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July 06, 2009

井上ひさし「日本の平和と世界の平和」を語る

▼確定原稿を書く前に、4日千葉市のピースフェスティバルで井上ひさしさんが話した内容をご紹介する。なにせこれを含め会議の全体で900字にしなければならない。12項目のポツダム宣言を受諾し戦争に負けてから、その後6年間は占領軍状態にあっため、独自の外交が出来ない、主権がない、輸出ができないなどすべてが米軍の管理下にあった。昭和23年当時は国家予算は8千億円だった。しかもそのうち3分の1がたばこ税の収入だった。だから「その1本、その1本が国を築く」というスローガンが町に溢れていた。自分も成人してから迷わずタバコを吸い続けて来たが、今年の4月から駅構内で吸えないなど片身が狭くなってきた。わたしはセブンスターというかなりきついタバコを吸っているが20本入りで300円。そのうち180円が税金なのだからかなり貢献している事になる。
▼昭和23年に講和条約が結ばれ、世界各国と国交を回復していく。現在世界に220の国があり、日本が国交を回復していないのは北朝鮮くらいだ。まず国交を回復してから交渉をするのが筋である。朝鮮は36年間日本の支配下にあり、昭和20年に敗戦するまで三井、三菱などで働かせるため170万人の朝鮮人などを拉致して来た。まず国交を回復して、このことを謝罪しないと、今の拉致問題は解決するはずはない。とにかくこの間、小泉が北を訪問してから帰国させた拉致家族に引きずり回されすぎた。
▼昭和31年極地探検という事で世界中で南極観測をしようとした。ところが疑心暗鬼や米ソ対立、それに8ヶ国が領有権を主張したため揉めに揉め、観測が中止になりそうになった。そのとき日本代表で参加していた人は木田宏というまだ若い外交官だった。彼はこのままでは観測事態が中止に追い込まれてしまうと考えた。そしてひと晩徹夜して日本国憲法を独力で翻訳して全員に配布した。それは「日本国憲法は紛争はあくまでも話しあいによって解決する」と書いてある事を参加者に知らせた。そして全員にその考え方が指示され1956年から南極観測が実施されることになった。
▼その基本的な考え方は南極はどこの国にも所属しない。核の持ち込みもしない。核実験もしないという事である。その考え方はその後も南米全域に核は持ちこませない、宇宙空間にも核は持ちこませない、南太平洋でも全地球の海底でも核は使わないという思想として結実している。こうして見ると地球の南半分からは完全に核は無くなっている。核があるのはアメリカとロシアの両国が90%を保有して、残りが中国、イスラエル、イギリス、フランスが持っている。無茶をしているのは北半球の国家だけになっている。
▼1907年にハーグ陸戦条約が締結され、第二回のハーグ条約では「中立国」の存在を認めるようになった。日本は第二次大戦のとき44ヶ国と戦った。そのときの中立国とアフガン、アイルランド、ポルトガル、スイス、スウェーデンだった。原爆が投下されたときにも日本はスイスを通じて抗議をしていた。戦争が始まってアメリカのカリフォルニアに住んでいた日本人は12万人いた。日本はここに上陸するとアメリカは考えたため、真珠湾攻撃から3週間後のクリスマスに全員財産を捨てさせられ、石ころだらけの収容所に放り込まれた。とにかく急な事で手荷物一個持つのが精一杯だった。収容所の中でどうやら豆腐を作る事は出来たが、納豆菌までは持ち出せなかった。
▼アメリカはスペインの監視団に収容所の内部を見せるのを拒否していた。納豆菌はサンフランシスコのスイス領事館から、スイス本国に伝わり、そこから海運国で中立のスエーデンによって日本本国からカリフォルニアの日本人収容所に届けられた。戦いませんとうのは中立国の権利である。1999年国連が主体となって800人と700のNGOが公正な世界のための10原則を採択した。
▼イタリアのサンマリノ市国のレストランに行ったら日本国憲法が貼ってあった。口先で唯一の被爆国というのだけではいけない。現実に地球の3分の2が非核世界になっている。21世紀には地球の平和のために各国が「非核の原則」を採択する以外にない。今は人類の歴史始まって以来の決心をするときに来ている。かなり大まかですが、井上ひさしさんの話はこのような内容でした。メモを見て40分で1600字ほど書き上げた。これを約3分の1にしなければならない。

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