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June 22, 2009

「“認罪”~中国撫順戦犯管理所の6年」を見る

▼♪「ハバロスク ラララ ハバロスク ラララ ハバロスク 故郷は遥かな 雲の影」という歌をご存知だろうか?これは当時のソ連に抑留されていた元日本軍兵士が望郷の気持ちで唄った歌で、林伊佐雄が唄ったていた。わたしが生まれたのは終戦の1年前だから当然知っている。ソ連で抑留された日本軍59師団の約1000人の兵士はウラジオストックから貨物列車に乗せられる。当然帰国出来ると喜んでいたが、ハバロスクの手前で、列車は右折して中国の撫順の連れて行かれる。そこにあったのは撫順戦犯管理所だ。
▼21日夕方NHKBS2「ザ・ベストテレビ」で「“認罪”~中国撫順戦犯管理所の6年」が放映された。これは収容所で6年を送った元兵士(中国側の説明では戦犯)の話である。最初は死刑にされるのではないかとか、待遇を巡って中国側と対立したりする。中国側は「自分のやったことを反省文に書け」と命じる。しかし元兵士たちは「自分たちは上官の命令でやったわけではないから罪はない」というのだが、受け入れられない。そして来る日も来る日も中国でやった戦争行為を詳しく書くように諭される。つまり自己批判だ。
▼自分は命令をやっただけという論理は、ハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマン」で詳細に分析されている。実はわたしは既に20日の朝一番で「愛を読むひと」も見ている。これは明日か明後日あたり詳しく書くが、その中でナチスの収容所で看守だった、ケイト・ウィンスレットは同じ事を言って責任を逃れようとする。
▼だが中国はそんな言い逃れを認めようとはしない。これから先はわたしの推論である。この撫順に日本兵を連れてくる指示をしたのは周恩来だ。戦争は終わったが中国では解放軍と蒋介石軍の戦いは続いていた。まだ毛沢東の中国は国として成立していなかったから、極東裁判にも加われない。極東裁判は「勝者の裁判」であった。裁判に加われなかった中国は新生中国として民主的な所を見せなければならない。
▼実はその本質は周恩来は、新生中国をどうしても守り続けなければならない最重要課題があった。そのためには敵を新たに、これ以上作らない。そのために戦争指導部の責任は問われなければならないが、一般兵士とは区別する。ともするとこの考え方が日本の一部左翼の中に「人民中国は寛大であった」と誤解する。しかしそれは「周恩来秘録」などを読めば、敵の中にも味方を作るという周恩来の戦略であることが分かる。
▼その後中国は田中角栄と国交回復をするが、周恩来の田中と握手をする姿はオーバーアクションとも取れる。実はこの時周恩来は、ソ連に核攻撃されるのではないかと怯えていた。
▼「嗚呼満蒙開拓団」の中にも、元日本兵を処刑して良いか地元は上級に判断を求める。すると周恩来が直々に「ノー」と答えたという話が出てくる。「嗚呼」では関東軍幹部はソ連の満州侵略をいち早く察知して「開拓団」の人びとを放置して、自分たち将校だけはさっさと国内に逃亡してしまう。「嗚呼」は「守るはず」の軍隊が「守らなかった」ための悲劇を書いている。この逃がした教訓から「認罪」が考えられたのだろう。しかし元兵士にとっては、命令を忠実に遂行しただけだと考えていただけだったのだから、「青天の霹靂」だ。中国側に取ってみれば、処刑しただけでは一時的に「怨みをはらす」だけに終わってしまう。「戦犯」の前に親や子どもを日本兵に殺害された中国人を連れて来て、対決させる。生かして双方に戦争を「忘れさせない」させないために、犠牲になったもう一つの「戦犯」をえぐり出したドキュメンタリーだった。

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