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August 11, 2009

日本TV日曜深夜「戦場のラブレター」を見る

▼今朝5時過ぎの地震の揺れは日曜日よりも激しく感じた。いつものように午前6時に起床してからずっとNHKTVのスイッチを入れっぱなしにしていた。その中で一度だけ前浜原発の管理区域で放射能の濃度がいつもより少し高くなっていると報道した。しかしその後は放射能漏れはなかったと告げるだけだ。一番危ないといわれていた前浜原発でやはり「漏れて」いたのだと想像している。その後は報道がコントロールされている様子で、一切報道されていない。
▼8月になると一斉に「戦争特集」が放送される。いずれも優れた内容が多い。わたしは極力録画して見ようと思っているが、その全部に目を通すことは不可能である。願わくば8月に集中させないで、毎月1本ずつ放送して欲しいものだ。まずNHKで日曜日から3回連続で「海軍400時間の証言発見」だがこれは今晩放映されるであろう、3本目が終わってから感想を書く。陸軍の将校向けには偕行社という組織が存在する。これは戦前はかなりの力を持った組織だった。戦後一時期なりを潜めていたが、現在また自衛隊出身の政治家への献金活動を行って生臭い。NHKの放送にでたのは海軍のそれで原宿(明治神宮の東郷神社の中にある)水交会で密かに行われた記録を分析したものである。
▼もう一つ日曜日深夜0時50分から日本TVで放映された「戦場のラブレター」は優れた作品だった。硫黄島で戦ってかろうじて生き残った19歳の米軍兵士ライマン・コリーは作戦中一枚の手紙らしきものを拾う。気になっていたがその手紙らしきものは62年間コリーの机の引き出しの奥深くしまい込まれていた。しかしどうも気になってアメリカにいる牧師を通じて日本語の分かる人に翻訳してもらう。すると妻から硫黄島に派遣されていた中野久男さん(当時33歳)宛に送られて来た手紙だと分かる。コリーは何とかしてこの手紙を持ち主に返そうと考え教会を通じて日本に送られる。それは池田勇人という宣教師の手元に送られる。07年12月に池田は手紙の差出人の住所の役所に照会すると、手紙を差し出した当人中島きく枝さんは存命である事が分かる。
▼池田宣教師は部下のシスターととともに中島さんがいる加賀市を訪ねる。きく枝さんは現在89歳で少々認知症ぎみだった。話を聞くと筆まめな人で近所の人から「きく枝さんはお父さんから返事が来て羨ましい」と言われていたという。きく枝さんは自分はもう手紙が読めないからというと宣教師に同行したシスターが代わって読む。妻は夫の健康をとても案じ、3月始めには2番目の子持ちの身体になる予定です。きょうはお彼岸様で子どもはお姉さんのところに泊まりにいった。この子をあなたに見せてあげたい。子どももあなたの事を尋ね、おててを合わせてあなたの無事を祈っている。くれぐれも悪い水などを飲まないように。近所の人からはきく枝さんは幸せだと言われる。この幸せがずっと最後まで続きますように。くrれぐれも健康に気をつけて「お仕事(戦争)」をなさって下さいと書いた部分になると読んでいる女性は涙で声を詰まらせてしまう。
▼出征した久男さんは加賀の水力発電所に勤務していた。そして山の水はとても美味しかったと手紙にある。長男の健治さん(67歳)は発電所近くの山に行き、その沢の水を手に掬って飲む。「父はこの水を美味しいと感じたのだ」と感慨深く飲む。
▼そして今年硫黄島の墓参団に選ばれる。ご存知の様に現在硫黄島は自衛隊以外立ち入り禁止になっており、毎年一回墓参する人だけが抽選で選ばれ、いく事が許される。JALの特別機で2時間で硫黄島に着く。しかし式典などを除くと滞在できるのはたった2時間余だ。用意されたバスで20ヶ所の遺跡を回る健治さん。ついにお父さんの所属していた部隊の石碑を見つけ、加賀から運んでいった水をそこになみなみと注ぐ。「空腹と水不足で辛かっただろうな父さん」と呟く健治さん。そして近くにあった砂と石ころを来る事ができなかった母親のために拾ってゆく。式典に来ていた元米兵も「戦争に勝利はない」と歎く。最初のコニーさんは「今頃手紙を出して中野さんの遺族から怨まれたりしないだろうか」という事だけを気にしていたが、きく枝さんの様子などを聞いてホッとする。
▼健治さんは「今度来る事があったら二人の子どもも連れておとうさんに会いにくるからら」と誓って羽田に戻る飛行機に乗る。

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