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June 18, 2009

17日朝日の辺見庸「犬と日常と絞首刑」読む

▼昨日は午前7時代の電車に乗らなければならなかった。ブログは前夜に書いてタイマーでアップしたが。朝に新聞を読む時間はほとんどなかった。夕方になって朝刊を見ると朝日の15面に辺見庸の「犬と日常と絞首刑/国家"演出"の儀式この国に溶け込み個人は口をつぐむ」という長いエッセイがあったので、かなり時間をかけて読む。辺見はわたしと同じ年齢で、しかも脳出血をした事まで同じだ。彼は右半身に麻痺が残っているので、自由になる左手で同居している一匹の犬のエサや糞など世話をしている。
▼このエッセイは死刑制度について触れている。日本人は何かというと「西欧化」に目を奪われてそれをいち早く取り入れようとしてる。しかし国内で何か凶悪犯罪が起こると一様に「死刑だ」で盛り上がってしまう。大体死刑というものは北朝鮮、中国、日本、イラクなどの共同体のこだわりに根ざした人類史的知恵と根拠がある、という説。もう一つはだから野蛮なのだから何とかしなければならない、という2つの説がある。
▼しかし凶悪犯罪者だから「死刑」という短絡的な思考で一致していまう考え方がある。死刑執行の次期がだれかによって周到に政治的タイミング感じる、というのだ。これはあくまでもわたしが長いエッセイを読んで要約したので、昨日の新聞がお手元になければご近所か図書館などに行ってお読みいただきたい。
▼おそらくこのエッセイが発表されたのは、裁判員制度の通知が発送されるその日というタイミングを選らんだものだと思われる。政府な法律が身近なものになると喧伝する。しかしこの制度が考えられた時の思惑とは別に、死刑判決にわたしたちが加わる可能性は高くなる。ますます体制に組み込まれて身動きとれなくなっていく自分の存在を感じる。だから足利事件で、冤罪の可能性が強まったとして、裁判を待たずに釈放された菅家利和さん。そして昨日栃木県警の県警本部長が菅家さんに涙ながらに「謝罪」して見せても、何かピンと来ない。それに当時県警の発表をそのまま垂れ流しした報道機関は、どこも「謝罪」などしていないのだ。

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