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March 18, 2008

「チュニジアへの旅10」最終回

Shoujo(マトマタの少女)
▼時間があれば映画の「イングリット・ペイシェント」もう一回レンタルビデオ店で借りて見直したり、戦争の歴史は図書館にいって検証する必要もあった。しかしわたしは今週中締め切りの仕事があって、それを最優先しなければならない。そして20日に発行する予定のメルマガの原稿も自分の分は一行も書けそうにない。まあ取材旅行ではなかったので、メモも一切せずにいい加減に直感だけで書いているのでご容赦いただきたい。
▼わたしは買い物には一切興味がなかったがご婦人のみなさんはご近所へのお土産の購入に余念がなかった。スースの港町はとてもきれいだった。そこのスーパーではサフランがとても安いという話だった。日本の鰹節の小袋の大きさの袋に入ったサフランは、1袋1ディナールだったので、みなさん大量に買い求めていた。ケロアンではヘナカラーが安いという話でこれもお買い求めになっていた。
Sinden(スベイトラの神殿)
▼5日目のスベイトラではローマ支配時代の世界遺産があった。今目にする事ができるのはカルタゴのあとにこの地に作られたビザンチン時代の神殿である。Sガイド氏の話によると第二次大戦中連合軍の空爆を受けて3つの神殿だけ残ったという。しかしドイツのドレスデンなど廃墟となってしまい、戦後何も残らなかった。しかしここの神殿だけ空襲を逃れたという事は考えにくい。近寄って石で出来た柱を見ると、あちこちで継ぎ接ぎの跡が残っている。おそらくかなり破壊されたものを、後からくっつけたのだろうと推測される。それとガイド氏のキリスト教のなりたちと、漁民など一般の人々への布教の仕方が、わたしが本で得た知識と随分違う。それに第二次大戦中の話なのにイスラエルが出てくる。大体イスラエルが国として成立したのは51年の事であるからおかしい。
▼布教とサインの方法について呟いていたら、参加者はわたしの方が説得力があるという感想だった。つまり当時の文字を知らない漁民たちは、自分の名前代わりに魚のマーク(数学のエンドレスマークの右が閉じていないもの)を書いてサインとした。それが発展して胸の前で十字を切るに発展した、という説だ。ガイド氏が施設の解説をしている最中も、怪しい老人が近寄ってきて、掘り出した土器の欠片を売りつけようとする。戦後しばらくの間日本でも、万年筆工場が火事になって、退職金代わりに貰ってきた。火事の現場から持ってきた物だ、といって汚れた万年筆を磨きながら売っていた方法と似ている。もしそれを売ろうとするなら、国宝級の物を売るわけだから犯罪であるが、いかにも偽物という感じをぬぐえない。こういう人たちがあちこちの遺跡にたむろしている。おそらく物乞いはできないから、彼らのプライドを傷つけないように、このような方法を取っているのではないかと思った。
Wanchan(マハディアの子犬)
▼東京並に快適だったのは最後のシェラトンホテルだった。わたしはチュニジアまで来てそういう快適さを味わおうとは思わない。別に砂漠に雑魚寝だって構わない。朝食のコーヒーはとてもぬるかった。参加者はボーイさんに「ホット・ウォーター、ホット・ウォーター」と言っていたがこういう英語は通じない。それを言うなら「boild water」であるはずだ。そんな事を言って参加者に嫌われても仕方ないので黙っていたら、最後までぬるいお湯しかでなかった。
▼チェニス空港でとても親切なガイドのSさんと握手して、別れる。おそらく日本国内のバスツアーの添乗員さんでもこれだけ知識が豊富で親切な人には中々お目にかかれない。再びミラノまでのアリタリア航空機に乗り込む。地中海からイタリアに入ると海のきれいだったこと。それに高度1万メートルでもイタリア中部では畑のマス目がきちんと見えて、農業がいかに大切にされているかはっきり見えた。
▼約15時間のフライトで成田に着く。自宅周辺に戻った時は午後1時だった。さっそく近くの寿司屋で海鮮丼を食べた。やはり美味しいことこの上ない。チュニジアでは魚料理は最後の昼食に出た。それはエボ鯛のような小魚をオリーブで炒めたもので、小骨も突き刺さったままで繊細さに欠ける。やはり日本の魚料理はうまい。それと生ビールが飲みたいが、きょう18日現在まだ飲んでいない。チュニジアではビール税がないので安い。水よりほんの少しだけ高いだけだ。レストランに入ると日本の場合コップに入った水は無条件で出てくる。ところがチュニジアでは、空のワイングラスなどがあるだけ、「水2D、ビア3D、ワインハーフボトル6D」と言われるから殆ど迷わず昼間からアルコールを選ぶ。わたしもM氏も昼間からアルコールを飲む習慣がないので、もっぱら水だけ注文していた。映画「バベル」で、モロッコを旅行しているブラピとケイト・ブランシェット夫妻。休憩所でコーラを注文し、ケイトが「危ないわよ」」とコップに入った氷を捨てる場面が印象に残っている。添乗員さんは最初「心配な人はミネラル・ウォーターで歯磨きをした方がよい」と言っていたくらいだ。わたしはさすがにそれはしなかった。
▼家に帰ると3匹の猫が待っていた。普通なら飛びつかんばかりに寄ってくるのだが、今日は遠巻きにして様子が違う。「何よ、他の女の匂いがするわよ」という感じだ。そうチュニジアではたくさんの猫ちゃんと友だちになって、データベースや投稿欄にも入れたあるが写真もたくさん撮った。女の香水の匂いなどする筈はないが、外国の猫の匂いがしたのだろう。そこで着ていったものは全てクリーニングに出した。首都のチェニスはガイドさんによるとニューヨーク同様人種のるつぼだと言っていた。確かにそれは言える。美しい女性がたくさんいてとくに彼女たちの瞳は蠱惑的でもある。思わず引き込まれそうになるくらいだった。むろん引き込まれることなく無事に帰国できた。後書き足りなかった部分はM氏のレポートを待ちたい。
▼データベースの写真をご覧になったお二人の方から「チュニジアの空は本当にあんなに青いのか?」というご質問をいただいた。持っていったNのレンズは青みが強調される傾向がある。それに砂漠の近くの町だから中国の黄砂同様の現象はあると思う。4月になるとドゥーズの町の道路は砂で埋まると言っていた。これは外房平砂浦と同じである。だから写真は現実に見た目よりも青が強調されていることは事実である。あと個別にご質問があったらお答えしてゆきたい。わたし自身の最大の疑問は、いまチュニジアで「遺跡」、「世界遺産」と言っているものは殆どローマ占領時代の遺跡である。たとえて言えば日本に占領された朝鮮が日本が作った遺跡を紹介しているような物である。もっとチュニジアの作ったものはないのかなー、という事だった。

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