部分だけ秋葉原に行くと5000円くらいで売っており、分解して入れ替えることができる。ところがミニコンポなどは分解が出来ない。しかも専門家に頼んで分解して貰っても、モーターを回すベルトがメーカーによってサイズが違うのである。わざわざこういう意地悪をしている。昨日のばあいレーザーの読み取り部分をきれいにしたら、どうやら再生することが出来た。おかげで買って2週間以上もたってようやく聞くことができた。といってもアラビア語なので内容はさっぱり分からないが、雰囲気だけは伝わってくる。
▼4月から土日のブログは休載します。

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March 21, 2008

劣悪な海外旅行添乗員の待遇

Neko2(チュニジアの猫2)
▼春分の日だが朝から仕事をしていた。午後家族から「明日食べるパンがない」というので雨の中渋谷まで出かけた。駅前のスクランブル交差点で信号待ちをしていると、わたしの利用している生協の塗色をした都バスが走っていった。そこには「お届けします。日本の畑から」とキャッチコピーが書いてあった。問題を的確に表現してある。先日火曜日の「ガイアの夜明け」をご覧になっただろうか?わたしは仕事がら色々差し障りがあるから、あまり書くことは出来ないが、中国に現地調査に行った、日○生○連の調査団のゆるそうな顔をみてがっかりした。しかも業者差し回しらしい車に乗り込む前にコメントするが、そんな事取引をする前にやっておくべき事だと思う。それに問題が起きてから対応するのではなく、口に入るものなのだから時々抜き打ちでチェックしなければ…。元はといえばコ○プ神○が主導して生協の共同購入が減少するなか、店舗を中心に展開し価格でもスーパーに対抗出来るものでなければならない、という方針を立てたときから、その蹉跌は始まっていたのである。まぁこれ以上書くと仕事に差し障りがあるから止めておこう。
▼今朝の朝日をご覧になると、海外旅行の添乗員さんの劣悪な労働環境について書かれている。先日も旅行でエルジェム競技場に立ち寄ったとき、参加したある女性にスタンドをバックにした写真がうまく撮れないのでシャッターを押して欲しいと頼まれた。わたしの一眼デジカメで5枚くらい撮ってようやくご本人の気に入った一枚が撮れた。メールアドレスと教えていただければ後でお送りしますと言い、そのまま成田でアドレスを聞かずに別れてしまった。約束はどうしても果たさなければならない。
▼わたしは困って添乗員さんの会社に彼女の映った写真CDを一枚いれ、転送してくれるよう手紙を書き2重に包装して送った。数日してH旅行社から「本人は添乗で出かけていることが多いので帰国したら必ず手渡す」という手紙を下さった。うーむそうするとN氏も派遣で仕事をしていたのだろう。朝日によるとH社の添乗員さんの仕事は日給1万2千円程度で年収が最高でも230万円くらいだという。仕事振りを見ていると、朝からお夜中どころか明け方まで勤務時間などないに等しく、例えば15時間働いたとして時給は800円ということになる。しかも最後の客からのアンケートで「A」の評価が貰えなければ、時給単価はさらに引き下げられてしまう。
▼旅行社の場合9割までが派遣労働者だという。「現地語の出来るガイドを」と会社に要求したら親会社は「自分で雇えば」と言われたという。旅先のバスの運転手も安さが第一で、経験や技能不測が心配で、道を間違えないように運転席の横で見張り続けた、とも言っている。これらは今回の旅行でもいくつか思いあたる事がある。朝日でも指摘しているが、こういう安さだけが、求められる海外ツアーは客の安全につながると言っているがその通りだと思った。

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March 20, 2008

体重が元に戻った日

Neko1(チュニジアの猫1)
▼チュニジアは首都のチェニスは野菜が豊富に出るが、地方都市に行くとその量は少なく、また水気がないのでポソポソしている。再びチェニスに戻った時の朝食のビュッフェでホッとひと息をついた。とにかく食べてはバスに乗り、乗っては食べる旅を続けているので、体重は増える一方でる。同行したM氏は途中でベルトの穴がなくなってしまったとこぼしていた。ご多分に漏れず、わたしも帰国してからすぐ体重計に乗ると2kgほど増えていた。とにかく普段食べない様にしている食品が多すぎた。肉、卵、チーズなどだ。帰国してからは、いつもの様に野菜でお腹を一杯にしてから、他の物を食べるように心がけていた。そのため今朝の体重計では、ようやく元の体重に戻っていることが分かってホッとひと息ついている。
▼今朝のTBSテレビでは「大陸横断1万4千キロ~東京~ロンドン」という番組を放映していたので何気なく見ていた。途中バイカル湖が映った。そう成田からアリタリア航空に乗ってしばらくすると、大陽を追いかける格好になる。飛行機の中は電気を消し、窓のシャッターは下ろすように指示があり、人工的に「夜」が作られる。だがトイレや洗顔、座りっきりだと下半身の血流が悪くなるので、席を立って最後尾に行くと窓が開いている。その小さな丸い窓から覗くと何時間飛んで真白いツンドラの地帯が続いている中で、クッキリと青いバイカル湖が見えた事を思い出した。
▼本日メルマガ締め切り日です、投稿される方はお忘れなく。

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March 19, 2008

戦前の「空白の地図」再来か

Sidhimosk(シディ・サハブ・モスク)
▼仕事はおかげさまで先が見えてきた。実は日曜日も仕事をしており、明日の春分の日も仕事をすれば、金曜日の午前中くらいに納品ができそうである。いやわたしは様々な仕事をしているので、一つに集中するにはリズムを掴むまでが大変なのだ。その波に乗ってしまえば大丈夫、きょうも右半身に3枚の湿布薬を貼って取り組んでいる。昨晩チュニジア旅行でご一緒した東北地方の方がメールを下さった。「きょうの目が素晴らしかったので、お友達にもその存在を教えて下さった」との事で、そう言って下さるととても嬉しい。連載は終わったが時々思い出したらご紹介しようと思う。それで昨日も「きょうの目」が検索用語のトップに来た理由が分かった。
▼さっそくそう言えば昨晩7時45分のNHKハイビジョン「世界遺産」を見ていたらチュニジアのケロアンが出てきたので、その絶妙なタイミングに驚いた。6日目の朝にシデイ・サハブ・モスクに立ち寄った。そして屋上から貯水池を見たがそれら全部が出てきた。わたしはその入り口に珍しい旧式の大砲があったから撮影したが、TVでもそれは映っていた。
▼昨日仕事が一段落したので、銀座にあるNサービスセンターにレンズを引き取りに行ってきた。今の仕事は机にしがみついているばかりでは能率が上がらないし、かなり消耗するので気分転換をしないともたない。見積もりは10080円で、予算以内で納まっていた。これは昨年4月上旬に購入したものだが、1年間日本国内は青森から九州まで持って歩いたし、チュニジアにも同行したのでもう充分元は取れている。これで後2年くらいは現役で使えると思う。
Taiho(モスクの入り口にあった大砲)
▼わたしは40近いブログをニュースリーダーを使って読んでいる。それでチュニジアに旅行していた8日間で未読が何と600件くらいになってしまった。留守中「朝日」も捨てないでと家族に頼んで出かけたが、もうこうなると情報洪水で読む気力が失せる。ある「護憲派」リングも面白いが玉石混交であるし、帰国後も仕事に取り組んでいたら、見る時間がないと次々増えてしまい。タイトルさえ見るのもおぼつかない。この際思い切って、登録数を減らすことにした。その結果どうやら一日20通くらいまで減らすことができた。今回の海外旅行で日本という国は、どうでも良い政府の情報コントロール下にあるという思いを強くした。この機会にどうでも良い情報は斬り捨てよう、と思って実践を始めた。
▼昨日の日本経済新聞の社会面トップに驚くべき記事が掲載されていた。「電子地図規制検討へ/テロ警戒で政府/治安施設表示配慮を/カーナビなど影響も」という記事である。テロリストが、地図を頼りに攻撃するなどあり得ない。今もし攻撃するとしたらサーバーなど施設であろう。JRのコンピューターセンターだってどこにあるか我々は知らない。都心などではビルに表示のない不思議な建物はゴロゴロしているのだから、建物に名前を書かなければ済むことだ。もしこれが実施されれば「戦前の空白の地図」状態の再現である。タバコの自販機のTASPO認証カードと言い、わたしは吸わないから良いけど、どこまで国民の管理は進んでしまうのだろうか?

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March 18, 2008

「チュニジアへの旅10」最終回

Shoujo(マトマタの少女)
▼時間があれば映画の「イングリット・ペイシェント」もう一回レンタルビデオ店で借りて見直したり、戦争の歴史は図書館にいって検証する必要もあった。しかしわたしは今週中締め切りの仕事があって、それを最優先しなければならない。そして20日に発行する予定のメルマガの原稿も自分の分は一行も書けそうにない。まあ取材旅行ではなかったので、メモも一切せずにいい加減に直感だけで書いているのでご容赦いただきたい。
▼わたしは買い物には一切興味がなかったがご婦人のみなさんはご近所へのお土産の購入に余念がなかった。スースの港町はとてもきれいだった。そこのスーパーではサフランがとても安いという話だった。日本の鰹節の小袋の大きさの袋に入ったサフランは、1袋1ディナールだったので、みなさん大量に買い求めていた。ケロアンではヘナカラーが安いという話でこれもお買い求めになっていた。
Sinden(スベイトラの神殿)
▼5日目のスベイトラではローマ支配時代の世界遺産があった。今目にする事ができるのはカルタゴのあとにこの地に作られたビザンチン時代の神殿である。Sガイド氏の話によると第二次大戦中連合軍の空爆を受けて3つの神殿だけ残ったという。しかしドイツのドレスデンなど廃墟となってしまい、戦後何も残らなかった。しかしここの神殿だけ空襲を逃れたという事は考えにくい。近寄って石で出来た柱を見ると、あちこちで継ぎ接ぎの跡が残っている。おそらくかなり破壊されたものを、後からくっつけたのだろうと推測される。それとガイド氏のキリスト教のなりたちと、漁民など一般の人々への布教の仕方が、わたしが本で得た知識と随分違う。それに第二次大戦中の話なのにイスラエルが出てくる。大体イスラエルが国として成立したのは51年の事であるからおかしい。
▼布教とサインの方法について呟いていたら、参加者はわたしの方が説得力があるという感想だった。つまり当時の文字を知らない漁民たちは、自分の名前代わりに魚のマーク(数学のエンドレスマークの右が閉じていないもの)を書いてサインとした。それが発展して胸の前で十字を切るに発展した、という説だ。ガイド氏が施設の解説をしている最中も、怪しい老人が近寄ってきて、掘り出した土器の欠片を売りつけようとする。戦後しばらくの間日本でも、万年筆工場が火事になって、退職金代わりに貰ってきた。火事の現場から持ってきた物だ、といって汚れた万年筆を磨きながら売っていた方法と似ている。もしそれを売ろうとするなら、国宝級の物を売るわけだから犯罪であるが、いかにも偽物という感じをぬぐえない。こういう人たちがあちこちの遺跡にたむろしている。おそらく物乞いはできないから、彼らのプライドを傷つけないように、このような方法を取っているのではないかと思った。
Wanchan(マハディアの子犬)
▼東京並に快適だったのは最後のシェラトンホテルだった。わたしはチュニジアまで来てそういう快適さを味わおうとは思わない。別に砂漠に雑魚寝だって構わない。朝食のコーヒーはとてもぬるかった。参加者はボーイさんに「ホット・ウォーター、ホット・ウォーター」と言っていたがこういう英語は通じない。それを言うなら「boild water」であるはずだ。そんな事を言って参加者に嫌われても仕方ないので黙っていたら、最後までぬるいお湯しかでなかった。
▼チェニス空港でとても親切なガイドのSさんと握手して、別れる。おそらく日本国内のバスツアーの添乗員さんでもこれだけ知識が豊富で親切な人には中々お目にかかれない。再びミラノまでのアリタリア航空機に乗り込む。地中海からイタリアに入ると海のきれいだったこと。それに高度1万メートルでもイタリア中部では畑のマス目がきちんと見えて、農業がいかに大切にされているかはっきり見えた。
▼約15時間のフライトで成田に着く。自宅周辺に戻った時は午後1時だった。さっそく近くの寿司屋で海鮮丼を食べた。やはり美味しいことこの上ない。チュニジアでは魚料理は最後の昼食に出た。それはエボ鯛のような小魚をオリーブで炒めたもので、小骨も突き刺さったままで繊細さに欠ける。やはり日本の魚料理はうまい。それと生ビールが飲みたいが、きょう18日現在まだ飲んでいない。チュニジアではビール税がないので安い。水よりほんの少しだけ高いだけだ。レストランに入ると日本の場合コップに入った水は無条件で出てくる。ところがチュニジアでは、空のワイングラスなどがあるだけ、「水2D、ビア3D、ワインハーフボトル6D」と言われるから殆ど迷わず昼間からアルコールを選ぶ。わたしもM氏も昼間からアルコールを飲む習慣がないので、もっぱら水だけ注文していた。映画「バベル」で、モロッコを旅行しているブラピとケイト・ブランシェット夫妻。休憩所でコーラを注文し、ケイトが「危ないわよ」」とコップに入った氷を捨てる場面が印象に残っている。添乗員さんは最初「心配な人はミネラル・ウォーターで歯磨きをした方がよい」と言っていたくらいだ。わたしはさすがにそれはしなかった。
▼家に帰ると3匹の猫が待っていた。普通なら飛びつかんばかりに寄ってくるのだが、今日は遠巻きにして様子が違う。「何よ、他の女の匂いがするわよ」という感じだ。そうチュニジアではたくさんの猫ちゃんと友だちになって、データベースや投稿欄にも入れたあるが写真もたくさん撮った。女の香水の匂いなどする筈はないが、外国の猫の匂いがしたのだろう。そこで着ていったものは全てクリーニングに出した。首都のチェニスはガイドさんによるとニューヨーク同様人種のるつぼだと言っていた。確かにそれは言える。美しい女性がたくさんいてとくに彼女たちの瞳は蠱惑的でもある。思わず引き込まれそうになるくらいだった。むろん引き込まれることなく無事に帰国できた。後書き足りなかった部分はM氏のレポートを待ちたい。
▼データベースの写真をご覧になったお二人の方から「チュニジアの空は本当にあんなに青いのか?」というご質問をいただいた。持っていったNのレンズは青みが強調される傾向がある。それに砂漠の近くの町だから中国の黄砂同様の現象はあると思う。4月になるとドゥーズの町の道路は砂で埋まると言っていた。これは外房平砂浦と同じである。だから写真は現実に見た目よりも青が強調されていることは事実である。あと個別にご質問があったらお答えしてゆきたい。わたし自身の最大の疑問は、いまチュニジアで「遺跡」、「世界遺産」と言っているものは殆どローマ占領時代の遺跡である。たとえて言えば日本に占領された朝鮮が日本が作った遺跡を紹介しているような物である。もっとチュニジアの作ったものはないのかなー、という事だった。

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March 17, 2008

NHK「上海から先生がやってきた」(再放送)を見る

Sionote(塩湖の塩を掴む)
▼この数日報道されているチベットの事。中国は元々チベットの鉱物資源や石油が目的でチベットを、武力制圧した歴史を持っている。このことはブラッド・ピットが主演した映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」に人民「解放」軍がどのように、チベットを「解放」したか描かれている。ぜひレンタルビデオ店で借りてご覧頂きたい。昨年開通した青海鉄道も、チベットに住む人たちの不満を「観光」という手段によって、観光客にカネを落とさせ「慰撫」するのが目的だと言われている。
▼先週日曜日NHKBSで「上海から先生がやってきた~貧困の村で」というドキュメンタリーの再放送を録画して16日見た。上海の裕福な家庭で育った女子大学院生が、政府の求めに応じて電車で2日かかる西吉県の中学・高校にボランティア教師として赴任する。1年間ボランティアに行くと、就職に有利になり取得単位も有利に扱われる。友人と3人で勇躍やってくる。しかしそこにはトイレはコンクリートの台と穴だけで素通し。学生たちは宿舎に住んでいる。彼女はまず英語を教え、そして生徒の家を家庭訪問するのだ。親たちは、学問を受けさせればやがて高収入を得られると考えて、無理して高校に子息を送っている。しかし農村の収入は少なく、村ごと捨てられて人が住んでいないところもある。
▼ある生徒の成績が落ちて来たことを不審に思って調べると、生徒は母が腰を痛めて動けないので昼休みに学校を抜け出して家に戻り食事を作っている。そして彼女の学費は弟が農業をやって工面している。だがそのカネも銀行から利子も知らされず借りているだけだ。やがて借金返済の日時は迫ってくる。弟は都会に行けば稼げると出かけるが、生き馬の目を抜くような凄まじさだ。職安などなく、手配師の車が町にやってきて、きょうの仕事の内容を叫んで群がる人から力のありそうな男を数人連れていくだけだ。言わば終戦直後の山谷か釜ヶ崎のようだ。弟は結局なにも仕事を得られず古里に戻る。
▼女子大生は借金の返済を求める銀行に姉を連れて行く、金利は都会と一律同じで10%くらいで返済のメドなどたたない。この場合母の手術代として銀行から借金した13万円の年利がなんと15000円にもなっている。大学生は「金利が貧困の農村まで一律なのはおかしい、それに生徒の家は父親がいないから猶予して」と訴えるが銀行員は「それなら訴訟を起こす」と突っぱねる。弟は銀行の利子だけでも返済して姉の教育資金得るために炭坑に行こうとする。しかし炭坑は落盤事故が多く、中国では年間5000人の人が死ぬ危険な職場であるという。女子大生は自分の無力さを感じ、上海にいる家族にこの農村の状態を手紙に書く。そして農村からは都会の工業化のために必要とする中学生たちが集団就職のバスに乗り、家族との別れを惜しむ。この中学生たちにどんな運命が待ち受けているのだろう。
▼昭和25年から30年頃の日本の集団就職をかいま見る気持ちがしたが、農村と都会の収入格差は10倍だという。それに追い打ちをかけるように、都会への労働力の流出政策。中国の貧困格差からくる「暴動」の根はもっと深いところにあるのだ。
▼本当は「チュニジア最終回」を書く予定でしたが、テーマを変更したら時間がなくなってしまったので明日、「10回」を書きます。4月から土日のブログは休載します。今後平日も急ぎの仕事がある場合、「休載」の掲示だけで時間をずらして執筆することはしません。

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March 16, 2008

◇「ノー・カントリー」を見る

Kasi(チュニジアで有名な菓子、かなり甘い)
◇「ノー・カントリー」いつもの様にこの映画の初日初回を見るべく、日比谷のみゆき座に行くと、入り口でビラを配っている人たちがいた。その内容は「在日アメリカ映画各社の首切りリストラの歴史」という内容で「UIP映画が昨年12月日本支社を閉鎖したとの事で、同労働組合が都労委に解雇無効の申し立てをしているという内容だった。
▼80年代のアメリカテキサス州、一人の男は射撃が趣味で今日もライフル銃を使って鹿を狙うが外してしまう。荒れ地をふと持っている望遠鏡で覗くと4台のハーフトラックが泊まっているではないか。恐る恐る歩いて近寄ると、死体が散乱している。だが一台には一人生き残りがおり、「水、水」とつぶやき、助けを求めている。さらに探すと大量の麻薬と、多額の現金の入ったバッグを発見する。ルウェリンは現金の入ったバッグと落ちていたH&Kマシンガンを1丁自宅に持ち帰る。マシンガンは床下に隠し、カネは部屋に持ち込む。しかし一度寝てからも「水」という言葉が気にかかって再び事件現場に帰ると、殺し屋のシュガーに見つかってしまう。這々の体で逃げ帰るが、妻には危ないから同じテキサスのオデッサの実家に帰るよう諭す。
▼あとは奇怪な殺し屋と追いつ追われつの関係になる。殺し屋シュガーは圧縮ガスボンベを使った家畜用のスタンガンを持って相手を追いつめる。この強力な圧縮ガスのスタンガンが恐怖心をさらにかき立てる。ドアを開けるなどこれをワンプッシュすればカギは粉々になって吹き飛ぶ。そこにこの事件を不思議に思ったシェリフ(トミー・リー・ジョーンズ)が加わる。ルウェリンもシュガーもそれぞれ傷つくが、お互い独自の方法で治療を続けてメキシコ国境に向かう。ルウェリンはメキシコに酔っぱらいを装って逃げ込むが、ソンブレロを被った歌手たちに「メディコ、メディコ」と言って気を失ってしまう。気づいたとき、売人から派遣された別の殺し屋(ウディ・ハレルソン)が目の前に座って、「カネのありかを言えが、お前と妻は助けてやる」と言う。が、しかしハレルソンはシュガーにあっけなく殺されてしまう。
▼ジョーンズも犯人をかなり良い線まで追いつめるが、目的を果たせずメキシコからテキサスに帰ってくる。そこで得た彼の教訓とは何だったか?これがコーエン兄弟の最新作の今回のテーマとなる。しかし前半の盛り上げ方に比べて、後半は説明的になって、それもフィルムの編集力が欠如していて盛り上がらない。だから初日、初回もそれほど客は入っていなかった。
▼「チュニジアへの旅9」もちろんチュニジアはイスラムの国である。一日数回ラウドスピーカーからアザーンの合図が流れてくる。その時間も時計を見ると、日本のラジオ体操の様に正確ではなく、10分前後のズレはある。だが合図はあってもバスなどで移動しているときナマーズ(礼拝)をしている人は一度も見ることはなかった。そして酒、是はホテルやレストランでは飲むことができない。しかしコンビニも自販機もなく、アルコール類の専売店は一切なかった。最後に分かったことは大きなスーパーの一角に、密かにワインを売っているところを見つけることはできた。さらにバスで移動しているので、1時間半くらいごとにトイレ休憩を取る必要があり、レストランがないときは田舎の喫茶店のような所でトイレを借りる。喫茶店とは名ばかりで東京のそれとは違い、ただ椅子とテーブルが置いてあって、冷暖房などない開けっ放しの店だ。初日は土曜日、次が日曜日なのでヒマをもてあました男達がタバコを吸ってひたすらチャイを飲んでいる。バス内は禁煙なので、その休憩所が喫煙家はそこが息抜きの場所となる。
▼ツアーに参加している5人ほどの女性もそこで飛び降りて息抜きする。喫茶店には男性ばかりで女性の影も形も見えない。スカートを穿いた彼女たちがタバコをすうと、そこの男性たちはかなり奇異な目で、変わった生き物でも見るような目でじっと喫煙する仕草を見つめていた。(以下夕方に続くかも知れない)

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March 15, 2008

北アフリカ戦線の話をちょっと

Shepika(シェピカ)
▼昨日の検索用語のトップは「きょうの目」だった。旅行の参加されたみなさんにもアドレスをお教えしたので、きっとご覧になってくださったのだと思う。しかしメールのご質問やご意見などはゼロなので、ご愛読いただいた、このチュニジアの旅もあと2回で終わる。「チュニジアの旅8」
▼ここで第二次大戦中のアフリカについて若干触れる。当時イタリアのファシストムッソリーニは止せばいいので、自分をシーザーの再来とか言ってアルジェリアを占領する。ところが13万人以上のイタリア兵が連合軍の捕虜になってしまう。こまったムッソリーニはヒトラーに助けを求めると、ヒトラーはドイツで最も若く元帥になったロンメルをアルジェリアに派遣する。ドイツは日本同様、資源のまったくない国だったので、ロシアの資源を求めて東部戦線を作った。しかし思惑は外れて膠着状態になってしまう。
▼ロンメルは補給もなく、当時最新鋭の48口径砲を搭載した4号D、G型戦車で闘う事になる。しかしそんな中でも敵である米英を欺き、数々の戦果を上げたので砂漠のキツネロンメルと呼ばれるようになる。しかし42年11月アメリカ軍のパットン将軍ははモロッコとアルジェリアから北アフリカに上陸する。そしてイギリスのモントゴメリー将軍はエジプトから上陸する。考えて見るとその後のイスラエルの作られ方はこの時すでに考えられていたのだろう。その結果ロンメルは300両くらいの4号戦車で闘わざるを得なくなる。アメリカの新型戦車は1100両で約その3倍はあった。兵力で枢機軍は98万人、連合国は1万強でその差は歴然としていたが、最新兵器を使った機動戦には独、伊軍は勝てかなった。
▼しかしチュニジアにいたロンメルは43年1月ヒトラーに「精神状態」を疑われ(陰謀だと思うが…)呼び戻され母国ドイツに戻る。北アフリカ戦線はロンメルが去って5月にチュニジアで枢機国軍は連合国の挟み撃ちにあって殲滅されてしまう。もしショット・エル・ジェリド塩湖の米英による道路建設があったとするならば、その時期に違いない。連合軍はその後チュニジアから43年7月にシチリアに上陸し、イタリア本土へと上陸する。これは「イングリット・ペイシェント」の最初の部分が、グルカ兵と恋におちいるイギリスの従軍看護婦ハンナ(ジュリエット・ビノシュ)フィレンツェ手前で、彼女の同僚が乗ったトラックが追い抜いた瞬間地雷に接触して爆破されるという設定になっている。
▼ロンメルはその後ヒトラー暗殺に加わっていたとして、毒をあおって死ぬことになる。ロンメルは最後までナチス党に入らず軍人として、捕虜の扱いなどフェアに扱ったとして評価されている。しかしあまりにも若く元帥になったので他の軍人からやっかまれていたことも事実である。彼がアフリカ戦線にあって愛する妻に書いた手紙は「史上最大の作戦」コーネリア・ライアン著(ハヤカワ文庫)にいくつか出ている。
Rancle(ランクルの窓から)
▼このことをおさえていただいたうえで、今日の話になる。翌朝ホテルの前には、「デザート・エキスプローラー」と英文で書いてあるトヨタのランクルが6台並んだ。そしてマッチョなリーダーはターバンとベストを着けている。そして地平線が見える道路を一気にアルジェリア国境にあるシェピカのオアシスへと向かう。サングラスをかけたドライバーにcan you speak english」と訪ねると「no a little」と右手の親指と人差し指の間隔を1cmくらいに空ける。そこでわたしは「先ほどの歩哨所は何の為にあったか」と聞いてみた。すると「アルジェリアを越境する人物を警戒している」と解説があった。
▼シェピカは上記「イングリッシュ・ペイシェント」ロケで使われている。歩き始める前にガイドがこの山の貴石について例によって英語で説明があった。紀元前に闘いがあったがそのときこの山にあるマイカが含まれている石を鏡のようにつかった連絡をしたという。ガイドは言葉に詰まったのでわたしが「signal?」と助け船をだすと「oh that's right」と指をさして学校の教室のようになった。マイカとは日本語で「雲母」という。この小さな山にもどこからか掘り出した貴石を「ワン・ディナール」と言って声をかける少年達がたくさんいた。おそらく卸屋さんのような人物がいて、少年達はそこから卸して貰って小遣いでも稼いでいるのだろう。
Fox(動物園にいたアフリカキツネの一種、オジロスナギツネ)
▼近くの休憩所に行くとカタカナで書いた「ミントティ」という案内板が出ていたが「書き方を間違えて「ミソトティ」となっていたのは大笑いだった。客を乗せたランクルは不整地をわざと走って見せて「探検」らしき事をしてみせるが、お尻が痛くなる。そしてまっすぐな道をコンボイを組んで走っていると、おそらくイラクでも、こんな風に走って目的地に向かっているのだろうなと思った。

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March 14, 2008

NHK「定時制高校の若者達」を見る

Rakuda(ラクダに乗るわたし、中央)
▼NHK14日午後11時からの「ドキュメント/急増・定時制高校の若者達」を見た。登場するのは神奈川県立横浜市翠嵐高校定時制に通う生徒だ。昨年に比べ今年は通ってくる生徒の数が倍増している。その背景は親が失業したり、勤めている会社が倒産してしまったため、全日制や私立に行く事ができなくなった学生が増えているからだ。それでも彼らはアルバイトで家計を助けたり、親を助けながら昼間は働き、自分の学問に対する情熱を燃やすように疲れた身体を労りながら通学してくる。
▼本来でいうなら高校程度は現在、義務教育として通わせなければならないと思う。親の失業や会社の倒産は彼や彼女たちに何も責任はない。ある女子高校生は大学に進んで高校教師の資格をとるのが夢である。そして入学金はアルバイトで自力で100万円貯めた。彼女の場合は合格する事ができた。しかし多くの学生は就職する事が目的である。昼間鳶の仕事をしている学生は、携帯で撮った高さ20mの現場の写真を先生や学友に見せる。そして学校から求人応募の書類を見せられると、「もう定時制というだけで差別されているんだよ」と自嘲気味に語り、応募する気力をなくしている。果たしてこんな事があってよいのだろうか。格差社会とリストラの名による首切りはこの子たちの気持ちにも、歪みを生んでいる。高校教師をしている友人が卒業式の日にこんなメールをくれたのを思い出した。「高校の卒業式では珍しく雪が降りました。生徒の前途の困難を思わせる雪でした。」。
Enko(塩湖で中央のピラミッドもすべて塩で出来ている)
▼「チュニジアへの旅7」ラクダ遊覧は一つの産業として成り立っており、システム化されている。それに好意でサービスかと思って、「アラビアのロレンス」よろしくターバンを巻いてもらったり、砂に埋もれている「砂漠の薔薇」という石ころを拾って貰ったり、扮装をしてもらうと全て有料だから気をつけなければならない。
▼その後植物園までロバの馬車に乗って飛ばし、さらに動物園を見学した。植物園では高さ20mくらいの椰子の木の天辺までお猿さんの様に命綱なしてスルスル登る実演を見せてくれた。さらに動物園では昔浅草近辺でやっていた見せ物よろしく、職員は蛇を客の首に巻いて見せたり、サービスたっぷりだった。ここにはロンメルのあだ名にもなった「砂漠のキツネ」がいた。
▼人間の集まる所にカネが集まる。カネが集まるところには政治が生まれるというのは昔からの言い伝えである。砂漠にあっては水や塩が出るところに人は集まり、そこに軍隊も駐屯する。昼はチュニジアの牛肉の壺焼き(先日日本のTVで放映されていたが、塩釜焼きのようなもので、塩に該当する部分は小麦粉で封をする。)というチュニジア料理を頂いた。封をした部分はパンとして食べられる。
▼昼食のあとショット・エル・ジェリドの塩湖を通ってトズールへと向かう。塩湖はデータベースの地図にも入れてあるがチュニジア南部の巨大な湖である。干上がると見渡す限りバスで走っても走っても塩の湖が一面に広がる。この塩湖の中央部を走る道路は、第二次大戦のとき、北からイギリス軍が南からはアメリカ軍が作ったというガイドの説明があった。帰国してから文献を当たっているがまだそれは正確かどうか分からない。塩湖は東西に一番長い部分で50kmくらいあり、湖といってもこの時期は水はなく塩だけだが、製塩工場があって輸出しているという。この規模の塩湖があれば永遠に製塩ができそうだ。塩湖で休憩があったので塩を手で掬ってなめてみたが、日本で売っている加工品と違い、かなり塩辛かった。ここの休憩所のトイレだけはポコンと穴が開いているだけった。それでも1Dと有料である。
Tsuboyaki(牛肉の壺焼きの壺)
▼そしてトズールの町へと入る。このトズールとはフランス語の「12 douze ドゥーズ 」(英語で1ダースの語源)でかつてここに駐屯していたフランス軍第12外人部隊があったから、そのように名付けられたという説明があった。話としては良くできているが今の所、これも文献では確認出来ていない。ホテルは各棟ごとに分かれている言わば、日本旅館の離れである。しかしポーターは荷物を一つひとつ運んで埒があかない。わたしのバッグはホテル内の道路に放置され配達されなかったので、自分で引き取りに行った。それ以後ポーターを信じられなくなり、全部自分で運んだ。さらに風呂が水しかでないという苦情が相次いだ。わたしは砂漠で髪が汚れていたので、すっきりしたくて仕方なく水だけで洗髪した。

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March 13, 2008

フランスの植民地だった所のパンは美味

Starwors(スターウォーズのロケ地)
▼昨日は冠婚葬祭を除いて年に2回ネクタイを締める日であった。卒業式であり、もう一回は来月の入学式だ。出かける前に一月前のバレンタインデーにチョコを下さった、仕事上のおつきあいのある女性に時間指定でお返しのチョコを送ることを忘れない。いちおうゴティバである。次はパンだ。出かける前にさらに猫が寂しいといけないのでラジオのスイッチを入れた。いやわたしは無音状態でも良いと思うのだが、家族が人の声がした方が寂しがらないだろうという。家族はTVのスイッチを入れっぱなしにして出かけるが、わたしはラジオだ。NHK第一にして相撲を聞かせるのも可愛そうなので、NHKFMにして出かけた。帰宅したらちょうどキャンディーズの「春一番」、「微笑みがえし」などをやっていてちょうど良かった。
▼家族からパンがなくなったと言われていた。初めてこのブログをお読みになる方のために一言かく。家族はアトピーで豆やチーズ、バターなどの乳製品の入ったパンを食べることができない。それであちこち歩きまわって探してパンを買い求める。2年前に南青山のパン屋さんは止め、渋谷○急本店の中にある紀伊○屋にそういうパンがあることを発見した。表参道のナ○ュラルハ○スにもあるが、はっきり言ってあまり美味しくない。この日卒業式が終わってから渋谷に行きたくなかった。調べると学校の隣の駅である吉○寺にも支店がある。いやあることは知っていて一度電話して確認したが、要領を得ない返事だったので行くのを止めた。だがダメで元々だと思って、駅から井の頭通りを歩いて10分ほどの店に行ったら、そのパンはあった。それもそのはずパンのパッケージの裏を見るとここで焼いていると書いてある。Iwasigumo_2
(マトマタの鰯雲、以下の画像はクリックするとすべて大きくなります)
▼「チュニジアへの旅6」チュニジアでパンだけはとても美味しかった。なぜか今まで歩いた国は全部旧フランスの植民地だった国ばかりだ。それでもこのチュニジアのフランスパンはどの店で食べても美味しかった。菓子パンのようなものも少しあったが、朝食の時など参加者はこぞって「フランスパンはないの」と言って探していた。3日目の夜は映画スターウォーズの舞台ともなったマトマタだった。いやそこは映画で出来た架空の町なのだ。バーはたまたま閉まっていたが、夜になると開くらしい。泊まったのはそこから徒歩5分以内の所にある。ドアのカギは開けにくかったが、環境は抜群で夕方は日本の秋でしか見ることができない鰯雲がくっきり見ることが出来た。さらに夜になると数多くの星座を眺めることが出来た。もちろん北斗七星を確認することも出来た。しかし高度がないせいか、星の数ではわたしの古里である長野の方がもっとたくさんの星を見ることができる。屋上に寝転がってしばし世間の憂さを忘れてスターウォーズの世界に浸った。
Hotel1泊まったホテル)
▼翌朝は土の穴蔵で生活をしているというベルベル人の村を訪ねる。村に到着して、一番高い丘に登ると向こうから一人の少女が幼い羊を抱えて手を振ってニコニコ駆けてきた。ポーズを取ったのでシャッターを切ると、怖い顔をして「1ディナール」だというからお金を渡す。なーんだそういう事だったのか。後から来た人にも彼女が「おいでおいで」をするので、「お金を取られますよー」と叫んで注意を促す。穴蔵で生活しているという老婆が石臼を引いて見せてくれたが、今こんな生活をしているようには到底思えない。こういう演出ならわたしの実家にも石臼があるので、母にやらせれば小遣い稼ぎになるだろうと思った。
Yuyake(マトマタの夕焼け)
▼それからドゥーズに行っていよいよラクダに乗ることになる。モロッコの砂漠はピンク色をしていたが、チュニジアの色はどうなのか聞かせて欲しいというフートンさんからのご希望があった。結論から言うと遠目で見ると同じくピンク色がかっていた。そこには数十頭のラクダが待機しており、馬方というかラクダ方は1人が3頭ずづ引き連れて行くのだが、足りないところが参加者のラクダに引かせて合理化を図っていた。さらに乗馬の経験がある人には全部任せていた。ラクダに乗るにはコツがいる。背が高いから急に前傾して次に後ろに反り返る。言わば農薬散布のヘリコプターに乗ったような感じになるのだ。しっかり手綱を持っていないと振り落とされてしまう。もっとも前夜に「500ディナールを限度に保険に入っている」という案内状を頂いていた。

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March 12, 2008

手間ひまかかる高貴な方のジョギング

Kyougijou(エルジェム競技場)
▼今年からどうもわたしは花粉症になったような気がする。昨日夕方マンションの1階下にお住まいの奥さまにお目にかかったら、サングラスをかけていらっしゃる。お話しするとこの時期辛くて眠ることができないほどだ、とおっしゃっていた。わたしはそれほど極端ではなく、目がしょぼしょぼする程度で済んでいる。
▼夕方どのチャンネルをまわしても同じ、日銀総裁候補者とと新銀行東京の問題だけだった。前者に関していうと作文を読んでいるような感じがして、意欲というものは何も感じられない。仕方なく、地デジBS1に切り替える。すると東宮御○にお住まいの、さる高貴な方がジョギングをして3キロメートル走ったという。角々には警備の警官が建ち並び、護衛を10人ぐらい引き連れているのはとても滑稽に見えた。TV画面には先頭を走る護衛は一人だけ映っていたが、おそらくその他にも同じ数の護衛がついているのだろう。広い御所の中を走ればこういう無駄な事をしなくても済むのだが、余程元気さをアピールしたかったのだろうか?
▼「チュニジアへの旅5」今回の参加者に東京G語大学のアラビア語学科に所属する1年生4人の女子大生が参加していた。聞くと一学年は16人なのだという。添乗員さんが気を使って各テーブルにくまなく回るように毎晩配置を考えてくださった。3日目の夜わたしたちのテーブルに座ったが、話すことがない。いや正しくは話が続かない。そこでなぜチュニジアを選んだかお聞きする。アラビア語圏で危なくないところ、というのが彼女たちの返事だった。もちろん語学が専門だから休憩したりするとき現地の若者を会話をしていた。そして彼女たちはずっと自分たち4人だけで話をしており、他の人たちと交流することはなかった。
▼2日目の夜ホテルのケーブルテレビを何気なく見ていたら、ラッセル・クロウの「グラディエイター」を放映していた。疲れていたので見たのは古里に妻と子を探しに来るが既に見つからない状態になっていた、という5分くらいの場面だった。翌日偶然そのエルジェム円形闘技場を訪れることになる。規模はローマのコロシアムと同じ程度かと思う。中に描かれている図を見ると、映画の様に奴隷となった人間同士も戦わせるが、動物同士も戦わせていることが分かる。これが貴族や一部の市民たちの「娯楽」だというので二度驚く。地下には剣闘士たちの控え室から動物たちの小屋まであった。
▼それからマトマタまで移動するのだが、バスの窓からは延々とオリーブが見える。それにしても4時間、5時間走っても窓から見えるのはオリーブというのは驚きだ。イランのアッバス・キアロスタミ監督の91年の映画「オリーブの林を抜けて」の一シーンのようだ。ただしここチュニジアは平坦地で、機械作業をするためか規則正しく植えられている。そして所々で日本の桃の花のようなピンクの花が咲いている。ガイドさんにお聞きするとそれはアーモンドだという事だった。昼に入ったレストランには人なつっこい猫がいた。参加した人たちが余った食事を与えると喜んで食べていた。いやわたしが猫の写真を撮りたがっていたので、じゃらしてくださったのだ。そしてレストランに中には奇妙な展示物があった。2個のヘルメットや使い古しの砲弾、機関銃弾のクリップなどだ。しかしどう見てもあまり価値のなさそうながらくたばかりだった。前夜はホテルに午後8時頃到着した。2夜連続の夜間移動で疲れたが、この日は午後5時半頃だったのでゆっくりする事ができた。

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March 11, 2008

NH「リストラ社員が会社を買った」を見る

Susu2スースのグランドモスク
▼昨日のアクセス用語の分析をすると約半数の方がNHKで放映された「小田実」という検索で来ていらっしゃる。わたしの方が、NHKハイビジョンで見て書いているので、それをご覧になったのだろう。アクセスが増えるのはありがたいが、検索用語で来た方々は果たしてどれだけ小田の著書をお読みになっているのだろう。そして小田のやったような行動をとっているのだろう。ネットを見ているだけでは物の本質は分からないし、行動や変革にもつながらないことは明かである。ネット規制案が強化される一方でそんな事を考えた。
▼昨晩「NHKスペシャル」午後10時から「リストラ社員が会社を買った」という番組を見た。これは言わばNHK昨年の「ハゲタカ」の「赤いハゲタカ」とも言えるものだ。大牟田にある太陽電池パネルの会社を買ったのは、中国の投資家である。わたしは中国が社会「主義」国などとは夢にも思っていないが、ニューヨークで儲けた中国の投資家が、日本の太陽電池の親会社を買い取ったとたん、大牟田の工場を閉鎖してしまう。こういうやり方は社会主義以前の資本主義そのものである。
▼解雇された100人の社員らは「それなら社員が会社を買うことはできないか」と考える。ここで登場するのはドラマ「ハゲタカ」で登場したEBOという手段である。工場長は社員の意向を聞くと「ついていく」と意思表示した社員が20人。工場長は1000万円出資し、他の社員らは合計1000万円で都合2000万円集まる。しかし会社を買い取る10億円にはほど遠い。そこで本社の資金調達係を退職した社員も加わる。そして銀行を周りようやく「引き受ける」という銀行がたった一社だけ現れる。条件は「かなり冒険だと思うが、やろう」と言ってくれる。しかし言うべき苦情やクレームは容赦なく言うからそのつもりで、とクギをさされる。
▼太陽電池のパネルのセルはドイツから輸入する。そしてスペインの企業から出力210ワットのパネルの引き合いがはいる。しかし輸入したセルは脆く、半田ごてを近づけたたけで溶解してしまう。さらに出力も190ワットくらいだ。世界に打って出るには最低200ワットの安定した出力がなければならない。工場長は社長になり、資金調達係は工場長になって責任を全うしようとする。TVドラマにように格好よくはないが、会長も工場長も号令をかけるわけでもない。どうしたら210ワットの製品ができるか、なぜそうしなければならないか、ようやく集まった50人の社員の前で身を以て説得する。そしてようやく一般社員のなかから号令、命令されるのではなく、大陽電池パネルで生き残るためには何をしなければならないか、自発的な行動がとられるようになる。労働組合もこのくらい考えてやらないと、生き残れないよなと思った。
▼「チュニジアへの旅4」今回の持参必須品の中に「トイレット・ペーパー」というのがあった。「地球の歩き方チュニジア編」にも書いてあるし、添乗員さんから2日前に直接電話もあった。これはえらいところに連れて行かれるなーと覚悟して、自宅のトイレット・ペーパーを一巻き、芯を抜き取って水に濡れないようにポリエチレンの袋に押しつぶしていれた。しかし現実には全部ホテルに泊まったので、それを必要とする場面はなかった。同行のM氏は最終日のホテルに捨て、わたしはもったいないので持ち帰って、世界を旅したトイレット・ペーパーを現在使っている。
▼カルタゴの遺跡にあるアントニヌス共同浴場を見ると、その土木工事の完成度の高さに驚かされる。掘り下げる技術と石を積み上げる工事は一体どんな工作機械をつかったのだろう。よくローマの石畳はかなり緻密に出来ている、そのため他のヨーロッパに国はそれを剥がして自分の国に持ち帰って使っているとさえ云われている。途中ローマ占領時代に作られた水道橋を見学してから、シディ・サイドに出かける。ここはギリシア調でお土産やさんは白を基調にドアや窓はすべてブルーで統一されていた。しかし売らんかなの客引きが多くて断るのに参ってしまう。売っているものは殆ど同じだ。ターバンやモーニング娘が着たら似合いそうなハーレムパンツなどがぶら下がっていた。ある参加者は「こんなの妻にお土産に買っていったら、気違いかと思われてしまうよ」と言ってみんなの笑いを誘っていた。昼は地中海の近くのレストランでとり、スースへと2時間半かかってバスは走る。
Side
(シディ・ブ・サイドの街並み)
▼つまりこのツアーはH旅行社が日本国内でやっている物を海外に移してやっていると思ってくだされば良い。昨年わたしが参加した十和田湖一泊ツアーは盛岡からひた走りに4時間くらい走ってようやく十和田湖の夕暮れに間に合った。それを海外でやっているわけだ。いや悪口ではない、添乗員さんは下見をして(おそらく)どうしてたくさん回ったら参加者が喜んでくれるかと思ったに違いない。しかしわたし的にはカルタゴとドゥーズに各2泊してゆっくり見学出来た方がよかった。スースの町を歩いていると10歳くらいの少女が「ボンジュール」と声をかけて通り過ぎようとするので、「ボンジュール」と答える。5歳くらいの妹らしき少女の手を引いているので、「ユア・シスター?」と言うと「ウィ」というので。「ベリー・プリティ」というととても喜んでいた。世界遺産にもなっているグランドモスクもあったがもう5時を過ぎていたので中に入ることはできなかった。

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March 10, 2008

◇「アメリカを売った男」を見る

Yokujoアントニヌス共同浴場
▼◇「アメリカを売った男」昨日に引き続きレンズを持って再び、銀座松坂屋裏手にあるNサービスセンターに行く。いや時間がなくて映画を優先して、終わった後にセンターに行った。実録ものなのだが、そういうキャッチフレーズには余り惹かれない。主演のクリス・クーパーの演技だけ見ることができれば良い。2001年アメリカのFBI捜査官ロバート・ハンセンが逮捕される。彼の容疑はソ連のスパイとして、アメリカの潜入捜査官50人以上が消されてしまったというのだ。話は彼のオフィスに助手として若手のエリックが採用、配置されることから始まる。FBIの上層部はハンセンが怪しいと睨んで、助手に動向を探らせようとしている。
▼そういう上層部の命令で配置されたものの、敬虔なカトリックであるハンセンとその立ち振る舞いにエリックは次第に彼の人柄に惹かれていく。その悩みを上司に告白すると「そうなればしめたものだ」と逆に励まされる。一緒に外出させ時間を引き延ばし、ハンセンの車を全て解体し、チェックをする上層部。トランクからは多数のロシア製武器が見つかったりするが、そんなバカなことをするスパイがいるとは思えない。そしてハンセンのバッグからPDAをデータを読み出したり、作業は進んでいく。
▼ある夜公園に呼び出されたエリックは、ハンセンはアンクルホルスター(足首につける)からリボルバーを出してぶっ放す。上層部から自分の行動が疑問視されているのではないかと、ストレスがたまっている事を告白される。そしてハンセンは私生活でポルノ映画を見たりしている姿をかいま見ているのを知り、次第に上司としての資質に疑問を持ち始める。2ヵ月の捜査を続けていくと、ある日公園脇の橋の下に連絡用の荷物をくくりつけた瞬間逮捕されてしまう。この受け渡しの方法も、なぜかひじょうに稚拙である。そして実際の逮捕の瞬間のフィルムとオーバーラップさせる。クリスチャンであったハンセンが、自分の良心の軋轢と戦ってスパイと行動していたかは、彼にしか分からない。日比谷シャンテで。
▼映画が終わってレンズを持ち込むと修理代はその場で出て、マキシムで1万円だというので了承し、18日の完成する日に再び足を運ぶことにする。
▼「チュニジアへの旅3」今回の旅で一番の失敗は腕時計を持参するのを忘れたことだった。わたしは普段腕時計をする習慣がない、なくても約束の時間には決して遅れることはない。だが現地チュニジアとの時差は8時間もある。日本に電話する時間を確認するたびに海外携帯に表示された現地時間から一々指折りして、マイナス8時間を計算していた。こういう場合デジタル時計は時間を戻したり、針を進めるのはひじょうに面倒である。やはり盗られても困らないような2千円程度の安価なアナログ時計が最も適している。
▼カルタゴ遺跡には市の中心部から20分ほどですぐ到着した。どこの遺跡も写真撮影券を1Dで買う仕組みになっている。同じ市内の建築物であれば、同じチケットで回る事ができる。解説するのは現地案内をしてくださった自称49歳のSさんで、髭があるので老けて見える。すでに1955年から3回来日したことがあるという知日家でもある。彼が半分から3分の1を日本語で解説し、添乗員のN氏がそれを通訳してくれる。カルタゴ遺跡はみなさんご存知の通りである。カルタゴの英雄ハンニバルはローマまで象を連れて3度の戦争(ポエニ戦争)を仕掛けるが、最後は負けてしまう。怒り狂ったローマはこのカルタゴを占領し破壊の限りを尽くす。そして土には塩を撒いて再び農作物が獲れないような破壊工作を徹底する。
▼現地解説者のSさんには申し訳ないが、彼の言っていることすべてをそのまま信じる訳にはいかない部分があるので、わたしの勉強したことなどを書く。だから紀行文はSさんの解説だけではなく、わたしの勉強した事も入っている。破壊したあとローマ人たちはここに住宅地や巨大なアントニヌス共同浴場施設それに墓地を作る。なぜローマがチュニジアを狙ったかと言うと、ローマは当時人口が増えると食料が賄い切れないと判断した。それで地図で見るとお分かりになるがシチリアからチェニスまではかなり近い。そして港としてもアフリカで取れた麦の積出港としても、ここがもっとも適していると判断したのだ。
▼チュニジアのベスト写真16枚はデータベース(会員専用)に入れてあります。

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March 09, 2008

◇「4ヶ月、3週と2日」を見る

Tiseihasi大林組の協力で作られている橋、バスの中から撮影(クリックすると拡大します)
▼◇「4ヶ月、3週と2日」1989年ルーマニアの独裁者チャウシェスク政権末期の出来事だ。大学生の寮で二人の女子学生があわただしく何かの準備をしている。歯磨きからビニールシートetc,etc。女子学生の一人はオテリア、もう一人は体調のすぐれないガピリアだ。オテリアはその後ボーイフレンドに会って多額のお金を無心する。ボーイフレンドのアディはお金を貸すが、「今晩祖母の誕生日だから来て」とオテリアを説得するが、彼女は上の空だ。お金を持ってホテルに向かうが、受け付けで「そんな予約は入っていない」と断られる。仕方なく別のホテルに行って新な予約をする。
▼そこに不安げな顔をしたガピリアがやってくる。さらにもう一人の中年男がやってくる。実は当時のルーマニアにあって経済政策の失敗があって、人口を増やすことは至上課題だった。18歳から45歳までの女性には4人以上の子どもの出産が義務づけられ妊娠中絶は重大な犯罪であった。女性は生理の有無まで職場、学校単位で厳しくチェックされていた。ガピリアは実は妊娠してしまい、密かに中絶をしようと決心していた。そのホテルにやってきた男は、秘密に妊娠中絶を行う、言わば闇医師だった。二人の学生は姉妹だと偽っていたが、見抜かれてしまう。さらに妊娠2ヵ月だと言っていたが、すでに4ヵ月を過ぎ、5ヵ月近くになっているので、彼女たちが持ってきた3000レイではとても手術代金に足りないという。
▼男は「IDカードまでフロントに預けてしまったので、もし逮捕されたらとても割りにあわないので、もう帰る」と言い出す。この時期を逃してしまったら、もう中絶手術は出来なくなってしまう。オテリアは考えあぐねた末、ある決心をする。その行為と引き替えに手術に着手する男。オテリアはボーイフレンドとの約束も迫っているので、気分は落ち着かない。誕生会に招かれてもワインを一杯飲んだだけで、「帰る」というのでボーイフレンドは「何かおかしい」と気づき、彼の部屋で話し合いをしようとするが、オテリアは「一人にして、電話を貸して」と言うだけだ。登場するのはこの二人の女性と、二人の女性だけ、カメラは固定され、強調と省略で緊張する画面が連続する。昨年のカンヌ映画祭でパルムドール賞(最高作品賞)を受賞した作品。シネセゾン銀座で。カメラが壊れてしまったので、銀座松坂屋の裏手にあるNカメラサービスセンターに朝一番で行く。しかし受け付けに行って番号札を引いて対応して貰ったら肝心の壊れたレンズがなくて、ボディだけだった。そのまま帰るのもシャクなので京橋まで歩いて上記映画を見てきた。いや最初から見ようと思っていたのだが…。
▼「チュニジアへの旅2」旅行でどんな道具を持っていくか、そしてどうやって軽くするかというのは重要である。明日以降その荷物の一覧をご紹介しようと思う。一番問題なのは当地の気候である。大使館に問い合わせたという方もいらしたが、わたしは本で調べただけだ。それによると初秋の気候で雨が降りやすいとある。色々考えた結果ゴアテックスのレインスーツを買った。ショップへ行って、「砂漠に行くから」というと店員さんが「どちらの砂漠ですか?」というので「サハラ砂漠」と言ったら驚いて「どうぞお気をつけて」と言ってくれた。これさえあれば今年尾瀬に行っても大丈夫だろう。函館から参加された方は成田で前泊したが、防寒スーツは不要だろうと「成田空港に預けて着てしまったが、失敗した」とこぼしていた。
▼ホテルで朝食を済ませ、時間があったので早朝の市内を散歩する。土曜日なので人出は少ないが、ホームレスらしい人もチラホラみかけた。そして本日用の水を買い求める。当地のディナール(以下Dと略す)を昨晩税関を出たところに、エクスチェンジがたくさんあったので、その一つを選んで1万円分交換する。どこの窓口もレートは同じかと思ったら、みんな一番右端の両替所が良かったと云う。
▼昨晩深夜に見た内務省の建物の前を通ると衛兵か護衛警察官のような人物が、黒光りした自動小銃stg77AUG(オーストリアのステア・マンリッヒャー兵器工廠製)を水平に抱えて立っているではないか。ホンモノを見る機会など今後まずあり得ないだろう。ダメで元々と思って衛兵に英語で「一枚撮らせて欲しい」というと、もの凄い顔をして「ノー、ノー」と追い払われてしまい、残念至極であった。もし「マンリッヒャー」と聞いてピンと来る方がいたら素晴らしいゾ。大昔のソ連のプロパガンダ小説「鋼鉄はいかに鍛えられたか?」の中でコルチャーギンが持っていた拳銃が「マンリッヒャー」だった。市内の目抜き通りにあるエル・ハナ・インターナショナルホテルは四つ星だと言うことだったが実体は2つ星程度だった。
▼そしてバスに乗り込み、カルタゴ遺跡遺跡に向かう。途中日本の大林組との技術協力で建設している巨大な橋の前を通る。これは昨年12月頃だったか、「いきなり黄金伝説」という番組でココリコの田中直樹が20人ほどの労働者のために回転寿司の機械を持ち込んで、茶碗蒸しまで作ってサービスしていたのでその存在を知った。

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March 08, 2008

チュニジアへの道1

Oodooriチェニスの朝風景
▼昨日のアクセス数は通常通りに戻った。アクセスして下さったみなさん、どうもありがとう。わたしは現地チェニスを7日正午頃に出発し、成田のゲートを出たのが、日本時間でほぼ同じ時間だ。そして自宅で眠りについたのは午後11時。計算してみると30時間ほど一睡もしなかった。イヤ本当はわたしも眠りたいが、エコノミークラスの狭苦しい席では中々寝付けない。行きはヘッドフォンステレオを用意してそれを聞きっぱなしだった。アリタリア航空の中でも最新映画のビデオは放映していた。「プラダを着た悪魔」とか「ボーン・アルティメイタム」、「エリザベス・ゴールデンエイジ」などを上映していたが、すべて見終わった作品ばかりだった。
▼無理して眠らないで日本の時差に体調をあわせる必要がある。だから帰りの飛行機の15時間くらいは一睡もしないで3冊の本を読み終えた。ヘッドフォンステレオは放電状態になってしまった。それで持参携帯用の変圧器で、一眼デジカメの充電は出来たが、こちらは充電できなかった。添乗員さんにホテルで借りて変圧器を借りて欲しいと頼んだが、忘れられてしまった。
▼今回は昨年の反省で海外携帯を借りて持参した。調べるとわたしのP903iではかの国では使えないので、ドコモに頼んで番号そのまま「FOMAカード」を入れ替えると、番号そのままで使えるものを借りた。送受信とも合計10通話(1分単位)で補償料も入れて約9000円(1通話900円の計算になるが…)だったが、これは仕事の連絡でとても役だった。もちろん国内との携帯メールも文字だけは受信できた。だがサハラ砂漠あたりを移動しているときから「圏外」状態が続いてしまった。都市部に移動して「FOMAカード」を抜き差ししたら、通常状態に戻った。
▼わたしは食べもの、ショッピングよりも風景を撮影することが第一である。今回一眼デジカメ40DXと2メガのSDカードを念のため2枚持参した。しかし中盤バスの座席からカメラを落としてから調子が悪くなり、最後は写らなくなってしまった。それも6日目のモスクを撮影した後だったので、風景だけは全部撮れている。これから順を追って一枚ずつご紹介する。撮影したのは約500枚で、「これは」というのは20枚くらいはある。旅行で知り合った方やメルマガ読者でご希望の方には、サイズを大きくしてファイルでお送りできる。
▼ミラノのマルペンサ空港についたのは午後10時頃だった。フェラーリの展示場の前が集合場所で添乗員さんは現金をユーロに替えて、水を買っておくようにと言ってどこかに行ってしまった。いつものように同行のM氏が行ったが、「円を替えてくれないし、言葉が通じない」と戻ってくる。代わって出かけるとエクスチェンジの女性はイタリア語で、「千円札を2枚出すように」と言ってきた。それで雑貨店で2本ユーロ(1ユーロ160円)で買ったような気がする。安いツアーなのでこのチェニジュアを目前に4時間待たされる。しかしこの線だけは、液体物持参でトランジット出来る。
▼外国にいってまず心配するのは「水」の手当である。映画「ブラッド・ダイアモンド」でもジェニファー・コネリー演じるジャーナリストが取材出かけるに当たって水を積み込む場面が印象に残る。そして正月放映された、「アフリカ大陸横断114日」でも、バスにかなりの量の水が積み込まれていた。水がその国でいくらするかが最初の試練となる。チェニスでは翌朝、ジュースを販売する店で350ミリリットル瓶が2ディナール(1Dが89円程度)だった。
▼しかし深夜についたホテルに入ったらダブルベッドだったのには驚いた。しかも毛布も一枚。何というか気色悪いのである。まあ深夜だしホテルや添乗員さんにクレームをつけるのも悪いし、バスの水の出も悪いので、我慢してそのまま眠ってしまった。
▼いつも思うことなのだが、外国から帰ると日本は異常な情報統制国家ではないかという事だ。現地ではNHKの海外衛星放送も映らないし、日本語新聞もない。かろうじて6日朝のBBCワールドを見ていたら、四国の捕鯨の正当性を訴える漁民や漁連、学校の事を流していた。もちろん全部英語だ。8日間で日本語ニュースに接したのはたったこれだけ。帰国したら石破防衛大臣が辞職でもしているかと思ったらそのままだ。ヨーロッパ、アフリカから見れば日本はどうでもよいような弱小国。そしてお金のある裕福な人にだけ有利な政策がどんどん進んでいく。ニュースで流される事件は、政府の都合のよいものだけがピックアップされている。
▼昨晩帰国して偶然地デジの「ガイアの夜明け」の再放送を見た。千葉市に住むKDDの派遣オペレーターの30歳くらいの女性の話だ。25万円の給料が20万円に切り下げられてしまう。彼女は大いに悩んで、派遣労働組合を探し当てる。そしてミクシーを通じて同じ環境の人を集めて親会社に交渉にいく。横断幕も手作り、ビラも手作り、シュプレヒコールなんてやったことがない。しかし何一つ労働組合らしい事をやったことがないのに、街頭に立ってビラを撒く姿を見ていたら、思わず涙が出てきて止まらなかった。

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March 07, 2008

「カスバの女」という歌をご存知ですか?

Bookshop首都チュニスの書店アラビア語「ハーレクインロマンス文庫」らしき物が並んでいる。
▼みなさんお早うございます。疲れました。更新は午後3時頃まで待っていてください。
▼所でみなさんいきなりですが、「カスバの女」という歌をご存知だろうか?
♪「ここは地の果て アルジェリヤ
どうせカスバの 夜に咲く
酒場の女の うす情け」

(中略)そして以下に続く

「明日はチュニスか モロッコか
泣いて手をふる うしろ影
外人部隊の 白い服」       大高ひさお作詞

となる。カスバとは一体何なのか知りたくなった。
ものの本によれば、カスバとは城塞のような構えになっている大構造規模な集合住宅。昔は頻繁にあった外敵の攻撃に備えて強固な城門や高い塔を持っている。
まあ、そういう訳で急に地の果てのチェニスに行きたくなって、空路片道15時間でひとっ飛び、ミラノ経由でチュニジアに行ってきた。明日から10回程度で連載するのでぜひ、ご期待いただきたいのである。
▼何?場所が分からない?話にならんなー。北アフリカアルジェリアの東にある小さな国だよ。

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March 06, 2008

ゼネコンが戦前やったことは…

▼先日館山を回って帰りに館山道を走っていたとき、こんな事を考えた。今は日本中に必要もない高速道路が張りめぐらされている。さらに赤字に輪をかける「整備新幹線」を作り、在来線を廃止する。たしは館山道は時間が短縮できて楽である。しかしここでふと、小田実がNHKTVで喋っていた事を思い出した。
▼戦後日本は資源が軍備に投入されることなく、中流層が増えたから平和に発展することができた、と。振り返ってみると戦前の我が国は館山をはじめ日本国中軍事要塞を造りまくった。それは防衛的な観点ももちろんあろう。実際行ってみると分かるが、それはそれは強固で、本当に見ていてコンクリート技術など芸術品のようで惚れ惚れするほどである。戦前の日本は燃料や鉄がなくなって各戸から隣組の監視よろしく強制供出されられる。箪笥などの鉄の釣り手や引き出しの取っ手さえも外されている。そして国民生活は窮乏の一途を辿る。食生活も兵隊優先だから、国民は配給制になる。信じられないかも知れないが、国会前の広場も畑になっている。上野の不忍の池すら田んぼに変身させられている写真が残っている。
▼今の道路や新幹線がゼネコンによって造られている状態が決して良いとは思わない。しかし軍事優先とは、国民生活を犠牲にして、軍部が巾を聞かせるということだ。それは今回の「あたご」で石破防衛相がすべてを知っていち早く隠蔽工作をしていた事でもわかる。しかも二人の漁民を救うなど頭の片隅にもなく、自身の保身だけを考えていたのだ。

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March 05, 2008

メルマガ3月1号は9日頃お送りします。

▼本日はメルマガの発行日です。契約愛読者のみなさんには事前にお話ししてありますが、そのような事情で発行は遅れて日曜日頃になります。普段投稿してくださっているみなさんは、通常通り、本日午後8時までにお送り下さるようお願いします。

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March 04, 2008

「くれる」と「せこい」について

▼先日のNHKラジオで長野県民は犬にエサを与えるとき「くれる」というがこの使い方は正しいかどうか、という検証をしていた。gooの辞書によれば、「〔命令形は「くれ」が普通〕
(1)他者が話し手または話し手側の人に物を与えることを受け手の側から言う。
「君が―・れた万年筆」「また連絡を―・れ」
(2)話し手または話題の人物が他者に物を与える。受け手をややいやしめた言い方。くれてやる。
という使い方が認められているから間違いではないということになった。しかし使い方では目下の者には使うが、目上の人には決して使わないという解説があった。ラジオでは長野県の歌のグループが「くれる」という言葉を普及させようと、その歌を唄っているところを録音で流していた。
▼ところで28日夜の「ケンミンショー」では徳島県民は「つらい」ことを「せこい」と言うのだそうだ。徳島の料理研究家が出演していて、東京で「せこい」と言ったら怪訝な顔をされたと言って、会場の人たちの笑いを誘っていた。さしずめ石破防衛大臣は「せこい」という言葉がもっとも似合う人に思える

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March 03, 2008

●「戦艦大和日記5」を読む

▼●「戦艦大和日記」は6巻まで発行されているが、図書館にあるのはこの5巻までだった。これもほぼ1日で読み終えることが出来た。話は太平洋戦争で総力戦として、巨大戦艦を造る軍部。ゾルゲのスパイグループは軍隊が、ソ連に行くのか、それとも南下して石油を狙うのか、必死になって探る。本書に登場するのは、メルマガで紹介したが、宮城与徳である。同時に元軍部の良心的なグループは、資源から類推しても勝ち目はない。だから戦争は無茶であると、今の幹部たちを説得して歩く。左翼の反戦グループも存在したのだろうが、それらには一切ふれていない。何とか流れを変えさせようとするのだ。石原完爾を説得したりする。しかし石原は満州を理想の国としようとしたが、今は京都に左遷され、しかも東条英機との相性が悪く、京都大学の教授の席まで押しつけて、一線から遠ざけようとする。
▼東北地方からカネがないので、親から売春宿に売り飛ばされ肺炎になっていたミツは救い出され、今は呉で仲居頭として活躍している。そこには呉海軍の工廠で働く、工員たちが飲みにやってくる。箝口令は敷かれているが、飲み屋では口は軽くなる。ミツはその情報を探り出し、「工作員」たちに伝える。スパイ映画よりも手に汗を握る一瞬である。そして宮城が逮捕され凄惨な拷問を受けるところで、この章は終わる。

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March 02, 2008

□「ケイト・ブランシェット」を語る

▼NHKBSで西欧で活躍している人気俳優を大学などに呼んで聞く番組を放映している。題して「○○を語る」というので、司会はアメリカの大学の何とやらいうひげ面の教授がやっている。先日わたしが見た日は「ケイト・ブランシェット」だったので録画して見た。わたしがケイトを見たのは、「オスカーとルシンダ」で、これはレイフ・ファイズと共演しており、彼女はこの作品で認められ、次の「エリザベス」出演へと繋がっていく。
▼教授は聞く、あなたはどこのご出身ですか?と。彼女はオーストラリアである。すると先祖は流刑にあったのですか?そうです流刑囚であったと祖母が言っていました。オーストラリアは上記「オスカーとルシンダ」でも流刑にあった囚人とそれを護送する男の物語になっている。だから、言わば彼女のルーツを辿るような映画でもあった。レイフは硝子の教会をオーストラリアの僻地に送るという、難しい仕事を引き受けるのだ。
▼屈託なく自分の祖先が流刑囚であることを、しゃべる女優さんというのも凄いと思った。映画98年の「エリザベス」も映画館で見ているが、この時の演技は絶賛され、今回の「エリザベス・ゴールデン・エイジ」でも同じ役を演じる事ができた。まだご覧になっていない方はぜひお運びいただきたい。わたしは図書館からエリザベスとアントワネット関連書籍や書簡集を4冊も借りて読んでいる最中です。

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March 01, 2008

◇「あおげば尊し」に見る終末介護

▼日曜日だったが、NHK1chで午後9時~9時49分の「NHKスペシャル」を見た。話は横浜市の開業医小澤竹俊さんが、ガン患者の緩和ケアを専門としている話だった。そして病院で死ぬよりも末期癌患者の在宅での最期を看取るため心身の家族を含めて心身のケアをする大切さが伝わって来た。印象に残った一人の患者さんは年老いた夫が乳ガンの妻の世話をしている姿だった。画面にはうつむいて疲れ切った妻が映る。自分は夫が自分の介護で苦労しているから、「もう死にたい」と思い医師に話している。医師はふと「妻が風呂に入りたい」と夫に語っている事を思い出して妻に提案する。風呂に入ってさっぱりした妻は笑顔が溢れている。そしてベットで寝たきりだったので起き上がりたいという。そして今までの疲れ切った姿から、人が変わったような姿を見せる。入浴介助をしてくれたヘルパーさんたちと一緒ににっこり笑った写真を撮る。その後、ナレーションは妻が旅立ったことを知らせる。
▼わたしはこの映画を見て1年前に公開され、WOWOWで先日放映された「あおげば尊し」とそっくりなのを思い出す。主人公の光一(テリー・伊藤)は丸坊主で小学校の教師をしている。そして父は病院に入院していたのをあと三ヶ月の命だというので自宅で終末を迎えるべく、自宅に帰ってくる。現実自宅に帰れる場所のある人はまだいいが、わたしなどもしそうなったらエレベーターに乗るまでが、10cmくらいの段差があり、かなりデコボコするのでそれでまず苦労する。さらに死んだらエレベーターが古いので棺がヨコに入らない。
▼映画を作ったのは「東京夜曲」や「病院で死ぬということ」を作った市川準であるから、描写は繊細である。学校のインターネットを使った授業では密かに「死体のサイト」が流行っている。光一が注意すると生徒は「なぜ悪いの」と開き直る。光一はうまく説明が出来ず、「とにかく止めろ」というだけ。そして最後を看取る父親のベッドに、子どもたちを来させて課外授業をする事を思いつく。生徒を一人ずつ呼ぶのだが、先の「死体を撮ってなぜ悪い」と言ったこは死の床にある光一の父の姿を密かにデジカメの収めていたことが分かり、彼は強く叱責する。そして「なぜこんな事をするのだ」と聞くと意外な答えが返ってくる。そして最後に近い頃、父親に聞こえるように「あおげば尊し」の歌声が聞こえてくる。教師をしていた父は、果たしてあの卒業式の別れの歌が聞こえたのだろうか。

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