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August 31, 2009

いったい誰が弱者の味方だったのか?

▼昨日午後5時頃、携帯に「投票は済ませましたか?」という電話がかかってきた。うーっむ、前にも書いたが投票日まで電話をするのは逆効果になると思う。予想どうりその政党の議席数は解散前と変わらなかった。
▼昨晩は朝日ニュースターと他の各局を比較して見ていた。同番組では午前零時から「愛川欣也の選挙特番」をしていたが、録画したままでまだ見ていない。上記朝日ニュースターで午後10時頃加藤紘一がコメントを求められていた。彼は「民主党がこれからどうやっていくのか見物だ。民主党を支えている労働組合は今や弱者(少数派)の味方ではない」とも言い切った。それに対してコメンテーターは、「自分は何もしないで棚ぼたで失敗するしか自民党はやることがないのか」と皮肉っていた。わたしの意見では労働組合が弱者の味方と言えないという考え方に、ひとこと言いたい。たしか民主党を支えている労働組合は全部弱者の味方とは言えないかも知れない。しかし年末、年始日比谷公園で行われていた派遣村に、自民党の旗を持った人は一人も来ていなかった。自民党・公明党のおこなった新自由主義を認めた結果が、大量の失業者と自殺者を作ったことは明らかである。
▼その事を国民はしっかり見ていた。また公明党に関して言えば、太田代表が自衛隊のヘルメットと迷彩服を着た姿にあの政党の本当の狙いがある。口と云う事がこれほど矛盾した政党もなかったのではないだろうか。加藤紘一はT大の出身、ゴックンの中川昭一もT大、「日本は神の国と言った」かろうじて勝った森喜朗はW大弁論部。わたしの住んでいる隣の区のKは落選したが、昨年8月灯ろう流しに行ったら、20年前ならともかく「共産主義との闘いだ」と時代錯誤の発言をしていたが、彼はK大出身だ。わたしは権威主義というのが嫌いだが、一流大学を出た人が、議員になったりすると平気で靖国神社に参拝し、わけの分からない事を言い出す。それは「遺族会」の票をアテにしているのだろう。しかしその遺族年金で生活している人の数が減ってくると、その靖国票も安泰ではなくなってくる。
▼以下午後に続くかも知れない。

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August 30, 2009

NHKハイビジョン「従軍看護婦が見た戦場」をみる。

▼午後から日比谷に出て、土曜封切りの映画を見ようと思った。チケットを買おうとすると、「午後5時の回で良いですか?」と聞かれる。わたしは我が耳を疑った。現在の時間は12時半なのに、なぜ夕方まで待たなければいけないのか?理由は初日で主演女優の深津絵里の舞台挨拶が3回もあるので、それまで満員なのだという。諦めて近隣の映画館を4ヶ所ほど見たが、見たい映画もなく、時間帯もあわなかったので帰宅する。
▼「従軍看護婦が見た戦場」NHKハイビジョン29日午前8時の再放送。「少女たちの日記帳」でもそうだが、当時の学校教育は13歳の主人公の石堂郁江に、「たくさん子どもを産んでお国のためになりたい」と言わせる。このドキュメントに登場する看護婦たちもどうしたらお国のためにたつのか真剣に考えた末、戦争で傷ついた兵隊さんを助けるという純粋な気持ちで、その職業を選択したに違いない。とうじもてはやされたのは「爆弾三勇士」である。マスメディアはこぞって、この「軍神」を持ち上げる。そしてある看護婦は毎晩寝るとき軍神に敬礼してから寝たという。
▼登場する元看護婦の年齢は大体85歳前後だ。敬礼してから寝たというのは、石田寿光恵だ。彼女たちは日赤に入職するのだが、陸軍は法律を「日赤職員は軍の命令に従うもの」と変えてしまう。戦地にあって彼女は軍医の命令を聞かなければならない。村山三千子は満州にいくまえに「遺髪」を家族に残していった。そのお下げ髪は今も実家に保管されていた。彼女は上海、天津の作戦に参加していたが、兵站として陸軍病院に勤務していた。
▼先の石田さんは満州にいっていたが、そこではチフスや赤痢という伝染病の治療に当たっていた。しかし現地に最早治療薬は何もなかった。そして病気に罹った兵士のモモに食塩水を注射して、そのあと揉むしかなかった。またそれらの治療法も原始的というもので天窓を開いて空気を入れていた。そうすると病室の気温は零度以下に下がるが、それは空気療法という名で呼ばれていた。
▼守屋ミサは精神疾患の兵士を扱っており、外地から日本向けの病院船に20回は乗船していた。しかし兵士は「人を殺した」ことがトラウマになって暴れていた。それで仕方なく鍵のかかる病室に監禁するのだが、その鍵を壊すくらい暴れ回っていた。そして船員さんは船の中で死んだ兵士を水葬にするのは忍びないと、ボイラーを使って火葬にして遺骨を持ち帰るなどしていた。
▼奥村モト子は3年で卒業するところを2年で繰り上げて配属された。爆弾で死んだ兵士は身体が生温かいので、どうしても死んだと思えなくて、鷹の爪をお湯に溶かして兵士の口元に運んだりしたことがあった。そして絶体絶命の立場に立たされたとき、夜になるとみんなの口に出てきたのは「野戦病院の歌」だった。武山敏枝は目の前に死体が累々と転がっていたのを今でも忘れることは出来ない。あるとき特攻に一人で出掛けなければならない青年がやってきた。普通は二人一組で出掛けるのだが、彼は「一人でいくのは寂しくて仕方ない。お姉さんどうか人形を作ってくれないか」と頼まれた。翌日それを渡すとこれで寂しくないと飛行機で病院の上を旋回して特攻に出掛けていった。
▼吉田ハジメは軍医に「病院の患者をせめて楽にさせてやることが、我々の任務だ」と謂われて彼らにモルヒネを静脈注射したり、それがない場合はクレゾール液を注射した。本来医療関係者は生命を守るのが任務であるはずなのになぜこんな矛盾した事をしなければならないか、これほど悔やんだことはなかった。(以下明日に続くかも知れない)

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August 29, 2009

眼底検査で分かったこと。

▼眼底の検診に行く。かつては某病院の人間ドックにいっていた。今回は区指定のクリニックからオプションでいく事になった。家から歩いて5分くらいの所にある。時間を予約していったのだが、若い二人の医師が担当してくれた。まず視力検査をする、次にバッシッと光って眼底を撮影するカメラだ。しかしカメラの光は青色を帯びていてまぶしくない。前の病院はかなり明るい光があって、片目の撮影が終わると10分くらい待って、もう片方の眼を撮影した。両方撮影が終わっても半日くらい、眼に光の残像が残っていて気持ち悪かった。
▼わたしはふと考えたのだが、前の病院は施設が古かったのだ。しかもこちらの個人病院は当然デジタルだから、画像はすぐ見ることとができる。それで病状の悪化している人と比較検討できる。わたしの場合とくに問題はなかった。しかし実際に眼に拡大鏡をあててモニターで見たとたん、眼科医は吹き出しそうになって、「直接病気とは関係ありませんが」と前置きして、「左目に睫が5本入っています」といって取り除いてくれた。「♪なぁぜ,泣くの睫が濡れてる、とても可愛い、会いたかった」というのは「東京ナイトクラブ。最近どうも歩いていると黒い線のようなものが時々横切るが、病気ではなかったのだ。それを取り除いて色々説明された。わたしのばあいまだ白内障はほとんどでていなかった。
▼しかし考えてみると最初のクリニックで心電図をとったときも1分くらいだった。その前の病院は吸盤をつけるところに、身体から足首までゼリーをべたべた塗って、計測に5分はかかった。それに終わってからゼリーを拭き取るのに時間もかかった。つまり前の病院はすべて計測機械から全部旧式なのだ。眼底検査なども1週間後でないと分からなかった。まあ言うまでもなく、脳出血の症状が出たとき病院を変えて良かったと今でも思っている。

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August 28, 2009

傷は治りつつあるが、手は不自由である。

Houtai2(包帯はごらんの様に小さくなった)
▼学校の後期授業が始まった。教室に入ると生徒が口々に「先生左手はどうしたのですか?」と聞く。一人ひとりに説明するのは面倒なので、「全員揃ったが説明します」と答える。学校の事務所では「もしかして皮膚癌ではありませんか?」と脅かされた。医師は切ったイボを分析しているから、その心配はない。しかし包帯をしたままでは、とても不自由である。そのため炊事の洗い場で使うゴム手袋の下につける白い手袋があるので、その指の部分を切り取って使っている。これだとその上からゴム手袋をつけて根もとをガムテープできつく留めると風呂に入ったときも水が侵入しないので具合が良い。毎日包帯の交換で通っているので、いまは傷口を押さない限り痛みはなくなった。アルコールも昨日から解禁になったが、飲みたい気分にはならなかった。
▼先日区の健康診断に行った時、受付に認知症チェックのパンフレットが置いてあったので、待ち時間に眺めた。そのうち、1)同じ事を言ったり、聞いたりする。2)物の名前が出て来なくなった。3)置き忘れやしまい忘れが目立ってきた。4)以前はあった関心や興味が失われた。5)だらしなくなった。6)日課をしなくなった。7)時間や場所の感覚が不確かになった。8)慣れた所で道に迷った。9)財布などを盗まれたという。10)ささいなことで怒りっぽくなった。11)蛇口、ガス栓の閉め忘れ、火の用心ができなくなった。12)複雑なテレビドラマが理解できない。などという項目があった。ふと某読者の顔が浮かんできた。大丈夫だろうか?いやかなり危ないと思う。医師が「オプションで眼底検査をしたらどうですか?」と言われる。そのため午後は指定された近くの眼科医にいく。
◇「幸せの一ページ」今年公開されたような気がする映画が25日早くもWOWOWで放映された。南海の誰も知らない孤島にすむ父子。父は海洋学者で娘のニムは6歳くらいだ。まあそれなりに面白かったが、南海の孤島なのに電気が来ていて、ネットも出来、電話は衛星携帯が通じる。どうもこの辺がご都合主義である。父が「4日で戻る」と調査に出掛けたおり、遭難して、ヨットは破壊されマストは折れ、衛星アンテナも折れてしまう。そのときサンフランシスコの作家アレクサンドラ(ジョディ・フォスター)から、執筆する上で聞きたい事があるというメールが入る。娘が代わって返信しているのだが、作家は途中どうも変だと思って聞きただすと「娘」だという事が分かる。
▼アレクサンドラは実は引きこもりで、対人恐怖症で家から一歩も出ることが出来ない。娘は作家と作者が作ったヒーローをごっちゃにしている。作家はヒーローに「娘と約束しただろう」と無理矢理引っ張り出され、ボルネオ経由でヘリコプターと小型の船を乗り継いで絶海の孤島へとやってくる。
▼他愛のない話と言えばそれまで、しかし宅配にきた男を会うのが苦手で,買い占めた手の消毒液を玄関において帰って、料金はカードで決済するからと言うくらいだ。ところが南海の孤島に一人取り残された少女を救うため、勇気を振り絞って嫌いな乗り物を乗り継いで出掛けるという所が良い。例えば「グース」の海洋版といった風情であった。

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August 27, 2009

◇「ポー川のほとりで」を見る

▼テレビのCMを見ていると「自信があるから電話はしません!」という通販の化粧品会社の社長が怒鳴るものがある。とすると日曜日の投票日まで電話がかかってくる政党は、余程自信がないという事になってしまう。朝一番で外科医に包帯の交換に行く。切って縫い合わせた傷口を見せてくれたが、さすが専門家できれいにくっついていた。それが終わると区の健康診断だ。予約をしておいたのでいつもの隣の駅ビルの中にあるクリニックにいく。一駅歩く途中に事前投票所があるので、用意していた書類を出して投票を済ませる。わたしは大体土日に映画の原稿を書くために映画館に通うのだが、投票日は落ち着いて見ることが出来ない。それで昨日全部済ませてしまった。最高裁判事は当然全員「×」印をつけた。
◇「ポー川のほとりで」イタリアのボローニア大学、守衛が出勤して図書館を覗くと腰を抜かすような事件が起こっていた。それは学長(司教)が大切に集めた古書のコレクションが図書館の棚から引っ張り出され、大きなクギが古書の真ん中を貫いてばらまかれているではないか?すぐ警察に連絡が入り、パトカーが来て女性警部が聞き取りを始める。それはどうやら行方不明になった哲学教授が関与しているらしい。
▼教授は将来を嘱望されていたが、学校の空気に馴染めず、通勤に使っていた高級車を途中で乗り捨て、財布も少々の現金と1枚のカードだけ持って川に投げ込む。当然車のキーも投げ捨てる。リュックに1本の傘だけで歩いてやってきたのはポー川のほとりだ。そこに一軒の朽ち果てた小屋があり、雨宿りをする。しかし屋根のろくにないのでずぶ濡れになってしまう。翌日町へ出掛け、バザールで男がピザを食べているので「どこで売っているのか」と聞くと一軒の店を指さして教えてくれる。
▼その店でパンを買って食べるがとても良い味で気に入ってしまう。店の少女は「どのみちみんなに配達するのだから、あんたの家が分かれば配達してあげる」という。そしてもう一人町の青年は彼の小屋があまりにもオンボロなので、屋根をつけてやろうという。そうする内に村人もやってきて壁も取り付けられ、風雨はしのげる状態になる。そして学者は村人にお礼としてワインを振る舞うので、一層親しくなる。
▼そんなとき測量船がやってきて何か調べている。後で役場の職員がやってきて言うには「工事をするので港を作る事になった。ついてはこの村人の住んでいる場所は、不法占拠だから立ちのくように」と警察官まで乗り込んで来る。キリストに似た風貌の哲学者は、「みんなで意見書を出すべきだ」と代筆などしてやる。しかし延期の供託金を払うためにカードを使った事から「使用不能」となっていたため、警察に図書館の本にクギを打った容疑で逮捕されてしまう。
▼教授は何のためにクギを打ったのか?学長は「聖書には神の言葉が書いてあるから大切だ」という。しかし学者は神の言葉を聞いた人は、誰一人として生きてはいない。それは神の言葉ではなく、後の人が自分に都合の良いよう作った言葉で、欺瞞である。だからわたしは神の言葉を書いた本にクギを打ったのだと対決する。若き哲学者は本を読むより友人とコーヒーやワインを飲むほうがいいと考えるようになる。そして宗教や書物で得られる知識では、常に世界中で起きている紛争や、悲劇を次々と繰り返す世界を救うことはできないと村人と交流するなかで確信する。言ってみれば文字も書くことが出来ない、村人と交流するなかで感じ、そこで知った言葉にこそ価値があるのだと学長らに説いてゆく。岩波ホールで。

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August 26, 2009

実録「左手イボの標本」

Houtai「手術前」と「抜糸後」もいずれご紹介する。
▼夕べ午後10時半頃蒲団に入ったがどうしても痛み消えないので、薬局で貰った鎮静剤を一錠飲む。それから午前0時頃になってようやく痛みが消えてきた。実は事前にどなたにも相談しなかったが、急遽外科手術をした。といっても大げさなものではない。ブログに一度書いたが、左手のイボが肥大化してしまったのだ。そもそもこれは5月末に2ミリくらいの大きさの血豆のようなものができたのがきっかけだ。それをナイフでほじくり出したのが間違いのきっかけだった。それが皮膚から飛び出して段々大きくなった。1月ほど前に一度自分で切り取ったがかえって良くなかった。あの時よりもさらに大きく大豆2個くらいに肥大化してしまった。イボの先からは常に血がにじみ出す。仕方なく月曜日に近所の外科医に駆け込んだ。
▼診察して「明日手術で切ります」ということになった。生命に危険がある傷でもなかったので、夏休みに切ろうと考えていた。しかしわたしは仕事をしているし、切れば抜糸まで一週間はかかるだろう。パソコンの早打ちの仕事や、出張や取材などなくて毎日医者に通える7日間が今週から来週前半だった。9月の第一土曜日から1週間は毎年戦場状態になるから、それまでに終わらせなければならない。
▼25日午後3時が手術になった。医師は「それにしても随分大事に育てましたね」、と冷やかす。「2、3年ですか?」とも聞く。「いいえ3ヶ月です。」というと「ははぁーすると自分でいじったね。」「ええ自分で一月前に切ったら、どばっと血が吹き出して」。「それでどうしました。」「市販の止血スプレーで止めました。」と話ながら手術は始まった。規模は違うが大きな病院の外科の手術の照明と同じようなものがあり、ベッドは自動で上下する。局部麻酔をイボの周りに4本打たれて、この時がとても痛かった。あとは切られている感触も縫合している感触も直に伝わってくる。所要時間は約20分。
▼医師は切り取ったイボを手のひらに乗せて「ほらこれだよ」と見せてくれる。「見たくないです」と顔をヨコに振ったが目の前で見せてくれる。タテに三分割されていたが、ピンクでとれも綺麗だった。見終わると看護師さんに「ホルマリンに漬けておいて」と言って手術は終わった。きょうのタイトルはもちろん小川洋子の小説「薬指の標本」から来ている。
▼左手を包帯できつく巻かれているので、指が広げられない。だから小型のキーボードのピッチが狭いPDAで打ってからパソコンに取り込んだ。今週中は長い文章は打てそうにない。もちろん風呂のアルコールも禁止だった。

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August 25, 2009

ETV「戦争とラジオ第2回/日米電波戦争」を見る

▼昨日の検索用語を分析すると、NHKETV「戦争とラジオ」がかなり多かった。これは日曜日夜10時から「第二回」が放映されたものだ。わたしは1時間以上の番組をリアルタイムで見る時間が惜しいので、録画してから見るようにしている。健康上の理由で夜10時代はTVもパソコンも開かない。だからそんなに早くアクセスして下さっても見る時間も書く時間も取れない。それに要する時間は書き手の側は2時間半くらいかかる。しかし見て下さる方の滞在時間は1分足らずだ。ブログは商売でやっている訳ではなく、文章を書く修行だと思って割り切っているので、そう考えて自分を納得させる。
◇「シリーズ戦争とラジオ第2回/日米電波戦争」先週に引きつづき日米の戦争中のスタンスを検証した。最初に登場するのは、新憲法草案の作成にも加わった、ベアテ・シロタさんだ。彼女は数年前に日本の護憲団体に招かれて来日したことがある。若いときの写真を見るとまるで映画女優のような美しさだった。
▼彼女は大学にいるときスカウトされ、カリフォルニアでNHKの海外放送「ラジオ・ジャパン」を傍受して翻訳する仕事に携わる。しかし大学在学中だったので「大本営」という言葉の意味の分からなかったという。NHKは1935年愛宕山から一日1時間の海外放送を始める。その後国策をアピールする有効な手段だと考え、1939年内幸町に移転するが、それから1日8時間の放送をするようになった。しかしそれは内閣情報局の統制下に置かれていた。そこが「放送のしるべ」というガリ版刷りのマニュアルを時々発行していた。それを見ると放送は「思想の尖兵であり、姿なき爆弾」だと規定している。
▼謀略放送も行われ、1942年インドネシアのジャワで、オランダ軍と同じ周波数で「降伏する」というニセの放送を行って作戦を有利に導いた。同じ年最初の東京空襲が行われたが、「被害は軽微であった」とニセの放送を流していた。そのとき英語放送を担当していたのは、今徳島県に住む、住友公一(88歳)だった。日本語を英語に翻訳する内容は人気であったが、彼にも召集令状が来る。しかし軍部やNHKなど三者は「余人を持って代え難い仕事をしている」として招集されずに今までと同じ翻訳の仕事を続けることになる。
▼アメリカ人に人気があった放送は「ゼロ・アワー」という番組でアイバ・戸栗という女性が担当した。しかし声は悪く心配されたが、スラングを使ったジャズのディスク・ジョッキー放送は米兵の間でも人気となり、後に彼女は東京・ローズとして活躍するようになる。しかし基本は米兵の戦意を喪失させる事が目的であった事は言うまでもない。しかし日本語の放送はアメリカで受信されたが、日本人は短波放送の受信(短波ラジオを持つ事も)は禁止されていたので、その効果はあまりなかった。
▼アメリカは1942年からVOA放送を始める。シロタはアメリカの当時の考え方は日本のプロパガンダ的なそれと違い、西洋文化を知らせる事を目的としていた。また厭戦化を植え付けようとしたが、短波受信機を持つ一般人はいなかったので効果はなかった。
▼戦争末期になると日本に数年滞在した事があるM・ザカライス大佐が放送に登場して、アメリカのメッセージを伝えるようになる。彼は自分がマイクの前に立てば10万人、いや100万人の人びとの命を救うことができると自負していた。そしてその交渉内容をメッセージに含ませた放送は敗戦まで3ヶ月間続けられた。それに対応したのは同盟通信海外局次長だった井上勇だった。彼は政府の意向をでザカライスの言う「無条件降伏の条件」を探ろうとしていた。つまりザカライスの言葉にある「主権と独立」という言葉の中には「国体が護持」が含まれているかどうか、の一点である。
▼こうしてラジオ放送は最初は戦争の道具として、最後は交渉の窓口として使われることとなった。もっと面白いエピソードもあったが、時間の関係で省略する。必要な方は眠らずに起きてごらんになることをオススメする。

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August 24, 2009

◇「未来の食卓」を見る

▼今朝24日の「TBSラジオ森本毅郎スタンバイ」を聴いていたら、今週は各党の選挙政策を比較検討するという内容だった。今朝は雇用対策という事でコメンテーターはは渋谷和宏氏(日経ビジネス・アソシエ編集長)だった。彼は「自民党は、経済成長によって雇用を確保しようという発想。民主党は、失業者が出にくい社会を実現しようという考え。どちらも一長一短。そんななか共産党のマニフェスト。基本的には民主党の雇用対策と似ているが、注目したいのは最低賃金の引き上げ。これが意外といいのではないか。」と言っていた。あんなに力説して大丈夫かなと思うほどだった。
「週刊金曜日」8月21日号で「田母神を迎えて問われた被爆地の平和」という特集があった。その中で広島市立大学広島平和研究所の田中利幸教授(昨年メルマガでご紹介した「空の戦争史」の著者)が、わたしの長年の原水爆禁止運動に関する疑問に答えてくれた。
▼それは1)東京大空襲やアフガン空爆の被害者に連帯意識の薄いこと。2)「平和」を語る一方で、現実に生起する戦争の問題と関連づけて被爆体験をより普遍化しようとする姿の欠如ーーといった限界性をもたらしてしまった事による。
◇「未来の食卓」かつて消費生活組織も「無農薬」「手作り」「安心・安全」をスローガンにして拡大してきた。しかし組織が肥大化すると、加工食費でも何でも売れれば、買ってくれれば「良い消費者」ということになってしまう。
▼舞台はフランスである。スクリーンには最初美しい自然に囲まれている南フランス、バルジャック村が登場する。この村のショーレ村長は、子どもたちの未来を守るために“学校給食と高齢者の宅配給食をオーガニックにする”という前例のない試みに挑戦し。冒頭もう一つフランスで開かれた国連の学会の様子が流れる。そこでアメリカの学者が、参加者に「身内でガンになった人は?」、「糖尿病がいる人は?」ともう一つ挙手でアンケートを取る。「そして3つに共通する人は?」ととう。すると集まった学者の半数と思われる人は挙手をするのだ。
▼その問題提起者は「実はその原因は食品に含まれている農薬が原因なのです」、といいきる。フランスの食料自給率は100%近いと言われている。しかし年間7,600トンもの農薬が使われている。話が進んでいくうちに、実は肉にはその農薬がより凝縮されてしまうので、危険なので食べるべきではない、という話も出てくる。
▼実はその農薬の汚染度は子どもが産まれた瞬間、へその緒についた農薬を分析すると、こどもの健康が将来どのような状態になるか推測できるのだ。農薬を使うという事は人々の健康よりも企業の利益を優先させたゆえに起こっている。学校教育で植物を苗から育てさせ環境や食品、身体への影響を考えさせる。給食で「ニンジンが嫌いだ」という子どもに対して、配食をする職員は「少しでも食べてごらん。たべたらデザートをあげるか」と勧める。そしてたしかに自分たちの育てたブロッコリー等は青臭くで美味しいと子どもたちは言う。
▼最初村長の提案に大人たちは戸惑っていた。しかしオーガニック給食や学校菜園での野菜作りを通し、自然の味の素晴らしさ覚えた子どもたちに巻き込まれ、小さな村は少しずつ変化していく。そして農薬を使っている農家と、オーガニックの野菜を作っている農家の交流会も開かれる。そこではオーガニックの方がコストが高くなるのではないかという懸念が出てくる。タンパク質の摂取を肉からではなく、植物性タンパク質にすれば、地球の人口が増えても今ある植物で、全員が食べていくことは十分に可能だともする。
▼しかしそれは国レベルの食料の会議で、農薬を使って大量生産する農産物には国の補助金が60億ユーロほど出されているから安く出来るのだ。それを別の20億ユーロほどの補助金をオーガニックに回せば転換する事も不可能ではない、と結論づける。小さな村の食卓から始まった小さな奇跡が、人々の幸せを紡いでいく。オーガニックブームを巻き起こしたドキュメンタリー!映画の中で一人の少女を失った母親と、映画づくりのスタッフがガンが原因で亡くなったと報告されている。銀座シネスイッチで。

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August 23, 2009

◇67年間封印されていた「意思の勝利」を見る

▼映画を見に行った帰りに近くの神社で盆踊りをしていたので、その寄附金掲示板を見てきた。すると隣の一部上場企業の名前があった。「○王様入浴済○王バ×」と書いてあった。数年前までは近隣の町内会に自社敷地内で開く夏祭りの招待券が配られたものだ。それには屋台で交換可能な500円くらいの券が付いていたものだ。おそらくバ×だけになったのは、景気のなせる業なのだろうと思う。それにしても町内会のみなさんが「入浴剤」を「入浴済」と書いてあったのは可笑しかった。
◇「意思の勝利」レニ・リーフェンシュタール(プログラムの名前は英語読みだった)この映画は1934年9月4日から6日間、当時ドイツのニュルンベルグで開かれた国家社会主義ドイツ労働党(ナチ党)の大会をレニが記録した映画である。しかしその内容はナチスのプロパガンダで日本では67年間封印されたままだった。このたび渋谷シアターNで公開されることが決まったので土曜日朝一番の回に駆けつけた。開映30分前に会場に着いたが、残り10席で一番前の座席にようやく座ることができた。
▼まさにナチスの大会は一糸乱れぬ統一性をもった表現で描かれる。レニとはすでにご存知の方も多いと思うが、当時のドイツで美貌の女優として登場した。しかし途中から映画監督に転身してめきめきと頭角を現す。彼女はその美貌を最大限に利用してナチス幹部に接近する。そして昨日書いたオリンピックベルリン大会でその特異な記録手法、そして巧なナチスの宣伝をさりげなく取り入れるなどの手法で能力を認められる。
▼この経緯は「レニ」という映画で紹介されている。「レニ」は昔東中野ボックスで公開されて見た。ここで彼女はナチスに取り入るために、高官の部屋に出入りしている所を目撃されている。しかし映画で、インタビューアに尋ねられるとしらばくれる。これはビデオかDVDにもなっているので興味のある方はごらん頂きたい。
▼「意思の勝利」はニュルンベルグの大会に集まってくる市民や、飛行機でやって来るヒトラーの姿から映し出される。後はSSやSAの行進、シャベルを担いだ労働奉仕団の行進、また行進だ。そしてヒトラーの絶叫が続く。そしてパレードを市民達は嬉々とした表情で「ジーハイル」と歓迎する。ここではそろいの軍服と、独特の歩調が美しさを強調する。とくに黒いSSの軍服はかなり魅力的である。軍服と言えばNHKBS1で木曜日と金曜日の深夜、第一次大戦が始まる頃、フランスのお金持ちが世界中に、カメラマンを派遣してカラー写真を撮らせた記録を放映していた。面白いのは当時のフランスは軍服を派手にしようとして、ズボンを朱色にしてしまう。ところがそれが派手すぎてドイツ軍の格好の目標になって死者が続出するので、後に青に変更する話が出てくる。
▼この一糸乱れぬ行進というのは人間を魅了する魔力を持っている。結局第一次大戦で莫大な戦争の負債を負わされたドイツ国民は、強い指導者の出現を心待ちにしていて、ヒトラーはその時流に見事に乗ったとしか言えない。とくに10万人くらいはいるだろうという集会で整列する兵士の姿とその式典の祭壇に向かうヒトラーの姿は、スチール写真でもあまりにも有名だ。この場面でレニは正面に配置されたナチスの3本の巨大な旗の左から2本目の脇に自由に昇降できるカメラを据え付けた。これで会場を自由に俯瞰する映像を撮ることができたのだ。
▼「意思と勝利」は日本でも1942年に一回だけ上映されたまま封印されていた。映画は最初から最後までナチスのプロパガンダに終始一貫している。その「強い国」の描き方は、独裁国家のプロパガンダとして今も脈々と生き続けている。

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August 22, 2009

500冊の本は1冊1円にしかならなかった。

▼昨日夕方イーブックから価格が決まったというメールが届いた。9箱500余冊で500円だった。つまり一冊1円にしかならない。しかし考えてみるとゴミとして処分するなら引取量は5000円くらいかかりそうだ。その点引き取りの宅配便は向こう持ちで1箱750円、仕訳と査定にもお金はかかるだろう。相手も商売だから一箱1500円は利益をださなければならない。3年前にくらべて明らかに安くなっているが、これは致し方ない。青木書店のいまは幻となった「ゲバラ選集」全4巻も売り払ってしまった、置く場所はないから仕方ない。これで前から気になっていた事が片付いたのでさっぱりした。
▼木曜日某N氏に携帯メールを送った。しかしメールはアドレスが変更された様で戻って来てしまった。次にPCメールを送ったら、15時間ほどして変更したアドレスとともに返事があった。N氏はPDA(携帯情報端末)マニアなのである。わたしが最近手に入れたものをどうしてもお見せしたかった。昨日は午後5時に某所の受付に座っているという連絡をいただいたので、持参してお見せした。目を輝かせて「いーな」を連発していらっしゃった。実演して見ていただき、アマゾンで買うとかなり安くなる事をお話しして別れた。
▼昨日ジャマイカのボルト選手が200mで世界記録を出した事が報道された。今朝の朝刊を見るとピューマの靴を持ち上げてアピールしている。お陰で日本の販売店では同じ種類のスニーカーが売り切れてしまったという。わたしが興味を持ったのはもっと別の事だ。それは中継で選手の外側をレールの乗せられたカメラが一緒に走行していることだ。このカメラを選手と一緒に走らせる技術を発明したのは、ヒトラー政権下で開かれたベルリンオリンピックで、映画監督のレニ・リシュテンシュタインだ。このことは明日詳しく書く。

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August 21, 2009

田母神発言全記録:於靖国神社


▼ネットではいち早く削除されてしまったようだ。しかしその前にちゃんと保存していた方がいらっしゃった。この程度の考えの人が自衛隊のトップになれるという、見本でもある。
▼管理画面ではいまアクセス数は9万7千番になっている。表と数が合わないのはこちらは携帯でアクセスして下さっているも入っているからだ。ブログの10万アクセスも予想していた日時よりかなり早まりそうだ。
▼先週の駿河湾沖地震で浜岡原発の放射能漏れはNHKラジオで一回だけ流れた。しかしその後は一切報道されなくなっていた。ところが昨日の読売新聞を見ると、地震直後に原発の排ガスから放射能が漏れていたと報じられている。排気筒で12日から19日までの一週間使ったフィルターを分析した結果、この間に30万ベクレルの放射性ヨウ素(ヨウ素131)が輩出されている事が分かったという。5号機の排ガスで検出限界を上回るヨウ素が検出された原因をいま調査しているところだという。
▼アフガンの選挙が行われていて、その投票所の様子が報道されている。しかしカルザイが果たしてアフガンの人びとみんなが正統と認めている代表なのか?現政府の支配地域がカブールを中心に2kmくらいしかないことは書かれていない。そして現政権もすべてタリバンをすべて悪としてはいないし、交渉しても良いと考えていることは何も報道されていない。タリバンを悪としているのはビンラディン=911事件=タリバンと考えているブッシュ政権なのだ。彼らアメリカがアフガンに対して戦争を始めて何も責任をとっていない。昨日お送りしたメルマガでご紹介した東大作著「平和構築」(岩波新書)をぜひ読んでいただきたい。国連がアフガンでいかに困難を打開しようと苦労しているか紹介されている。
▼新型インフルエンザで予防接種を誰から優先して接種するか論議されている。未来を背負っていく若い人を優先させるというのはある意味分かる。分からないのは糖尿病患者というのがある。様々な原因で糖尿病になるだろう。しかし自分の食生活や節度を欠いた飲酒などで糖尿になった人も、その範疇にはいるのかとなると疑問を感じてしまう。
▼10年ほど前に「ディープインパクト」という映画があった。隕石が地球に衝突するというので生物や人類を他の天体に移住させようという計画が持ち上がる。その時もどういう人を優先させるかという話が出てきた。現実にアメリカなどではその優先順位が具体的に論議されている。しかし金権日本ときたらワクチンを輸入するだけで、問題が解決できるとでも勘違いしている。

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August 20, 2009

見通しは暗い農村の地域医療

▼メルマガの原稿はあとお一人の到着を待っている。「ヒロシマ少女たちの日記」の主人公の石堂郁江さんについては「週刊朝日」8月28日号42ページで小倉千賀子のエッセイで詳しく書いてある。といってもNHKハイビジョンで紹介された以上のものでもない。わたしはハイビジョンで2回も見たし、「週刊朝日」の記事も持っている。しかし無料で読んで下さっている見知らぬ人のため、著作権法を違反して公開しようとは思わないで、必要な方はオンデマンドで買うか、書店にいってほしい。無料で手に入る情報などたかが知れているのだ。
▼昨日の朝日朝刊社会面に「私のマニフェスト」として「医師育て地域医療充実」として佐久総合病院地域ケア科で医師として仕事をする色平哲郎さんがインタビューに答えている。わたしが色平さんの事を知ったのは5年ほど前PR雑誌の巻末で紹介されたいた記事を見た時だった。彼は佐久総合病院に在籍していたが、南相木村という佐久地方南部の過疎地にある村の診療所所長として家族で移住して仕事をしていた。記事によれば色平さんは東大医学部にいたときアジア各国を放浪したという。
▼そもそも人の幸せとは「好きな人と好きな場所で暮らすことだ」と言う。だが現実には様々な理由でそれができなくなってきてしまった。家族が家族を看ることができなくなって来たので、そのための介護保険でもあったはずだ。色平は農村で訪問介護をしていると、研修医が目を輝かせるという。彼らを後押しするには「治す医療」から「支える医療」にする必要を訴える。
▼しかし現実の農村は疲弊している。先日伺った話でも、入院していても治療費が支払えないので治癒し始めると、夜逃げしてしまうケースが続出して病院は頭を抱えているという。さらに出産で入院しようとした人のケースでは、30万円の前払いを病院から要求されたという。病院の対応とすれば当然かもしれないが、そんなまとまったお金のない人はどうすれば良いのだろう。患者がいても入院できない。入院しても治療費すら払えないとなると、病院も崩壊する道しか残されていない。色平さんは「医師だけでは村の人の幸せを作る事はできない」という事を一番感じたという。

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August 19, 2009

「長生きしていて良かった」という時代は来るのか?

▼衆議院選挙が公示になって自民党の党首の第一声を聴くと、美辞麗句が並んでいるのでいささか辟易とする。わたしが知る限り橋本龍太郎の頃からいっている事は何も変わっていない。「お年よりが本当に長生きをして良かったと思える世の中に」と橋本は言い、自分の母親だけはこっそり期限を不法に延ばして国立病院に長期滞在させていた。これは首相の動向という欄新聞の片隅に掲載されている。それを一読者が統計を取っていて、3ヶ月以上同一の病院に入院させている事を発見した。でも記事を書いている新聞記者はそれを発見できなかったのは悲しいことだ。
▼みんな「我が党こそは正しい」と叫ぶ。「正しい事だけ」を言っていれば政権を取れるという訳でもないことは、戦後の政党の歴史を見ればお分かりになる。「正しければみんな俺に付いてくる」という考えは、司馬遼太郎の小説「関ヶ原」の明智光秀と同じだ。
▼それに、党首レベルではなく、地方で立候補している人の演説を聴いていると、自分の言葉でしゃべっていない人がいる事に気づく。自分の頭で考えて、自分の言葉でしゃべって欲しいものだ。
▼昨日の靖国参拝で田母神の演説に抗議して警察に取り調べられた、カナダ人男性をユーチューブをごらんになって下さっただろうか?もう時間が終戦の前で止まってしまったような気がする。恫喝と怒号が聞こえてくるが、およそこれは他人を説得しようとする姿勢ではない。戦犯を「英霊」と言ってやまない人達があの空間ではゾンビのように生きている。このブログでずっと指摘してきたが、「英霊」と呼ばれるほとんどの人びとは、軍トップの無策によって飢餓で殺されたのだ。様々な特攻「機」に乗せられた人は軍のトップが敗戦を長引かせて、自分に「有利な条件」を引きだそうというしていた。そして「自分の必ず後から行くから」と言った連中に限って、おめおめと生き延びているではないか?
この数分間のユーチューブは昨年の映画「YASUKUNI」よりも優れて、本質が明らかにされていると思った。
▼『鍵盤乱麻』トップページにある「投稿欄」に、この三ヶ月間一行の書き込みがありません。昨晩これ以上書き込みがないと削除するという通知が来ました。どなたでも結構ですからひと月に一度は書き込みをお願いします。明日はメルマガの締め切り日です。普段忙しかった読者のみなさんもきっと一行でも書いて投稿してくださると、大いに期待しています。
▼検索用語のトップは、相変わらず「少女たちの日記」である。しかしあのドラマの主人公になった女性の名前を検索用語にしている方がいるのは驚く。つまり彼女は13歳で原爆で死亡してしまった。だからドラマに再現されている以上のものは何も残っていないのだ。検索しても何も出てきはしない。可能ならばNHKハイビジョン版の1時間50分のドラマをごらんになることだ。地上波よりは多少詳しく描かれている。

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August 18, 2009

NHK「ETV特集/戦争とラジオ」を見る

▼選挙戦が始まる前日に政府統計を出してGDPが改善しているなどというのは、かなり政治的なやり方である。おそらく官僚たちが考えて行ったエコ減税や、休日ETCの1000円というのも、その統計上の数字を出すために意識的に操作されている。
▼それに先日電車の中の中吊り広告で文藝春秋のCMを見て驚いた。佐野眞一という人も、かつて立花隆が「N党研究」を出したように、今回はM党リーダーの「89億円の個人資産研究」を発表している。いや別にわたしはM党ファンではないからどうでも良いことだ。しかしマスメディアが、すべて政府の思惑通りに書くのだったら、その役割は終わったと考えて良いのだ。
▼日曜日NHK教育TV「ETV特集/戦争とラジオ」を見たが、同じような事を感じた。東条英機は国民が一致して戦争に協力するための体制づくりを、大政翼賛会から始めた。政治分野のそれは同じ時間NHK1chで放映された「気骨の判決」でも取り上げられた。NHKラジオの原稿は国策通信社である、同盟通信から配信される。ところがNHKの記者たちは、それに手を加え始める。国民を思想動員するために放送はどうあるべきかという内部の討論も再現されていた。それに通信社の原稿が、赤ペンで訂正されているものも映し出されていた。記者たちの再現座談会では、内地で想像していったのと、戦地ではまた別の体験をしたという。
▼放送の部分では実況放送と称して現地で銃の発射音や爆撃音をわざわざ入れるのだ。聴いている方はそれが分からないから、おそらく「凄い」と思うに違いない。ふと戦争中に流行った佐藤惣之助の「上海だより」という歌の一節を思いだした。
「上陸以来今日までの 鉄の兜の弾の痕 自慢ぢやないが見せたいな」
現実に鉄兜を弾が掠めたらもう即死であるにもかかわらず、こういう戦意高揚の歌を作る。
▼記者たちが圧力を実際圧力をかけられないにもかかわらず、「戦意高揚」の原稿で盛り上げていく。しかし登場したある作家は「転進などといっても子どもたちはみんな、負けたんだと噂していましたよ」という。小学生でも(いや国民学校と言うべきか)知っていることを自主的にねじ曲げて放送した結果が、国民を竹やりでも「勝てる」、バケツでも焼夷弾の空襲を「消せる」と思わせていく。
▼ミッドウェイでは日本の空母は4隻沈没させられ、ほぼ壊滅状態になってしまう。しかし放送は米空母3隻を撃沈し、日本軍の被害は一隻で被害は少ないと、国民を自滅の道に突き進めさせる。WOWOWで13日朝「人間魚雷回天」という55年の番組を放映した。この映画では「成果」を上げている。しかしNHKの戦争特集「回天」では9ヶ月間に148隻出撃した。しかし日米両軍で「的中」が確認されたのは、たった3隻であったという。そうすると彼らの死とは単に「自殺」を強要するための、特攻潜水艦としか言えなくなる。
▼昨日午後7時のNHKニュースはわたしの見ている限り20分間はずっと「宮古島周辺で地震が起き、高さ50cmの津波が来たので注意するように」を繰り返していた。宮古島周辺は衛星放送でないかぎりこれを受信できない筈だ。この壊れたラジオのように繰り返して警報をはっする番組を見ていて、NHKは思考が停止してしまったのではないかと思った。しかし政府統計や政府発表をそのまま流す昨今のNHKを見ていると、戦争中の「反省」はどこへいってしまったのか、心配でならない。
▼靖国神社で田母神発言に抗議したら警察の事情聴取を受けるカナダ人男性。驚くべきことに靖国神社は治外法権だった。

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August 17, 2009

「刑事の現場2」最終回の事など

▼昨日は宿泊していたU市のホテルのフロントにあるPCでブログを更新した。このホテルでは最近PCもひと晩一泊1000円で貸し出しを始めた。これはHDDが内蔵されていない(SSD)最新のビジネスモデルで、使っても一切データが残らないので安心して使う事ができる。こうなると今まで日本国内は重いノートPCを担いで旅行していたのに、それから解放されることになる。
▼U市駅前を見ると近隣のK市、S市駅前と比較してとても近代的で、建築物や街並みが秩序だっている事に気づく。S市は田んぼの中に新幹線の駅を作ったので開発がデタラメだ。そして行政機関が何一つない。K市は寂れてしまってサラ金の広告すら余り見かけない。しかし地元の人にお聞きするとU市もこの県で有効求人倍率は最低だという。それは最近600人ものブラジル人労働者の解雇、某線維(昔の名称)でも400名が解雇されたという。それで0・3%くらいになって悪化の一方を辿っている。そしてU市には国立病院もあるのだが、ここには麻酔医すらいなくなってしまった。
▼東名高速の地震で滑落した部分が関係者の夜を徹した作業で、15日午前零時から上り車線もようやく通行可能になった。NHKTVなどでは「利用者の喜びの声」で溢れていた。しかし地震で家を失った一般人の対策を、国は見て見ぬ振りをしている。それどころか九州では数年前に台風によって鉄道が切断されたところなど、まったく手をつけていないからもう廃線になってしまっている。大勢の人が集中する東名高速道路は、選挙目当てで不満が噴出しないように素早く対応する。しかし人の少ない過疎地は見捨てられる一方だ。こんな棄民政策が許されて良い筈はない。
▼宿泊したホテルで「Y新聞」を「ご自由にお持ち下さい」とあったので、新幹線の中で読んできた。するとTVの投稿欄に1週間前に終わったNHK土曜夜「刑事の現場2」に関する読者の感想の特集だった。みんなわたしと同じ事を感じていた。この土曜ドラマは「1」から見ているが、「2」の最終回はとくに良かった。恋人を殺された男が出所するというので、犯人を殺害して復讐しようとする刑事(武田鉄也)とその部下(森山未來)の話だ。森山と同棲している女(加藤あい)は恋人を交通事故で失っている。彼女もまたその容疑者を特定して復讐しようと考えている。実は「2」の前半はとても暗くて見るのを止めようと考えながら見ていた。しかし最終回に加藤は武田の恋人を殺害した容疑者に拉致監禁されてしまう。武田と森山の憎しみを買った容疑者をビルの屋上に追いつめて森山は取り上げたナイフで、武田は自分の警察拳銃で相手を殺してしまおうとする。
▼しかし復讐で問題は解決しないことを、森山は妊娠した加藤との関係を修復する中で気づくのだ。この屋上の逮捕劇をしている2人の表情は凄いと思った。とくに武田鉄也は天海祐希の「BOSS」でも爆弾容疑者を演じて良かったが、今回の演技は今まで見てきたどんなドラマより優れていた。

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August 16, 2009

古い本を10箱引き取ってもらう。

▼昨日は意外にも「はたらきたいんや」が検索ワードのトップに来た。昨日は実家に30年間送ってあった本を片付ける。人が死んだ後何が困るかというと、蔵書の処分であるという話を多く聞く。行ってみたら地下室いっぱいの本があったが、手がつけられないという話はいくらでもある。大体本は1回読んだら2回、3回というのはあまりない。わたしが現実に仕事で使うのも数冊の辞書があれば事足りる。それに今は区内で一番大きな図書館から徒歩7分のところに住んでいるので、本に不自由はしない。
▼本はイーブックオフに連絡して来てもらった。ダンボールはその会社から5個もらって、あとは自分で用意してくれというので東京か5個持参した。もって言ったのは近くのスーパーで買った新品だ。途中まで詰めて、これはふと大きすぎないかと気になって、名古屋の会社に電話すると配達員さんが持てる大きさにしてほしいという。つまり会社があらかじめ送ってくれたサイズにしてくれというのだ。途中からもう一度詰めなおす。それでも合計10個になった。前回自宅で送ってときは新刊書が多かったが、それでも5箱で本は3千円くらいだった。しかし同時に送ったCDが高値でこちらは5千円になった。今回はマニア垂涎の本もたくさんあるが、もう古いから10箱で3千円になればよいだろう。

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August 15, 2009

NHKの「働きたいんや」を見て考える

▼12日夜NHKで夜10時から「働きたいんや」という番組が放映された。大阪の巨大団地の片隅で仕事を失ったが必死に這い上がろうと努力している話だった。登場するのはフォークリフトの免許を持っている41歳の男性と、何の資格もない40歳の男性だ。彼らは派遣社員として働いていたが、いずれも派遣切りにあって路頭に迷っていた。一人はコンビニなどの廃棄された食料を食べる事に抵抗はあったが、食べないと死んでしまうので、そうするしかなかったという。一人の青年の有り金は数百円だった。彼らはこの団地の一角にある、家のないひと人向けに自治体が解放している団地の空き室に入ることが出来た。
▼二人ともハローワークに正社員の仕事を求めて通うが、年齢で面接までこぎ着ける事は不可能だ。それに二人とも自動車の運転免許すらない。仕方なく正社員ではない、月給13万円の会社に応募するが、経験がないため不採用になる。どうやら緊急の生活保護の給付を受けるまでこぎ着ける。しかしいつまでも生活保護を受けられる訳ではないので、必死に職業訓練を受けようとするが、それも試験を受けなければならないし、定員オーバーだ。
▼この番組を見て先週わたしはある人を介して、失業中で生活保護を受けていわゆる貧困ビジネスと言われる宿舎で生活している人と会った事を思い出した。彼の事は仮にNさんとする。D県のV市駅前で待ち合わせたが、携帯番号だけ知らされていた。総合するとNさんは某家電販売店でデジカメの派遣販売員として仕事をしていたが、いきなり首を切られてしまう。その取材に立ち会って下さった方に後ほどお聞きすると、家賃が払えなくて追い出されて路頭に迷っている親御さんから面倒を見てくれと頼まれたのだという。インタビューは午後1時だったがN氏は既に酒臭かった。N氏は立ち会って下さった方の助力でV市の生活保護を受けることが出来た。当初D市M町にあるNPO法人が運営する施設に入った。とにかく就職活動をするにの家がないと出来ないので、そのM町の施設にはいったが、通帳を作らされ手元に残るのは経費を差し引かれてたった2万円だけだった。
▼ケースワーカーも1人で100人の面倒を見なければならないので、実際はその役割を果たしているとは言えない。M町の施設も画一なことしかしていない。今は法の目も厳しいのでそれほど違法状態がまかり通っているわけではない。しかしかつては6畳くらいの部屋をベニア板で間仕切りしてあるだけで、新聞を広げて読んだりしていると「うるさい」という声が隣の仕切から飛んできた。しかしM町の施設は快適ではなかったが、「必要悪」ではないかと思っている。
▼生活保護を受けていると自分の場合医療費はタダなので助かる。しかし保護も7月1日で切られてしまう。10万円の中で部屋代と朝と夕食は出るが、昼は出ない。しかし残った2万円でどうやって生活してよいのか。というより生かされていると言った方が正しいのかも知れない。生活は朝5時に起きて6時間に朝ご飯、その他の時間はまったくやることがない。自分は病気を抱えているので一日一回インシュリンを打っている。M町の施設にいたときは5時が夕ご飯で、午後9時が門限だった。しかし罰則があるわけではなかった。同居している仲間どうしが連絡しあって時間を過ぎても施設に戻る事はできた。部屋でお酒を飲む事はできなかった。新聞とTVは自分の部屋で見聞きする事が出来た。しかし夜9時には電源が切られてしまった。とにかく郵便物が来ても下駄箱の上に置かれるだけでプライバシーもないのがイヤだった。
▼M町の施設はどうも居づらかったのでこちらV市のF町にある施設に移ってきた。しかし現状に満足し、真っ昼間から酒を飲んで話まくるN氏には違和感を覚えた。NHKTVに登場したN氏とほぼ同年のお二人は、この逆境かた這い上がり、技術を身につけ仕事が見つからなくてもハローワークに足を運ぶ。この二人とN氏は真剣の度合いが違いすぎるのだ。

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August 14, 2009

NHK◇「禁じられた避難/青森市」を見る

▼午前中「シネマの原稿の締め切りが過ぎている」という連絡がある。毎朝一番に「編集企画書」で確認するのが日課だが、来週かと勘違いしていた。「1時間待って欲しい」と頼んで送信する。午後から仕事に使うマシンの調子がおかしいので某サービスセンターに持ちこむ。15分ほど見て貰ったが「やはり変なのでお預かりする」という事になった。そのマシンを使うのは9月第一週なので、それまには間に合わせてくれるという。
▼朝日13日夕刊に「隅田公園のアブラゼミ戦禍の記憶」という記事がトップだった。「大空襲でセミが全滅し唯一戻る」という推論を研究家が出したという。墨田公園は台東区側と、墨田区(朝日ビール側)にある。台東区側では4種類のセミの鳴き声がしたが、墨田区側ではほとんどアブラゼミだけだった。考えられるのは大空襲で地域の昆虫がほとんど全滅して、セミの幼虫も焼き尽くされたのが原因ではないかというのだ。戦後64年たっても昆虫の世界はまだ復興していないのだ。
◇「禁じられた避難/青森市」NHK12日の番組。日本は戦争で南方から石油が入らなくなると北海道の石炭だけがその生命線になった。その石炭の量は以前の30倍にも上った。軍部は青函連絡船を使って北海道から青森に石炭を運び入れた。青森の陸奥湾には米軍の100機の艦載機による空襲行われた。市民はそれに怯え子どもを疎開させたり山中や農村に逃げていった。しかし軍部は1週間以内に戻らないと配給を停止するという命令を新聞などに出した。
▼空襲に備えて昭和20年5月、青森市内では延焼を防ぐため建物が人力によってロープで「疎開」という名の取り壊しが行われた。7月14日の空襲では12隻の青函連絡船はすべて沈没か座礁させられてしまった。市民はその空襲で郊外や田園地帯に逃げるが、青森県の金井知事はそれに危機感を感じた。それで山中に小屋などを建てたりした場合は「防空法によって断固たる措置を取る」と命令する。当時仙台空襲を体験した大沢勝見さんは空襲の威力を知っていたので、消化バケツなどで火は消すことができないと市の関係者に言っていたが聞き入れられなかった。
▼空襲に先立ち7月27日に米軍機から7万枚のビラが投下される。それには「青森市始め以下の3都市を爆撃する」と書かれていた。ビラの目的は市民を動揺させる目的を持っていたが、憲兵によって回収されて、一般市民が目にする機会は少なかった。鳴海正子さんは幼稚園の地下壕に潜る。花田哲子さんは当時13歳で、家を守るという父と別れ、叔父を先頭に家族一緒に逃げる。
▼青森市を襲ったのは62機のB29爆撃機で1機には9トンの焼夷弾が積まれていた。午後10時半頃から空襲は始まる。ところが青森で使われた焼夷弾は新型のM74爆弾だった。それは今までと違い黄燐爆弾というもので空気に触れただけで発火するので水による消火などまったく効き目がなかった。花田さんは防空壕から逃げ出した人が映画のように、防空ずきんが火だるまになっているのを目の前で見た。鳴海さんは自分の子どもがぐったりして異常に重くなったので死んだ事を悟った。花田さんは跨線橋の所までいくと警官がサーベルをガチャつかせ「戻って火を消せ」と脅したが隙を見て逃げたので焼かれることはなかった。
▼この日の空襲で死んだ犠牲者は1018人だった。空襲の18日後に終戦になったが、その3日後に鳴海さんは我が子の遺骨を受け取る。父が死んでも家族が死んでも涙は出なかったが、我が子の遺骨を受け取る瞬間は涙がとどめなく流れたという。軍は軍需工場で使う石炭を守るために疎開を許さず、県と市はそれを受け入れ「食料を渡さない」と市民を恐喝したため犠牲者は余計に増えたのだ。ここでも市民を守らない軍隊の本質を垣間見ることができる。
▼検索用語を解析していると「戦場からのラブレター」を見て下さる方が出てきたので嬉しい。あの日のブログは不十分だったのでその後もう一度録画を見て、妻の書いた手紙をきちんと再現しました。

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August 13, 2009

「海軍400時間の証言/3」を見る

▼きょうも雨空だ。真夏だというのに、この頻繁に降る雨はまるで湿ったソフトバンク打線のようだ。例年このお盆の時期はアクセス数は減る。しかし今年は「ヒロシマ少女たちの日記張」関連のアクセスが増えているので、普段の倍の方が来て下さっている。わたしは諸般の事情で8月には夏休みはとらないので、通常通り土日だけ休みをとる。
▼さてブログは毎日およそ1400字をめどに書くつもりだ。しかし書き始めると筆が滑ってというか、キーボードを知らず知らず叩き続けるので文字数が増える。しかしそれも2000字以内に納めようと思っている。
▼「NHKスペシャル、海軍400時間の証言/3」だ。軍令部は戦後第二復員局(通称2復)という形で生き延びた。その主たる目的は東京裁判で、海軍の幹部から犠牲者を出さないための情報収集をすることだった。陸軍に引きずられてやむなく戦争に引き込まれた海軍というイメージを作り出すのがもっとも望ましかった。島田繁太郎軍令部総長を有罪にすべきだという声が上がった。島田を有罪にさせないための対策を行ったのが豊田隅雄元大佐である。TVでは豊田の長男が証言した。
▼その主な物は海軍の潜水艦がアメリカの商船を攻撃して沈没させた後、生き残って海に浮いている船員を機関銃で射殺したことだ。軍令部からは「生き残ったものは射殺せよ」という口頭の命令が来た。しかし潜水艦の現場では、「そう言う重要な指令は命令書を出して欲しい」と抵抗する。
▼またスラバヤで現地捕虜が処刑したことが軍令部の命令ではなかったかと、東京裁判では問われた。5人の銃殺処刑には軍令部の法務官が立ち会ったので、当然軍令部の命令があったのだ。しかし東京裁判の直前に2復は法務官を逃亡させ、証拠の隠滅を計ったのだ。当時日本は1929年に出来たジュネーブ条約を批准していなかったので、こういう無法がまかり通ったと大井元大佐は「人権を無視することが沢山起きたのだ」と録音では発言している。裁判になって海軍はBC級の将官は200人ほど有罪になって処刑された。しかしそれはすべて出先の軍人ばかりで、軍令部や参謀本部の将官は一人も処刑されることはなかった。
▼「証言」の中で元海軍担当新聞記者が登場する。彼はアメリカ側から「天皇は補弼としてやむなく戦争にかかわった」という道筋を作るよう要請されたと語っている。また驚くべき事に2復は裁判になった場合の「想定問答集」を東京裁判が始まる半年前に作っていた。米内光政海将とアメリカ軍のフェラーズ准将の交渉が密かに行われていた。海軍は陸軍に強引さ引きずられて参戦した。アメリカの目的は天皇を利用して占領政策をしやすくする事である。天皇が裁判に出てくるとマック(マッカーサー)の立場が悪くなるので、日本人の立場で天皇に罪がないことを、分かるようにしてしてくれというのがフェラーズの要請の内容だった。そして彼はあらゆる場面には責任者が必ずいなければならない。(わたしは「必ずスケープゴートを作って欲しい」というと理解した)米内海将は死刑判決を受けるが講和条約の3年後釈放される。つまり東京裁判はすべて出来レースだったという事になる。

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August 12, 2009

NHK「海軍400時間の証言」1、2を見る

▼「NHKスペシャル、海軍400時間の証言/1~2回」。昨晩ようやくこのシリーズが終わった。毎回1時間で3回だったが、書くとなるとメモをしなければならない。しっかりと書くには1時間あたりのメモは10枚くらいとらなければならない。渡辺謙がレポートした「アメリカの被爆者」も見ているが、書くには時間がかかりそうだ。NHKBS1で「ノルマンディ上陸作戦秘話」の上・下10日と11日午前零時から放映していたが、短い割にはかなりの力作だった。
▼NHKのこのテーマは一回書いた通りの手順で水交会で長期間密かに行われていた録音テープを解析したものだ。ここには旧日本海軍の将校経験者などが集まり「反省会」という名目で討論会が行われていた。第一回目はなぜ海軍の中の軍令部という部署が権限を強めていくかだった。それは軍令部に伏見宮という皇族が入っていた。彼を永野修身軍令早朝らが利用したというのだ。つまり山本五十六が真珠湾攻撃を命じられたとき、「1年か1年半なら暴れて見せる」と言う。永野は「山本がそういうならやらせて見せよう」という。その真珠湾の「成功」を自分の権威として「絶対化」していくのだ。自分の意向を絶対化するための「伏見宮」をトップに据え付け、他の誰もが批判できない軍令部を作っていく。それが海軍を縦割りセクショナリティ機構へと発展させてしまう。
▼第二話は「特攻」がなぜ行われたか?特攻が行われたのは、日本海軍がミッドウェイで米軍に決定的な敗北を受けてしまったことに起因する。元もと戦艦を造る鉄や、動かす燃料をアメリカに依存していたのだから、勝つ見込みはなかった。しかし軍令部は先の見込みを立てずに「とにかくアメリカを叩け」という論法で、戦争を開始してしまう。「ミッドウェイ」はアメリカ製の映画が、先週だったかNHKBSで放映されたが、かなり客観的に作ってあった。空母などを大量に破壊されにもかかわらず、軍も報道機関も「勝った勝った」と虚偽の報道で国民を戦闘に駆り立てる。しかしトップは「空母がなくなった今、勝つための決定打はないか」と考える。それが昭和19年8月に行われた魚雷を改造した回天の特攻だった。それは最初gフィリッピンで使われた。いまのその地に「記念碑」が立てられているがそこには「kamikaze」という言葉とそれは「volunteer」(自由意思)によって行われたと書かれている。一部の軍人は「1%でも帰還できる可能性がなければ、特攻などすべきではない」と抵抗する。
▼しかしタテマエで正論を語るトップに誰も反対する人はいない。このプロセスは組織ぐるみの犯罪を行った会社とか、一部の政党にとても良く似ている。たしか特攻では5000人もの若者の命を奪った。しかし今の日本では毎年3万人の自殺者があり、1万人近い交通事故死者があとを断たない。これを断ち切る方法を考えないで「特攻で亡くなった人は可愛そう」と言っても始まらない。平塚元中佐は「人の命を無駄にするな」と会議で発言するが誰もそれに同調する人はいなかった。
▼特攻の裁可は源田実が「最早戦う手段がなくなった以上仕方ない」と行う。三代元大佐は「特攻は現場の熱意から始まったものであり、機運は高まっている」という。小池猪一元予備中尉は会議で「それは本当か?では特攻兵器は誰が作ったのだ」と質問する。しかし「特攻をした個人の性格や状勢がそうしたのだ」と誰からもまともな答えは返ってこない。これを彼は「やましき沈黙だ」と語る。中沢中将の息子は戦後「父は命令は出していない」、「特攻は作戦ではない」と語っていたと言う。それに源田も戦後「特攻は青年も自らの意思に基づいて行われた」と一貫してシラを切っていた。
▼組織では往々にして「正論を言う人には反対できない。異論が言いにくい」という事は現実に今の世の中でもかなり多く見受ける。特攻機に伴走して空から「成果を見届ける」任務を負っていたパイロットが言う。「あれが自らの意思だったとは信じられない」と今でも当時の事を忘れられないと語る。ならばどうしてあのような兵器を作ったのか?「やましき沈黙」が一人ひとりの命にかかわることであってはならない、と締めくくる。ちなみに回天の成功率(敵の戦艦に当たった)2%である。またわたしの知る限り特攻機のそれは4%だった。つまり4800人の人びとは死ななくても良かった事になる。
▼時間と紙数の関係で「3」は明日書きます。

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August 11, 2009

日本TV日曜深夜「戦場のラブレター」を見る

▼今朝5時過ぎの地震の揺れは日曜日よりも激しく感じた。いつものように午前6時に起床してからずっとNHKTVのスイッチを入れっぱなしにしていた。その中で一度だけ前浜原発の管理区域で放射能の濃度がいつもより少し高くなっていると報道した。しかしその後は放射能漏れはなかったと告げるだけだ。一番危ないといわれていた前浜原発でやはり「漏れて」いたのだと想像している。その後は報道がコントロールされている様子で、一切報道されていない。
▼8月になると一斉に「戦争特集」が放送される。いずれも優れた内容が多い。わたしは極力録画して見ようと思っているが、その全部に目を通すことは不可能である。願わくば8月に集中させないで、毎月1本ずつ放送して欲しいものだ。まずNHKで日曜日から3回連続で「海軍400時間の証言発見」だがこれは今晩放映されるであろう、3本目が終わってから感想を書く。陸軍の将校向けには偕行社という組織が存在する。これは戦前はかなりの力を持った組織だった。戦後一時期なりを潜めていたが、現在また自衛隊出身の政治家への献金活動を行って生臭い。NHKの放送にでたのは海軍のそれで原宿(明治神宮の東郷神社の中にある)水交会で密かに行われた記録を分析したものである。
▼もう一つ日曜日深夜0時50分から日本TVで放映された「戦場のラブレター」は優れた作品だった。硫黄島で戦ってかろうじて生き残った19歳の米軍兵士ライマン・コリーは作戦中一枚の手紙らしきものを拾う。気になっていたがその手紙らしきものは62年間コリーの机の引き出しの奥深くしまい込まれていた。しかしどうも気になってアメリカにいる牧師を通じて日本語の分かる人に翻訳してもらう。すると妻から硫黄島に派遣されていた中野久男さん(当時33歳)宛に送られて来た手紙だと分かる。コリーは何とかしてこの手紙を持ち主に返そうと考え教会を通じて日本に送られる。それは池田勇人という宣教師の手元に送られる。07年12月に池田は手紙の差出人の住所の役所に照会すると、手紙を差し出した当人中島きく枝さんは存命である事が分かる。
▼池田宣教師は部下のシスターととともに中島さんがいる加賀市を訪ねる。きく枝さんは現在89歳で少々認知症ぎみだった。話を聞くと筆まめな人で近所の人から「きく枝さんはお父さんから返事が来て羨ましい」と言われていたという。きく枝さんは自分はもう手紙が読めないからというと宣教師に同行したシスターが代わって読む。妻は夫の健康をとても案じ、3月始めには2番目の子持ちの身体になる予定です。きょうはお彼岸様で子どもはお姉さんのところに泊まりにいった。この子をあなたに見せてあげたい。子どももあなたの事を尋ね、おててを合わせてあなたの無事を祈っている。くれぐれも悪い水などを飲まないように。近所の人からはきく枝さんは幸せだと言われる。この幸せがずっと最後まで続きますように。くrれぐれも健康に気をつけて「お仕事(戦争)」をなさって下さいと書いた部分になると読んでいる女性は涙で声を詰まらせてしまう。
▼出征した久男さんは加賀の水力発電所に勤務していた。そして山の水はとても美味しかったと手紙にある。長男の健治さん(67歳)は発電所近くの山に行き、その沢の水を手に掬って飲む。「父はこの水を美味しいと感じたのだ」と感慨深く飲む。
▼そして今年硫黄島の墓参団に選ばれる。ご存知の様に現在硫黄島は自衛隊以外立ち入り禁止になっており、毎年一回墓参する人だけが抽選で選ばれ、いく事が許される。JALの特別機で2時間で硫黄島に着く。しかし式典などを除くと滞在できるのはたった2時間余だ。用意されたバスで20ヶ所の遺跡を回る健治さん。ついにお父さんの所属していた部隊の石碑を見つけ、加賀から運んでいった水をそこになみなみと注ぐ。「空腹と水不足で辛かっただろうな父さん」と呟く健治さん。そして近くにあった砂と石ころを来る事ができなかった母親のために拾ってゆく。式典に来ていた元米兵も「戦争に勝利はない」と歎く。最初のコニーさんは「今頃手紙を出して中野さんの遺族から怨まれたりしないだろうか」という事だけを気にしていたが、きく枝さんの様子などを聞いてホッとする。
▼健治さんは「今度来る事があったら二人の子どもも連れておとうさんに会いにくるからら」と誓って羽田に戻る飛行機に乗る。

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August 10, 2009

◇「縞模様のパジャマの少年」を見る

▼「ヒロシマ少女たちの日記張」は昨日NHKハイビジョンで、オリジナルの1時間50分バージョンが放映された。そのためブログのアクセス数も上がり、3日間でこの検索用語で訪れた方は約1200件になった。そして今現在「検索用語」はGoogleのトップに来ている。ブログを続ける意欲を持ち続けるのは、皆様のアクセス数だけなので、とても元気が出てくる。
▼◇「縞模様のパジャマの少年」を新宿角川シネマで初日初回に見たことは書いた通りだ。この映画館は56席とかなり少ない人数しか入れない。映画を見終わって近くの図書館を検索してリクエストをした。検索すると図書館の持っている本の数は10冊くらいあった。あまりポピュラーでもない、岩波書店のこの本だが数の割には借りている人は誰もいなかった。日曜日は特別に見たい映画もなかったし、締めきりは来週なので溜まっていた録画ビデオをたくさん見た。ヒマを見つけて図書館まで行く。本を引き取るとき「これは課題図書になっているので、1週間で返却して欲しい」と注文をつけられる。そうかこれは中学生くらいの夏休みの課題図書になっていたのだ。本の感想は次回のメルマガでご紹介する。しかし第二次大戦のドイツとナチスについての説明が、本文の中には一行も出て来ない。しかも読んでも決して面白くもなく、中学生には分からないと思う。だから図書館でせっかく10冊も揃えても誰も借り手がないのだろう。
▼ベルリンの豪邸に住む、ブルーノ少年、父は立派な服装をした軍人で衿にはナチスの「SS」の徽章が付いているので家なりの高官であることが推測される。町ではゲットーからユダヤ人が収容所へと駆り立てられている。(本にはその描写はない)ある日父親が転勤することになったと告げる。ブルーノ少年は「親友が3人もいるから、お父さんと一緒に行くのはイヤだ」という。しかし父は「軍人は命令されればどこへでも行くのだ」と息子の意見を聞こうともしない。列車に乗ってやってきたのはある村にあるお城の様な一軒家だ。そこには隣の家も遊ぶ友だちもいない。4歳年上のグレーテルはいつも姉貴ぶって弟を見下してばかりいる。そのくせ山ほどあるお人形と遊んでばかりいる。
▼新しい家には金髪のコトラー中尉(映画の配役はピッタリ)が父の部下として、家を取り仕切っておりにらみを利かせて、姉とも親しい口を利いているので気にくわない。ブルーノは探検をするのが大好きで野原の向こうに見える集合住宅は何かと訝しんで出掛ける。(本では家の隣に見える設定だ)すると電流が通った有刺鉄線の向こうに、丸刈りで青いパジャマを着た少年が地面に座ってぼんやりしている。声を掛けるとシュムエルという名前のポーランド人で生年月日がブルーノと全く同じだという事が分かる。
▼ある日家にお父さんの上司がやってくる。(小説ではヒトラーとエバが出てくる)大変なご馳走をしてもてなすがユダヤ人の使用人の男が粗相をしてワインをこぼしたことから、コトラーは彼を激しく殴りつける。そしてシュムエルもワイングラス磨きとして動員されるが、空腹なのを見かねてブルーノは食べ物を隠し与える。しかしそれがコトラーに見つかりブルーノは詰問されるので、友だちでも知り合いでもないとシラを切る。二人の少年の関係はそれで切れてしまうかに見える。数日して収容所の有刺鉄線の向こうでコトラーに殴られたためか右目を怪我をしている少年がたたずんでいる。そして「お父さんがいなくなった」と呟く。ブルーノはじゃあ明日一緒に探してあげるよといって別れる。有刺鉄線を深く掘れば収容所側に行けるのだ。青いパジャマはシュムエルがちゃんと用意してくれたので着替えて収容所にもぐり込むことに成功する。
▼しかしお父さんが上司にプロパガンダ映画で見せていた様に、収容所の中にはレストランもカフェすらもなくてすし詰め状態の人間が大勢いるだけだ。そのうち一ヶ所に集まれという号令がかかる。押し込められたのは、何とシャワー室だった。

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August 09, 2009

渋谷警察所前でバカ騒ぎするマスメディア

▼この2日間予測したように麻薬吸引容疑で出頭したSは現代のさらし首状態になっている。わたしの周囲にいる専門家の話では、指名手配されたあと逮捕されると、判決で執行猶予がつかなくなるという。だから逮捕される前に自主的に出頭した、という。しかし渋谷警察署前のマスメディアの賑わいは近所の夏祭りの祭礼よりも賑やかである。デカイカメラを持った「記者」たちが右往左往している。もっと他にやることはないのか?昨日ご紹介した「週刊金曜日」8月8日号でも立命館大学の浅野健一氏は、容疑者の引き回しについて指摘している。大阪府警の話だが、容疑者を逮捕して記者会見をするとき、出席を確認するために出欠をとっているという話がでている。さらに記者たちは容疑者を逮捕するまで追い回さないから、警察に入る瞬間を写真に撮らせろと要求しているというのだ。
▼恐るべき事と云うべきか、情けないと言った方が正しいのか。警察と新聞記者は最早「持ちつ持たれつ」の関係にあるのだ。昨晩のTVを見ているとNHKをはじめトップニュースだ。それで警察車両に乗ったS容疑者の顔の一部分が映っているのを、「S容疑者が逮捕された」と各社一斉に報道する。これはいったいどういう意味があるのだろう。考えて見ると江戸時代に罪人を裸馬に乗せて市中引き回して刑場に引っ立て、さらし首にするのと同レベルの話になる。昨日の朝日ニュースター「愛川欣也のパックインジャーナル」でも「視聴率をあげるという事で考えれば、この番組もS容疑者の特集をした方が良いかも知れない」と番組が始まる前に冗談を云っていた。
▼昨晩6日NHK地上波で放映された「ヒロシマ少女たちの日記張」を見た。ハイビジョンに比べ半分だから仕方ないが、初潮を迎えて家族で赤飯のお粥で祝う場面、生物の先生から植物の種子を貰って育てる場面、洋裁の先生と一緒に弁当を食べるシーンなどがカットされていた。でもわたしが一番印象に残った手旗信号のシーンは残っていて、思わず涙が出てきた。この完全版はきょう9日午後4時から1時間50分にわたってNHKハイビジョンで再放送される。

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August 08, 2009

オバマを持ち上げる人に疑問を呈す

▼芸能界の麻薬汚染というのはかなり前から内定していたのだろう。この衆議院選挙直前に「発覚」したのは、国民の視線を選挙戦からそらせようと計画していたからに違いない。公示と同時に容疑者Sは逮捕され、その自白の様子がTVや週刊誌を賑わせる事が予想される。
▼今朝は朝一番で新宿角川シネマに出掛けた。本日初日の「縞模様のパジャマの少年」をみるためだ。感想は月曜日以降に書く。某読者は北米から帰りの飛行機の中で既にごらんになったという。
▼昨日届いた「週刊金曜日」の編集後記に成沢宗男がオバマについて、大要次の様に書いている。見え透いたデマでイラクに侵略し100万人近い非戦闘員を殺したブッシュがのうのうと引退生活を楽しむ。後任者(つまりオバマ)はイスラエル(具体的には国の名前か書いていない)に惜しげもなく武器弾薬をくれてやる。とまだ続く。わたしはこの短い記事を読んで日本の左翼のオバマの持ち上げ振りにとても疑問を持つ。ある団体など短歌でオバマを持ち上げている。もうこうなると狂気の沙汰としか思えない。もっと冷静に彼、オバマのやっている事を見て欲しい。
▼さらに編集後記で北村編集長が「声の大きい人が苦手だ」と書いているのが可笑しい。

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August 07, 2009

WOWOWで◇「ファーストフード・ネーション」を見る

▼大原麗子さんの死亡が朝刊に出ていた。わたしはかつて成田山新勝寺の豆まきの取材に行ったとき、彼女も来ていて1mくらいの近距離で見たことがある。成田山は例年NHKの大河ドラマの出演者を豆まきに招待するので、たまたまその場面に出くわしたというだけの話だ。新聞記事を読むと彼女の場合も実質的に孤独死である。女優として華やかにちやほやされた挙げ句、結局誰にも看取られることなく、息を引き取るというのは寂しい。
▼昨日ブログが始まって以来の1日のアクセス数としては過去最高にのぼった。通常この「きょうの目」は平日が100から140くらいである。ところが昨日は述べ475人になった。その理由はブログを解析しているのですぐわかる。NHKハイビジョンで見た「少女たちの日記帳」について月曜日執筆したからだ。ちなみにGoogleで検索してみると「きょうの目」は順位の3番目に入っていた。HPを始めたのが99年の8月27日だったから11年目にしてようやくここまで辿り着いたことになる。「きょうの目」が日本のブログ全体の中でどの辺に位置しているかは下記をごらんになるとお分かりになる。
▼それと昨晩NHKの放映が終わったと同時にFrotteeさんとMaさんが相次いで「見てとても良かった」というメールを送って下さった。これはブログで「ぜひご覧下さい」とお願いしたことに応えた頂いたものだ。
▼昨日の約束のWOWOW「食とグローバル」の1弾は「ファーストフード・ネイション」だった。アメリカとメキシコ国境を不法に越境する話は数多の映画で使われている。「ゴール」、「バベル」などだ。この話もメキシコから豊かなアメリカ国境を越えようとする一団が出てくる。国境警備隊に捕まってしまう人もいるが、脱出した人達を待っているのは「ミッキー・バーガー」というハンバーガーを持った一人の男である。お腹を空かせた人にそれを与えて「これからは俺の云う事を聞け」と命令する。彼は実はそういう人達を企業に斡旋するのが仕事だ。
▼国境を越えた彼ら彼女はいわゆる3Kのファーストフードの加工現場に配属される。肉を切り刻んでパテを作るまでの仕事なのだ。さてその会社の白人経営者の一人はこれから大々的に売りだそうとした試作品に、肉に糞が混ざっていたという報告を受けて大慌てとなる。原因を探っていくと加工段階で牛の腸に傷が付くとそれは当然肉に混ざってしまう。例えそれが0・001%であっても検査をすれば数字で出てくる。どうするか?しらばっくれるしかない。現場ではパスポートを持たない女性に対してセクハラ、パワハラがまかり通る。そして男性は危険な現場で機械に巻き込まれて膝から下を切断するという事故にあってしまう。へたをするとミンチになるところだったが、かろうじて機械の非常ボタンを押したので命だけはどうやらとりとめる。
▼セクハラで加工現場を止めた女性は、生きるためもっとお金になる職場を斡旋してくれるというので、手配人のあとを付いていく。そこはまさに生きた牛を電気ショックでと殺し、切り分けた肉の塊が湯気を上げ、血の海が広がる職場だった。彼女はその現場を見て恐怖におののくが、手配師や職場の先輩は「すぐに慣れるから」と声を掛けてくれる。しかし彼女は怯えるように生き地獄のような現場をおそるおそる歩き続けるのだった。実写にドラマを織り込んだ作品で、映画は最初の国境で「ミッキー・バーガー」を持って「良く来たね」とにっこり微笑む男を写して終わる。

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August 06, 2009

タレントの失踪よりも、3万人の自殺者を真面目に取り上げろ

▼昨日は午後から貧困ビジネスの取材をすることになっていた。指定された駅には約束の30分前に着いた。冷房のしっかり効いた待合室で20分間、持っていた本を読んで過ごす。10分前に指定の携帯に電話すると「5分待ってくれ」という。やってきた男性は話を聞くと単なるアルコール依存症だ。しかも同じ事を繰り返して話は堂々めぐり。その上午後1時だというのにアルコールの匂いをプンプンさせている。これではちょっと使い物にならない。
▼タレントの酒井法子が夫の麻薬疑惑に関連して行方不明になっているという。今朝のニュースでは山梨県内で携帯の電波が切れてしまったという。しかし昨日お送りしたメルマガで斎藤貴男の「強いられる死/自殺者3万人の実相」という本の事をご紹介した。年間3万人ということは単純計算で毎日82人である。タレントの行方不明で大騒ぎするのも結構だが、本でご紹介している様な人の存在をまったく無視するものどうかしている。
▼それはクリントン元米国大統領が北朝鮮を突如訪問した日本のニュース報道も同様である。「拉致問題も話題に上った」と喜んでいるが、クリントンがわざわざ「拉致問題」だけで出掛ける筈はないのだ。ブッシュ政権の末期にはすでにライス国務長官の口ぶりが変わっていたではないか。7年ほど前の「危機」のとき、アメリカはシュミレーションをしている。もし北と一戦を交えたら、韓国軍は49万人の被害が出る。アメリカ軍は7万人くらいの被害が出ると。イラク、アフガンで泥沼になっているとき、別の戦線は開ける筈がない。北はテポドンと核実験で「アメリカと直接交渉をしたい」というメッセージを発していた。クリントンは「金政権を武力で潰さない」という言質を密かに与えたに違いない。「拉致」問題の解決など眼中にないはずだ。5月の「テポドン撃墜」や「海上船舶の臨検」などはできっこない。マスメディアはもっと冷静になって欲しいものだ。
▼月曜日からNHK3chで午後7時から30分間「アンネの日記」を5回連続で放映始めた。1回目は録画を忘れたが、2回目から見ている。原作にかなり忠実で、屋根裏部屋に息を潜めて暮らすアンネ一家の諍いや、外で物音がするたびに怯える彼女の息づかいまで伝わってくる。わたしは1日遅れで見ているが、歯医者が一家と一緒に潜伏を始めた。
▼WOWOWで月曜日から「食とグローバリズム」というシリーズを放映している。月曜日が「ファーストフード・ネーション」で以下、「いのちの食べ方」そして昨晩は「おいしいコーヒーの真実」だった。「いのち…」は昨年映画を見たとき書いたのでそれをご覧頂きたい。あとは明日から順番に書いてゆく。きょうNHK1chで午後8時から放映される「ヒロシマ少女たちの日記帳」はハイビジョンが2時間番組だった。しかし番組俵をみると、この地上波は45分番組になってしまっている。残念なことである。

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August 05, 2009

◇「クララ・シューマン愛の狂騒曲」を見る

Efesos
▼本日5日はメルマガの発行日です。投稿される方はお早めに送信して下さるようお願いいたします。
▼日曜日夜だがNHKでクレオパトラの妹の頭蓋骨から容貌を再現する番組をやっていた。いや再現そのものが目的ではなく、クレオパトラと対立していた妹が最後には姉に毒殺されたとされるアルシノエの悲劇である。アルシノエの墓地が見つかったのはトルコのエフェソスで08年の事だったという。しかしわたしも現地を今年一月歩いたがガイドはそんな事は一言も言わなかった。頭蓋骨はドイツの実業家でトロイを発掘したハインリヒ・シュリーマンによって持ち去れていた。しかし頭蓋骨の寸法や写真がかなりしっかり残っていたのでそれを手がかりに、ウィーンの法医学者が再現していくのだ。TVを見ているとエフェソスで彼女の墓所が見つかったのは上の写真の辺だった。
▼パソコンのデータを保存している外付けのHDDが急に認識しなくなった。中古の250Gを買ったのだが、この症状が出たのは2回目である。データはパソコン本体に入っているが万一の事があるので、週に一回外付けHDDにマイドキュメントとメールそれにアドレスをすべてバックアップしている。フォーマットして再度バックアップを完了するまで約2時間もかかった。外付けHDDは1万円前後で新品が買えるので、そろそろ取り替えようと思った。
▼昨日はNHKの「少女たちの日記帳」の事を書いたら、夜になってアクセス数が急激に増えた。あの石堂さんを演じた若い女優さんは「パッチギ」に出た頃の沢尻エリカのようで本当に可愛くて胸がキュンとなるほどだった。それにドラマの最後に出てくる手旗信号のシーンはとても良かった。わたしはモールス信号が出来るが、手旗信号はできない。この際携帯などは捨てて手旗信号にしようかと思ったくらいだ。それでも「送信開始」と「受信準備」だけは覚えた。
◇「クララ・シューマン愛の狂騒曲」40年ほど前にNHKのクイズ番組で「シャープさんフラットさん」というのがあった。10マスほどのオセロのようなマスがあって、自分の好きなマスを選んで出てきた得意な分野の音楽の曲名を当てて、陣地を増やすという遊びだった。そのときわたしはクラシック音楽がほとんどできなくて、「これはまずい」と思って必死に音楽の本やレコードを買って聴き始めた。わたしを音楽嫌いにしたのはあの楽譜だ。そのとき最初に覚えたのがブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」だった。
▼夫のシューマンは交響曲第一番を必死に作曲している。しかし彼は精神病を患っているようで、コンサートを前に指揮をしようとしていても途中で投げ出してしまう。付き添っていたクララ・シューマンは思いあぐねて自分が指揮を変わる。しかし楽団員たちは一様に冷ややかで「クララちゃん」、「別の妄想をしてしまう」とか野次ったりしてコンサートマスターの云う事を聞こうとしない。だが指揮台にたつと毅然とした態度で楽団員を統率する。夫は家に帰ると「頭が痛いからヘロインの入った治療薬をくれ」とクララにせがむ。クララは「もうこれっきりよ」と言って何度も、なだめるように隠してある薬を数滴水と一緒に飲ませる。気のせいなのか、その水をごっくん(中川前外務大臣のように)すると気分は一時的に良くなって作曲意欲に燃える。
▼ある時一人の若い男がやってきて弟子にしてくれと頼み込む。「弟子は取らない」と一度は断る。しかし窓越しに渡された楽譜をクララが弾いてみると、そのみずみずしい旋律に非凡な青年であることを直感する。彼こそブラームスだったのだ。ブラームスは特に子どもたちに懐いて遊んでやったり、留守番を買って出る。しかしブラームスの存在はシューマンをまた悩ませる。「クララと出来ているのではないか」と疑うようになる。たしかブラームスはクララを心底愛しているのだが、二人っきりになっても決して一線は越えようとしなかった。交響曲の演奏会が成功してパーティは盛り上がる。そのときブラームスが子守をしながらバイオリンで聞かせていたのが、上記「ハンガリー舞曲第5番」だった。
▼シューマンはパーティの会場で会ったボンの医者の勧めで精神病院に入る決意をする。しかしその治療法というのは今では到底考えられないような、頭蓋骨にキリで穴をあけるというようなものだった。シューマンはその治療に耐えられなく命を落とす。しばらくしてブラームスはクララを抱擁して愛を告白するが、「クララは僕にとっては一線を越えることのない永遠の恋人なのだ」と呟く。そしてクララが死んでしばらくするとその後を追うようにブラームスも息を引き取る。渋谷Bunkamuraで。

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August 04, 2009

NHKハイビジョン「ヒロシマ少女たちの日記帳」を見る

▼まもなく広島と長崎への原爆投下の日がやって来る。毎年様々な番組が放映されるが、いずれもが原爆投下直後の悲惨な、極端に言えば焼けただれた人間や建物の映像がこれでもか、これでもかと流れてくる。わたしも数回広島と長崎に仕事絡みでいったことがある。あの千羽鶴も実は現地では雨などで濡れるとどうしようもない「ゴミ」になってしまっている。はっきり言って支援する気持ちがあれば、「千羽鶴」ではなくて現金が一番お役に立つと思う。鶴は「撤去」するにもお金がかかるのが実体だ。それでそれらの映像よりも素晴らしい放送がNHKハイビジョンで2日夜10時から放映された。それは「ヒロシマ少女たちの日記帳」(6日にはNHKの地上波で放映される)という番組なのでそれをぜひご覧いただきたい。
▼ 昭和20年4月6日、広島県立広島第一高等女学校に12歳から13歳の少女321人が入学した。番組ではこの日から、少女が実際に書き残した日記を紹介しながら演技が始まってゆく。その茶色に染まった日記には短い10数年の生涯を書き残した彼女たちのみずみずしい日々が綴られていたのだ。
▼番組では、これらの遺された日記帳とかろうじて生き残った数人の人達の証言を元に、4月6日の入学式から8月6日まで少女たちの姿を関係者の証言を中心にドラマで描いてる。疎開してしまった弟に再び会いたいという気持ちを綴ったもの。理科の教師に「日本は石油がないから」と数粒の何か麻のようなタネを貰って家庭で育てるように言われる。生徒たちは教師の言いつけをきちんと守り、人糞の肥料を鼻をつまみながら一生懸命育てる姿がある。
▼そして食料もないので芋と筍のご飯を弁当に持参する。裁縫を教えてくれる家庭科の先生と二人一緒に食べるのだが、恥ずかしいので弁当箱の蓋を半分開けたまま食べている。すると教師から「いつもそんなにして食べるの?」と注意される。しかし先生を見ると彼女もまたジャガイモ一つを新聞紙から出して食べている。少女の持って行った「筍を頂戴ね」と言って「ほんとうに美味しいわ」と食べる姿はジーンと来る。それに沖縄の少女たちが洞窟で米軍と戦っているという記事をみて、「まだ自分たちは真心の込め方が足りないのだ」とも記録している。何と純粋なのだろう。そして「ヒトラーの死とムッソリーニが処刑された」という新聞記事も出てくるので、「もっと自分たちが頑張らねば」と思う所などは心が痛たむj。
▼当然年頃の少女たちだら「生理」にもなる。家族はそれを赤飯のお粥で祝うのだが、小さい弟は「どうしてきょうはこれを食べるの」と不思議そうな顔をして何度も何度も姉に尋ねる。B29が近づくたびに空襲警報が鳴り響き、彼女たちは防空ずきんを被って狭苦しい、呼吸困難になりそうな地下壕に潜る。家庭科の実習では物資が不足してくるので、6月になっても夏服は許されない。そこで父母の着古しを使って夏服を作る実習が始まる。自分の着る夏服を作る姿は実に生き生きとしている。この姿も良い。そして手旗信号の実習訓練もある。登場する一人の少女石堂郁江さんはいつも道を行き来する丸坊主の少年を意識するようになる。いつもいつも何故か気恥ずかしい思いで、一言も交わさず通り過ぎるだけだ。しかしあるとき、川をはさんで自分の名前を相手に知らせる事を思いつく。そして「ワタシはイシドウイクエ」というと相手は「イクコ」と誤解してしまうのだ。だがそのイクエも原爆で命を落としてしまう。それから50年後イクエの家族の元に一通の手紙がある男性から寄せられる。赤族は彼が誰であるか一切詮索はしなかった。生き残った同僚も家族も余りにも若くして命を落としたイクエにもそういう胸が痛くなるような想い出があった事を知り、何となくホッとするのだった。このドラマに出演した若い女優たちにも拍手を送りたい。

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August 03, 2009

◇「セントアンナの奇跡」を見る

▼◇「セントアンナの奇跡」郵便局の窓口で「2ドル切ってをくれ」と言った男を、いきなり旧ドイツ軍のルーガーP08拳銃で射殺する場面から映画は始まる。殺した男は何者か?殺された男はいったい何者だったのか?記者会見に遅れて来た新米新聞記者は、刑事にお礼をするから「加害者に直接会いたい」と頼み込む。すると加害者の家から何やら年代ものの美術品の頭部が見つかる。さっそく研究者のところに持ちこんで鑑定してもらうと、「もの凄い」と驚かれる。
▼舞台は一転して第二次大戦中のイタリア戦線トスカーナ地方。アメリカ軍のバッファロー中隊は黒人だけの部隊で激戦地を歩かされている。ドイツ軍の攻撃を受けて司令部に砲撃を依頼するが、上の空で聞いていた砲兵隊の指揮官は味方に打ち込んで、残った兵士はたった3人になってしまう。そして彼らは小さな村に迷い込んでしまう。そこには言葉の通じない村人と、壊れた家の下敷きになり瀕死の状態で発見された一人の少年だった。
▼必死にコミュニケーションを図ると、どうやら村はナチスに包囲されており、村人を守っているのはごく少数のパルチザンであることが分かってくる。そしてパルチザンの中味も意思は統一されている訳ではなく、疑心暗鬼に充ちた状態でかつ対立している。そして村人もまたファシスト支持者やら抵抗派など様々である。それはかつてこの村がナチスのSS部隊に包囲されたとき、隠れたパルチザンの場所を村人の誰もが口を割らなかったため、ソンミ村の虐殺同様、牧師を戦闘に集団で殺害された経緯があった。(これは実際の話で、エンディングロールを見ていると撮影もトスカーナのフィルムコミッションが協力している)
▼しかもファシストの祖父を持つ娘はまたまた魅力的で、アメリカ兵と恋に落ちたりするからややこしい。話は再びアメリカの新兵訓練風景に戻る。軍隊では黒人は鉄砲玉と同じで使い捨てだといわれる。そして外出時にレストランでアイスクリームを注文すると、店主は「お前らに食わせるアイスはない」と毒づく。それに腹を立てた彼らは仕返しをしようとするがうまくいかない。
▼再びトスカーナ地方の村。ナチスドイツの部隊は刻々と近づいてくるが、パルチザンの一人は斥候に行ったものの「何も見なかった」と嘘をつく。実は生き延びた少年は以前に虐殺の場にいたのだが、心ある一人のナチスの兵士に「逃げろ」と逃亡させられていたのだ。村にナチスは迫り、パルチザンも手薄で彼らを追い払う見込みは既にない。ただ戦えるのは4人の黒人兵だけだが、彼らは絶望的な戦いを挑む。
▼新聞や雑誌の前評判が良いため、わたしは3日目にしてようやく見る事が出来た。しかし2時間40分の映画はテーマを詰め込みすぎている。軍隊の黒人差別と復讐、ナチスの虐殺、一残った少年と古代彫刻の頭部と3つのテーマがあるのだが、一つに絞って欲しかった。だから居眠りしている人も結構いる。このスパイク・リー監督の映画は「クロッカーズ」から見ているが、年を取るに従って次第に作り方が長くて分かりにくくなってきている。だから最初に射殺された男は元上官なのか、レストランの経営者なのか未だに分からない。日比谷シャンテシネで。

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August 02, 2009

佐久総合病院の今、「週刊金曜日」7月31日号から

▼「週刊金曜日」の最新号にもう一つ重要な記事が掲載されていた。それはわたしの古里にある佐久総合病院についてである。この病院はご存知のように若月俊一氏によって農村医学という分野を切りひらいた。若月は数年前に亡くなり、現在その影響力はなくなっている。この地域は長野県で東信(東信濃という意味で、東は浅間山の麓の軽井沢から西は上田、南は八ヶ岳のある佐久を含む)人口は42万人くらいだ。そこの中核を担うのがこの佐久総合病院なのだ。
▼しかし821床あまりのこの老朽化した病院を地元に建設したかった。しかし用地の買収がままならなかった。前の佐久市長は厚生官僚だった人で、直系の病院を建設したいと用地の手当をしようとしていたが、選挙に不出馬してしまった。佐久病院は地元に建設ができないため他に取得をしようとしていたが、適当な物件はなかった。ところが数年前の新潟地震で小海線の北中込の近くにあったT(原文には名前が出ている)という戦前の軍需産業は、新潟の工場が壊れ、急にカネが必要になる。佐久総合病院に「3万坪ならすぐに売る」という連絡があって急転直下売却が決まり24億円で取得が決まる。
▼佐久総合病院は長野県厚生連という名前が冠されて、農協の関連事業という事に形式上はなっている。しかし実体は独立採算である。だから地域にある関連の病院は全部収支を言わば本店の総合病院であげなければならない。わたしの実家のある小さな診療所の閉鎖問題もこれと関連してくる。この診療所は毎日半日だけ診療をしていて、小諸厚生病院のさらに出先機関である。しかし小諸といってもそこには常勤の麻酔医は一人しかいない。さらに上田の旧国立病院には麻酔医はゼロだ。
▼総合病院はドクターヘリの先がけでもあるが、その運行費用は補助金で運用されている。たしかに救急車で1時間かかるところを10分程度で行くことができるから、地元の人にとっては命綱だ。しかし実際の運用はいつまで続くかかなり心細い。新しい病院はできても、古くからのしがらみがあるので、今の場所には一定の施設は残さざるを得ない。2つに分かれると総合病院が総合でなくなってしまう懸念がある。
▼この特集は若月氏の思い入れとは逆に、経営の問題で苦しみながら、本来の姿勢を続けていくことができるかどうか?というのが今回の(上)は終わり、(下)では農村医療の実体に医師らと同行しながら現状を把握するとしている。数字は記憶だけで書いているので若干の間違いはあるかも知れません。詳しくは「週刊金曜日」7月31日号を買って読んで下さい。本稿は筆者の知りうる情報をプラスして書きました。

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August 01, 2009

アクアライン800円の原資は、もちろん税金だ。

▼朝から渋谷Bunkamuraに「クララ・シューマン」を見に行ってきた。ネットで見ると予約状況はガラガラだったので安心して出掛けた。20分前に着いたら長い行列が出来ていた。そうだきょう1日都内は「映画の日」だったのだ。この主演女優は昨年のドイツ映画、「良き人ためのソナタ…」にも出た人だ。しかし難しいシューマンの曲を吹き替えなしで演奏していたのは凄かった。普通は指だけ写して顔を別のショットで入れるが、これは指先から顔までをなめるようにカメラは撮るから凄い。
▼NHK朝6時台のトップニュースは海ほたるで通行料金が800円になった、とういイベントだった。森田知事のアップがあって花火が打ち上げられる。昨日のニュースでは2年間の実験で使うカネは国から10億、県から10億だという。みーんなわたしたちの税金だ。森田知事は議会の様子を見聞きしている限り、宮崎県知事ほど人心掌握術はないようで、官僚の言いなりになっているように見える。
▼昨日発売になった「週刊金曜日」3月31日号で立教のアンドリュー・デイウィットは「IMFなどの試算では、日本の財政赤字は2007年度でGDPの170%、14年までには236・2%まで膨らむと予想される。つまりこれは返済できないレベルだ」と指摘しているが、アクアラインもETC1000円もエコ減税もすべてこれに含まれるのだ。

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