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March 17, 2009

◇「ダウト/あるカトリック学校で」を見る

◇「ダウト/あるカトリック学校で」1950年代のアメリカのカトリック教会に付属する中学校。新任教師のエイミーは赴任したばかりの教室で一生懸命子どもたちの教育に勤しんでいる。そんな教室を見守るのは校長のアロイシス(メルリ・ストリープ)は厳格な事で知られている。エイミーの教室に入ってきて、授業をしっかり聞いていない子どもに厳しく指導する。そんな中でもエイミーは校長の期待にそえるよう意気込んでいる。
▼もう一人の登場人物はフリン神父である。彼は地域の教会で日曜のミサの時の説教は地域の人びとから人気がある。その場へのアロイシス校長は乗り込んで、注意力のない子どもたちをかなり厳格に当たっている。
▼フリン神父は学校でも体育の教師として仕事をしている。あると転校してきた一人の黒人生徒が他の生徒達からイジメを受けているので、親切に相談に乗ってやっている。あるとき、その生徒を相談に乗ってやるため司祭館に連れ込む姿を目撃するシスターがいる。それはエイミーにも報告され、「そう言えばおかしい」と思うようになる。ただちにその事は校長の耳に到達する。校長は目をキラリとさせ、「絶対神父が子どもを拐かしたに違いない」と断定する。
▼アロイシス校長はフリン神父を校長室に呼び事実関係を正そうとする。フリン神父は自分は降誕祭の準備のために生徒を指導していただけで、やましいところなど一切ないと身の潔白を訴える。しかし先入観をもったアロイシスはその弁明を聞こうとしない。そればかりか担任のエイミーを呼んで生徒の様子を報告させる。生徒が教室に戻ったときワインの匂いがした、というのだ。これは後ほど調べて行くと、学校にあったワインを生徒が徒で飲んでしまったもので、神父は「そんな事をしていると降誕祭で重要な役をやって貰うわけにはいかない」と諭していたのだ。
▼神父を追いつめようとして逆に自分の不利な事を露呈してしまうアロイシス。しかし彼女は自分の弱みを見せまいと、執拗に神父を追いつめる。重要なのはこのアロイシスのセリフに「信仰の基本は信じることだと思っていた」という。しかしこの舞台(映画)では、「疑いは神のために成す行為だ」とアロイシスは言い切る。彼女は「確固たる信念などは人間などは持つべきではない」とでも言いたいのだろうか。彼女の神父を追い出そうという信念はすべて「信仰」という形のないものに寄りどころにしているのだ。
▼神父がシロだと分かっていながら彼を追い出した校長は、「私には分かる。私にだけは分かるのです」と言い切る。しかしこうなると人間とは所詮主観の動物なのだという事を証明している。彼女の宗教者としての思い上がりの思想が怖い。もっともその思想が今のアメリカを支配して彼ら白人の「正義」を世界中に押しつけることにつながっているのだろう。メルリ・ストリープの演技は鬼気迫る。シャンテシネにて。
▼ブログは明日の朝くらいに8万番になります。

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