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January 18, 2009

トルコのドイツ移民は1960年に始まった

Kudamono(果物屋さんの店先で)
▼まだ若干時差ぼけが残っており、集中して物事を考える事ができない。文章を書いてもリズムが出て来ない。今年から日曜日のブログは止めたつもりだが、トルコのことを忘れないうちに書かないと忘れてしまうので書く。土曜日は家でゆっくりしていたかったが、今週水曜日は「シネマ」の原稿締め切り日がやって来る。疲れていたが銀座シネスイッチに「大阪ハムレット」を見てきた。感想は数日中に書くつもりだ。しかも今日18日は午前10時から住んでいるマンションの管理組合の総会だ。一定の影響力を与え、みんなに信頼されるには欠席することは許されない。
▼揺れるバスの中でガイド氏の名調子の解説をノートに筆記しているのはMINさんとわたしくらいで、後の人は寝ているか目をつむって聞いている。果たして起きているのか眠ってしまっているのか分からない。トルコが舞台になっている映画は、このブログに3本登場するので、読者のみなさんが混乱しないように番号を振ることにする。映画1とは「橋の上の娘」、映画2とは現在銀座シネスイッチで公開中の「そして、私たちは愛に帰る」、そして映画3とは「007ロシアより愛を込めて」としたい。
▼読者から「トルコ人のドイツ移民」のことで質問があったので先に書こう。ネットで調べても研究者のそれは「ドイツにいるトルコ移民の規制」について書かれているだけだ。会議まで時間がないので、手短に書くことにする。間違っていたら、このブログをご覧になっていて、日本語のわかるトルコ人の方からご指摘いただけると思うのでその都度訂正する。
▼トルコの犯罪発生率は1000分の4で近隣の東欧、ヨーロッパ諸国に比べてかなり低い。インフレも90%近くつづいたこともあったが、今では20%前後で推移している。自分の国に対する好感度では30歳以下の人が65%は満足している。それ以上の人では60%が悪くないと答えている。たしかにトルコでは東西格差があってイラク、イラン、アルメニア国境近くの農村は疲弊しており、出稼ぎをしないと食べていくことができないので都会にでる。しかし残った老人たちがまったく喰っていけないかというと、食料に不足することはないので餓死する事だけはない。しかし貨幣経済が広がってくるに従って現金収入が必要になって都会に出ざるを得ない。そういう貧困の人たちに対して外国のテロ組織などが介入して、反政府運動をたきつけようとする動きが一部にはある。
▼消費税は物によって違うが、普通の物は大体8%である。しかし贅沢品ほど高く、外国車は100%、つまり倍の価格を出さないと買うことはできない。カローラクラスで250から300万ドルである。物の生産で言えばヨーロッパのプラズマテレビの70%はトルコで作られている。トルコは実にヨーロッパで7番目の技術大国である。失業が増えてくると失業保険なども考えなければならない。しかしガイドをしていてトルコに来ているフランス人などに聞くと、若い世代は仕事をしないで失業保険に頼って半年国内にいて、半年はその失業保険で海外旅行に来て遊ぶという矛盾を抱えている。仕事をしている人が遊ぶことができなくて、働かない人が遊んでいるというのは、この保険制度の矛盾である。
▼移民だがこれは1960年に当時の西ドイツ政府の依頼で、トルコ人が最初に12万人ドイツに移民として派遣された。(注・おそらく大戦で疲弊して人口が減少して人力が必要になったのだろう)そして今はドイツに行っているトルコ人は400万人になっている。これは最初行った人が親兄弟、親戚を呼び寄せた結果である。しかし移民として行った人は、問題意識は低い。たとえて言えば日本人がブラジルに移民したのと同じことである。とガイド氏は語った。

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