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January 27, 2009

ベリダンスの夜の出来事

Mangetu(イスタンブールの満月、中央下)
▼レインボーダイアリーに「トロ吉」さんが火曜日の枠の書いてくださることになりました。とても感謝しています。そう言えば年賀状で数年断筆しているが「今年から書く」とおっしゃった方がお一人いらした。まだそれからひと月も経っていないいないが、どうか「決意」をお忘れないように願いたい。年賀状を頂かなかった方は何も誓っていないのだから、アテにはしていない。
Sohutouri(ニセのソフトクリーム売り)
▼ベリダンスに行く前に書く事を忘れていた事が一つある。それは昼食はシーフードをいただいたのだが、その直前仔猫ちゃんに日本から空輸した最後の餌を与えた。所がタイミングが悪く、左の薬指をその鋭い爪で引っかかれてしまった。犬と違って猫は大丈夫だとは思ったが、すぐ出血した薬指を噛んで血を吸い出し、はき出すことを繰り返した。添乗員さんに話したら、念のため水で洗浄しておいた方が良いと言われて、レストランでそのようにした。今はかさぶたも取れて何も異常は見受けられない。
▼レストランの出口ではあの伸びるアイスクリーム売りが口上ととともにアクロバットな仕草で売っていて、日本人観光客は競って買っていた。しかしトルコの青年に後日聞いたところによるとカッパドキアもイスタンブール市内で売っているものも、全部偽物だという。本物はある都市の一箇所でしか売っていないとのことだった。土産を買うのは所詮騙しあいと紙一重だから仕方ない。
▼夜行列車ではシャワーも浴びることはできなかった。冬はまだしも夏は汗でとても大変だと添乗員さんは言っていた。レストランはボスポラスの脇にあった。ちょうど満月に近い月が河面に映えていてみんな競ってデジカメのシャッターを押していた。コンヤにいる時から満月に見えたので、満月が3日もつづく筈はないのだが、まあ学術調査に来ているわけではないから、どうでも良いことだ。
Dance1(一人目のダンサー)
▼ベリダンスに行くとホールは100人あまりの日本人観光客で満員だった。ワンドリンク付きで8000円なので、今まで飲んだことのない酒を飲もうと思った。トルコではラクという焼酎が強いという評判だった。クセがあるので評価は分かれるようだ。MINさんは健康志向なので「お湯割り」を所望したが「そんなものはない」とにべもなく断られた。ラクに水を足すと白い泡が立ってそれを飲むのが正しい飲み方なのだ。それでもウェイターはMINさんに最後にお湯だけ持って来てくれた。
Dance2(最も妖艶なダンサー)
▼最初の男女3組で踊る民族舞踊はまさに学芸会のようだった。つぎにベリダンスを金髪の女性が踊る。これは動画でご紹介している通りだ。ところが15分ほど踊ると会場の観客を舞台に乗せて一緒に踊る。その傑作な動画もあるのだが…。踊り終わって30分くらいすると係員が、壇上に登った客の間をデジカメで撮った写真を何と1枚5ドルで3枚セットで買えと回ってくる仕組みになっていた。鼻の下を伸ばしているとこういう目にあう。2人目のダンサーはブルーネットの髪で体型も極めてグラマラス、観客は息を呑んで見つめていた。
▼明日はイスタンブール市街の有料ツアーもあるが、8000円も支払えば結構なお土産を買うことができるので、それは不参加にした。列車とダンス会場で親しさを増したN夫妻と明日は朝食を早めに済ませて、市内を歩きまわろうと約束して眠りについた。
◇「チェ28歳の革命」キューバ革命が成功した60年1月1日は、高校生の時だったのでリアルタイムでそれは感じて親しみを持っていた。やがてキューバ革命に関する文献を漁って読むようになる。その中で不思議な人物がいてそれがチェ・ゲバラだった。彼の著書が出版されたのは「遊撃戦論」という本で、かなり小さな出版社で、毛沢東の論文とセットになって販売された。それは今手元にはないが実家に送って保管してある。同時にもう一人カストロと彼ゲバラ達を訓練したのは、スペイン革命の生き残りでアルベルト・バーヨという人で革命が成就した後も、彼らからジェネラルと慕われていた。彼が書いたのは「ゲリラ戦教程」という地下出版されたタイプ印刷の本でそれも密かに手に入れた。しかし「地下出版」するほどの大げさの本ではなかった。それで彼がボリビアで捕まって射殺されるまで、その経過はリアルタイムで報道されていた。チェの遺体の写真も新聞に掲載され、わたしはそれを切り抜いて持っている。わたしがボリビアに行きたいとこだわるのも、その聖地を一目見たいからだ。 さて映画だが、グランマ号というボートに乗ってキューバに乗り込む場面から始まる。しかしソダーバーグ監督の描くゲバラは山賊の様だ。監督は国連で演説するゲバラと、革命陣地を拡げる革命闘争を交互に、比較的時系列で対比しながら描く。しかしそれはアメリカ人の見た革命であり、バチスタという傀儡政権から土地を開放して、人民に分け与えたという本質を的確に描いてはいない。ゲバラが最も力を発揮して世界にその名を知らしめたのはサンタクララの列車の転覆作戦である。しかしその描き方も迫力はまったくない。キューバ革命の全体像を監督が把握しきれず、国連でゲバラが演説して認知されていく経過だけを追っているので、山賊になってしまうのだ。
 「学習の友」という雑誌の2月号で南米の滞在が長かった朝日新聞の伊藤千尋記者が「海賊共和国」という一文を書いている。それによりと海賊は大きな船に小さな船で向かっていった、海賊はかなり民主的な運営がなされていたと書かれている。その最後に次のように書いている。
 「思えばカストロやゲバラたちはメキシコで武装訓練をし、12人乗りの小さな舟に82人が乗ってキューバに攻め込んだのだった。キューバ革命は市民革命の延長上にある海賊によって実行されたと言えなくもない」と書いている。まさにソダーバーグはこの視点を忘れてしまっているのだ。ゲバラを書いた映画で、わたしは「モーターサイクル・ダイアリー」が最も優れていると思う。少しスペイン語を覚えたぞ。コマンダンテ、ファミリア。

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