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July 08, 2009

◇「ディア・ドクター」を見る

▼昨晩のTV番組で飲酒を続ける事の害について特集をしていたようだ。わたしは見ていなかったけど、脳自体が萎縮していくのだ。話していてもう萎縮している人はどんなに努力しても元には戻らない。そういう人はいつも同じ話や、昔話をする事で満足している。そうなったらどんな健康法をしても追いつかない。現状に満足して好きなだけお酒を召し上がる方が幸せだと思う。減量をするにはもちろん昨日書いただけでは十分ではない。どうしても知りたい方は連絡を頂きたい。ただし無料で教えても本人の決意は途中で挫折するのは目に見えている。だからタダではお教えできない。人間カネを払うと元を取ろうと思って一生懸命になるのだ。
▼月曜日夜NHK3chで作家で佐久病院の医師である南木佳士が、「うつとたかかった」経験を話していた。彼は内科医でわたしの友人も彼に看て貰っていたが、「南木は鬱だ」と言っていた。南木がうつになったとき二人の子どもはまだ小学生で、勤務を減らせば収入も激減する。必死に元に戻ろうと努力したが、それは返って逆効果だったという。今は一日2時間CTの結果を分析する仕事を一日2時間だけしているという。そこまで到達するには、自分を育ててくれた「あるがままを受け入れる」という考えていた祖母の力がある。祖母はあの「阿弥陀堂便り」のモデルになった人物だ。それで南木は人に迷惑をかけても仕方ない。人生はなるようにしかならないと考えるようになった。そして夫婦で始めたのは低い山の登山だった。この日も遠くに浅間山がみえたから、八ヶ岳の麓だろうと思った。
▼若いときは登山など歩くだけで何が楽しいだろうと考えていた。しかし今になって人生同様下りに見る景色や動植物を見る事が楽しみになってきた。何か諏訪中央病院の鎌田と共通するところがあるが、「頑張らない」「なるようにしかならない」という考え方に共通するものを感じた。
◇「ディア・ドクター」本当は昨日の薬剤師さんの話から続くはずだった。某大学医学部では「問診」の重要性を認め、開業医でその道の達人を大学に招いて専門の授業を数年前から始めた。人口1600人くらい村の診療所医である伊野(釣瓶)は村人から「センセ、センセ」と絶大の人気がある。伊野は人の話をちゃんと聞くし、村人がどういう状態にあるかちゃんと把握しているので、バイクで診察で回っているときも挨拶を欠かさない。あるとき「爺ちゃんが喉に物を詰まらせた」というので駆けつける。祖父(往年の美青年高橋昌也)はもう呼吸をしていない。蘇生を試みようとすると家長の長男は「先生ありがとうございました」と暗に蘇生を拒否する。長男から二度言われたので伊野もそれを察する、集まっていた村人は「爺ちゃんも先生に看取られて大往生だったわい」と口々に喜びを表す。
▼伊野が「爺ちゃん良く頑張ったね」と祖父を抱きかかえて背中をさすると、祖父は喉に詰まっていた寿司をはき出して蘇生する。それを見て村人は「さすが先生だ」とまた点数を稼いでしまう。工事現場で重機の下敷きになった青年が運び込まれたとき、看護師(余貴美子)はとっさに肺が破裂しているから気管に針を突き刺してエアを抜かないと死んでしまう。「針を挿入できるのは先生だけだから」と針「何と呼ぶ機械か、「ER」の気道確保のあれと似ている)背中を押す。この緊迫感はたいした演出だ。
▼もう一人村人で胃の潰瘍を患っている八千草薫がいる。長い間説得した結果ようやく伊野に胃カメラで看て貰う事を納得する。彼女の娘(井川遙)は東京で医師をしており、帰省したときゴミ箱に捨てられていた薬の錠剤の包みから、伊野の処方に疑問を持つ。一種類炎症を止める薬を処方している理由が分からなかったのだ。伊野と直接やりとりているが彼女はようやく納得する。しかし伊野は「ちょっと用事がある」と胃ってバイクで出掛け行方不明になってしまう。刑事が二人やってきて調べていくとどうやら伊野はニセ医師だったらしい事がわかる。それまで伊野を慕い崇拝していた研修医も村人も手のひらを返した様に伊野の悪口を言い始める。
▼医師とは何か。診察と検査をして薬を処方するだけが医師なのか。医学大学をでて資格を取ったところで、それはあくまでも国が認めた「国家資格」であり、患者が自分の命を預ける事を認めた資格ではないはずだ。今年今まで見たなかで最高の出来といえる邦画だ。できればもう一度見てみたい。シネカノン有楽町(ビッグカメラの上)休日は30分以上前に行かないと入ることはできない。

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