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August 13, 2009

「海軍400時間の証言/3」を見る

▼きょうも雨空だ。真夏だというのに、この頻繁に降る雨はまるで湿ったソフトバンク打線のようだ。例年このお盆の時期はアクセス数は減る。しかし今年は「ヒロシマ少女たちの日記張」関連のアクセスが増えているので、普段の倍の方が来て下さっている。わたしは諸般の事情で8月には夏休みはとらないので、通常通り土日だけ休みをとる。
▼さてブログは毎日およそ1400字をめどに書くつもりだ。しかし書き始めると筆が滑ってというか、キーボードを知らず知らず叩き続けるので文字数が増える。しかしそれも2000字以内に納めようと思っている。
▼「NHKスペシャル、海軍400時間の証言/3」だ。軍令部は戦後第二復員局(通称2復)という形で生き延びた。その主たる目的は東京裁判で、海軍の幹部から犠牲者を出さないための情報収集をすることだった。陸軍に引きずられてやむなく戦争に引き込まれた海軍というイメージを作り出すのがもっとも望ましかった。島田繁太郎軍令部総長を有罪にすべきだという声が上がった。島田を有罪にさせないための対策を行ったのが豊田隅雄元大佐である。TVでは豊田の長男が証言した。
▼その主な物は海軍の潜水艦がアメリカの商船を攻撃して沈没させた後、生き残って海に浮いている船員を機関銃で射殺したことだ。軍令部からは「生き残ったものは射殺せよ」という口頭の命令が来た。しかし潜水艦の現場では、「そう言う重要な指令は命令書を出して欲しい」と抵抗する。
▼またスラバヤで現地捕虜が処刑したことが軍令部の命令ではなかったかと、東京裁判では問われた。5人の銃殺処刑には軍令部の法務官が立ち会ったので、当然軍令部の命令があったのだ。しかし東京裁判の直前に2復は法務官を逃亡させ、証拠の隠滅を計ったのだ。当時日本は1929年に出来たジュネーブ条約を批准していなかったので、こういう無法がまかり通ったと大井元大佐は「人権を無視することが沢山起きたのだ」と録音では発言している。裁判になって海軍はBC級の将官は200人ほど有罪になって処刑された。しかしそれはすべて出先の軍人ばかりで、軍令部や参謀本部の将官は一人も処刑されることはなかった。
▼「証言」の中で元海軍担当新聞記者が登場する。彼はアメリカ側から「天皇は補弼としてやむなく戦争にかかわった」という道筋を作るよう要請されたと語っている。また驚くべき事に2復は裁判になった場合の「想定問答集」を東京裁判が始まる半年前に作っていた。米内光政海将とアメリカ軍のフェラーズ准将の交渉が密かに行われていた。海軍は陸軍に強引さ引きずられて参戦した。アメリカの目的は天皇を利用して占領政策をしやすくする事である。天皇が裁判に出てくるとマック(マッカーサー)の立場が悪くなるので、日本人の立場で天皇に罪がないことを、分かるようにしてしてくれというのがフェラーズの要請の内容だった。そして彼はあらゆる場面には責任者が必ずいなければならない。(わたしは「必ずスケープゴートを作って欲しい」というと理解した)米内海将は死刑判決を受けるが講和条約の3年後釈放される。つまり東京裁判はすべて出来レースだったという事になる。

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