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October 12, 2009

NHKHV「犯罪学者ニルス・クリスティ」の続き。

▼昨晩NHKハイビジョンで「トリスタンとイゾルデ」が3時間半の番組で放映された。最初の1時間だけ見たが、イゾルデも侍女ブランジァンの小錦級の人だった。長丁場の尾オペラにあって、映画の美貌よりは体力勝負だから仕方ないのかも知れない。番組は1時間で止めてBS朝日にしたら、「ロバータ・フラック」と「やさしく歌って」誕生物語をやっていたのでそちらに切り替えた。最初にこの歌詞を作った人のレコード・ジャケットが登場したが、その写真の美しさと言ったらまるでモナリザのようだった。
▼土曜日の「愛川欣也パックイン・ジャーナル」で面白い話がいくつかあった。民主党が政権交替をして1ヶ月足らずなのにそんなにスムーズに行くはずがない、というのが一つの意見だった。それで明治維新になって帯刀禁止令が全国に行き渡るには9年間もかかっているのだから、焦ってはいけないというのが田岡俊一の意見だった。それに対して田畑光永は長妻厚労相が「官僚の人事権は大臣が握った」という報道に関して、もっと周りから攻めて行った方が良いのに、民主党は詰め将棋で「王手、王手」を連発して相手の逃げ口を塞ぎすぎている。二木啓孝は細川内閣のとき熊谷が通産官僚の配置転換をして、当時通産省全体を敵に回してしまった経緯があるので注意が必要だと発言する。ところがこの意見を巡って愛川と二木、それに田畑の3者は大もめになってしまった。しかし今朝の朝日に「山ツ場ダム中止に反対の声が7割」という見出しが躍っている。それを見るにつけ、二木がいうように「マスメディアは依然として55年体制そのまま」なのだ。金の流を変えるのが「交代」の本質であって、そこを変えなければ意味がなくなる。さらにもう一つ行政刷新会議に京セラの稲森、キッコーマンの茂木両氏がが入ったことで、民主党はますます経団連と距離を置き始めた。この調子でいくと経団連は幕末の会津藩と同じになってしまう、という意見はもっと傑作だった。言うまでもなく会津藩は幕府を支持する暗殺部隊である新撰組に資金提供をしていたのだ。
▼ノルウェイの刑務所の続き。アメリカの裁判官は「量刑表」という一覧表を持っていて、慎重な審理をするまえに、その一覧表に当てはめて量刑を画一的に決定してしまう。刑務所は矯正するところではなく、むしろ収容されているうちに「悪い事を覚える場所」になってしまっている。ノルウェイでは1960年に今までの厳罰主義の見直しが行われた。そして犯罪者を隔離するよりも奉仕活動に参加させるべきだという考えになる。それは収容されている時に社会復帰の活動をすべきだという考えに基づいている。カメラはバスレイ島という囚人だけが収容されている島に行く。ここは150人収容できる施設があり、そのうち18人が殺人事件を犯している。今までは社会復帰するために十分な教育を受けていなかった。ところがこの島には教会もあって自分の罪を見直す場所もできいてる。部屋は本土の刑務所と同じで鍵はかかっていない。TVにステレオ、ネットにつながらないPCも設置されている。囚人は身の回りの事はすべて自分でやる。社会も考えるルール守り、一般社会で通用しない事はここでもしない。島と本土をむすぶ便は一日4往復あり、収容者は船の運航にも携わっている。家族とは週に3日間あえるような仕組みがある。
▼日本では犯罪者の存在そのものを消そうという考え方がある。それはまた自分から存在を遠ざければ良いという事になってしまう。日本はことごと左様にまずい物を食べさせるのが罰であるという考え方だ。しかしノルウェイは犯罪者のおかれている条件も劣悪であってはならないという。こらしめれば犯罪は犯さないという考え方が日本にはあるが、それがそもそも間違いである。厳罰だから劣悪な条件に長期間とどめておこうという発想しか出て来ない。苦痛を与えれば反省するという考え方はノルウェイにはない。むしろ厳罰って何?と言われるほどだ。
▼森はここで罰とは苦痛を与える報復であるべきだというという考え方が元になっていると指摘する。ノルウェイの裁判員制度については省略する。ただ特別な人が犯罪者になるのではない。だから量刑などの判断などに法律の専門家だけが入っていたのでは偏ってしまうという考え方から成り立っている。市民が参加することによって厳罰主義に慎重になっていった経緯がある。ただ紛争が起きそうになったとき地域ごとに「対立調停委員会」という組織が存在して相互の問題点を整理し話しあう機会をもうけて解決する方法を取っている。これは独自に地域で問題を解決するという考え方で大きな役割を果たしている。▼ここで調停が成功すれば裁判にはならないある地域では年間9千件の申し立てがあって8000件はこの調停会議の場で解決している。ここでは住民を良く知る人が参加することが解決の糸口になっている。こうすることによって被害者、加害者、市民はお互いにステレオタイプな考え方でなくなる。日本で言えば「近所の寄り合い」と同じで建設的な解決策である。こうすることによってみんなで悩みを共有しあって話しあう場が生まれる。戦前ノルウェイにもナチスの収容所が存在していた。そこにはユーゴから連行された人たちが収容されていた。そこの強制収容所の看守たちの教訓がある。「人とは特異な状況下におかれると、どんなにも残虐な行為もしかねない」という事だ。ノルウェイの収容所で看守が収容しているユーゴ人を虐待しなかったり殺害しなかったの人は、看守が被収容者を人間として接していた人たちだった。すなわちそれはユーゴ人に個人的な会話をしていた人たちだったという。
▼殺した看守は相手を人間として見なかった。つまり未知、危険、野獣、恐怖の心で囚人と接していたためである。つまり囚人は人間であってモンスターであってはならない。日本では地下鉄サリン事件から「治安が悪くなった」とマスメディアを使って宣伝している。しかし治安が悪かったのは終戦直後であって、凶悪犯罪は減る傾向にある。このことはメルマガで何度もご紹介した通りだ。このTV番組で龍谷大学の浜井浩一も「減っている」と証明している。ノルウェイにはROM(刑事政策改革)があり、犯罪の対応をめぐって論議を続けている。そして年に一度クリスマスのころ毎年2泊3日で合宿をして、国の刑事政策の論議をしている。そして凶悪犯罪者を刑務所に入れっぱなしにするのは良くない、として受刑者の声を社会に反映できるようにしている。その一つが、肩書きでカテゴリー化した人間であってはならない、という考え方だ。
▼ところが日本はマスメディアを動員して「囚人を仇を討つ対象」にしてしまっている。これでは裁判で刑罰を重くすることが目的化してしまう。社会福祉という立場からも家族と受刑者を切り離さないことが大切であるという結果になった。受刑者に戻るところがあれば本人も自暴自棄にならずきっと立ち直れる。アメリカでも犯罪が増えたために厳罰化している。しかし市民ひとりひとりの問題の解決する部分に中央集権化がされるべきではない。地元で解決すべきである。「すべての人間は人間である。モンスターではない」この言葉がもっとも大切だと締めくくったとても良い番組であった。ああここまで書くのに2時間もかかってしまっった。休日だというのに…。

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