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April 01, 2008

◇録画した「ニュルンベルグ裁判」を見る

▼昨晩午後11時15分に地デジBSフジにスイッチを入れたらちょうど、チュニジアを放映していた。チェニス空港から大時計のある広場に車は向かう。何でもチュニジアには年間100万人の観光客が訪れるのだそうで、そのうち日本人観光客は1万人だという。カメラはカルタゴ遺跡から、バルドー博物館、水道橋、そしてエルジェムの円形闘技場と約10分間で手際よく紹介していた。ちょうどひと月前に観光していた場所なので懐かしく見た。
▼昨日あるブログを見ていたら、「わたしはテレビは殆ど見ない」という事を自慢している方がいらして驚いた。そして昨日から始まったNHKの朝の連ドラは見たという。わたしは連ドラはすべて時間の無駄だから見たことがない。いや時間に振り回されるのが嫌なのだ。見る見ないは自由だが、それを人に押しつけるのもどうかと思うし、圧倒的多くの国民はその画像に左右されて行動している訳なのだから、その分析からはじめないと一人よがりな事を言っているだけで終わってしまう。
▼わたしは番組編成期の「特番」が嫌いなので録画したビデオを見ていた。「ニュルンベルグ裁判」というモノクロの61年アメリカで作られた、3時間という長い映画である。ナチスの幹部は死刑などの判決を受けたが、ここに登場するのは当時法を執行する立場にあった裁判官などである。ドイツ側の弁護士はとても有能な人で「戦勝国アメリカにも断種法はあったのではないか」と専門書から探してくる。そして法体系自体ナチスドイツもアメリカも同じものではないか。「戦勝国」であるが故に、法を守る立場にあったというだけで法律家がなぜ断罪されなければならないか、と反論する。
▼そして一方アメリカ側の検事は「ダッハウの大量無差別殺人を知らなかった筈はない」と当時強制収容所を解放したときの生々しいフィルムを上映して、裁判官たちがこの犯罪に関与していたとして断罪を求める。わたしが思うに「国家」というものを存続させるためには民族主義の立場を取らざるを得なくなる。その権力に所属する者は組織に埋没すると体制を、反対側から見る目を失ってしまい、大量殺人をすることをも意図も簡単に合理化できてしまうのではないかと思った。
▼これはチュニジア旅行で感じたことなのだが、今のカルタゴは「点」でしかないが、紀元前のカルタゴ国家とは今の北アフリカモロッコからスペインのかなり多くの部分を占領している。しかもその権力を握っているのは、カルタゴを占領していたフェニキア人なのだ。という多国籍人種からなる国家だったから、日本と違い純粋な意味での「チュニジア人種」というのは存在しない。だからカルタゴのローマ遺跡自慢して見せても何も恥じることもないのだ、と思った。
▼ロクでもないテレビを見てばかりでロクな本は読んでいないのではないかと批判されそうだが、テレビの合間に今日の午後の取材関係の本を読み。さらにハンナ・アレントの「政治の約束」を読みつつある。そして話題の大江健三郎の「沖縄ノート」も図書館から届いたので手をつけたところ。今朝も書きたい事とは別の話に逸れてしまった。

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