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October 20, 2008

◇「嗚呼満蒙開拓団」を見る

Bentou2(ナチュラルハウスの弁当。安全な物は高い)
▼本日メルマガの締め切り日で、すでにお二人の読者から投稿を頂いています。まだの方はなるべくお早めにメールをお送り下さい。
▼昨日の映画は表参道のウィメンズプラザだった。いつもの様にナチュラルハウスで弁当を買った。うっかりしていたのだが、ここでは箸は有料である。レジ袋は辞退したが、箸は1膳5円だった。実際割り箸は80銭くらいらしいが、手づかみで食べる訳にはいかない。今度からマイ箸をバッグに入れておこう。ウィメンズプラザでは第21回東京国際女性映画祭の初日だった。羽田澄子監督の「嗚呼満蒙開拓団」が上映されるので出掛けた。羽田監督のファンは新藤兼人監督同様熱烈なファンに支えられているように思う。はっきり言えば岩波ホールにいらっしゃる人々である。映画が終われば会場から拍手も沸くが、決してそれ以上の層には映画は広まらない。上映に先立ってホールの高野悦子支配人などから挨拶があり、新人女性監督らに花束の贈呈があった。その中でもわたしが注目しているのは「ブラジルから来たおじいちゃん」を撮った栗原奈々子監督だ。先日渋谷イメージフォーラムで予告を見たが、これは見るべき映画だと思った。舞台に上がって紹介された栗原監督はソバージュの髪で、ざっくばらんに話しができそうな人だった。岩波ホールに来る観客に共通しているスタイルというのがある。白髪が目立つがとくに手入れはしない。着飾ってはいない。むかしは男装の麗人であっただろう、という雰囲気の人が多い。
◇「嗚呼満蒙開拓団」20年以上前に連れ合いの家のSPレコードを見たことがあるが、その中に「建設の歌」というのがあり、それは満蒙開拓団を讃える歌だった。満蒙開拓団とは疲弊した農民を「極楽王土」があるとだまして、現在の中国東北部である、満州の開拓に移民させた当時の日本政府の国策である。映画「戦争と人間」第一部トップシーンでも明かだが、当時の軍部青年将校たちは226事件以降、日本の生命線は満州にあるという論理を組み立てて行った。その中心になったのは石原完爾陸軍参謀などだが、理論的中心人物は北一輝である。
▼ああこんな話は映画に出てこない。読者兄弟姉妹の理解を助けようと思って書いている。満蒙開拓団という言葉にだまされて「移民」させられた日本人は23万人で、引き揚げの戦乱の中で死亡した人は7万人いたとされる。「移民」の中で一番多かったのは長野県人であった。このドキュメンタリーは命からがら引き揚げて来た人たちの証言と、現地調査というか2回に渡る墓参の様子から成り立っている。
▼陸軍は満州鉄道を守るために、関東軍を配置して線路を守るという勝手な論理を作った。だが昭和17年頃になると南方の戦線が風雲急を告げるので、関東軍をそちらに回してしまったので、関東軍実態は空洞化していた。そこに最初は武装開拓団を移住させた。そののち満蒙開拓団という移民団を作って、実質的に軍部が中国の農民から二束三文で奪い取った土地を、移民の農民に与えた。そして北海道の屯田兵の様な役割をさせた。つまりイザという時には武器を持って闘わせようとした。映画に出てくるが、敗戦の2ヶ月前になっても本土から移民をさせていた。ところが現地に到着して家族の荷物もほどかないうちにソ連が参戦して逃げ帰る例もあった。ソ連が参戦する直前になると、中国人たちは目の色を変えて日本人の住宅を取り囲み牛馬やめぼしいものの略奪が始まる。
▼また開拓団にいる男性に対しては、敗戦の半年ほど前から徴兵が始まっていた。関東軍の兵力不足を補うためである。だから開拓部落に残っていたのは老人や女子どもだけだった。駅に行くと銃剣を持った兵隊が民間人は列車に乗ることを遮っていた。それに乗るには順番があって、まず左官級(少佐以上)の家族、満鉄の社員、、3番目は忘れたが軍属か何かだ。民間人はそこに取り残され餓死や凍死する人が続出する。それでは兵站基地がある方正(ほうまさ・現黒竜江省)を目指して逃避行が始まる。這々の体で方正向かう。兵隊と一緒にいれば助けて貰えるだろうと。しかし現在車で移動すれば4時間余の道のりを、中国人に見つからないように逃げ隠れして、悪路を進むので1ヶ月かかっている。そしてその間には子どもが死亡したり、自害したり、沖縄戦の末期と同じ悲劇がおきる。食べものは何もないから子どもは捨てるか、殺す、さもなくば中国人に拾って貰うしかない。
▼方正県の心ある人民政府は日本人のための墓地をつくり、そこに墓参する人々のツアーも組まれている。羽田監督はこの軍部と戦後の日本政府による棄民政策を訴えることと、中国黒竜江省の政府幹部が周恩来の言いつけをきちんと守って、軍部と人民を分けて考えなければいけないという教えをちゃんと守っていることを描く。そして中国に残して来た育ての親を訪ねるツアーの一行の目を通して戦争とは決して一般市民を守るためにしているものではないと訴えたかったのだろう。
▼第二回目のツアーにわたしの大学時代の先輩が参加していて30秒ほど写っていた。しかしドキュメンタリーで2時間は長すぎる。同じカットが多すぎる。脚本を工夫すれば、もっとシンプルで誰が見られる映画になると思う。

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