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March 26, 2008

チュニジアの7日間という手記を発見

Susu(スースでも首から携帯をぶら下げる情けない姿よ)
▼またニフティのブログにトラブルが発生している。事前に予告がある定期的なメインテナンスならば対応が事前に出来るがいきなり24時間もだから困ったものだ。ニフティにはちゃんとしたプログラマーはいないのだろうか?思うに基幹のサービスをしっかりしないで、携帯対応やトラックバックの部分をいじっているときにトラブルが発生する事が多いように感じる。
▼昨日の朝日都内の夕刊8面にチュニジア料理の店が紹介されている。チュニジアにご一緒した方にはご紹介したが、千駄ヶ谷の「H」という店である。写真には「クスクス」が紹介されている。シェフによると、「バターは一切加えず、オリーブオイルで調理します」と言っているので、現地で食べた味と同じ筈だ。店内は「チュニジアン・ブルー」で統一されているというから、興味のある方はどうぞ。以前一度書いたがこの店の存在は、わたしの担当医から「事前学習にどうぞ」と言って紹介された経緯がある。
▼「チュニジア」でネット検索をしていたら、ある政治家が9年前に書いている「チュニジアの7日間」という連載記事に出あった。連載の中で歴史と観光について書かれているのは16回から18回までの3回である。その政治家F氏がなぜチュニジアに興味をもったかが興味のあるところである。つまり非同盟諸国会議がユーゴ崩壊と指導者チトーの死で事実上崩壊してしまった。その後政権をスムーズに移行できた国として、事実上立憲君主制とも言えるこのチュニジアに興味をもったのだろう。もちろん招待されて会議に出席したわけではある。
▼帰国してから色々調べてみると、第一次湾岸戦争でアラファトが、イラクを支持してから中東の各国はかなり混乱したらしい。そしてチュニジアの「イスラム原理主義」勢力もそれに余勢をかって反政府運動を起こそうとしたらしいが、政府のいち早い対応でそれは鎮圧されてしまったらしい。隣のアルジェリアなどではそれが出来ていないのは、様々な歴史的経過があるのだろう。しかし観光立国として安定しつつあるチュニジアにとってそういう道の選択肢はなかった。だから今にして思うとアルジェリア国境の警備が一層厳しかったのだろう。
▼F氏が観光見物で見ているのはカルタゴ遺跡やスースの市場、それにバルドー博物館である。カルタゴではF氏らしくマルクスの著書を通じて分析しようとしているが、マルクスはあまりデータがなかったと見えて短い論文でお茶を濁している。だから通俗的な観光案内所の域をでていない。カルタゴやハンニバルを記述した歴史書はたくさんあるはずだが、あくまでもマルクスの著書にこだわり。金科玉条のようにするのはF氏らしい。それに関連してカルタゴ遺跡に隣接して墓地について書いている。わたしが行ったときはガイドさんが「カメラを持っていってはいけない」というので持参しなくて残念だった。実際禁止されてはいなかった。Fが指摘するのはフェニキア人(チュニジアに住んでいた彼らの先祖)が、子どもを生け贄にしたという話だ。F氏がいったときはまだ、そんな幼子を大勢生け贄にしたという証拠はない、というのが9年前の学説だったという。しかし我々が行った時は、それは完全に否定されて、生け贄には動物が使われたらしいというのが通説だとの事だった。
▼あとカルタゴ遺跡に隣接する広大な大統領官邸に向けてカメラを向けてはいけない、フィルムを没収される、というのは当時も現在も同じである。官邸の周辺あちらこちらには兵士の歩哨所があって監視の目を光らせていた。

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