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January 31, 2009

◇「チェチェンへアレクサンドラの旅」を見る

▼東京は朝から大雨が降っていて、寒いです。トルコの大きな画像は会員向け特別サービスとしてデータベースに15枚ほど入れましたのでご覧下さい。メルマガ会員の方でパスワードを忘れた方はメールをいただければ個別にご連絡さしあげます。
▼トップページの左下に友人たちのリンクがある。その中に「医療・社会保障・福祉」を書いていらっしゃるHさんが、昨日トルコの絨毯屋さんのことをご紹介して下さった。それによるとエジプトの絨毯の販売方法とそっくりだったと言うことだった。たしか昨年行ったチュニジアでもほぼ同じ売り方だったが、トルコほど執拗ではなかった。
▼◇「チェチェンへ、アレクサンドラの旅」この映画は30日で終わってしまった。どうしても見なければならないと思って雨の中をユーロスペースまででかけた。渋谷はいつも和食のチェーン店にはいる。しかし時間になっても開く様子はない。ふとその反対側でいつも長ーーい行列ができている回転寿司の店が雨のせいかガラガラなので入ってみることにした。海鮮丼が何と500円で鯛の吸物が付いていた。吸物を一口啜って和風総本家ではないが、「やっぱり日本って良いなー」と思う瞬間である。
▼映画の監督は2年前に話題になった終戦と天皇を描いた「大陽」を撮ったアレクサンドル・ソクーロフだ。80歳くらいの老婆が、チェチェンの前線にいる孫を訪ねるために軍用列車に乗る場面から始まる。この美しい老婆の顔はどこかで見たことがあると思ってずっと考えていた。映画の最後の方になってあのロシアの反体制チェリスト、ロストロポーヴィッチの妻だったことを想い出した。夫は一昨年亡くなった。その映画で彼女の若い頃ソプラノ歌手としてオペラに出演しており、「カルメン」を演じている頃が映し出されるが、それはそれは妖艶であった。
▼話は脱線ばかりしている。ロシアでは一定程度兵役に就くと、家族を前線まで呼び寄せる権利があるのだという。それを利用してアレクサンドラは無理して軍用列車に乗り込んだのだ。一見ドキュメンタリーではないかと我が目を疑う。しかしカットバックなどが使われているし、俳優でなければ出来ない表情が兵士やチェチェンの人びとの顔に出ている。ようやくのことでチェチェンの前線基地にある駅に辿り着く。たまたま同じ列車に乗った兵士達は彼女に手を貸して助けたりする。しかしタラップがないので、抱き上げて貰ってようやくようやく降りることが出来る。そして基地までは装甲車に乗っていくのだが、ロシアの装甲車BTR80は狭くて乗り降りは穴にもぐり込むような要領で入らなければならない。わたしは高所恐怖症よりも、閉所恐怖症なので戦車や潜水艦などには絶対乗ることはできない。揺れられてついた所が前線基地だ。基地では大尉で地位は三番目くらいに出世しているので部下は20人くらいいる。兵士がアレクサンドラを「ここが貴女のホテルです」と案内してくれたのは一張りのテントでベッドが一つあるだけで、蒸し暑さはもろに伝わってくる。そして基地の上空にはハインドヘリが飛んでおり、ベトナム戦争を扱った「地獄の黙示録」のトップシーンの様だ。
▼久しぶりの再会でハグする二人、なぜ孫は祖母を指定したのだろう。祖母は夫は2年前に亡くなったが毎日が怒鳴ることの連続で気が休まる日がなかったという。そして孫がいうのには「おばちゃんはボクのおかあさんに辛く当たった」という。それぞれわだかまりはあるが、血の繋がりは親密さを復活するのに時間はかかならい。大尉の孫は「ぼくはここに来てから数えられないほど人に銃口を向けてきた。しかしそんなことはちっとも自慢にはならない」という。部下たちはどこの国の兵士も同じだが、銃の手入れに余念がない。最新式のAK74であるはずだが、スプリングやボルトが締まらず壊れてしまっているものもある。あるとき孫は「仕事だ」と言ってでかける、はっきりは言わないが装甲車数台でいくので、チェチェンの人たちの「掃討作戦」であろう。
▼祖母は「どこへ何しにいくの」と尋ねるが孫は無視して無言のままだ。基地の中にいても退屈で仕方ないので不自由な足で「バザールはないか?」と兵士に聞いて、孫の好きなタバコを買おうと思ってでかける。先日トルコに行って分かったが地方に行くと、店があるのはバザール(決まった日時に市場を開く露店の様な場所が多い)だけだ。そこに辿り着くまでに疲れてしまう。最初の店で何か買おうと思うが店員は「このロシア人目」という感じで睨めつけるだけで物を売ろうとしない。となりの婦人が開いている店でタバコを買う。とにかく疲れた様子なのでその婦人の家まで行ってひと眠りしてしまう。婦人はバザールまでとても美形の甥に送っていかせる。近道を歩くように指示されるが、アレクサンドラには果たしてそれが正しいかどうか不安になってしまう。ようやく基地に着くとロシア軍兵士と送っていった青年の目の間には明かな隔たりがある。
▼作戦に出て行っていた大尉は「おばあちゃんいったい無断でどこに行っていたの?」となじるが疲れ切った彼女はベッドに倒れ込むように眠ってしまう。翌日孫は今度は「5日間の任務だからもう帰った方が良いよ」と言い含められる。孫と何度も熱い抱擁を繰り返し、被っていたベレー帽を彼女に委ねる。駅に向かうと、バザールで出会った3人の婦人が見送りに来てくれていた。昨日買ったタバコのお金を払おうとすると、「いいから、いいから」と固辞する現地の婦人。ロシアとチェチェンは国レベルでは憎み合って戦争をしているが、人びとは戦争を憎み心から親愛の情を示そうとしていることが映像から伝わってくる。全編、実際の前線基地を使ってロケをしており、銃弾は一発も飛ばない。しかし大尉が祖母に言う「流れる血は美しい」という言葉に端的に狂気を現している様に思える。

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January 30, 2009

海外旅行の必需品を考える

▼昨日ある方にお目に掛かったのだが、トルコのブログはやはりリアルタイムの記事の方が臨場感があって面白かったというご意見をいただいた。やはりそうなのかと思う。帰国して2週間書き続けているのだが、書いておかないと忘れてしまう。今回のガイドさんは日本語を習うため、自費で3ヶ月日本に滞在したことがある、とおっしゃっていた。そういうだけあって流ちょうな日本語を淀みなくしゃべっていた。しかし3日目の外交論に至ってはブッシュのそれと同一なので、ここで紹介する気持ちにもなれない。しかし昨年のチュニジアに比べると数倍優れていた。チュニジアでのインチキな説明は、例えばジェットジェル湖にかかる橋の説明だ。英語と日本語を取り混ぜて説明するとことによると第二次大戦で北アフリカ戦線でナチスを包囲する目的で作ったという。しかし帰国して調べてもそう言う事実とこの橋との関連は出て来ない。そもそもナチスを包囲するのはトーチ作戦と言われてモロッコとエジプトから始まった。地形的に見て、この湖の橋を架けても作戦上あまり意味がない。英語のサイトをさんざん探して分かったことは1978年に架けられたということだ。現地ガイドの言うことをそのまま信じて書くと大恥をかいてしまう。
▼海外旅行で一眼デジカメを持っていくなど正気の沙汰ではない。今回もわたしたちのグループに新品のカメラを持った老人が一人、マニアだという三脚を持った老人が一人の計二人いらっしゃった。しかし高いカメラを持って来ても良い写真が撮れる訳ではない。必要な時、すぐシャッターを押せる状態になっているかが問題だ。それには24時間クビからぶら下げていても、苦痛でない重さが必要だ。わたしは過去の海外旅行の反省で昨年9月にカメラを替えた。撮影が目的の旅行ではないから、これで十分。ベリダンスに行ったとき、D300に300ミリレンズを持っている人もいて仰天した。そうか彼はこのためにどでかいカメラを持って来たのだ。ご苦労なことだ。
▼北海道から参加した家族連れの一人は、海外旅行は初めてなのか電源スイッチを入れたり切ったりするたびに、「ピコピコ」鳴るうるさいビデオカメラを回していた。動いているバスの中とか歩いている状態でビデオを回しても、見せられる方は船酔い状態になってしまうことは間違いない。わたしたちが普段見ているTVの旅番組はすべて脚本があって、ディレクターの指示通りに撮影して、それを編集技術でメリハリをつけるのだ。所詮素人が取ったビデオなど5分以上も見せられるのはゴメンである。撮ったは良いが編集もせず押し入れにしまい込まれる運命にあるのだ。わたしなど800枚のスチル画像を撮ったが5分もあれば見ることができる、しかし家族も一回見ただけで二度と見たいとは言わない。
▼サバサンドの例を待つまでもなく、出来れば英和・和英が一冊になった辞書を持っていった方が良い。今回もバッグに詰め込もうと思ったが、直前に出してしまった。トルコは英語は全然通じないと言われていたが、現地の土産物店では大体日本語は通じる。トラブルにあったとき英会話が出来るかどうかはそれほど問題ない。中学1年程度の教科書で習った文法と単語で何とかなる。問題なのはその必要な単語がイザというとき、すっとでてくるかどうかなのだ。木曜日「いい旅夢気分」という番組を見ていたら、根岸季衣と丘みつ子がスペインに行った話をしていた。そこで買い物をしたら膨らんだ大きな荷物だったので手振りで「飛行機に乗るって帰るので、空気を抜いて小さくして」とやったらちゃんと通じたという。飛行機は手でバタバタ鳥のようにして、空気を抜くのは伸びる仕草だった。一生懸命伝えようすれば通じるのだ。わたし?英語の単語を文法に従って並べただけ。
▼先日トルコの青年を東京案内するとき、実は電子辞書を持っていった。「卍」と言っても説明不可能なので辞書を見せる。その他「義理チョコ」の義理とは何か?厳密には違うが「duty」で分かって貰えたようだ。難しかったのはマンガのなかで忍者の「気」という言葉を偶然あった女性がしたときだった。これは「mind」で分かってもらえただろうか?
▼持ったつもりで忘れたものが歯ブラシだ。これは結局今朝の新聞で話題のトルコ航空で貰ったものをずっと使い続けた。わたしは3年前倒れてから食後口のなかをすすがないとさっぱりしなくなった。もちろん日本からチューインガムをいくつか持っていった。現地のガムを買った人の話では「まるでゴムのようだ」と言うことだった。それで考え出した究極の口腔ケア術とは、歯ブラシに何もつけないで口の歯茎の部分を磨く。そして終わったら出てきた水ですべて飲み込んでしまう。これは飛行機だけではなく。バスの中でも応用することができる。
▼それで次回持っていくのを忘れない方が良いものは割り箸である。何度も書いているが魚料理は3枚に下ろすとか、開きにする料理術がない。まして小骨をピンセットで取るなどという手の込んだことはやらない。だから唐揚げのように丸ごと内臓つきで揚げるだけだ。これをフォークとナイフで骨を外すのはかなり困難である。箸を持っていくことで、できれば大根ドレッシングなどを持参すればベストである。ではもしかしたら数ヶ月後になるかも知れないが、次回の1年後旅行記をお楽しみにしていただきたい。
▼今回は携帯で画像とメールを送ることが出来たので、リアルタイムでみなさんに現地情報をお届け出来た。中には最新の携帯を持っていったが全然通じなかったという方もいらっしゃる。ぜひ出掛ける前にすべての機材はチェックして行っていただきたい。できれば直前に買うのではなく、3ヶ月くらい前には買ってテストをして行くことが望ましい。

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January 29, 2009

もう一つの映画007の舞台は

Miyage1(土産物屋さんの店先)
▼ガルタ橋を渡って戻ろうとすると釣り人の糸がおまつり(糸が絡まる)状態になっていて大声で怒鳴り合っている場面に出会い、何処も同じだと思い微笑ましかった。映画3のことを全く書かなかったが、これは63年の「007」シリーズで、当時一番人気だった。映画3の中頃にも改築前のガルタ橋が一瞬だけ写る。相手役は当時イタリアの人気女優ダニエラ・ビアンキでロシア・スパイのタチアナを演じた。ボンドが上司M(今はジョディ・デンチだが当時は原作同様男性だった)に呼ばれて一枚の写真を見せられ、「彼女と接触せよ」とと命じられる。別室で秘書とだべっていると、再び上司から電話があって「写真は置いていけ」といわれ、ボンドはそのポートレートに「from russia with love」と書く所から話は始まる。イタリアからイスタンブールに行くとMI-6の現地事務所は絨毯屋の奥にある。そしてアヤソフィアは頻繁に映し出される。その地下に今は公開されていない地下宮殿があり、ボンドは現地協力者とボートで地下を渡り歩く。その一角に潜水艦の潜望鏡が設えてあり、そのヘリスコープはソ連領事館の中味をのぞき見ることができる仕掛けになっている。ボンドがソ連領事館にビザの申請にいくと、当時のソ連の幹部に混じって初の宇宙飛行士であるガガーリンの写真も飾ってあるので、とても可笑しい。
Hato(鳩に餌をやる人)
▼橋を渡りきると魚屋さんは店開きをして活気がある。そして出勤前、鳩に餌をやっている女性などがいた。再びガラタ塔に向かったのは午前10時頃だったのでオープンしていた。入場料は7ドルとかなり高かったが思い切って入る。すると外観は階段だが実際はエレベーターになっていた。最上階はクラブになっており、夜になると高い店でベリダンスショーを上演するようだ。映画3にも中程で妖艶なベリダンスが演じられている。ショーは夜だけなので、塔の外に出ると金角湾からボスポラス海峡がすべて見渡せる仕組みになっていた。しかし鉄の柵はなく石だけなので果たして地震などに耐えられるのかと思うと足がすくんでしまう。そうわたしは高所恐怖症なのだった。塔の上を一回りして下に降りて、まずタクシム広場に向かう。
Sakanaya(魚屋さんの店先)
▼店はかなりオープンしていて銀座通りを歩いている雰囲気で30%オフ、40%オフ50%オフなどの文字が並んでいる。映画館の前も通ったがハリウッド系の映画は1本もなく、ただ一つ「サンスーシーの女」らしき看板があった。これはロミー・シュナイダーが82年に主演したフランス映画、ナチスに捕まった夫を助けるために解放を条件にナチの将校に身を委ねるが、果たされなかったために復讐する話である。おそらくこのリメイク版は日本では公開されることはなかろう。しかしどうなっているか興味は尽きない。
Housuisha(警察の放水車)
▼来たときと同じ道にもどり警察署の前まで来ると、ホテルまで300mくらいなのでホッとする。警察署の前にはヘッケラー&コッホを構えた警察官と白い放水車が止まっていた。明日の総集編で終わります。帰国してからの感想はどなたからもありませんでした。お退屈様でした。ベリダンスの画像は明日からトルコベスト10写真とともに、データベースに移動させます。

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January 28, 2009

ガラタ橋のサバサンドを食べる

Tram(薄暗い道を走るトラム)
▼ホテルの朝食は大体6時半と早い。なぜならトルコ国内の移動手段はバスになることが多い。それで出発時間が遅くなるとラッシュに巻き込まれてしまう。そこで7時半とか8時に出発するのだ。都市の中心部では検問があり、運転手さんはタコグラフの装着が義務づけられており、それを持って警察官に見せ、違反があると罰金を支払う仕組みだ。これも渋滞の原因になっているようだ。しかしこれも袖の下が通用するのだという。
▼この日は6時半にL階(フロントのある階はどこでもL階と呼ぶ)レストランに行くとN夫妻はすでに朝食を召し上がっていた。いつも混雑する食堂も市内の有料ツアーは出発が遅いので空いていた。15分で朝食を済ませ、7時から身軽な格好をして歩き始めた。前にも書いたがトルコの7時は日本の5時くらいの感じでまだ暗い。日本の銀座とも言えるタクシム広場までは歩いて15分くらいだ。ガイドさんが夕べ左側の道路は物騒だから右を歩くように言われていたので右の渡って近道を行く。市街の地図は持っていなかったが大体見当をつけてある。やがてトラム(路面電車)の一番電車のような物がライトをつけて走ってくる。タクシム広場から目的地のグランドバザールまで行くのだが、トラムの終点から登山電車(実はトルコ唯一の地下鉄チュネル)のような物がでていたが。小銭がなくなったのと、ガラタ塔を見るために歩いた。添乗員さんから「ガラタ塔をぜひ見るよう」にと言われていた。しかし塔なのか島なのかわからなかったが、近づいたら分かった。しかし7時半頃に付いてしまった塔はまだ閉まっていた。そこからひたすら下って新ガラタ橋に向かう。ちょうど朝の出勤時間に重なっていたので、ヨーロッパ側からフェリーを使う通勤客が道を急いでいる。
Sabiki2(サビキ釣り、日本ではワカサギ漁で使う)
▼トイレに入ろうと思ったらここだけ1リラもする。地元の人が1リラも払えないと思うのでおそらく観光客向けの値段ではないかと思った。そして長年の念願であったガラタ橋を渡り始める。橋の両脇には年金生活をしている人と思われる人たちが、大勢釣り糸を垂れている。獲れるのはカタクチイワシだとガイドさんは言っていた。この日バケツを覗くと釣果はまだまだだった。中にはサビキ釣りで沢山釣り上げている人もいた。橋を渡りきるとグランドバザールである。一言で言うと御徒町のアメ横と言った風情で、衣服や宝飾品から雑貨を扱っている店が並んでいる。映画1の後半でダニエル・オートゥイユが、文無しになってベリダンスの呼び込みをしているのは、この一角である。
Sakanaoke(調理場の魚たち)
▼わたしはどうしても買わなければならないものがあった。ようやく気に入った店を見つけて値段交渉をすると手持ちの現金が足りなかった。カードでもOKだというので使おうとするとN氏が「こういう店はカードを悪用される可能性があるから止めた方がいい」と忠告して下さった。そこでわたしは手持ちの日本円と、N氏のドルを最新のレートで両替してもらって目的を果たすことができた。バザールの散策は1時間余だった。もう一つの目的はイスタンブールまで来たら「サバサンド」を食べないと話にならない。これはリアルタイム版でも書いたことだ。メニューを見ても分からない。調理場で魚の実物を見せて貰ってもサバは見あたらない。日本語のメニューはないのかと聞くと「それほど日本人客は多くない」という返事が返ってきた。念のためメニューを撮影して来て、帰国後辞書を引いたら3番目の「mackerel」の魚がサバだった。今後トルコに行かれる方はメモして行かれることをお勧めする。しかし分量が多すぎてわたしはMINさんと半分に割って食べることができた。
Menu(レストランのメニュー)
▼わたしのトルコ紀行文は明日で終えることができると思う。

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January 27, 2009

ベリダンスの夜の出来事

Mangetu(イスタンブールの満月、中央下)
▼レインボーダイアリーに「トロ吉」さんが火曜日の枠の書いてくださることになりました。とても感謝しています。そう言えば年賀状で数年断筆しているが「今年から書く」とおっしゃった方がお一人いらした。まだそれからひと月も経っていないいないが、どうか「決意」をお忘れないように願いたい。年賀状を頂かなかった方は何も誓っていないのだから、アテにはしていない。
Sohutouri(ニセのソフトクリーム売り)
▼ベリダンスに行く前に書く事を忘れていた事が一つある。それは昼食はシーフードをいただいたのだが、その直前仔猫ちゃんに日本から空輸した最後の餌を与えた。所がタイミングが悪く、左の薬指をその鋭い爪で引っかかれてしまった。犬と違って猫は大丈夫だとは思ったが、すぐ出血した薬指を噛んで血を吸い出し、はき出すことを繰り返した。添乗員さんに話したら、念のため水で洗浄しておいた方が良いと言われて、レストランでそのようにした。今はかさぶたも取れて何も異常は見受けられない。
▼レストランの出口ではあの伸びるアイスクリーム売りが口上ととともにアクロバットな仕草で売っていて、日本人観光客は競って買っていた。しかしトルコの青年に後日聞いたところによるとカッパドキアもイスタンブール市内で売っているものも、全部偽物だという。本物はある都市の一箇所でしか売っていないとのことだった。土産を買うのは所詮騙しあいと紙一重だから仕方ない。
▼夜行列車ではシャワーも浴びることはできなかった。冬はまだしも夏は汗でとても大変だと添乗員さんは言っていた。レストランはボスポラスの脇にあった。ちょうど満月に近い月が河面に映えていてみんな競ってデジカメのシャッターを押していた。コンヤにいる時から満月に見えたので、満月が3日もつづく筈はないのだが、まあ学術調査に来ているわけではないから、どうでも良いことだ。
Dance1(一人目のダンサー)
▼ベリダンスに行くとホールは100人あまりの日本人観光客で満員だった。ワンドリンク付きで8000円なので、今まで飲んだことのない酒を飲もうと思った。トルコではラクという焼酎が強いという評判だった。クセがあるので評価は分かれるようだ。MINさんは健康志向なので「お湯割り」を所望したが「そんなものはない」とにべもなく断られた。ラクに水を足すと白い泡が立ってそれを飲むのが正しい飲み方なのだ。それでもウェイターはMINさんに最後にお湯だけ持って来てくれた。
Dance2(最も妖艶なダンサー)
▼最初の男女3組で踊る民族舞踊はまさに学芸会のようだった。つぎにベリダンスを金髪の女性が踊る。これは動画でご紹介している通りだ。ところが15分ほど踊ると会場の観客を舞台に乗せて一緒に踊る。その傑作な動画もあるのだが…。踊り終わって30分くらいすると係員が、壇上に登った客の間をデジカメで撮った写真を何と1枚5ドルで3枚セットで買えと回ってくる仕組みになっていた。鼻の下を伸ばしているとこういう目にあう。2人目のダンサーはブルーネットの髪で体型も極めてグラマラス、観客は息を呑んで見つめていた。
▼明日はイスタンブール市街の有料ツアーもあるが、8000円も支払えば結構なお土産を買うことができるので、それは不参加にした。列車とダンス会場で親しさを増したN夫妻と明日は朝食を早めに済ませて、市内を歩きまわろうと約束して眠りについた。
◇「チェ28歳の革命」キューバ革命が成功した60年1月1日は、高校生の時だったのでリアルタイムでそれは感じて親しみを持っていた。やがてキューバ革命に関する文献を漁って読むようになる。その中で不思議な人物がいてそれがチェ・ゲバラだった。彼の著書が出版されたのは「遊撃戦論」という本で、かなり小さな出版社で、毛沢東の論文とセットになって販売された。それは今手元にはないが実家に送って保管してある。同時にもう一人カストロと彼ゲバラ達を訓練したのは、スペイン革命の生き残りでアルベルト・バーヨという人で革命が成就した後も、彼らからジェネラルと慕われていた。彼が書いたのは「ゲリラ戦教程」という地下出版されたタイプ印刷の本でそれも密かに手に入れた。しかし「地下出版」するほどの大げさの本ではなかった。それで彼がボリビアで捕まって射殺されるまで、その経過はリアルタイムで報道されていた。チェの遺体の写真も新聞に掲載され、わたしはそれを切り抜いて持っている。わたしがボリビアに行きたいとこだわるのも、その聖地を一目見たいからだ。 さて映画だが、グランマ号というボートに乗ってキューバに乗り込む場面から始まる。しかしソダーバーグ監督の描くゲバラは山賊の様だ。監督は国連で演説するゲバラと、革命陣地を拡げる革命闘争を交互に、比較的時系列で対比しながら描く。しかしそれはアメリカ人の見た革命であり、バチスタという傀儡政権から土地を開放して、人民に分け与えたという本質を的確に描いてはいない。ゲバラが最も力を発揮して世界にその名を知らしめたのはサンタクララの列車の転覆作戦である。しかしその描き方も迫力はまったくない。キューバ革命の全体像を監督が把握しきれず、国連でゲバラが演説して認知されていく経過だけを追っているので、山賊になってしまうのだ。
 「学習の友」という雑誌の2月号で南米の滞在が長かった朝日新聞の伊藤千尋記者が「海賊共和国」という一文を書いている。それによりと海賊は大きな船に小さな船で向かっていった、海賊はかなり民主的な運営がなされていたと書かれている。その最後に次のように書いている。
 「思えばカストロやゲバラたちはメキシコで武装訓練をし、12人乗りの小さな舟に82人が乗ってキューバに攻め込んだのだった。キューバ革命は市民革命の延長上にある海賊によって実行されたと言えなくもない」と書いている。まさにソダーバーグはこの視点を忘れてしまっているのだ。ゲバラを書いた映画で、わたしは「モーターサイクル・ダイアリー」が最も優れていると思う。少しスペイン語を覚えたぞ。コマンダンテ、ファミリア。

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January 26, 2009

ボスポラス海峡クルーズ船に乗る

Tuuro(夜行列車の通路、画像はクリックするといずれも大きくなります)
▼夜行寝台というのは結局熟睡することは出来なかった。イスタンブール(旧コンスタンチノブール)の手前1時間ほどの地点で窓の外を見ると、陸軍の基地があり、そのとなりにオレンジ色の10mくらいある大きな、明かに日本の鳥居の姿をした建築物が見えた。駅に着いてからガイドに聞いてみたが分からないという。そこで隣のグループのガイドさんが助け船を出してくれて「トルコと日本友好協会というのがあって、国内あちこちにモニュメントを建てている。おそらくそれも日本の原爆の被害者を偲ぶために作られたものだろう」という返事が返ってきたが本当の所は分からない。車内の朝食は極めてシンプルだった。
Choushoku(これが列車の朝食)
▼寝台車は車内放送は一切ない。ただ駅の直前になって車掌さんが「イスタンブール」と言って車内を一巡するだけだ。まあどのみち終点だから慌てることもなくわたしたちはキャリーバッグを引いてバスに乗り換えるだけだ。6日振りのイスタンブールの街は朝日でまぶしかった。ブルーモスクとトプカプ宮殿に行ったが、その中味はMINさんにお任せする。ハーレムはあいにく改装中で外観しか見ることはできなかった。宝物殿もかなり退屈だったのでわたしはボスポラス海峡の流れを見ていた。
Asayake(列車の最後尾から見た朝焼け)
▼海峡クルーズはオプションである。事前に成田で8000円を支払ってある。朝日新聞昨年の12月5日号(土)の別刷りをご覧いただくと、イスタンブールとボスポラス海峡についてかなりくわしく書かれている。所用時間は1時間半だった。15分くらいはみんな寒さを我慢してデッキに立っていたが、次々寒さに耐えられなくなって船内に引っ込んでいった。結局出発地点に戻る最後までデッキにいたのはMINさんとわたしの二人だけだった。わたしの考えは旅に来たら例え寒くても現地の吹きすさぶ風に身体を曝せ、というのだ。コタツにあたってテレビを見る感覚で観光をしたのでは意味がない。わたしは今回の旅でこの海峡のフェリーに乗ることが目的の2番目にあった。もちろん一番目はガラタ橋の上にたつことだった。
Kikansha(寝台車を引っ張った機関車)
▼金角湾の船着き場をでた貸し切りの船はボスポラス海峡に向かっている。両岸には大学や海軍の学校など様々な建築物がある。海峡には長さが1kmほどはありそうな二つの大きな橋がかかっており、最初がガラタ橋で昔イギリスが作ったものだ。その先に見えてくる更に大きく高いのは日本の石川島重工が作った橋として知られている。そしてフェリー乗り場の近くには日本の大成建設が潜函工法で地下トンネルを造っている最中で、これができると地下鉄でヨーロッパとアジアが結ばれる。これもあと1年ほどで完成される予定だ。これが終わるとホテルに戻り、いよいよ夜のベリーダンスのショーに向かう準備をすることになる。これももちろんオプションだ。
▼昨日「ゲバラ28歳の旅」を見たが今朝は忙しいので明日書く予定。

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January 25, 2009

絨毯会社の見事な販売方法

Jutan1(言葉巧みに絨毯を売る)
▼カッパドキアに行く前に、絨毯製作および販売所に連れて行かれた。また日本語がとてもうまい販売員が、絨毯の出来るまでを子細に説明する。つまり他の絨毯と違って糸の使い方が違うの、長年使っていても痛まないという。始まるとクイズが出され、当たった人にはワインの小瓶などがプレゼントされる。しかしこれを貰ってしまうと実は後は絨毯を買わざるを得なくなってしまうのだ。色々な販売所に連れて行かれたが、この絨毯売りが一番巧だった。糸を紡ぐ場面もあり繭から4本くらいを糸車に巻いてゆく。説明員は、日本でも長野県や群馬県では、かつて蚕を育て繭から糸を作っていたというだけあってかなり勉強している。そして糸を取った後のサナギはトルコでは肥料になってしまうという。もったいないことだ。「わたしは長野県だが糸を取ったあとのサナギは醤油で煮て食べた」というと説明員は流石にギョッとしていた。
Jutan2(本物の証)
▼それから様々な絨毯の展示場へと案内される。まあオークション会場の様な大広間が、この販売場にはいくつかあって、日本人はカモにされていた。販売会社の客の目利きは大したもので、コレと思った客にはマンツーマンで接客して売り込む。成約すると日本のように販売員全員で拍手をするという、手の込みようだ。そして絨毯の裏の製作会社のタグに、間違いない様にサインさせ、さらに面に返して模様が移るようにして、買った人の顔写真を撮る。これで偽物は売らないという証拠になる。そして完成後数ヶ月して宅配で買った人の玄関先に届けられる仕組みだ。見ていると2、30万円する絨毯が数組の方が購入していた。これでワインやチャイをサービスしても十分もとは取れる仕組みだ。
Jutan3(絨毯を織る人たち)
▼アンカラから出る夜行寝台列車は午後9時半の出発である。だから途中のドライブインで数時間も時間調整をすることになる。駅についたがヨーロッパ駅はどこもそうだが、構内入場するときは別に切符は見せない。駅構内はガランとしていて、キオスクの様な店が一つだけあった。そこには色々なポスターが貼られており、その一枚に日本の「浪漫紀行」というのがあり、気恥ずかしくなる。大体国内旅行でも旅先で自分が住んでいる場所が仰々しいポスターで、風光明媚などと書かれている。しかしその現実との格差に恥ずかしさを覚えるのと同じだ。
Ankara(夜のアンカラ駅)
▼やがて15分ほど前になって列車が入ってくる。ベッドメイキングの車掌さんに一人当たり1ドル枕銭を払うようにという指示がある。向こうは仕事でやっているのにと、疑問があるが一応指示通りに支払う。一応二人で一部屋という個室だ。しかし水道の蛇口をヒネルとボコボコと言う音がしてまっ黒な水が出てくる。おいおい日本の乗客が増えたの使っていない古い車両を倉庫から引っ張り出して来たんじゃないのか?しかし隣の客室にいた二人連れの女性客の一人は、出発前にNHKハイビジョンで写っていた車両はこれと同じだったという。午後10時過ぎにはベッドメイキングが終わってしまうので、もう寝るしかない。
Sindsaisha(寝台車の内部)
▼そこでリアルタイムで書いたような深夜にトイレに行って帰ろうと思ったら、ドアがロックするというアクシデントに見舞われる。翌朝添乗員さんが言うには車両の建て付けが悪いから、L字型のロックが落ちてしまったのだろうという。隣の女性客が言うには逆にロックがかかりにくかったということだった。なにせ午前2時頃で添乗員さんの部屋のメモも携帯番号もすべて部屋に置いたままである。それにレールの響く音と揺れでドアをいくらノックしても聞こえる筈はないのだ。わたしは9号車だったが、たしか4号車は食堂車でかなり遅くまで開いていると思ったので、列車に揺られながら歩いていく。3人の客室乗務員はトランプをやっていた。そして「スピーキング・イングリッシュ」という。わたしは事情を説明したらどうやら分かってもらってトランプをしていない若いウェイターが車両の前まで付いてきて事情を把握して、同じ9号車の一番前の部屋にいる車掌さんを起こしてくれてトラブルは目出度く解決したのだった。
▼わたしはトルコに行ってから、かなり大勢の方と個人的に交流をするようになった。大げさに言うと人生が代わってしまうよな出来事ばかりだ。その方々のことはプライベートだから一々書かない。差し支えのない一つだけご紹介する。前にもリアルタイムで書いたが、イスタンブール空港の待合室で一人の青年と知り合った。メールアドレスを交換したので、その後も交流はつづいていた。そして某日東京案内をすることになった。上野であって浅草に行くことにした。直接浅草ではわかりずらいと考えたからだ。まず浅草寺に向かう、そこに線香をあげて煙を頭になでつける巨大な線香立てがあることはみなさんご存知の通りである。その鉢には巨大な「卍」のマークがある。その生年は「このヒトラーのマークはいったい何ですか?」と聞くので「これはまんじという寺の記号で、ナチスのマークとは逆である」と説明する。これがナチスのマークだったら日本の詳細な地図を見れば日本中ナチスの拠点が存在していることになってしまう。
▼かれは実はアニメの「NARUTO」の熱烈なファンである。そしてインターネットを通じてそれを読んでいた。そこでどうしてもあのラーメンという物を食べて見たいと飛行機に中でも行っていた。しかし宗教上の理由でとんこつは食べることができない。それに微量でも料理にアルコールが入っていてもいけない。昼食に選んだ店はとある日本料理の昼飯を食べる店で、彼は魚なら大丈夫だというのでサバ焼き定食にして、わたしは刺身定食にした。店は木曽檜の一枚板を使ったカウンターがあって驚いていた。そして店主との会話も進んで、「イスタンブールで会った」というと「飛んでイスタンブールを唄い出すほどの乗りである。そして奥さまに「料理は作らないのか?」と聞く。料理は夫がプロでわたしのようなアマチュアが口を出す分野ではない。わたしはお客さんとの対応だけという。定食には「蛍イカ」が付いていたがそれは苦手の様だった。しかし店を出るとき、「日本に来て今まで一番美味しかった」というので店主は大喜びだった。
▼どうしても両国の相撲を見たいというので店で国技館を調べ、電話してみるとチケットは売り切れだという。だがどうしても相撲取りを見たいというので都営地下鉄で向かう。でてくる人たちは午後1時半頃だったから弱い人たちばかりだが、「怖いくらいだ」と行って恐る恐る買ったばかりにデジカメで後ろ姿ばかり写している。立ち止まって正面から写すように指示する。そして学校でも東京や京都を案内してくれるらしい。そこで学校で連れて行ってくれそうもない歌舞伎座に案内しようと思った。再び都営地下鉄で駆けつけると目の前が歌舞伎座であり。絶好のカメラの被写体だ。演目は板東玉三郎の「鷺娘」だった。彼は聞くと日本文学も島崎藤村の「破壊」、漱石、川端康成などを原文でよみこなしている勉強家である。帰宅すると感想文がメールで送られて来ていたが、ちゃんとその内容を理解して把握していた。
▼歌舞伎座で幕見を待っていると私たちのすぐ後ろに並んでいた40歳半ばの女性の二人連れと会話が弾んだ。しかもそのうちの一人が息子さんが何と「NARUTO」の大ファンだと言うことで、彼女も全巻読み終わっていて、青年が知らないストーリーまでご存知で待っている1時間余の間もまったく退屈しなかった。「それで○○の運命はどうなるのです?」とか「○○○は死んじゃったのよ」とかで彼は驚きの連続だったようだ。最初に彼女たちに「イスタンブール空港で出会った」ということを話たら、「どうもふつうの人には見えない」といわれ「今後のためにお名刺を持っていたら欲しい」とおっしゃる。休日は名刺を持たなかったので、メモの切れ端に名前と自宅の電話を書いてお渡しする。その方は都下K市で「上和太鼓」をなさっているSさんとおっしゃる方だった。携帯の待ち受け画面には女装したそれはそれは美しい息子さんの写真があった。

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January 24, 2009

キャラバンサラからカッパドキアへ

Xonoyou(XPの様な風景がつづく。バスの中から)
▼これから一週間、わたしは公私ともかなり忙しいのである。イスラエルがガザ攻撃に抗議したいが、モサドが怖いから大使館に抗議活動にいくことができない。機動隊(武装警察)が怖い。警察に逮捕されるのが心配という人に朗報である。行かなくても抗議の意志を示す方法が昨日発行された「週刊金曜日」にでている。
イスラエルを支援している企業の製品は買うのをやめようという運動がある。デモに行かなくても、これらの商品を買わなければ、コタツにあたったままでも一定の意思を示すことができる。無精で日和見的な人向けである。
Sansimai(三姉妹岩)
▼昨日の「MINさんのあたふたトルコ」に書かれている事だが、あの港町で銅像の大きさが気になった。それとわたしは銅像などを撮影するとき、必ず銘板なども一緒に撮影する事にしている。銘板の文字を見てGoogleの英語版を検索したら、該当する人物が出てきたという次第だ。コンヤの朝ホテルを出てシルクロードまで歩こうとしたが、寒さは尋常ではなかった。バスは再びXPの画面の様な草原を走り出す。コンヤからカッパドキアへ、向かったカッパドキアとはあの奇妙な岩を指しているのではない。一地方の一部分であり、そこに風雨に晒された石灰石があのような形になった。ガイド氏の説明によれば、3,40年もすれば景観は大きく変化を遂げるという。その一地方に2,30箇所の奇岩があり、それぞれ「キノコ岩」とか「三姉妹岩」とか「エリンギ岩」とか適当な名前がつけられている。バスはそのいくつかの岩の前に停車して写真撮影の時間をとる。
Inu(三姉妹岩近くの傷ついた犬)
▼三姉妹岩に行ったとき一匹の犬が右手を針金できつく縛られて血を流していた。同じグループのSさんが「助けてやって」と叫んだ。しかしわたしは考えた。ガイド氏はここで転落しても最寄りの病院まで20kmあるから、決して足を踏み外さない様にと注意をした。こんな田舎の犬が狂犬病の予防注射をしているとは思えない。顔つきは凶暴そうである。わたしはかつて犬に噛まれて病院に行ったことがある。針金を切断するペンチを持っていない。もしわたしが噛まれたら病院に車を仕立てていかなければならない。旅行プランの変更をしなければならなくなり、みんなの迷惑になる。ということで、針金で縛られている犬何かの事情があるのだろうと、無視することにした。
Sara(昔むかし隊商が泊まった館)
▼カッパドキアに行く前に「キャラバンサライ」に立ち寄った。つまりここは昔シルクロードの隊商たちが泊まる宿だったところだ。ここにはサルタンという店があり、品物にはすべてきちんと正札がついており、支払いはリラ、ドル、円、カードなどすべてOKだったので安心して買うことができた。わたしはここで家族から買ってきて欲しいと写真を渡され依頼されていたものの一つを買う。そして自分用にいつものCDを買った。カバーには「ベリダンス」と、「イスタンブール」と書いてあったが、帰国して聞こうとしたらそれはVCDだった。しかもベリダンスは今日本でも流行している、ベリダンス健康法という内容で曲も入っていないのでセクシーでも何でもない。もう一枚のイスタンブールとは風景だけだった。こんなことなら元祖「トルコ行進曲」を買うのだった。べートーベンのあまりにも有名な「トルコ行進曲」とは実はこのパクリなのだということを知った。

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January 23, 2009

走っても走ってもXPの画面がつづく

Mokuba(トロイの木馬)
▼そうそう2日目にはフェリーに乗った後、トロイ遺跡に立ち寄った。ここもガレキの山である。ここは紀元前3000年前からの歴史があるところだ。ところが紀元前1200年にいわゆるトロイ戦争があってこのようになってしまった。そしてホメロスの叙事詩「イリアス」を信じたドイツのシュリーマンが発掘調査をしたところ9層にわたる遺跡を発見した。しかしギリシアにいた愛人のためそこで発掘した金銀財宝を海外に持ち出した。それは紆余曲折を経ていまはロシアのエミタージュ美術館に収納されている。トルコ政府は正式は権利を保有するのだから返還せよと申し入れているが、未だに返還されていない。
▼当地でシュリーマンに関する文献をみるとかなり手厳しく、批判されている。木馬自体は実際にあったかどうか不明である。もし木馬がプレゼントだと勘違いし、酒盛りをしたというのなら彼らはかなりお人好しである。ブラピの映画が公開されたとき、この何分の1かの模型が新宿歌舞伎町に展示されたことがあった。高さは10mくらいで中に入ることができる。人が少なかったので添乗員さんのお勧めで上に登ってみると、京都の南禅寺山門からの眺めに似ていた。
▼4日目はパムッカレを朝一番で見学し、足湯に浸かったあと、バスでコンヤに向かった。雪を被った高い峠を越えると、行けども行けども平原がつづく。言ってみればウィンドウズXPの初期画面のような景色がずーーーとつづくのだ。XPの初期画面の草原は緑の草が生い茂っているが、こちらは枯れている。昼食はリアルタイムでご紹介した所で、トルコ風ピザを食べる。とにかくパムッカレを見た後は、ひたすら410kmを走り続けるのだ。コンヤは地図で見るとトルコ中部にあるが、どうみても人びとの顔はロシア人のようで町の雰囲気そのものが異次元の空間に紛れ込んでしまったような感じがする。
Mepurana(メプラーナ博物館)
▼ホテルに入る前にメプラーナ博物館を見学する。添乗員さんは当地の子どもは親日家から話しかけられたら、会話をするようにと言われる。今博物館になっている施設は元もとイスラム神秘主義の一派、メプラーナ教団の創始者が作った霊廟である。ここのクビを傾げて踊る姿はトルコを多少とも興味のある方はご存知であろう。しかしこのトランス状態になって踊る儀式は今は禁止されており、伝統文化の踊りとして年に一回だけ公開されている。施設内を歩いていると、子どもたちが手を振ったり、中学生くらいの生徒が「ホワッチュ・ユー・ネーム」などと聞いてくるのでゆっくりと話をする。
▼途中人がごった返すテントを張ったバザールが目に入る。行ってみたかったが、ホテルに着くと5時過ぎなのに外は真っ暗だった。イスタンブールでも感じたが、緯度はここで青森と同じくらいだ。しかし暗くなるのは日本時間のそれに比べて2時間ほどの違いを感じる。バザールに行くには、信号がなく交通量の激しいシルクロードを突っ切っていかなければならない。出掛けた人も数人いたようだが危険なので止めた。
Hotel1(コンヤのホテル)
▼その代わりホテルのプールに行った。ホテルは20階建てくらいの高層で、アスレチッククラブがあると聞いた。ホテル自体今まで泊まったなかで一番豪華だったが、プールも巾が30mほどはあろうかというくらい、もの凄く広かった。来ている人たちはリラクゼーションで来ていて、わたしたち二人だけが夢中になって泳ぎ回っていた。
◇「戦場のレクイエム」1948年の中国、日本軍を追い出した中国では毛沢東率いる解放軍と蒋介石率いる国民党軍が、最後の力を振り絞って主導権を取るべく熾烈な闘いを繰り広げていた。人民解放軍の第9連隊長グー・ズーティは、ある作戦で国民党軍に政治指導員を射殺された激憤で降伏した敵を射殺して、処分を受け独房に入れられている。そんな時に師団長に呼ばれて受けた命令とは、ある廃坑を24時間死守するように命じられ、「撤退のラッパを聞くまで死守します」と復唱して117名の部下を率いて前線に向かう。通常連隊というのは1500名くらいで編成されるが、戦闘が激しく部隊は消耗してしまっている。見てると連隊の武器はスプリングフィールドやステンガン、それにスターリングと言ったイギリス系のものが多い。
▼武器は粗末な上に、兵士の人数も少ない。そんなとき敵の総攻撃が始まるが、一次は何とか押し返すが兵士は47名に減っていた。敵の二次攻撃は戦車3両を先頭に押し寄せて来るが部下は一人死に、一人減っていく。そんな時グーは残った部下たちに「ラッパは聞こえたか?」と尋ねるがみんな爆発音で耳をやられて聞こえない。死んだ部下の死体を敵に渡すまいとして爆薬を仕掛け、連隊長自ら突撃するが、その後味方の解放軍に「敵」として捕まってしまう。連隊はそれぞれ消耗して再編に再編を重ね、グーが第9連隊にいたことを証明するものは誰もいない。むしろ敵が味方を装って潜入しているのではないかと疑いの目を向ける。
▼長い苦難のすえ最後の闘いがあった炭坑まで駆けつけ一人掘り返すが遺骨など見つかる筈もなく、みんなから気違い扱いされる始末だ。だがあるとき一枚の書類が見つかり、第9連隊の存在が証明される。そして師団長のラッパ手が墓守をしている革命烈士の墓地を訪ねることになる。そこで聞いたのはラッパは吹かなかった。もし第9連隊を撤退させたら師団全体が殲滅されてしまっただろう、という驚くべき師団長の遺言だった。その言葉を聞き怒り狂うグー。かつて作戦中に地雷を踏んだ砲兵隊長をグーは身代わりになって助けたことがある。戦死した指導員の妻を彼に娶らせた関係で二人は今は義弟の関係となっている。しかし砲兵隊長と身代わりにグーは失明してしまっていた。今は解放軍の下級幹部となっている義弟が「過去は忘れろ」と諭す。そしてある日行方不明で逃亡扱いされていた47名の名誉回復が行われ、幹部からグー胸に金のバッジがつけられたのだった。
▼製作余話がネットにでている。それによればこの映画は韓国の「ブラザー・フッド」を作った映画監督と一緒に作ったとある。そして戦闘場面などはハリウッドに頼めば高くつくから自分たちで研究して作ろうということになった。そのお陰でもの凄い迫力ある画面になっている。「プライベート・ライアン」や「バンド・オブ・ブラザー」と比べてもまったく遜色がない。そして全員無名の俳優を使い、ハリウッドの10分の1の予算で説得力のあるレクイエムとなっている。

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January 22, 2009

土産物屋を連れ回される

Sisikebabu(シシケバブ)
▼昨日の地名はパムッカレでした。お詫びして訂正します。3日目はまずトルコ石の店へと案内された。このツアーを企画しているH交通社は国内旅行でも、国外旅行でも提携している土産物店に強引に立ち寄らせる。田んぼの真ん中に銀座の宝石店のような瀟洒な建物があり、中には日本語をペラペラ話す定員が大勢いた。安ければ買おうかと思っていたが、全部10万円以上である。お金を持っていそうな人の所には店員がマンツーマンで付くが、わたしはお金持ちには見えないので店員さんは近寄ってこない。
▼昼食は写真の通りのシシケバブである。焼き鳥にチャーハンがくっついている感じがした。それからエフェスの遺跡見学だった。エフェスには沢山の猫ちゃんがいて、空輸した餌に近寄ってきた。最もなついたのは写真にある白と黒の猫ちゃんで出口まで追ってきた。良く知られているように娼館と図書館は道路をへ建てて地下道でつながっている。男達は図書館に行ってくるといって家を出て、実は秘密の地下道を通って娼婦の元にせっせと通っていたのである。
Toriineko(トロイ遺跡の猫ちゃん)
▼つづいて革製品の店へ連れて行かれる。ヨーロッパの一流店に出す製品をこの工場で作っているのだという説明がある。地元の若者によるファッション・ショーがあり、つづいて旅行客が舞台に引っ張り上げられてショーを盛り上げる。いや盛り上げさせられる。ブランド名がつけば、数倍はするのを格安で売る店だという紹介なのだが、20万円から50万円もするものばかりで手が出ない。それでも30万円ほどするオレンジ色のコートを買った女性がいたのには驚いた。この日も500kmほど走って夜8時過ぎにようやくホテルに辿り着いた。町にでてみようと思ったが、このホテルも町といっても本当の露店が並んでいるだけなのだ。そこまで数キロ離れた孤立したコテージ風のホテルだった。
▼夕食もそこそこにプールに出掛ける。ところがプールに行ってもみんな温泉気分で浸かっている人がほとんどだ。キャップにゴーグルをつけて夢中になって泳いでいるのは、日本人二人だけだった。しかし昨日と違い水温は高く快適に泳ぐことができた。
▼しかしプールにいくために部屋を空けるので、パスポートや財布をセキュリティボックス(日本の旅館の金庫と同じ)に入れたらパスワードで開く事ができなくなってしまった。添乗員さんは通路の向かいの部屋だが何度電話しても不通だ。それに見に行っても帰っている様子はない。仕方なくフロントに探しにいくとガイド氏がいて、実情を訴えると「すぐ係を派遣するから戻っていてくれ」と言う。しかし1時間待っても誰も来ないので再びフロントに行って、英語で窮状を訴える。係はすぐその場で無線を使って指示をだし、部屋に戻っていてくれという。警備員はすぐやってきてロックを外して使い方を説明したが、面倒なので二度と使う気持ちにはならなかった。もう一つ不通の電話機は別の係員が来て調べると、やはり具合が悪い。MINさんは弱電が専門ではないがこれは回線に問題があるという。しかし係員は2回受話器を交換したが、もう一度と言って戻ってこなかった。そして翌朝朝5時半のモーニングコールは律儀にも本人が、ドアをノックをしにやってきた。
▼携帯で撮ったベリダンスの動画を1面トップに入れてあります。どうぞご覧下さい。
◇「大阪ハムレット」大阪の猥雑な下町の一角に住む久保家は4人家族だ。ところがある朝、オトンを起こしにいったところ死亡していることがわかり大騒ぎになる。オトンが死んだあと転がり込んで来たのは叔父(岸部一徳)で、なぜか家族の面倒をみなければと工事現場の夜間警備員までして、住み込んで一家を支えようとする。一家は内気な高校3年生の政司。ヤンキーな行雄、そして叔母を見舞いに行って女装に目覚める宏基とオカン(松坂慶子)の4人だ。長男は道に迷った女子大生に一目惚れするが、彼女は自分の学校に教育実習でやってきたのだ。大学生だと偽って自己紹介し彼女に接近していたので、政司は大慌てになる。行雄は国語教師に「お前はハムレットの様だ」といわれ、図書館で辞書を引き引き読み進めるうちにすっかりはまり込んでしまう。
▼そして宏基は小学校の学芸会で、シンデレラ役をすることになる。みんなで宏基の芝居を見に行こうとする日、オカンはみんなに妊娠していることを告げる。ご存知のように松坂の今の体型をみると、それは地で演じることができそうだ。叔父は学芸会の日に休暇を取ろうとするとクビになる。政司は自分が高校生だとバレたが、女子大生を駅まで追いかけ、卒業するまで待っていてと告白する。ヤンキーは長年対立関係にあったグループとついに決着をつけるときが来る。そして宏基は舞台に登ったものの父兄や同級生たちからのブーイングに立ち往生してしまいそうになる。
▼人間だれしも困難はあり、立ち止まったら前へは進めない。しかし久保家のように明るいオカンのもと、例え血は繋がっていなくても、一つ屋根の下に暮らせば家族だ。という考えのもと困難は笑って吹き飛ばせば、一歩前でも前に進むことができるのだ、ということを暗示させる。所々にでてくる、標語の看板の文字は大いに笑える。例えば「たのむ堺、ゴミを捨てないでね」と言った類のだじゃれである。初日初回は舞台挨拶で混雑が予想されたので2回目に行った。

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January 21, 2009

ホテルで聞こえて来た懐かしい旋律

Parekkam(パムッカレで)
▼トルコに行って町で監視カメラを見かけたのはイスタンブールで数回だけだった。もちろん重要な宗教施設にはあったかも知れないが、それは除外する。そして屋外の看板広告もネオンサインもほとんど見かけない。所が日本に着くと成田から監視カメラのラッシュだ。家についてテレビのスイッチを入れると某大学教授の殺害事件がトップニュース。昨日は某女優の結婚式の中継みたいなのを流していた。まあ何と日本は平和ボケしていることか。わたしは外国語は得意ではない。しかし現地のテレビニュースを見ていると、そんな個人的なニュースはトップ10には来ていない。トルコ語はまったくわからないが、近隣の国ではイタリアがかろうじて固有名詞だけは分かるが大体ガザ・イスラエル関連のニュースが多かった様に思う。
▼それに関連して言うと、MとかKという有名ブログなどを見ていると「緊急のお知らせ」というのが時々掲載される。見ると「明日○○大使館に対する抗議行動があるから参加しましょう」などというコピペの内容だ。しかし行きたければ書いた本人が率先して行けばいい。しかしその後の経過報告や自分が撮った写真が一枚も掲載されていない所を見ると、ご本人は行っていないようだ。これもコタツにあたって評論家的テレビコメンテーターを見ている悪癖であろう。自分が身体を張って動かなければ世の中は絶対変わらないって。もし警察に不当逮捕されたらわたしが弁護士を連れて救出にいってやるから安心して抗議活動に勤しんでほしい、助けることは保証する。
▼昨日の追加でいうと町の「子ども110番」というのも将来、戦時中の隣組の様な相互監視装置につながる危険性を持っている。それが今はトラックからタクシー、会社員の胸のバッジにも貼り付けられている。やっている本人は善意だから、もっと困る。カッパドキアは、最早観光客ズレしている。日本語で呼び込む客引きにギャグをいうアイスクリーム売り、「0○個でセンエン」という物売りが溢れている。
▼トルコ人ガイドの固い話がつづいたので、柔らかい話に戻す。2日目は初日よりもましなホテルだった。添乗員さんからは事前に連絡があって、もし泳ぎたければスイミングキャップを持参する様にという注意事項があった。事前の説明ではホテルに水温30度だがプールがあるという。わたしたちは期待して夕食時にもアルコール類は一切飲まずに期待していた。普通のツアー参加者は昼から大体ビールやワインを飲んでいる。しかしわたしの場合午後6時以降にならないとアルコールは飲まないようにしている。ホテルのラウンジでは生演奏があって、いわゆるポピュラー音楽を流していた。ふと気づくと何やら演歌のような懐かしい旋律が聞こえてくるではないか。耳を澄ませるとそれは、前川清が歌っている「恋探り夢探り」という旋律だった。これはわたしのカラオケの持ち歌にも入っているのだが、元もとポール・アンカが作曲した「きみこそすべて」が元歌なのだ。「♪そんな辛い顔して、わたしを抱かないでよ~」。この曲は三日目のホテルでも流れていた。
▼食事は早々に切り上げてプールに向かう。6歳くらいの子どもが受け付けに座っていて、「プール」というと「マミー」と母親を呼ぶ。出てきた女性はギリシア系の顔をしていてバスタオルを渡してくれた。まわりにはプロレスラーの様な体格をして白衣を着たマッサージをする男性が数人いたので不気味だった。しかし、水に入って泳ぎ出すと白衣の男性は「大丈夫だな」と思ったのか引っ込んだ。しかしその水は本当に冷たくて心臓麻痺を起こしそうだった。MINさんは一往復でプールからでた。わたしは我慢して2往復して逃げ出した。その後添乗員さんに「日本人が二人来たが10分ででていった」と報告があったという。しかし現実には数分で、ホテルの係の人は親切に二人の体面を考えておまけで報告してくれたのかも知れない。
▼本日からMINさんのあたふたトルコ訪問記(不定期連載)が始まりました。下記のリンクか、トップページからご覧下さい。トルコ航空機を降りるとき、MINさんとわたしは大まかな執筆分担を決めました。MINさんは主としてわたしの苦手なトルコの宗教や歴史、建築物が中心になります。

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January 20, 2009

トルコと日本の歴史的な深いつながりとは

▼昨日通院と書いたので心配された方もいらした。通院というのは薬を処方してもらうために28日ごとに医師の所に行かなければならない、ということなのだ。いつも血圧を測りながら、「どこか頭が痛いとかありませんか?」等と雑談をしながら世間話をする。わたしが「イスタンブールに行ってきました」というと、「♪飛んでイスタンブールか、と歌を口ずさむ、つづいてカッパドキアはどうでした?」と聞くから「あの程度の奇岩はさほど珍しくありません」と答える。次に「パレッカムはどうです?」と聞かれる。お主できるなと思う。パレッカムなどわたしは現地に行くまで知らなかった。両方とも後日詳しく書くが、石灰岩が段々状になって温泉を流す奇岩のような場所だ。これも湯量が少なくなった今は人間が調整して温水を流すようになっている。そのため足湯に浸かることだけができる。足湯だけならば日本の温泉の方が遥かに優れている、と答える。そして今まで見てきた世界遺産の感想を言うと、「そうかメインテナンスの方が大変なのだ」と医者らしい意見を述べる。
▼先日WOWOWで昨年公開された「母べえ」という映画が放映されたので、録画して見た。やはり映画館に行かなくて良かった。吉永小百合は演技とはほど遠い役者である。唯一良かった俳優は彼女の父を演じた中村梅之助だけだった。一部に評価された映画ではあるが、三津五郎にしても、淺野忠信など今までと違いすぎる役柄でミスキャストが目に付く。内容は1940年頃の日本だが、研究者である父親が特高(特別高等警察=思想警察)に逮捕され、その留守家庭を守る母の話だ。この映画を見て「ああ戦争は自由を束縛されるからイヤだ」という意見が多かったように思う。しかし赤紙(召集令状)が来たときはすでに遅いのだ。自分とは違う考え方を排除するのが戦争につながっていくのだとわたしは思う。
▼例えば今日本中で蔓延している、京都議定書に基づきCO2を規制する動きはとどまるところを知らない。TVやラジオのCMではエコが声高に叫ばれる。一部生協や杉並区ではレジ袋の義務化や使っている店や使わない店の公表まで始めた。この思想こそ「正しいことをしているつもりの善意の人」をファシズムへと駆り立てるのだ。レジ袋を使っている人を白い目で見る。ある意味では電車の中の携帯使用の禁止も同じだ。やがて「あいつはおかしい」と白い目で見るだけでなく、糾弾するようになる。戦前「贅沢は敵だ」というスローガンが市井に蔓延して、自由にものが言えなくなって行った経過と似ているではないか?レジ袋を使わなくなっても1一日一枚、1年間も倹約したとしても、トータルで1000円くらいしか節約できない。2000円のエコ袋を買ったら逆の無駄遣いになる。
▼大都会では自家用車のシェアリングなどを進めた方がCO2の削減に効果的であることは言うまでもない。それで「母べえ」は「抑圧された「被害者だった」」という被害者意識の連打なのだ。吉永の演技では山田監督の力をしても、どうしようもない作品に仕上がっていた。
▼昨日の続き、串本沖のエルトゥールル号の難破した話だ。オスマン帝国の軍艦は日本の小松宮の同国訪問に返礼すため目的で日本に近づいて来たが、訓練不足もあって難破してしまう。そのため587名の乗組員は命を落とす。台風で船に近づくことは困難を極めたが69人が山田の尽力もあって救出される。ガイド氏は150名と言っていたが違う。それで山田は救出した乗組員を送り返す。そして自らオスマントルコ君主に献上品の兜や鎧を持って表敬訪問してトルコ国民から感謝されたという話だ。
▼以下ガイド氏の話であるので、そのつもりで。もちろん黒海において当時のトルコは当時のロシアに苦しめられていたので、日本海海戦で日本がロシアに勝ったことはロシア国民を勇気づけた。その他には朝鮮戦争の時NATO加入を条件にトルコは兵士を朝鮮半島に派遣した。そのとき負傷した兵士は沖縄とどこか(書き漏らした。おそらく朝鮮戦争の時の重要な兵站基地はキャンプドレイク(旧米軍朝霞基地)埼玉だったかも知れない。そこで負傷したトルコ軍兵士は手厚い看護を受けた。しかし犠牲を払ったにも関わらずトルコのNATO加入は反古にされた。そのようにトルコと日本は親密な関係にあった。ところで第一次湾岸戦争が始まろうとしたときテヘランには220名の日本人が取り残された。日本政府は日航を使って救出に向かおうとしたが、パイロットは戦火の中を飛んだ経験がないので飛ぶことはできなかった。それを知った伊藤忠の社長がトルコの首相と知り合いだったので、直接頼み込んで首相命令で特別機を飛ばせて日本人を救出した。
▼数年前に日本の小泉首相(わたしの大嫌いな)がトルコを訪問したとき、その時活躍した13人の乗組員を集めてもらって勲章を手渡し、食事に招待してその労をねぎらった。小泉氏が「こわくなかったかね」と聞くとスタッフは「それは怖かったです。しかしトルコ国民は串本で助けて貰った恩を忘れてはいないので、断ることはできなかった」と答えたという。以上はガイド氏が言ったそのままを再現したのであるが、ガイド氏の話がとてもうまくて、不覚にも思わず涙がこぼれてしまった。
▼本日メルマガ〆切り日です。もっとも編集長のわたし以外の原稿はすでにすべて集まっている。

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January 19, 2009

トルコの兵役について

Kuukou(夜のイスタンブール空港)
▼土曜日の朝日朝刊にエジプトのスフィンクスが塩害で、近い将来首が落ちるであろうと推測している。わたしはピラミッドはどうでも良いが、スフィンクスはいつか見てみたい、。というのは手塚治虫の初期の作品でこのスフィンクスがロボットとして登場するものがある。ロボットを開発した博士はピラミッドの石棺に眠っており、スフィンクスは彼を守っている。そこに外国の調査隊が登場するので、それと対決するという内容だった。本は実家に置いてあるので、今度帰省することがあったら見てみる。もう一つ「火星兵団」という作品があり、子ども心に強烈な印象に残っている。そして今自分のこのスフィンクスと火星兵団の隊長の生き方はわたしの心を捉えて離さない。世界遺産はこのように、ガレキになりつつあるのだ。
▼映画2でヒロインはトルコからニセパスポートでドイツの母を訪ねて脱出するのだが、事前知識がないわたしには、なぜトルコ人がドイツ移民なのか理解できなかった。昨日書いた一節はMINさんがガイド氏に聞いたことを、わたしは補足取材して書いている。ガイド氏はバスの中でトルコ民族について次のように解説した。つまり紀元前600年の間にトルコ人はかなり混血が進んでいた。そしてオスマントルコ500年の時代にさらに個決は進んだ。だから顔を見てこれがトルコ人の顔というのは存在しない、ましてDNA鑑定などしても何の役にもたたない。トルコ人が自分が○○○系というのは、自分の父親か祖父がそう言ったという伝承以外のなにものでもない、という解説だった。
▼言ってみればモンゴルからトルコまでは遊牧民として生活を共にしてきた。だから文法が日本語と同じというのも、その遊牧民であったことに起因している。そして人種的に見るとトルコ人の97%はアジア系で3%がヨーロッパ系で成り立っている。
▼トルコの兵役は義務制で高校を卒業すると18ヶ月兵役に就く。大卒は8ヶ月で済む。しかし外国で生活していた人は1万ドル支払うと1ヶ月で済ませることができる。わたしは大卒で入ったが、その間銃の訓練を受けたのはたった3日間だけだった。その他は上官の命令で兵舎の掃除だけをさせられていた。きょうはあちら、明日はこちら、昨日の清掃はまずかったからもう一度同じ場所を掃除せよという具合だった。ということは旧日本軍の内務班と同じ事をしている。
▼なぜトルコが親日的なのか?それは1980年9月16日和歌山沖串本でトルコのエルトゥールル号が難破して山田虎次郎が救助にあたったことにある。本日朝から通院、取材、コーヒーとケーキの新年会などがあり、多忙なので、明日につづく。

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January 18, 2009

トルコのドイツ移民は1960年に始まった

Kudamono(果物屋さんの店先で)
▼まだ若干時差ぼけが残っており、集中して物事を考える事ができない。文章を書いてもリズムが出て来ない。今年から日曜日のブログは止めたつもりだが、トルコのことを忘れないうちに書かないと忘れてしまうので書く。土曜日は家でゆっくりしていたかったが、今週水曜日は「シネマ」の原稿締め切り日がやって来る。疲れていたが銀座シネスイッチに「大阪ハムレット」を見てきた。感想は数日中に書くつもりだ。しかも今日18日は午前10時から住んでいるマンションの管理組合の総会だ。一定の影響力を与え、みんなに信頼されるには欠席することは許されない。
▼揺れるバスの中でガイド氏の名調子の解説をノートに筆記しているのはMINさんとわたしくらいで、後の人は寝ているか目をつむって聞いている。果たして起きているのか眠ってしまっているのか分からない。トルコが舞台になっている映画は、このブログに3本登場するので、読者のみなさんが混乱しないように番号を振ることにする。映画1とは「橋の上の娘」、映画2とは現在銀座シネスイッチで公開中の「そして、私たちは愛に帰る」、そして映画3とは「007ロシアより愛を込めて」としたい。
▼読者から「トルコ人のドイツ移民」のことで質問があったので先に書こう。ネットで調べても研究者のそれは「ドイツにいるトルコ移民の規制」について書かれているだけだ。会議まで時間がないので、手短に書くことにする。間違っていたら、このブログをご覧になっていて、日本語のわかるトルコ人の方からご指摘いただけると思うのでその都度訂正する。
▼トルコの犯罪発生率は1000分の4で近隣の東欧、ヨーロッパ諸国に比べてかなり低い。インフレも90%近くつづいたこともあったが、今では20%前後で推移している。自分の国に対する好感度では30歳以下の人が65%は満足している。それ以上の人では60%が悪くないと答えている。たしかにトルコでは東西格差があってイラク、イラン、アルメニア国境近くの農村は疲弊しており、出稼ぎをしないと食べていくことができないので都会にでる。しかし残った老人たちがまったく喰っていけないかというと、食料に不足することはないので餓死する事だけはない。しかし貨幣経済が広がってくるに従って現金収入が必要になって都会に出ざるを得ない。そういう貧困の人たちに対して外国のテロ組織などが介入して、反政府運動をたきつけようとする動きが一部にはある。
▼消費税は物によって違うが、普通の物は大体8%である。しかし贅沢品ほど高く、外国車は100%、つまり倍の価格を出さないと買うことはできない。カローラクラスで250から300万ドルである。物の生産で言えばヨーロッパのプラズマテレビの70%はトルコで作られている。トルコは実にヨーロッパで7番目の技術大国である。失業が増えてくると失業保険なども考えなければならない。しかしガイドをしていてトルコに来ているフランス人などに聞くと、若い世代は仕事をしないで失業保険に頼って半年国内にいて、半年はその失業保険で海外旅行に来て遊ぶという矛盾を抱えている。仕事をしている人が遊ぶことができなくて、働かない人が遊んでいるというのは、この保険制度の矛盾である。
▼移民だがこれは1960年に当時の西ドイツ政府の依頼で、トルコ人が最初に12万人ドイツに移民として派遣された。(注・おそらく大戦で疲弊して人口が減少して人力が必要になったのだろう)そして今はドイツに行っているトルコ人は400万人になっている。これは最初行った人が親兄弟、親戚を呼び寄せた結果である。しかし移民として行った人は、問題意識は低い。たとえて言えば日本人がブラジルに移民したのと同じことである。とガイド氏は語った。

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January 17, 2009

トルコの食料自給率は100%

Neko02(トルコの猫2)
▼ウズベキスタンに出した手紙は必ず着くかどうか分からない。しかし返事をまた崩し字で貰っても誰も読み取れない。だから英語で以下の注釈をつけて送った。
I understand only English. I hope the reply in English. It is scheduled to go to your country next year. (わたしは英語しか分かりません。ご返事は英語でお願いします。来年はあなたの国に行きたいと思っています。)
▼キリブルの町は漁師町のせいか、猫ちゃんたちは魚をさばいたあとのあらを貰って美味しそうに食べていた。日本のキャット・フードはどうかと思ったが、それも食べてくれた。町には交番があり、見ていたら歩哨、というのも警察だからおかしいが立哨の交替時間にはAK47を持った警官が銃を交替して立つ事になっていた。
▼この町に来るまではエーゲ海を右手に見てバスは走る。エーゲ海というと何となくロマンチックに感じるだろう。しかし海の色は空の色を反映する。今は冬だから海の色もどんよりしている。一見瀬戸内海でも走っているようだ。しかし周りは高級別荘地で建売住宅から、マンションまでぎっしり建っている。ガイド氏が言うにはトルコのインフレは8%で、イスタンブール市内ではバブルが進んでおり、最近でも80億円のマンションが売れたという。平均的な価格は土地と建物を併せて3000万円程度だ。特徴があるのはすべての高層住宅もマンションも日本のように鉄筋を使っていないことだ。直系2cmほどの鉄の棒が柱に4、5本入っているだけだ。トルコは地震が多くて被害が多いと聞くが、この建築方法では被害が広がることは当然である。
▼またその作り方が独特でまず建物の枠をコンクリートで作る。次にブロックで部屋を作り、最後に屋根を作り、お金を一番かけるのは内装だという。見ていると屋根のない建築物が多いが、予算の関係で一年ごとに柱、壁、屋根、内装と作っていくのだという。それに各家には大きなサンタクロースが入ることができそうな煙突がある。ガイド氏が言うには別荘に住む人がバーベキューをするためだというが、にわかには信じがたい話だった。
▼さてガイド氏は政治のお話しが大好きで、観光案内はあまり力が入らないが、それになると客が頼まなくても1時間くらい平気でして、ほとんど寝ているのに皮肉っぽく「ご静聴ありがとう」という。以下ガイド氏の言ったことをコメントなしで書く事にする。
▼なぜトルコはEUに入らないか。それはトルコは食料自給率が100%と高いからだ。たしかにトルコは東西の高低差はある。しかし東は貧しいが飢え死にで死ぬことはない。田舎では隣近所が挨拶をしないこともない。貧しいが助け合う心を今でも持っている。しかし都会は隣の人とも挨拶をしなくなってきている。だからもしEU(映画の中でドイツ人が「EUに入れ、としつこく何度も言う)に入ったら、食料生産はブリュッセルで決まってしまい。食料自給率は下がってしまう。今トルコは建築ブームでアパートの値段は倍になっている。土地は100平米で15万米ドル、2DKのマンションでは30万米ドル(つまり土地と建物で3000万円)もする。

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January 16, 2009

英語が通じなかった町

Sabateishoku「サバフライ定食」?である。
▼体調不良だが、原因はあのトルコ縦断3000キロの長距離バスのせいではないかと思っている。昨年のチュニジアより確実に長かったし、道路も整備されていたので飛ばしに飛ばしていた。わたしたちの乗っていたバスの運転手さんでさえ体調不良で2人も途中で降板して交替していたくらいだ。
▼さて今回の旅はウズベキスタンに始まって、ウズベキスタンに終わった。怪訝に思う方がいらっしゃる方がいるかも知れないが、夏頃旅行社に申しこんだツアーはウズベキスタンだった。わたしもMINさんも先進国にはまったく興味がない。それでウズベキスタンを選んだのだが、40日前に旅行社から連絡がはいって、「ウズベキスタンツアーは人数が集まらなくて成立しないので、別のものに変更して欲しい」という連絡が来た。そこでMINさんに相談して、トルコと相成った。申込みの出発点はそれで、おわりのトルコ空港の逸話でご紹介した話はウズベキスタンで終わった。
▼それで読めない文字の話から始まる。彼女が書いた文字をスキャナーで読みとって、知人に解読を依頼した。その方はロシア語学科を卒業され、旧ソ連から東欧に商社駐在員として滞在期間が長かった方だ。判読していただいた結果は、「最初の文字は一番上の文字はУЗБЕКИСТАН(ウズベキスタン)と読めるが、あとは個人のくせ字で読めない。従って彼女が書いた文字をコピーして貼り付けて送るのがベストであろう」というご返事をいただいた。わたしが手紙を送るときには「英語以外の文字は理解できない。来年できれば貴国を訪問したいと思っている」と書き添えるつもりでいる。
▼正月に七福神めぐりをしたとき星林さんに「なぜトルコに行くのか」と聞かれたので「観光である」と答えたところ、「まさか編集長の口からそういう言葉を聞こうとは思っていなかった」という返事が返ってきた。勿論それは冗談である。わたしの場合、物見遊山にはあまり興味がない。大体この数年間、世界遺産を見てきたが、アンコールワットはガレキの山、チュニジアもフェニキア人が作ったものなどありはしない。すべてが侵略していたローマ人が作った遺跡で、肝心なカルタゴはガレキと化していた。ギリシアに行った人の話では、パルテノン神殿は傷みが激しくてガレキになるのも時間の問題、と言っていた。つまり遺跡を保持と修復にはお金がかかるのである。カンボジアもギリシアも決して経済的に豊かな国ではない。それはトルコもインフレであえいでいるので同じ事だ。
▼わたしがトルコを訪問して知りたかったことは3つほどある。一つは映画「「そして、私たちは愛に帰る」の中に出てきたことで、なぜドイツにトルコ移民が多いのか。二つ目はそれに関連してなぜトルコはEUに加入しないのか?一般的にトルコ人が日本に友好を感じている真相は日本海海戦で日本がロシアに勝利したことだけなのか?疑問点は以上で後は「橋の上の娘(おんな)」と同じ橋の上の立つ事だ。それにトルコに猫ちゃんに日本のキャットフードを与えて反応をみて連帯の挨拶を送ることだった。携帯で書いていたブログと若干ダブル場面もあると思うがご容赦頂きたい。
▼では日時の順を追って滞在記をご紹介したい。ただしわたしは宗教とか神殿やモスクなどの遺跡についてはまったく詳しくないし、専門家でもないのであとから執筆される「MINさんにあたふたトルコ滞在記」をご覧頂きたい。
▼機内食を3回も食べると、それは朝食なのか、夕食なのか分からなくなる。日本時間で考えると午後2時過ぎに飛行機に乗って、午後4時に夕食、午後10時頃夜食、午前6時頃に朝飯となる筈だ。しかし現地トルコに着いたのは午後8時だから、その2時間前に食べたのはいったい何になるのだろう。ホテルに入ってシャワーを浴びようとするが水のでが極めて悪い。わたしの場合ひげ剃りにはカミソリを使う。しかし機内への持ち込みが許されるような小さなシェービング・フォームはないので石けんを持参するのだが、硬水のせいか泡立たない。今回は昨年のような酷いホテルではなく、ちゃんと二つのベッドが用意されていた。翌朝午前6時モーニングコールがあって、午前6時半から朝食だが、これが結構混雑していた。バスの出発が早いのはイスタンブールの主たる交通機関は自動車なのだ。通勤ラッシュに巻き込まれると、えらいことになるので早め早めの出発となる。
Shouyuレストランには日本の丸大豆醤油がおかれていた。
▼昼飯に着いたのはブログに書いたギリブルとう港町だ。サバの焼き魚定食というようなものだ。おそらく日本人観光客向けのメニューであろう。しかしサバを丸ごとオリーブオイルで炒めてあるので脂っこいことこの上もない。食事が終わってフェリーが出発するまで町を散策する。カメラ店があるんので覗いていると、「メアイ・ヘルプ・ユー」と来た。「ノーサンキュー、オンリー・ルック」というようなこという。何とカメラ店のショーウィンドウにはフィルム式の旧式カメラしか置いてなかった。隣の釣具店には日本のリョウビやシマノの釣り道具が置いてあった。さらに近くの酒屋で水を求めようとしたが、英語がまったく通じない。たまたま店にいていた若い青年がいたので、「ウォーター」と言って店先に積んであるペットボトルを指さすと、やってわかってくれ。ハウマッチ?というと親父は電卓で0・5クルシュだと示してくれた。ホテルだとコップ一杯が2~3リラ(1リラは約90円くらい)なので妥当な値段である。昨年も書いたが日本を一歩出るとレストランに入ってもコップの中味は空で、ビールやジュースを頼むように注文しないと水は出て来ない。
▼毎朝午前9時くらいまでにブログをアップすることを心がけている。しかし帰宅して昨日データを全部バックアップしている外付けハードディスクを見ると、認識していない。どうやってもリソースが不足しているという。これは大変なことだと思って今朝全フォーマットをしてバックアップをするだけで2時間もかかってしまった。決して体調が悪いのではないのでご心配なく。

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January 15, 2009

帰国してから疲労困憊です。

Sodasituフェリーの操舵室で、女性が操縦していた。
▼日本の『鍵盤乱麻』読者のみなさんお早うございます。一日前の今日はロシアから中国の領空を飛行していた時間です。帰宅したとたん疲れがどっと出てきました。ウズベキスタンの人が書いてくれた自宅住所はキリル文字を崩して書いてあるので、まったく読みとることができません。専門家の所にスキャナーで読みとって送り、「日本の楷書体に直して欲しい」とお願いしてある所です。
▼一年前のチュニジアは、ミラノで乗り換えたせいかあまり疲れを感じませんでした。しかし今回は帰宅したら、言葉がでないほど疲れlきって倒れるように寝てしまいました。おそらく正常に戻るには今週いっぱいかかるのではないかと思います。写真は最終的に800枚撮りましたが、昨晩手ぶれがあるもの、50枚ほど削除しました。手の内を明かすと、ブログに送った画像は携帯で撮った画像です。そうしないと添付で送れないからで、本日からご紹介するのと二本立てで撮ったという訳です。明日から連載を始めたいと思います。
Hasi
←映画「橋の上の娘」ラストシーンより
Hasi2
←14日朝撮影した実際の新ガルタ橋、欄干の模様にご注意あれ

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January 14, 2009

成田に無事着きました。

みなさんご声援ありがとうございました。
Kochi(mobile)

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空港待ち合い室にて

一緒にトルコ旅行をした新潟のSさんがどこかの国の婦人にめちゃくちゃな言葉で話かけているので、助けに行った。
英語で話しても通じない。手振りで分かった事は、ウズベキスタンの人だと言うのだ。そして助産婦さんの仕事をしている事が分かった。そこに厳つい男性二名が来て聞くと、イエメンに三年間行っていた外科医だといって、写真を見せてくれた。そこにこの便で日本に語学研修に行く青年が加わって国際交流をした。
突然ウズベキスタンの人にオーシャンを知っているかときかれた。青年はトルコ語とウズベキスタン語は共通だから通じる筈だという。しかし通じなかった。話をするのに、トルコ語、ウズベキスタン語、英語、それに日本語が混線状態になる。わたしも知る限りのロシア語を駆使する。ハラショー、ロ-スケ、しかしトロイカ、ポチョムキンは言わなかった、なおも詳しく聞くとなんと「おしん」だった。私が子供を背負って洗濯する真似をすると一同大笑いになり、いまも日本はそうかと聞く。それは、ロングロングアゴーだとはなすと、納得してくれた。
Duke(in Turkey)

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January 13, 2009

日本の鍵盤乱麻読者の皆さんこんばんは

いま空港で、現地時間三時であります。出発は四時半ころになります。海外旅行で辛いのは、帰りの時間をとても長ーーく感じることです。それでも帰りは偏西風で、一時間早く飛ぶ事が出来ることでしょう。鍵盤乱麻読者の欄には、どなた様からか、トルコの旅について投稿を頂いていると言う、連絡が入っていますので、ご覧下さい。日本との時差は七時間です。
それでは明日昼過ぎにお会いしましょう。
Duke(in Turkey)

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いつものお話

結局現地まで、トルコ石の注文はなかった。ホテルの近くには警察署があり、白く塗られた、装甲放水車が停まっていた。警察官達の持つ銃は、ヘッケラー&ゴッホMP5のバリエーションだった。ある遺跡の出口に立っていた隊員に写真を一枚撮らしてくれと頼んだら、恥ずかしそうに「ノー」と言われてしまった。
トルコの時間は午前11時30分。成田には14日で12時25分に通関手続きを終わる。従って午後1時以降はメールや、通話が出来る予定だ。
今回こう言う芸当が出来たのも、海外対応携帯に変えた事が一番だ。画像を沢山送ったので、通話料金が心配だが、普段お世話になっている、鍵盤乱麻読者の皆様への、サービスだと割りきる事にしている。あと昨年八月末に旅行用のカメラをLUMIXのLX3に変えた。これは今までのニコンに比べ、容積も重さも4分の1くらいで、なおかつレンズはF2とデジカメの中でも一番明るいので、夜景を撮るのに活躍した。
Duke(in Turkey)

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橋の下のレストランで。

橋の下のレストランで。
ここの名物はサバサンドイッチだ。店の青年にサバと言っても意志が通じないのに厨房を見せてくれと乗り込んで、市場から仕入れた魚をいちいちチェックしたか、サバはみつからなかった。そのうち彼の兄が来て「メニューにはないがある」と言うので出てきたのが写真のサンドイッチだ。カードで大きさを想像して頂きたい。
Duke(in Turkey)

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これがベリダンスです。

これがベリダンスです。
動画でも撮りましたので、帰国後にブログでご紹介します。しかしこの一週間、日本のニュースは何も知ることが出来ない浦島太郎状態になってしまいました。いまトルコは午前5時です。
Duke(in Turkey)

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ようやくイスタンブールに戻る

ようやくイスタンブールに戻る
読者の皆さんは如何お過ごしであろうか?このトルコ紀行速報はお楽しみ頂いて下さっているだろうか?わたしも実際トルコの土を踏んで認識を新たにしている事は沢山ある。今までデジカメで撮影した画像は約600枚で過去最高になっている。
トルコと言えば庄野真代の「飛んでイスタンブール」であろう。これは一月ほど前の朝日新聞の別刷りでボツポラス海峡の通勤用フェリーが歌と共に紹介された事が記憶に新しい。
しかしわたしには海峡のアジアとヨーロッパを渡す一つの橋に興味があった。10年ほど前に公開されたパトリシア・ルコント監督の「橋の上の娘」と言う映画が強烈な印象に残っている。主演は、バネッサ・ファラディだった。今にも橋から身を海峡に投じようとする場面から話は始まる。
別ににフランス映画だから、トルコの正しい姿を伝えているわけではないが、兎に角セクシーなのである。わたしは今日の午後、チャーターした船で、その橋をくぐり抜け積年の望みを果たす事ができた。
極端に言うともう死んでも良いくらいな気分なのだ。わたしにとってもカッパドキアなんぞどうでも構わない。この橋こそ全てなのだ。
このブログを更新できるのは、現地時間昼頃までだ。つまりあと一、二回だ。もしトルコ石の土産物が欲しいと言うかたがいたら、明日の朝までに指定口座に五万円ほど振り込み頂ければ買って行くので、大至急メールを頂きたい。
今晩はこれからベリダンスの見学に行ってくる。ある高齢のご夫婦で参加されているが、夫君は「旅行中は妻の機嫌を損ないたくないので残念ですが不参加です。」と、そっとわたしに耳打ちした。別にストリッブダンスショーでもないのに、とても可哀想なのである。写真はボツポラス海峡。
Duke(in Turkey)

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January 12, 2009

世界の車窓から、イスタンブール駅

世界の車窓から、イスタンブール駅
夜行寝台車ひ朝9時すぎ、ようやく駅に到着した。運行ダイヤはかなりアバウトである。
Duke(in Turkey)

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アンカラから夜行寝台のなかで

アンカラは朝から雪が降っていると言う情報が入っていた。どおりで、カッパドキアの辺ではマイナス六度で、厚着をしたが皆ぶるぶる震えていた。それでも名物ね粘るアイスクリームを食べて来た。売り子のお兄ちゃんは、驚くべき事に、「ラーメン、つけめん、僕イケメン」などというギャグを連発していた。寝台車には兼ねてより買い込んだビールを持ち込んだが、寒くて、とても飲む気持ちにはなれずに、二段ベッドに横になった。一等寝台と言うと高級な物を予想しがちだが、単に四畳半個室の中にベッドが置かれているだけだ。毎日平均五百キロをバスで走り回っているので、横になれるのだけはありがたい。
添乗員さんにあれこれ注意事項を聞いて列車に乗った。所が夜中にトイレに出たときロックが掛かってしまって部屋に入ることが出来なくなってしまった。同室の相棒はぐっすり寝てしまって、ドアをいくら叩いても起きてくれない。仕方なくバジャマのまま車掌さんを探したが見つからず、空いていた食堂車のウェイターに片言の英語で事情を説明した。いみは通じて、車掌さんをみて起こしてもらい、こうしてようやく部屋に戻る事ができた。眠れなくなったので、こうしてメールを打っているが、相棒は相変わらず、白河夜船である。現地はただいま午前二時過ぎだ。

Duke(in Turkey)

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January 11, 2009

これがカッパドキアの奇岩

これがカッパドキアの奇岩
高度1200メートル以上もあってなかり寒い。
Duke(in Turkey)

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いまコンヤは午前05 時30分だ。

しかし外は真っ暗だ。昨日の写真は途中の昼飯を食べたレストランの脇にあった、小さなみせだか、カラフルなのでシャッターを押した。いまいるコンヤはトルコ帽子をかぶって、クルクルトランス状態になって踊る宗教儀式発祥の地域。トルコは政経分離が厳密に行われているので、踊りは観光向けに一部の人たちがやるだけだ。従って全ての宗教者は国家公務員になる。
添乗員さんは東ちずるに似た小柄な方で一生懸命やってくれる。そして営業活動の神経が行き届いている。過去に添乗した年配の女性達から、ぜひうちの息子のお嫁さんにと、写真を撮っていくがそのご、一度も連絡が来たことがないと苦笑していた。
現地ガイドさんは物凄い勉強家である。一昨日はトルコと日本の長い友好の歴史を演説したので、一部の所で不覚にも涙が流れてしまった。そして昨日は頼みもしないのに、バスのなかで国際関係におけるトルコ政府の立場を一時間余り演説したのには、参った。良い意味での国粋主義者である。その内容は帰国後に書こう。ホテルの前はシルクロードか走っており、どう考えても異次元の世界である。
Duke(in Turkey)

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January 10, 2009

世界の三大料理と言われているが。

世界の三大料理と言われているが。
現在地はコンヤと言う内陸部でトルコピザなる昼飯を食べている。オスマントルコの王様が、制覇した世界各地から美味を取り寄せてアレンジしたので美味しくなったらしい。朝晩はビュッフェ形式だ。初日は書いた通りのサバ料理だ。昨日はシシケバブだった。しかしそれは焼き鳥の串が二本にチャーハンの様な物だけだった。一同いつになったら美食が出てくるのか固唾を飲んで期待している。

Duke(in Turkey)

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トルコのネコも和食を好む

飛行機が黒海を横切り着陸体勢に入る。その前に機内のヨーロッパ地図を見る。するとトルコを中心に隣のギリシャ、コソボ、ハンガリー、北東にロシア、ウクライナ、東にイラクとイラン、南西にいま炎が燃えているイスラエル、パレスチナなど世界の紛争の中心に立っていることが分かる。トルコの首都はアンカラだで、人口は6520万人だ。だがイスタンブールの人口は1400万人でトルコで、一番多い。その理由はイスタンブールが首都では外敵から守り難いと言うことで内陸部のアンカラに移した経緯がある。しかし国家レベルの戦争がなくなったいまも、首都はそのままになっているようた。
一月ほどまえに地デジでトルコの珍しい動物と言う番組があったことはブログにも書いた。その中で、トルコではイスラム教の関係でネコがとても大切にされているという話が印象に残った。昨日の魚のアラを食べているネコをみてこんな美食ネコの口に合うかどうか心配だったが、自宅日本から空輸したネコのエサを今日立ち寄ったエフェス遺跡にいた野良ネコに与えた所争う様に食べてくれた。中でも一匹のネコちゃんは、我が家で一番甘えん坊のネコナナちゃんそっくりな声で最速姿はとても可愛かった。やはりネコのエサも国境を越えるのである。
もし今後トルコに来る方がいたら、箱ごと持参するとネコちゃんに大もてになることは請け合いである。いまトルコは午後10時差30分だ。
Duke(in Turkey)

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January 09, 2009

食べ物の事を一つ

ブログはどうやら無事に更新されているようで、一安心した。文章が短いと言うご意見もあった。わたしの場合パソコンならばしゃべる速さで、キーワードを打つ事が出来る。しかし携帯となると一分に30文字位だ。
トルコはオリーブの名産地だ。とにかく何でもオリーブで炒めてある。昨日の港町のレストランは日本人向けにサバの炒めた物がでた。喜んだのもつかの間。ライスなはパエリア風にこってりしていた。しかも驚いた事に、丸大豆醤油の小瓶がテーブルの上にあった。さらに小袋に入った爪楊枝まであった。ついでに大根おろしも付けて欲しいと言うのが、同行している日本人の極めて贅沢な要求だった。みんなオリーブオイルに食傷気味なのだ。
Duke(in Turkey)

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時差ボケがまだ治らない

いま午前4時半だ。昨晩は頭がふらついて、午後8時には寝てしまった。時差ボケに良いと言うので、プールに入った。しかし水温が30度だったので、二往復しただけで早々に退散した。昨日のホテルのフロントにはパソコンがあったので触ったがトルコ語と英語しか出なかった。それでも自分のブログにたどり着いが文字は全て□□になっていた。だからこの投稿が正しく反映されているかどうか確かめ様がない。
Duke(in Turkey)

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January 08, 2009

ギリブルでフェリーの出発を待つ。

ギリブルでフェリーの出発を待つ。
朝の訂正、到着したのはイスタンブールでした。そしていまはギリブルという港町だ。写真の様にねこちゃんは魚のアラをもらっていた。

Duke(in Turkey)

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イスタンブールの朝は静かにあける。

成田を立って機内食を三回食べる。最初は日本時間の午後4時、次か8時に夜食、最後は着陸する現地時間の午後7時頃だ。考え方では、夕飯だが、自分の認識では朝ごはんだ。しかし機内で時計は七時間もどす。深夜の街を出迎えのバスはヨーロッパ側のホテルに向かう。午前2時にふと目を覚ますと、静まり返った街に犬の遠吠えだけが響いていた。
Duke(in Turkey)

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January 07, 2009

財界主導型ワーシェアリングについて思う

▼1週間ほどブログは不定期更新になりますが、ご了承下さい。
▼昨日書いた映画「そして、私たちは愛に帰る」のことで年末に発行された「週刊金曜日」で正月にみる映画のひとつとして紹介を粉川哲夫が10行ほど紹介していた。そこで彼が言うには「ドイツは積極的にトルコなどの移民を受け入れて将来に備えている」という一文が印象に残っている。ところが日本は排除するだけ。昔から「人の集まる所に、カネが集まり、カネが集まるところに、政治(つまりカネの再配分)が生まれる」という名言がある。好むと好まざるに関わらず、一応日本はブラジル、東南アジアに比べて仕事はあるので不法滞留が増える一方である。
▼正月の朝日ニュースター「愛川欣也パックインJ」で政治の一こまで、人口問題を扱っていた。ゲストの一人樋口恵子が「国を維持していくには出生率は2.08でないと存続そのものができない。しかし日本は1.34くらいだ。自分が小泉さんのとき少子化対策の委員をしていて10回くらい答申を出したが、予算は一円もつかなかった。(つまり実行されなかった)」とこぼしていた。
▼昨日のTVでトヨタが赤字で契約社員の人員整理をさらにすると発表していた。上記番組でもトヨタは東南アジアの国を2つくらい買い取る位の内部留保をしているのだから、短期の1年で赤字になったと大騒ぎするような問題ではない。むしろこんなときだから、別の農業、環境、介護などに出資して新しい雇用を作るという考え方でないとおかしい。特別給付金にしてもそれより、3月までに9万人近い失業者がでるのだから、その対策に使った方が有効であるという意見も出た。
▼昨日から経団連の御手洗氏も「ワークシェアリング」などと言い出したが、これは数年前からヨーロッパで労組が主体になっているものとは似て非なるものだと思う。企業がまず内部留保をはき出して、雇用を作り出すことが先決である。それを正規と非正規で仕事を分け合うと曲解して、犠牲を労働者だけに押しつけようとしている。
▼隣のK駅では政党の宣伝カーが来てよく演説をしている。J党もM党も云うことは同じだ。「K町には外国人が溢れているから犯罪が多い」とナショナリズムに訴えている。安心して働くことができる法整備をしないと、30年もしたら日本1は老人だけの国になってしまうだろう。あれこれ他愛もないことを書いたが、また1週間ほどしたらこのブログでお会いしたい。

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January 06, 2009

◇「そして、私たちは愛に帰る」を見る

▼メルマガの1月1号がお手元に届いている方は、みなさん優良読者である。届いていない方は消息が分からない方で、かつ何の連絡がなかったかたである。お読みになりたい方は一言「継続して読みたい」とメールを送って下されば引き続いてお送りさせていただく。ただし1年に一回も投稿もない方は年末にリストから削除するので、そのつもりで。
▼昨日の編集後記「疑惑」の部分に、声をあげて笑った方がいらしたのではないだろうか?いやー別にわたしの場合受信トレイでメールは4つのフォルダーに分けてあり、家族にチェックを頼んでいくのは「仕事」のフォルダーだけだから、実質的には何を書かれても別に何も困ることはない。
▼メールについてはドコモなど日本の携帯は世界から見ると、鎖国的運用方式なのだ。だから外国にメールを送る場合、現地の基地局で受信してから日本製の携帯に転送する。だから送信だけではなく、受信にも料金がかかるというのはそのことだ。それと飾りは全部消えてなくなる。受信できるのはJISコードの文字だけ。昨年チュニジアに行っているとき、花で飾ったメールを送って下さった方がいたが、この場合も文字しか受信できなかったのでご注意頂きたい。ブログは今日午後あたり9万4千番になります。
◇「そして、私たちは愛に帰る」
 昨日のメルマガに書いたが、トルコにはクルド族が人口の1割を占めている。映画の舞台はそのクルドの指導者オジャラン氏が逮捕された頃のトルコである。2部に分かれていて1部は老人アリがヒマをもてあまして娼婦イェテルの元に通って毎回50ユーロを支払って、ある特別のサービスを受けている。しかしお互いないものを補うために一緒に暮らさないかという話に展開していく。しかし喧嘩の弾みでイェテルを殺害してしまう、というのが一部だ。老人の息子はドイツ語の教授をしているが、町のドイツ語の本を扱っている店が閉店するというので無理して買い取ることになる。
 そしてオジャランの釈放を求めるデモ隊は警察に追われている。クルド人のある若い女性活動家アイテンは仲間が持っていたベレッタ拳銃を、拾ってビルの屋上に隠してしまう。仲間からはトルコは危ないからドイツにニセ留学生として脱出した方が良いと勧められ、ニセのパスポートで出国して、とある大学に学生を装って通う。ドイツに行けば母親に会える筈だと思って来た。しかし母のイェテルは娼婦としてトルコに出稼ぎをしており、すでに死亡し行方は知れない。お金の問題から現地の支援組織とたもとを分かち、空腹を抱えるさまようことになる。そこで偶然知り合った一人のドイツ人学生ロッテの家に転がり込む。しかしロッテが訳の分からない外人を家に連れ込むことに母のスザンヌは保守的で良い顔をしない。しかもアイテンはニセパスポートを持った不法滞留者として逮捕されてしまう。
 ロッテは収容所にアイテンを訪ねるとトルコに行って、あるもの(拳銃)を探し出し、現地の仲間に手渡して欲しいと懇願する。ロッテは断り切れず母スザンヌの制止を振り切って単身トルコに出掛ける。しかし拳銃は取り戻してものの、子どもにバッグを奪われ逆に子どもに射殺されてしまう。
 そのことはドイツにいるスザンヌに伝えられ衝撃を受ける。スザンヌは娘のロッテが下宿していたドイツ教授のアパートにいってベッドで泣き崩れる。しかし考えて見るとスザンヌも若いときヒッピーとなってインドを放浪する生活を送っていたことを思い出す。娘の行動ばかり非難していたけれど実は娘も母と同じ路を歩こうとしていたことに気づく。そして教授と食事をしたりするうちに心を開いていく。さらにロッテの遺志を継ぐのはアイテンを解放することだと考えに辿り着く。それが実現したときようやく娘の気持ちが分かるようになる。そしてドイツ語教師もまたその母を見て、自分が父親を理解できなかった最大の原因は、娼婦にうつつを抜かす父親を毛嫌いして言葉を交わすことがあまりにもなかったことが原因ではないかと、漁師をしている父親の元を訪ねるのだった。 

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January 05, 2009

新年の本日も朝から多忙です。

Tentmura(日比谷テント村:鵜の目さん提供)
▼昨日は日比谷にカンパとホカロンを50個ほど届け、本日から新年の挨拶まわりをしています。
▼しかもきょうはメルマガの締め切り日です。コンタクトのなかった読者を送信リストから削除する作業はすませましたが、自分の原稿はまだ一行もできていません。
▼昨年末お会いしたFrotteeさんが「レインボー」に復活していただきました。どうぞお楽しみに。ブログ本文は時間があったら書きます。

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January 04, 2009

これから日比谷のテント村へ

Panfret
▼きょうから仕事を始めている。そうしないと7日から出掛けられなくなる。きょう2本仕上げて、明日から挨拶回り初日だけで10団体は回らなければならない。しかも明日はメルマガの締めきりだというのに一冊も読んでいない。これから日比谷のテント村にカンパとホカロンを届けに行ってくる。
▼シダックスに置いてあった自衛隊の勧誘パンフレット。田母神論文の大批判も結構だが、身近なところで自衛隊のこういう猫なで声の勧誘が行われている。

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January 03, 2009

年始恒例の上野七福神めぐりをする

Sisimai
▼今年は上野七福神をめぐります。大勢の参加お待ちしています。
▼今年は初めての上野七福神だった。田端駅南口に集合した。田端駅の上にある民家に上京して一時期住んでいたわたすは出発前にその場所を確認しに行ったが、既に家は取り壊されて平地になっていた。40年ぶりにみるその場所は不思議な空間だった。上野コースは結構人にであう。しかしわたしたちは初めての路なので結構迷った。それでも地図やら交番で確認して歩くこと2時間で不忍池の弁天様まで辿り着いた。わたしは7日からに備えて着衣の具合を昨日から増やしたり少なくしたりして歩いている。きょうは厚着をしすぎて少々疲れてしまった。▼解散地ではいつものように食事をする。この辺は星林さんの縄張りでもあるので、松坂屋の6階にあるレストランに入ったがちょうど座れる席があった。食事をしていると新年のため獅子舞が大国様と一緒にやってきたのには驚いた。そこででた話なのだが、明治から現在まで日本という國は棄民政策をして国を作ってきたのではないかという話だった。満蒙開拓団しかり、南米も同じく。今年からNHKでは司馬遼太郎の「坂の上の雲」が始まると喧伝されているが、あの根本の思想こそ棄民によって明治からの富国強兵によって日本を作ってきた考えを正当化するものだと思う。
▼星林さんは31日にもう日比谷のテント村を激励に訪れているということだった。
▼おりから箱根駅伝をやっていたので途中経過を携帯で見ながら歩いたが、日本の陸上界をダメにしたのは箱根駅伝。野球界をダメにしたのは高校野球だというのはハッチー氏に意見だったが、その通りだと思った。若いうちから無理して走らせたり、野球で無理して投げさせると若い人たちのスポーツ生命を奪ってしまうことは間違いない。

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January 02, 2009

地球上の人間が善人ばかりなら戦争はおきない

2009hatuhi(初日の出:ハッチー氏提供)
▼ずっとケーブルテレビの朝日ニューレターを見ていた。愛川欣也「パックインジャーナル」と金子勝の「ニュースにだまされるな」だけで述べ8時間くらいになった。金子の方は2時間ずつ「映像メディアはどうなるか?」、「活字メディアはどうなるか」に分けられていた。両方とも記者が官庁の広報機関として下請けになってしまっている。タテのものをヨコにsる技術だけは長けているが、自分でものを考えないようになってしまっていると、その弊害を語る。中でも大手メディアはWebとの融合と口先だけでは言うが、実際は囲い込みで少数のメディアを排除する傾向にあり、あわよくば潰してしまおうという考えが見え隠れしている。それにイラク戦争が始まるとき、「大量破壊兵器の存在」をアメリカの言いなりになって喧伝したが、実際はなかったのに、口をぬぐってその責任を誰もとっていない。というのが話の主要な点であった。
▼イラク戦争はまだ終わっていないし、アフガンだってオバマは陸上部隊を増派すると言っている。それなのにノーテンキなことを言ってくる人がいる。政治の世界は力の駆け引きがあることを忘れてはならない。地球上に生きている人は善人ばかりではないのだから…。

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January 01, 2009

あけましておめでとうございます。

▼明けましておめでとうございます。
▼昨晩は久しぶりに「紅白」を全部見てしまいました。しかし審査員に姜尚中がでたのには驚きました。先日NHK教育TVでやった夏目漱石の特集に出演したのと、本が人気だからでしょうか?しかしコメントもどうも「紅白とも甲乙つけがたい」と差し障りのないコメントにもがっかりしました。先日某読者とお話ししたときも、「だからTVにでることができる」という意見にも頷けます。また別の読者は最新刊の「考える力」を読んだけど面白くなかったと言っていました。SMAPが唄う前に「日本人」を連発していましたが、審査員のコメントは松本幸四郎でした。これが姜尚中だったら何とコメントしたか興味のあるところです。わたしは姜尚中の文章は週刊「アエラ」で読んでいる程度ですが、最近ピント外れの原稿が多いなと思っています。
▼それに出演者はあまり新鮮味はなく自分の持ち歌も昔のものを「08バージョン」などと歌っているのが数多く見られました。エグザイルも亀田興毅のような風貌からしてもっとプロテスタントソングでも歌ってくれるのかと思っていたら、それが愛だの恋だのでがっかり。SPEEDも再結成だそうで、ヒット曲が何もないのに、プロダクションの力だけで登場。再結成のグループが金目当てで再結成されてもうまく行かない事は、歴史が証明しています。おしなべてそんな感じです。61歳の歌手秋元順子も、いつ聞いていても後半のメロディは「シルエットロマンス」そっくりなのが気になります。ああいかん、いかん今年もまた毒舌で始まってしまいました。
▼その点NHKの午後7時のニュースで、日比谷公園の首を切られた契約社員の人たちのためにテント村を開いて支援している姿はとても好感が持てました。それを支援しているのも組織労働者のみなさんが所属している労組ではないというのが、何となく分かります。そして支援されている労働者が「いつか恩返しをしたい」と涙ながらに語ったこと。炊きだしを手伝っている女子高生が高校3年で、「何か力になりたかった」と語る姿に、とてもすがすがしさと、日本の若い世代に大いに期待が持てると予感させてくれました。
▼新年のメッセージメールを下さったみなさんありがとうございます。お一人おひとりにご返事をお送りできないかも知れませんが、みなさんとご家族のご健康をお祈りいたします。

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