岩波ホールで◇「子供の情景」を見る
▼一週間前の某新聞で「子供の情景」がコラムで紹介されていたが、どうもピント外れな事を書いている。いやこの筆者はきょうの朝刊のコラムでもヘンリー・フォンダの「12人の怒れる男」の事を書いているが何かおかしい。それでわたしは昨日神保町の岩波ホールにこの「子供の情景」を見に行った。午後2時からの上映に行き、チケットを買ってから近くの中華レストランで遅い昼食を摂った。そこに映画を見終わったばかりの年配のご婦人が二人やってきた。「日本も終戦後あんなに酷くはなかったね」という様な会話だった。つまり岩波ホールに来ただけで、自分のステータスが高まってしまったように感じていらっしゃる方。しかし内容は理解していない。現実に映画が終わってから見に来ていた二人の青年は「やっぱり分からないな」と話していた。ではわたしなりの解釈を書く。
◇「子供の情景」(ちなみに原題は「ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた」である)映画はバーミヤーンのブッダがタリバンの爆薬で崩壊するところから始まる。この場面に映画の言いたい事が詰まっていると思う。人間の作った文化が永遠であるはずはない。それは海外の世界遺産の一つでもご覧になればほとんどが「瓦礫」であることが分かる。それを現代の人間が観光資源にしようとしただけの話だ。自然の力に人間が勝てるはずもない。地球の歴史から見れば人間の棲息しているのは何万分の1でしかない。タリバンにしてみればブッダもまたそのときの権力と結びついた、宗教という名の支配システムの一つなのだ。
▼先の新聞社の例で言えば、911事件の1ヶ月後に「あれはアルカイダの仕業である」と声明して政府与党の一部からも「そんなに断定して大丈夫か?」と言われたほどだ。ブッシュはビン・ラディンを匿ったのはアフガニスタンだ。麻薬で資金を作っているのもアフガンだとして攻撃した。この新聞社はそこからボタンの掛け違いが始まってしまった。わたしは911について言えば、きくちゆみさんが指摘しているように、これはアメリカの関わった謀略だと思っている。
▼破壊されたブッダの近くに住む少女バクタイは子守を任せられている。ところが洞窟の隣に住む少年は学校に行っており、教科書にある「クルミの実が落ちて少年に当たった。しかし小さいクルミの実で良かったが、大きな石だったら命がなかった」という話を得意になって読むので悔しくてしかたない。少女は女であるために学校に行くことができない。少年に相談すると、「ノートと鉛筆、それに鉛筆削り」が必要だという。それには20ルピーが必要だが少女はお金がない。母も留守で少年に言うと「飼っている鶏の卵を売ればよい」と教えてくれる。4個の卵を売って交換すれば20ルピーは得られるらしい。しかし途中で卵は割れて2個になってしまう。店の商人はこれではノートしか売れないという。バクタイは鉛筆の代わりに母親の口紅を代用する事を思いつく。
▼少年の通っている学校に辿り着くと教師は「ここは男子校だから女はダメだ」と追い出される。小川に沿って歩くと女子校に辿り着く。女性教師はアルファベットと数字の「5」(ハートマークの逆に書く)を教えている。しかしバクタイの席はないので口紅と使ってクラスの女の子の顔に化粧をしている。教師が黒板から振り向くと全員奇妙な顔になっているのでバクタイは再びつまみ出される。
▼とぼとぼ歩いているとタリバンの戦争ごっごをしている少年たちに捕まる。「お前は無神論者だ。アメリカのスパイで女だから処刑する」と捕まって洞窟に押し込められてしまう。そして穴を掘って生き埋めの処刑にされようとする瞬間、二つの凧が飛んできて、少年たちの興味がそちらに移ってしまう。あまりにもバクタイの帰りが遅いので隣家の少年がバクタイを探しにやってくる。しかし逆に少年が落とし罠に嵌ってしまう。そこから何とか脱出し、バクタイと一緒に逃げる。少年は捕まったとき「死んだふり」をすれば逃れられる事を知っている。しかしバクタイはそれを知らないので必死に逃げる。少年は叫ぶ、「逃げるんじゃない、一回死ねば生きられるんだ」と。
▼映画は何も結論は出さない。自分で考えるしかない。少女バクタイはただ女であることによって様々な差別を受ける。それがアフガンの現実である。タリバンが復活する理由はカルダイをトップに据えたアメリカの占領政策では、貧富の差は拡大するばかりで何も解決しないからだ。それどころか悪化している。アフガンにおける新しいアメリカの軍備増強政策は、ブッダの「崩壊」と「恥辱」をますます激しくさせている事に間違いはないはずだ。













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