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June 26, 2009

新聞が新聞の使命を終える時が迫る

▼今朝12chで8時から「亀戸七福神めぐり」という番組を放映していたのでつい見てしまった。しかしくず餅で有名な船橋屋本店にあんな美人の店員さんがいるとは知らなかった。きょう時間を作って行って見なければいかん。
▼昨日担当する講義があって学校まで久しぶりに出掛ける。講師控え室に入ったとたんに、イギリス人で英語を担当していらっしゃるM先生がいらして、いきなり声を掛けて下さった。「1週間前午前9時頃にCモノレールの乗っていらっしゃいませんか?」と。わたしはこのモノレールに乗るのは平均月に一回くらいだ。しかも朝のこの時間に乗るのは年に一度あるかないか。ご存知のようにこのモノレールは車両から車両へと移動ができないので、声はかけられなかったという事だった。こういう偶然もあるのでうっかりしていられない。
▼今朝の朝日にアメリカのシアトルとデンバーで有名な新聞社が紙の新聞を発行するのは中止してネットに特化したという記事があった。西部劇などを見ていると小さな町ができると、そこに必ず「PRESS」という新聞社が誕生する。町の発展とともに市民に必要な情報を新聞社は市民に提供して拡大してきたのだだろう。しかし昨今のネットの普及と、朝日の記事に寄れば広告収入源によって撤退を余儀なくされたとある。
▼そう言えば最近見た「消されたヘッドライン」でもネット版と紙版が競合する話が一部でていたっけ。しかしわたしに言わせれば新聞は時間をかけた特集記事以外に新聞に読みたい記事は載っていない。それに「新聞積んどく」というソフトを使えば、首都圏で読むことができる新聞の記事は全部読むことが出来る。これには特集記事や小説は含まれていない。良く読むと記事が以下に横並びかという事が分かってガッカリする。
▼1昨日の与謝野馨の献金問題にしても、5000万円献金して見返りを期待しない会社があろう筈がない。しかも今朝また別の会社から1千万円貰っている事が分かっている。その事件をかき消すようにTVは一様に、東国原の「総理候補にするならば」という記事ばかり報道する。小沢一郎の時と違いはしないか?二階はどうした?新聞というのは記事に何らかのバイアスがかかっていると見て間違いない。だから余計に新聞離れが進む。アメリカで起きていることは決して対岸の火事ではない。こんな権力者の片棒担ぎをしていると、近い将来日本でも大新聞が倒産する日がやって来る。
▼しかしだからと言ってブログを書いて生活できる人は本当にいるのだろうか?「週刊アスキー」7月7日号で歌田明弘が連載の「仮想報道」の中で、世界のブロガーで平均年収は71万円で、実体は1万円であるという。これでは生活出来ない。それに個人でやっているブログがどれだけ、情報ソースに接近できるかどうかというのも時間的に制約されてしまう。

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