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March 14, 2008

NHK「定時制高校の若者達」を見る

Rakuda(ラクダに乗るわたし、中央)
▼NHK14日午後11時からの「ドキュメント/急増・定時制高校の若者達」を見た。登場するのは神奈川県立横浜市翠嵐高校定時制に通う生徒だ。昨年に比べ今年は通ってくる生徒の数が倍増している。その背景は親が失業したり、勤めている会社が倒産してしまったため、全日制や私立に行く事ができなくなった学生が増えているからだ。それでも彼らはアルバイトで家計を助けたり、親を助けながら昼間は働き、自分の学問に対する情熱を燃やすように疲れた身体を労りながら通学してくる。
▼本来でいうなら高校程度は現在、義務教育として通わせなければならないと思う。親の失業や会社の倒産は彼や彼女たちに何も責任はない。ある女子高校生は大学に進んで高校教師の資格をとるのが夢である。そして入学金はアルバイトで自力で100万円貯めた。彼女の場合は合格する事ができた。しかし多くの学生は就職する事が目的である。昼間鳶の仕事をしている学生は、携帯で撮った高さ20mの現場の写真を先生や学友に見せる。そして学校から求人応募の書類を見せられると、「もう定時制というだけで差別されているんだよ」と自嘲気味に語り、応募する気力をなくしている。果たしてこんな事があってよいのだろうか。格差社会とリストラの名による首切りはこの子たちの気持ちにも、歪みを生んでいる。高校教師をしている友人が卒業式の日にこんなメールをくれたのを思い出した。「高校の卒業式では珍しく雪が降りました。生徒の前途の困難を思わせる雪でした。」。
Enko(塩湖で中央のピラミッドもすべて塩で出来ている)
▼「チュニジアへの旅7」ラクダ遊覧は一つの産業として成り立っており、システム化されている。それに好意でサービスかと思って、「アラビアのロレンス」よろしくターバンを巻いてもらったり、砂に埋もれている「砂漠の薔薇」という石ころを拾って貰ったり、扮装をしてもらうと全て有料だから気をつけなければならない。
▼その後植物園までロバの馬車に乗って飛ばし、さらに動物園を見学した。植物園では高さ20mくらいの椰子の木の天辺までお猿さんの様に命綱なしてスルスル登る実演を見せてくれた。さらに動物園では昔浅草近辺でやっていた見せ物よろしく、職員は蛇を客の首に巻いて見せたり、サービスたっぷりだった。ここにはロンメルのあだ名にもなった「砂漠のキツネ」がいた。
▼人間の集まる所にカネが集まる。カネが集まるところには政治が生まれるというのは昔からの言い伝えである。砂漠にあっては水や塩が出るところに人は集まり、そこに軍隊も駐屯する。昼はチュニジアの牛肉の壺焼き(先日日本のTVで放映されていたが、塩釜焼きのようなもので、塩に該当する部分は小麦粉で封をする。)というチュニジア料理を頂いた。封をした部分はパンとして食べられる。
▼昼食のあとショット・エル・ジェリドの塩湖を通ってトズールへと向かう。塩湖はデータベースの地図にも入れてあるがチュニジア南部の巨大な湖である。干上がると見渡す限りバスで走っても走っても塩の湖が一面に広がる。この塩湖の中央部を走る道路は、第二次大戦のとき、北からイギリス軍が南からはアメリカ軍が作ったというガイドの説明があった。帰国してから文献を当たっているがまだそれは正確かどうか分からない。塩湖は東西に一番長い部分で50kmくらいあり、湖といってもこの時期は水はなく塩だけだが、製塩工場があって輸出しているという。この規模の塩湖があれば永遠に製塩ができそうだ。塩湖で休憩があったので塩を手で掬ってなめてみたが、日本で売っている加工品と違い、かなり塩辛かった。ここの休憩所のトイレだけはポコンと穴が開いているだけった。それでも1Dと有料である。
Tsuboyaki(牛肉の壺焼きの壺)
▼そしてトズールの町へと入る。このトズールとはフランス語の「12 douze ドゥーズ 」(英語で1ダースの語源)でかつてここに駐屯していたフランス軍第12外人部隊があったから、そのように名付けられたという説明があった。話としては良くできているが今の所、これも文献では確認出来ていない。ホテルは各棟ごとに分かれている言わば、日本旅館の離れである。しかしポーターは荷物を一つひとつ運んで埒があかない。わたしのバッグはホテル内の道路に放置され配達されなかったので、自分で引き取りに行った。それ以後ポーターを信じられなくなり、全部自分で運んだ。さらに風呂が水しかでないという苦情が相次いだ。わたしは砂漠で髪が汚れていたので、すっきりしたくて仕方なく水だけで洗髪した。

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