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October 27, 2009

リトアニアの十字架は自由のシンボル

Herikuubo(ヘリ空母ひゅうが)
▼夕方台風20号が接近して風雨が強くなってきたとき、今が医者に行くチャンスだと思って出掛けたが正解だった。通常朝に通院するのだが、いやはや待たされる。朝は頭がすっきりとしていて、冷静に物事を考えられて能率が上がる。その時間を医者の順番待ちに使うのはモッタイナイ。台風の接近でお年よりのみなさんは、家を出るのを躊躇していたのだろう、お陰で午後の診療開始時間の4時に行ったら2人目だった。しかも前回の血液検査の結果が良かったので、メバチロンを減らしてくれた。「ニク、ニク、ニク。コメ、コメ、コメ、サカナ、サカナ、サカナ、いろんなサカナ-」とは松平健の歌うサントリーのCMだ。わたしはニクだめ。コメだめ、玄米良いよ-。サカナもシシャモ、白身はダメだー。アイスクリームも好きだったが、これも一切止めた。わたしはアイスモナカとかアズキが大好きだった。しかし例えばハーゲンダッツなども成分表をじっくり見ると、植物性の脂が70%ほど入っている。もちろん元中日にいた板東英二さんのように鶏卵やそれらを食べても何ともない人は大勢いらっしゃる。だがわたしはダメなのだ。
▼昨晩偶然NHK1ch午後10時からの「世界遺産への招待状/せつなくも美しい古都の十字架の丘」を見た。テーマとなったのはバルト三国のリトアニアだ。ここに沢山の十字架で埋め尽くされた丘がある。最初に出てくるのは結婚式を終わったばかりの若い夫婦である。彼らもまた新しい十字架を持って来て空いているスペースを見つけて、地面に突き立てる。丘には立錐の余地もなく十字架で埋まっており、大きな十字架に小さな十字架が無数に掛けられ、空いている小さなスペースには石を並べて十字にしてある。結婚式の記念写真を撮る場面ではビデオのカメラマンも呼ばれて一緒に撮影していた。
▼なぜ結婚式で十字架なのか聞くと、人生の様々な記念日にはここを訪れて十字架を立てるのだという。リトアニアは昔からロシアなどに侵略され抵抗運動を続けてきたが、教会はその抵抗のシンボルになってきた。旧ソ連時代は占領され、バルト三国はソ連の支配下になっていた。旧KGBの建物は記念の博物館になっている。20代の青少年はパルチザンになってソ連と戦っていたが、捕まるとここに放り込まれて拷問を受けた。水責めの牢屋も残されており、部屋の真ん中に10cmくらいの高さの円形の台がおかれている。被疑者はそこに立たされ部屋は水で満たされる。その30cmくらいの円形の台から少しでも外れると溺れ死ぬ仕組みだ。別の部屋は真っ暗で拘束衣を着せられて放り込まれる。案内してくれた学芸員らしい人も、自分も試して見たが1時間で時間も観念も、生きているかどうかも分からなくなると言っていた。
▼KGBに殺害された若者たちの死体の写真も多く残されていた。それを街頭に展示して、それをみて泣いている人を家族や同調者として再び拘束、拷問するのに使ったのだという。そしてスターリンが政権を握った50年前にリトアニアから20万人がシベリアに強制移住させられ、開拓に使われた。リトアニアの人口は今現在で320万人くらいだから大変な数の人びとが移住された。そして生き残った人はたった3分の1だ。そのシベリアの家も再現されていたが、木材の骨格と板に土を盛り上げたもので、暖房もなく室内は零下2度くらいだった。しかも窓ガラスらしきものがあるが、それは何と凍らせた氷だった。作り方は木の枠を水に放り込んでひと晩待つ。そして引き上げて土枠の窓にはめる。しかし気温は零度以下だからガラス窓の役割を果たしたというから驚きだ。
▼そしてゴルバチョフの時代シベリアでなくなった人の遺体が返還された。遺体は凍っていたので若いそのままの姿だった。しかしリトアニアに残っていた恋人たちは年老いた姿でしか再会することはできなかった。何かの小説のような話だが実際あったことだ。
▼そしてソ連からの独立を目指してバルト三国は立ち上がる。それは20年前バルト三国を縦断する人間の鎖を作ったことに始まった。鎖の長さは300kmで教会の塔の下から動脈の道路に沿って人びとは並んだ。そして今その鎖の跡に再び新しい十字架が立てられ、女性大統領もその記念式典に出席して、みんなと一緒に手を繋いでいた。リトアニアの十字架は自由のシンボルなのだ。

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