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January 25, 2009

絨毯会社の見事な販売方法

Jutan1(言葉巧みに絨毯を売る)
▼カッパドキアに行く前に、絨毯製作および販売所に連れて行かれた。また日本語がとてもうまい販売員が、絨毯の出来るまでを子細に説明する。つまり他の絨毯と違って糸の使い方が違うの、長年使っていても痛まないという。始まるとクイズが出され、当たった人にはワインの小瓶などがプレゼントされる。しかしこれを貰ってしまうと実は後は絨毯を買わざるを得なくなってしまうのだ。色々な販売所に連れて行かれたが、この絨毯売りが一番巧だった。糸を紡ぐ場面もあり繭から4本くらいを糸車に巻いてゆく。説明員は、日本でも長野県や群馬県では、かつて蚕を育て繭から糸を作っていたというだけあってかなり勉強している。そして糸を取った後のサナギはトルコでは肥料になってしまうという。もったいないことだ。「わたしは長野県だが糸を取ったあとのサナギは醤油で煮て食べた」というと説明員は流石にギョッとしていた。
Jutan2(本物の証)
▼それから様々な絨毯の展示場へと案内される。まあオークション会場の様な大広間が、この販売場にはいくつかあって、日本人はカモにされていた。販売会社の客の目利きは大したもので、コレと思った客にはマンツーマンで接客して売り込む。成約すると日本のように販売員全員で拍手をするという、手の込みようだ。そして絨毯の裏の製作会社のタグに、間違いない様にサインさせ、さらに面に返して模様が移るようにして、買った人の顔写真を撮る。これで偽物は売らないという証拠になる。そして完成後数ヶ月して宅配で買った人の玄関先に届けられる仕組みだ。見ていると2、30万円する絨毯が数組の方が購入していた。これでワインやチャイをサービスしても十分もとは取れる仕組みだ。
Jutan3(絨毯を織る人たち)
▼アンカラから出る夜行寝台列車は午後9時半の出発である。だから途中のドライブインで数時間も時間調整をすることになる。駅についたがヨーロッパ駅はどこもそうだが、構内入場するときは別に切符は見せない。駅構内はガランとしていて、キオスクの様な店が一つだけあった。そこには色々なポスターが貼られており、その一枚に日本の「浪漫紀行」というのがあり、気恥ずかしくなる。大体国内旅行でも旅先で自分が住んでいる場所が仰々しいポスターで、風光明媚などと書かれている。しかしその現実との格差に恥ずかしさを覚えるのと同じだ。
Ankara(夜のアンカラ駅)
▼やがて15分ほど前になって列車が入ってくる。ベッドメイキングの車掌さんに一人当たり1ドル枕銭を払うようにという指示がある。向こうは仕事でやっているのにと、疑問があるが一応指示通りに支払う。一応二人で一部屋という個室だ。しかし水道の蛇口をヒネルとボコボコと言う音がしてまっ黒な水が出てくる。おいおい日本の乗客が増えたの使っていない古い車両を倉庫から引っ張り出して来たんじゃないのか?しかし隣の客室にいた二人連れの女性客の一人は、出発前にNHKハイビジョンで写っていた車両はこれと同じだったという。午後10時過ぎにはベッドメイキングが終わってしまうので、もう寝るしかない。
Sindsaisha(寝台車の内部)
▼そこでリアルタイムで書いたような深夜にトイレに行って帰ろうと思ったら、ドアがロックするというアクシデントに見舞われる。翌朝添乗員さんが言うには車両の建て付けが悪いから、L字型のロックが落ちてしまったのだろうという。隣の女性客が言うには逆にロックがかかりにくかったということだった。なにせ午前2時頃で添乗員さんの部屋のメモも携帯番号もすべて部屋に置いたままである。それにレールの響く音と揺れでドアをいくらノックしても聞こえる筈はないのだ。わたしは9号車だったが、たしか4号車は食堂車でかなり遅くまで開いていると思ったので、列車に揺られながら歩いていく。3人の客室乗務員はトランプをやっていた。そして「スピーキング・イングリッシュ」という。わたしは事情を説明したらどうやら分かってもらってトランプをしていない若いウェイターが車両の前まで付いてきて事情を把握して、同じ9号車の一番前の部屋にいる車掌さんを起こしてくれてトラブルは目出度く解決したのだった。
▼わたしはトルコに行ってから、かなり大勢の方と個人的に交流をするようになった。大げさに言うと人生が代わってしまうよな出来事ばかりだ。その方々のことはプライベートだから一々書かない。差し支えのない一つだけご紹介する。前にもリアルタイムで書いたが、イスタンブール空港の待合室で一人の青年と知り合った。メールアドレスを交換したので、その後も交流はつづいていた。そして某日東京案内をすることになった。上野であって浅草に行くことにした。直接浅草ではわかりずらいと考えたからだ。まず浅草寺に向かう、そこに線香をあげて煙を頭になでつける巨大な線香立てがあることはみなさんご存知の通りである。その鉢には巨大な「卍」のマークがある。その生年は「このヒトラーのマークはいったい何ですか?」と聞くので「これはまんじという寺の記号で、ナチスのマークとは逆である」と説明する。これがナチスのマークだったら日本の詳細な地図を見れば日本中ナチスの拠点が存在していることになってしまう。
▼かれは実はアニメの「NARUTO」の熱烈なファンである。そしてインターネットを通じてそれを読んでいた。そこでどうしてもあのラーメンという物を食べて見たいと飛行機に中でも行っていた。しかし宗教上の理由でとんこつは食べることができない。それに微量でも料理にアルコールが入っていてもいけない。昼食に選んだ店はとある日本料理の昼飯を食べる店で、彼は魚なら大丈夫だというのでサバ焼き定食にして、わたしは刺身定食にした。店は木曽檜の一枚板を使ったカウンターがあって驚いていた。そして店主との会話も進んで、「イスタンブールで会った」というと「飛んでイスタンブールを唄い出すほどの乗りである。そして奥さまに「料理は作らないのか?」と聞く。料理は夫がプロでわたしのようなアマチュアが口を出す分野ではない。わたしはお客さんとの対応だけという。定食には「蛍イカ」が付いていたがそれは苦手の様だった。しかし店を出るとき、「日本に来て今まで一番美味しかった」というので店主は大喜びだった。
▼どうしても両国の相撲を見たいというので店で国技館を調べ、電話してみるとチケットは売り切れだという。だがどうしても相撲取りを見たいというので都営地下鉄で向かう。でてくる人たちは午後1時半頃だったから弱い人たちばかりだが、「怖いくらいだ」と行って恐る恐る買ったばかりにデジカメで後ろ姿ばかり写している。立ち止まって正面から写すように指示する。そして学校でも東京や京都を案内してくれるらしい。そこで学校で連れて行ってくれそうもない歌舞伎座に案内しようと思った。再び都営地下鉄で駆けつけると目の前が歌舞伎座であり。絶好のカメラの被写体だ。演目は板東玉三郎の「鷺娘」だった。彼は聞くと日本文学も島崎藤村の「破壊」、漱石、川端康成などを原文でよみこなしている勉強家である。帰宅すると感想文がメールで送られて来ていたが、ちゃんとその内容を理解して把握していた。
▼歌舞伎座で幕見を待っていると私たちのすぐ後ろに並んでいた40歳半ばの女性の二人連れと会話が弾んだ。しかもそのうちの一人が息子さんが何と「NARUTO」の大ファンだと言うことで、彼女も全巻読み終わっていて、青年が知らないストーリーまでご存知で待っている1時間余の間もまったく退屈しなかった。「それで○○の運命はどうなるのです?」とか「○○○は死んじゃったのよ」とかで彼は驚きの連続だったようだ。最初に彼女たちに「イスタンブール空港で出会った」ということを話たら、「どうもふつうの人には見えない」といわれ「今後のためにお名刺を持っていたら欲しい」とおっしゃる。休日は名刺を持たなかったので、メモの切れ端に名前と自宅の電話を書いてお渡しする。その方は都下K市で「上和太鼓」をなさっているSさんとおっしゃる方だった。携帯の待ち受け画面には女装したそれはそれは美しい息子さんの写真があった。

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