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October 17, 2008

「ブログ・アクション・デイ・ナイト」に参加して

Haetori(近くのOピックで買ったはえ取り紙、やはり掛からない)
▼昨日の朝てんぐささんからメールをいただいた。「編集長は髭を生やしたのですか?」とおっしゃる。いやわたしは生まれてこの方髭をたてた事など一度もない。確かめると「ぴあ」に掲載された映画の感想と顔写真がどうやら別人と差し換えられてしまったらしい。昨日は忙しくて本屋さんで確認することができなかったが、書店に行って調べて見ようと思う。さてブログの会議の話。会議の正式名称は『Blog Action Day Night 2008 Poverty』という。会場はゆりかもめの「青海」駅の真ん前にある観覧車の真下になる。家からは総武線で両国まで行って、大江戸線で月島で有楽町線に乗り換え、豊洲で下りる。そしてエレベーターでゆりかもめに乗る。これらは全部Suicaで通る事ができる。しかしみるみる残額は減っていく。便利なようで急激に残金が減っていくのは恐怖である。
▼司会は徳力 基彦(アジャイルメディア・ネットワーク株式会社)と孫奈美(雑誌ecocolo)さんだった。しかし徳力氏は人の話を良く聴かないで、発言中にもかかわらず横から口をはさみ、自分の知識をひけらかすのでとても不愉快な司会者だった。ちゃんと人の話を聴き終わってから、「ちょっと良いですか?」と一旦発言が終わるのを待って欲しいものだ。こういう司会に慣れていないのだろうか?パネリストは世界銀行東京事務所/王子ネピア株式会社/ソニー株式会社/キリンMCダノンウォーターズ株式会社(ボルヴィック)それに個人として玄秀盛(新宿救護センター所長)だった。
▼世界銀行の大森功一氏は今の世界の人口67億人だが2050年には90億人になる。そのときまでにどうしたら飢えや一日1ドルで暮らす人が10億人。2ドルで生活している人が20億人いるが、これらの人をどうやって少なくするかというような問題提起だった。パネリストの話では彼が一番良かった。ネピアでは「千のトイレプロジェクト」というのを東チモールなどでやっている。開発途上国ではトイレそのものがない。衛生観念を植え付ける事と、チモールでも紛争で途中まで援助してもトイレが破壊されてしまっている例がある。そこにどう関わっていくか「あなたの選ぶネピアが、子どもたちを守るトイレになる」という問題提起をした。ソニーの場合発展途上国にデジカメなどを提供するプログラムで子どもたちに写真を撮らせる。それはプロがいくらがんばっても出来ない、信頼できる人間関係ならではの写真が撮ることができる。しかし業績がそれほど良くないソニーにとってそれをトップにどう理解してもらうのか。それにかなりのエネルギーを必要としていという。ボルビックは店頭などでも1リットルの水が途上国に10リットルの水を援助することになるという話だ。途上国では水の色が茶色で当たり前と思われている。しかしこの援助で井戸を掘り、井戸のメインテナンスをすることによって水の汚染や寄生虫で死ぬ人が減る。そして家畜や畑の灌漑をすることによって、生活でも自立を促すことができいるという。
▼玄さんの話は一番ユニークだった。彼は不動産業から金貸しまであらゆる仕事を手に染めた在日の人である。そして儲けたのでひと晩に200万円を使い切る自堕落な生活をしていて病気になってから人生感が変わって人の為に役立とうと、新宿歌舞伎町にNPO法人歌舞伎町に立ち上げて、あらゆる相談に24時間のっている。新聞やテレビに出たり、本を数多く発行しているので、相談者は全国から365日24時間押しかけてくる。彼は法律解釈だけでは解決できない人を即決で自立の手助けをする。例えばある老婆が東北地方から訪ねて来た。カネを借りているがもう金利さえ払えないという。玄さんは金融業もやっていたので計算して見るとかなり過払いになっている事が分かった。その場で司法書士に電話して老婆を連れて行って正式に計算したら300万円戻ってくることがわかって老婆に感謝された。それどころか80万円お礼にともって来たのでそれはお断りしたという。また未成年の聾唖者を風俗で働かされて、妊娠してしまった。聾唖者なので相手の言うがままにされてしまった事が原因らしい。玄さんは過去に暴力団を2つ解散させた実力の持ち主なので、該当組織と即その場で交渉して、本人が希望しない妊娠なので必要な慰謝料と自立するための資金をださせてやったという。もしご相談に乗って欲しい方があったら下記のサイトを参考にしていただきたい。新宿救護センター
▼最後は坂本龍一に認められてジェイウェーブにも出ているコトリンゴというシンガーソングライターが出演したが、声がどうもはっきりしなくてお世辞にもうまいとは云えなかった。パネリストの話を聴いて何を感じたかについては明日書く予定だ。でもあすは午後から取材しなければならない。

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