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January 31, 2010

NHKHV「ポートモレスビー作戦」を見る

▼土日返上で取り組んでいる仕事はきょう夕方までには終わる見込みが出て来た。とにかく家族にも手伝ってもらって朝8時から休憩は1時間に5分だけとる。続けてやっていると誤打率も増えてくるので夕方は5時半に終えて、近くの公園を一歩きしてきた。
▼昨日「フリッツ・ラング」の事を書いたので意外に思った方もいらしたかも知れない。彼は戦前ドイツで活躍した映画監督だった。ヒトラーはその腕を見込んで協力させようとしたが、間一髪の差で海外に逃亡することに成功する。そしてアメリカに逃れてこれらの映画を撮った。1944年と言えば日本は東京空襲が始まっており、娯楽映画を作る国力などはなかった。戦後「左翼」であることを明かにした日本の「自覚的」映画監督たちは、外国に逃亡することなく、満州に行き、甘粕ひきいる満映でせっせと国策映画作りに協力していた。
▼昨日のアクセス言語を分析すると、一位はNHKで放映された「零戦の悲劇と航跡」だった。わたしはNHKHVで見て一足先に見たので、それを見ようと思った方が、検索してご覧になったのだろう。しかし他人の批評など気にしないで見れば良いと思う。NHKHVでは昨日朝8時から「証言記録/兵士たちの戦争「ポートモレスビー作戦/絶対ニ成功ノ希望ナシ/陸軍 南海支隊」が1時間に渡って放映された。これは日本軍将兵の9割が命を落とした「生きれ帰れぬ」戦場とされたニューギニアが舞台となった。その闘いの口火を切ったのが昭和17年のポートモレスビー作戦である。それはゴチという地点から島を横断して連合軍がいる地点まで行って、敵地を攻撃する命令が出される。しかし作戦を命じられた南海支隊長・掘井富太郎は「攻略は不可能」と返事をする。しかし大本営参謀の辻政信の独断により約9千名の将兵が未踏のジャングルに投入される。それは辻は独断専行することで嫌われてはいたが、時として「成功」する事もあったので、大本営は目をつむった。その距離は250kmで銀輪部隊も組織された。だが実際の距離は350kmもあって4000m級の高い山が3つもあってとても自転車で超えられるような所ではなかった。しかも持たせられた食料は20日分しかない。しかも調査不十分なので正確な地図を持たせられなかった。
▼山を越えるのは困難を極める。同時に激化したガダルカナルの戦いで戦局は一変して悪化して食料などの補充もなくなってしまう。そして大勢の犠牲を出して、一部部隊はようやく目的地にを目前にする。しかし物資は運ぶ海軍は力を割くことができないので、部隊に作戦中止が命じられる。怒った一部の青年将校は突撃して占拠しよう、という事件も出来るが、軍隊にそんな命令違反は許されない。証言した人びとは「戦争体験を自慢して話す人は自分に都合悪いことは隠している。しかし実際の戦争で犠牲になった人は食べるものがなく、傷口にはウジがわく。動けなくなった人が苦しむのを見て、もう「早くくたばってくれ」と言う言葉しかかけられない。あるとき上官が「部下のお前たちに死なれたら困るから」と肉をくれて喜んで食べたらそれは後で人肉だと分かったという証言などもでる。一番ジーンと来たのはすぐ近くに来たオーストラリア兵に狙いを定めて銃を撃ったら倒れて死んだ。持ち物に食料があるかと思った背嚢を探ったら、敵も糧秣は一粒もなかった。それどころか妻と思われる家族の写真が一枚でてきた。それを見て、自分の身と重ね合わせてみると、招集でこんな山の中につれて来られたのだろうし、写真で家族への愛情を感じとる事ができた。それは自分たちと全く同じ身の上なので、写真を見てしばらくは声も出なかった、という。
▼米公刊戦記に「世界で最も頑強な戦い」と記された67年前の激戦を14人の元将兵と1人の妻が語る。それらを見るにつけバンクーバーオリンピックに行く選手たちを見ていると、相も変わらず「日の丸の寄せ書き」を持たされている。こういうのを見ると、戦争に送り出された当時の兵士を思い出して、とても嫌な気分になるのは、果たしてわたしだけだろうか?
▼この番組の再放送は2月5日NHKHV(金)午後4時からなのでご覧頂きたい。

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January 30, 2010

WOWOWでフリッツ・ラングの「飾り窓の女」を見る

▼旅行に出掛けていて、手が着いていなかった仕事を月曜朝9時までに納品しなければならない。それも決してクリエイティブな仕事ではなく、数字との格闘である。だから土日に映画を見に行く訳にもいかずに悪戦苦闘している。
◇「飾り窓の女」先日WOWOWで放映されたあのフリッツ・ラングの作品である。大学で犯罪心理学を学んでいる堅物の助教授は妻と息子を旅行に送り出す。妻には「余り仕事の夢中になると身体に毒よ」とクギを刺される。そのあと友人たちとバーでウィスキーを飲むのだが、家族がいなくなって自宅に早く帰る必要もなくなったので、ついいつもより一杯余計に飲んでしまう。
▼友人たちと別れで店のウィンドウを覗き込むと、素晴らしく美しい女性の絵が飾られているのでうっとりと見入ってしまうう。するとふと絵が二重になって見えるのでふり返ると、なんと絵のモデルが立っているではないか。酔った勢いもあって会話が進んでくると女は「自宅にこれとは違うデッサンがあるから、寄っていかないか」と誘う。そこでも酒を飲んで絵を見てくつろいでいると、急にドアが開いて男がいきなり入ってくる。そして助教授の胸ぐらを掴んで首を絞めてくるではないか。女は近くにあったハサミを助教授に手渡すと、無我夢中で突き刺す。
▼困ったのは死体の処理だ。助教授は一旦自宅に戻って車を使って崖から突きおとす計画を立てる。女は必ず戻ってくるという担保に、助教授が来ていたベストを脱いでくれという。ふとベストのポケットを探すと、助教授のイニシアルが入ったペンが一本入っていたので、それを抜き取って保管する。死体は崖下に放り投げるが、そのとき上着の袖を有刺鉄線に引っかけ、さらに右腕を怪我し近くにあった漆でかぶれてしまう。
▼そして翌日の新聞を見ると、殺した相手は大富豪だったので、びっくりする助教授。親しい刑事は車の轍も、付近に歩いた足跡も採取したので、犯人逮捕は時間の問題だと自信たっぷりなので戦々恐々とする助教授。そして知らない筈の彼の家に飾り窓の女から電話が掛かってくる。新聞とペンのイニシアルで分かったのだという。しかも彼女の家には、大富豪の用心棒と名乗る男から訪問を受け、ヒミツをバラされなくなかったら5000ドル出せと云われる。相談を受けた助教授は半額だけ渡せ、そして医者から劇薬として処方された睡眠導入剤を貰ったから、それをウィスキーに混ぜて飲ませろと指示する。
▼しかしコトはそんなにうまく運ばず、女も有り金をすべて脅し取られ、助教授も観念して医師から処方された劇薬を大量に飲んで自殺する道を選ぶことになる…。話はまだ続くがとてもうまく作られたサスペンスの短編だった。1944年のアメリカ映画。
▼さてブログを書いている時間があったら仕事をしなければならない。

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January 29, 2010

「ポルトガル旅行反省会」を開く

▼昨晩ポルトガルでご一緒したAさんとM氏とわたしで「反省会」を某駅近くの居酒屋で開いた。「反省会」というのはちょっとした旅行に行ったとき、ご苦労さん会を兼ねて一杯飲む会の事である。M氏とわたしはかなり頻繁に会う機会があるので、飲む事は出来る。しかしAさんから成田に着く直前「お二人で反省会はするのですか?」と聞かれたので「今のところ開く予定はない」とご返事しておいた。だがせっかくお会い出来たのも何かの縁だと思ったのでお誘いした。もう一人近くにお住まいらしいDさんにもお声がけしたが、「都合がつかず次回には…」というメールをいただいた。しかしこういう集まりは一回限りで終わるので、次回開くメドはまったくたっていない。自分自身の反省で言えば、声を掛けられたときは唯一のチャンスなので、顔をだしておかないと後で後悔する。2回目のチャンスはないと思った方が良い。
▼今回の旅行でカメラをお持ちにならなかった方は見ていると3人いらした。AさんとEさん、それにまだ登場していないが、「壇一雄の住んでいたところに行って見たい」と語っていた年配の女性の3人だった。Aさんに「なぜカメラを持たないのか?」とお聞きすると「自分のしわくちゃの顔を見ても仕方ない」と謙遜して述べられた。年間3、4回は世界を回るとおっしゃるAさん。今年は4月にハワイで姪の結婚式、音楽好きの友人10人とカスタネットのルーツを訪ねるレンタカーでヨーロッパ半周の旅。そして万里の長城10ヶ所チャレンジの旅が控えていると言う。Aさんはおそらくご自分の体験は眼の網膜に焼き付ける事で十分だと考えていらっしゃるのだろう、と思った。
▼わたし自身の経験で言えば、ガイドブックと同じ写真を撮っても仕方ないと思う。旅行に行かなかった方が、ブログをお読みになってご自分を旅している気分になることができる、を心がけて写真を撮っている。実際撮った写真を帰国してからお見せしても、宗教観の違う寺院の写真はまったく喜ばれない。街の風景や石畳の道路、人びとの暮らしがわかるものの方が良い。
▼それでAさんに「ポルトガルにもう一度行くとしたらどこが良いですか?」とお聞きするとすかさず「ナザレ」という返事が返ってきた。わたしもM氏もすぐに同意した。もう北部地方は良いから、混雑する避暑の時期を避け、ナザレの安い宿を一週間くらい借りる。現地で干物を見つけて炭火で焼くのだ。あと米は日本から持ちこんで過ごせば、今回のツアーの半額以下でかなり安くあがる筈である。そういえば作家の壇一雄もナザレから50kmほど離れたサンタ・クルスという街に1年半ほど暮らしていた。ともかくわたしは帰国してから2週間以上アルコールを一滴も飲まずに過ごした。2時間弱でビール中ジョッキ2杯と、焼酎のロック1杯はとても楽しく飲む事ができた。わたしもBさんと同じく、もうパジャマを着ないと帰り道がおっくうで、飲む気が起きなくなってきた。
▼マチュピチュで観光客2000人が河川の氾濫で帰れなくなっているというニュースが大きく報道されている。そのうち日本人は約90人いて、30人はペルー軍のヘリコプターで救出されたらしい。この報道で不思議に思うことは、中米ハイチで起きた地震の被災者は300万人で、食べる物がない人は200万人と報道されている。ペルーの観光客に命の危険は迫っていない。孤立した村には水や食料は軍のトラックが運んでいる。昨日現地からの電話レポ―トを聞いていたら、「屋外にいるバックパッカーには疲れの色が見えて来た」と言っていた。冗談じゃないよ。ハイチの200万人はどうでも良いのか?90人の日本人がいるというだけで、「同情を買う」ような報道が意識的にされる。朝刊を見ても日本人の年配の夫婦の写真が載っているが、それほど深刻ぶった顔は見せていない。日本人が一人いるかどうかで、ハイチの実態は投げ捨てて眼の色を変える報道姿勢は何かおかしいと思わざるを得ない。

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January 28, 2010

寺島実郎「日米同盟の再構築に向けて」雑誌『世界』2月号を読む

◇「ミレニアム/ドラゴンタトゥーの女」(27日の続き)戦前の古い新聞だが姪の顔は何かを見て怯えている様子だ。目線の先に何があるのか?ミカエルはリスベットと新聞社のフィルムを見せてくれと頼み込む。古いネガを見ていると掲載された前後の情景が飽きたかになってくる。しかしそこにはぼけた青い毛糸のベスト姿しか分からない。さらにあちらこちらを探していくうちの姿がハッキリしたフィルムが見つかる。
▼そこに写っていたのは兄だったのだ。彼は父親と一緒に妹に暴力を振るっていた。ここで見つかると再び虐待されるのではないかと怯えていた。調査員とミカエルが調べていくと、大企業の一部の経営者はナチスと一緒になってノルウェイのユダヤ人を抹殺することに手を貸していたおぞましい実態が明らかになっていく。さらに姪は自分を死んだことにして、実は長い間オーストラリアに逃れていたことが分かってくる。戦争中ナチスに協力していた大企業は経営者の兄弟をも狂気の渦に巻き込んでいた。
▼起訴された編集者と、保護観察下にある鼻にピアスをした今風の若い女性、この奇妙な取り合わせは新聞社に蓄積された紙とフィルムのデータを解析して、容疑者を追いつめていく。それにラストは重苦しい気持ちにさせられないのも、ハリウッドのクライムミステリーとはちょっと違った味に仕上がっている。エンディング・ロールが終わって「THE END」が出てから「ミレニアム2」の予告が放映されるので、最後まで席を立たないことだ。
▼さて先日あるブログを読んでいたら雑誌『世界』2月号の寺島実郎氏の「脳力レッスン/日米同盟の再構築に向けて」(P118)はぜひ読むべき論文だというので、夕方図書館に行って必要部分をコピーして読んだ。寺島は否定しているが民主党の影のブレーンとか言われている人物である。平野官房長官が「必ずしも斟酌しなくても良い」と暴言している普天間問題だ。「斟酌」などという言葉は学校では習わなかったなあ。官房長官は弁護士の出身だから、法律用語かと考えたがそうでもない。
▼寺島論文て指摘する問題点は次の通りである。寺島はアメリカ定点ウォッチとして年に4回アメリカに行って色々な人物と会うのだという。彼が言っている事は冷戦が終わってしまったあと日本の基地等は必要なくなっている。海外にあるアメリカ軍基地のうち4つまでが日本に配置されており、これは極めて異常な事である。何を隠そうカネを出して基地を維持してくれる日本という存在は、在日米軍基地に既得権をもつ人びとの利権の対象になっている。
▼寺島の論文によれば「米軍を配備するうえで、最も安上がりの場所」という認識が米軍関係者にまで浸透し、日米双方に「日米安保で飯を食う利害関係者」に増幅させてしまった、と指摘している。あとどういう日米同盟を築くかについて触れているが、それは読者各位が雑誌『世界』2月号を購入してお読み頂きたい。
▼わたしのブログを読んで下さるのは嬉しいが、みなさん本屋さんに行くとか、図書館に行って原典をあたって欲しい。わたしも注意して書いてはいるが、論文の引用では見逃している部分もある。ここ数日朝日新聞の特集で地方の書店が次々閉店して、しかも本売れない状況が続いていると報道されている。わたしは少なくとも図書館まで10分かけて足を運び、本を探してコピーしてアンダーラインを引いて読んでまとめているわけだ。本の売上げを伸ばす意味でも結論は書かないのは、そういう意味がある。

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January 27, 2010

◇「ミレニアム/ドラゴンタトゥーの女」を見る

▼時差ぼけやら風邪をひいていても仕事は待ってくれない。とにかく先週は机に向かっても集中力がでなかった。週末からようやくエンジンが掛かる。今週締めきりの仕事は多数ある。一つは29日までに原稿を3本仕上げなければならない。一つの取材は既に終わっており、未公開のポルトガルの話を導入部に持って来て、結論は決まっているので後は構成だけだが、これが一番頭が痛い。
▼しかし東京地検特捜部というのはよほど口の軽い人たちが集まっているように思える。いやこれはわたしだけが言っているのではなく、大勢の人が指摘している。もうTBSラジオとはおさらばしたので、毎朝午前6時からのNHKラジオしか聞いていない。テレビもその関連の報道になると、もうバラエティ番組を見ていた方が気分が楽なのでチャンネルを変える。要するにNHKで言えば「東京地検への取材に寄れば」、「地検関係者への取材で分かったところによれば」という言葉が頻繁に出てくる。世間一般では「地検は正義」という誤った認識があある。しかも地検の検事は国家公務員だから守秘義務があるにも関わらず、「取り調べの経過」が続々とリークされる。こういうのは「国家公務員の守秘義務違反」として告発した方が良いと思う。
▼報道を見ていると自民党と一緒になった地検特捜部は細川内閣の時、佐川急便から資金が流れていた、として当時の内閣を潰したときの味をしめているのだ。あの時もっともらしい顔をして細川邸の現地調査をしている、現自民党党首谷垣の写真がある。あわよくばこの時と同じように「鳩山内閣を退陣」に追い込むべく、地検の力を借りているとしか思えない。記者会見で記者も見ていると話を承るだけだ。頭をひねってそこのへんを追求して欲しいのだが、言った事を伝えるならこれはメッセンジャーボーイと何も変わらない。
▼それで野党ももっと政策論争に挑んで欲しいと思うのだが、それもパッとしない。12chで火曜日の夜10時から「ガイアの夜明け」という番組を放映していて時々見る。モノを売れなくなったらそれは消費者に原因があるのではなく、売る側に問題があるのだ。先週水戸の納豆を売る会社が登場した。安売りの納豆は輸入大豆を使っているのだ、としてスーパーの値引き要請には応じない。そこで一つ考えたのはビックサイトのコミュケ向けの商品を開発する。それは納豆カレーというものだった。メーカーと共同で開発するのだが、問題はパッケージだ。地元のアニメ作家を使って魅力的なカレーの入ったボックスデザインを考える。味覚と食べ方の工夫にプラスしてデザインを変えて、今まで接点のなかった若い層に売り込む。このコミュケ3日間で試作品の500パックは約250万円の売上げがあった。
▼政党レベルでも「自分は正しい事を言っているから、有権者はついてくる」と言っては次第に票を減らしている所がある。あたらしい層に受け入れられるには、昔から言われているように、「新しい酒を入れるには新しい革袋」が必要なのである。
◇「ミレニアム/ドラゴンタトゥーの女」スウェーデンの作家によるこのミステリーは世界を席巻し、3巻まで書かれたが、作家は残念なことに早世している。かつてスウェーデンの名作といえばあの「マルティン・ベック」シリーズであった。わたしは昔角川から出ていたこのシリーズにはまってしまい、全10巻を読んでいた。
 主人公は月刊誌「ミレニアム」の発行責任者ミカエルである。彼は財界実力者の麻薬と武器密輸への関与を記事にして告発するが、相手から名誉毀損で訴えられ有罪判決を受ける。会社からは収監されるまで休職しているように言われる。そんなとき、財界ヴァンケル・グループの大物ヘンリックから40年も前に失踪した姪の謎を解明して欲しいと頼まれる。
▼もう一人ヘンリックに雇われている弁護士に頼まれてミカエルの素性を洗っていた、女性調査員リスベットが登場する。彼女はハッカーの友人などを使って侵入不可能な国家の機関のサーバーにアクセスして、個人情報を引き出す。実は彼女がもっとも得意とするのは調査なのだ。彼女は実は麻薬中毒で施設に入れられていた過去を持っている。リスベットの保護観察中の身元引受人は弁護士なのだが、彼は自分の立場を利用して何度も性的暴行を加える。
▼依頼された姪の調査をしていくと、戦前ナチスを歓迎するパレードが行われている新聞記事と掲載されている不鮮明な写真が手がかりになる。(タイムアウト、明日に続く)
▼ポルトガルの連載が終わって何人かの方から励ましのメールをいただいた。この場を借りてお礼を申し上げる。
▼「MINさんのポルトガル紀行」の連載が始まりました。

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January 26, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(12)

Obidoscat(オビドスの猫ちゃん)
▼ポルトガルがテーマになった映画は過去に数本見ている。一番古いのは「リスボン物語」という作品で路面電車と映画の録音技師でテープレコーダーはナグラだったのを覚えているがストーリーは全く覚えていない。次は「アブラハム渓谷」だったがあまり面白い作品ではなかった。その次は同じ監督の「永遠(とわ)の語らい」という映画でリスボンで大学教授をしている女性が娘を連れて地中海のナポリ、イスタンブール、ギリシアからエジプトを経由してパイロットの夫が暮らしているインドのボンベイまで訪ねるという話だった。出発点がリスボンというだけで、話の中心にはなっていなかった。もっとも新しいのは「レッド・サイレン」だが後半はポルトガルの田舎町が舞台の活劇だが、中々面白かった。あともう一つ王女がテーマでよそから来た王子とイヤイヤ結婚する。入り婿の放蕩王子はあっさり死んでしまい、自分が王の代わりになるという、実際の城を使った映画を見たがタイトルは忘れてしまった。これは後に「女王ファナ」(原題は「狂女ファナ」)だと分かった。映画の舞台はスペインでファナの祖母がポルトガル人だった。
Jorjucat(ジョルジュ城の猫ちゃん)
▼08年の12月6日の朝日別刷り「be」の特集「うたの旅人」はボスポラス海峡のフェリーに乗っている恋人と思われる人物が写っており、テーマ曲は庄野真代の「飛んでイスタンブール」だった。わたしはその1ヶ月後トルコに行っても別に良い曲だとは思っていなかった。ところが現地ガイドは気を利かせてベリダンスツアーのバスの中でもその曲をガンガンかける。帰りのイスタンブール空港でも色々な想い出が出来た。帰国してしばらくすると、トルコを思い出すのはこの曲になってしまった。
Miyage(土産物屋の猫ちゃん)
▼旅にどんな曲を持って行くか色々思案してウォークマンに入れていく。かつては演歌であったり、昨年はジャズだった。しかしいずれもピッタリしない。今回帰国して「定年バックパッカー」という本を読んでいた。著者の大嶋まさひろ氏もいろいろ試したらしい。氏はあるとき気の迷いで「中島みゆき」のカセットを持って来て旅先で聴いた。♪「途(みち)にたおれて誰かの名を、呼び続けたことがありますか、ひとごとに言うほどたそがれは、やさしい人好しじゃありません。別れの気分に味をしめて、あなたは私の戸をたたいた…」中島みゆきの「わかれうた」の一節である。彼女の歌声が、車窓がまるでギュウギュウ詰めの列車のBGMの様に流れる。車窓を見知らぬ街の灯りが流れすぎていく。この孤独感。よるべない寂しさ、なんとしたことか、滂沱の涙が流れたという。帰国してわたしもさっそく聞き直した。これが今のわたしにピッタリの曲だ。それから遅まきながら図書館と近くのレンタルショップから中島みゆきのCDを10枚くらい借り来てミージックプレイヤーに取り込んで毎日聴いている。
Teniyoho(スペインのお天気キャスター)
▼1昨年までは海外携帯をドコモで借りて持って行った。しかし昨年から自分の携帯を3Gに変更してローミング契約をしたので、海外からブログを更新することができた。昨年の実験で画像サイズは一番小さなもので十分な事がわかった。撮影さえ失敗しなければクリアな画像を使う事が出来る。それはみなさんごらんの通りだ。
▼出掛ける前にミニノートかキングキムの最新のポメラを買おうかと思ったが割り引いても2万5千円で、これではミニノートの方がかなりやすい。現地の見物をせずにキーボードを叩いて文章を作っている姿も惨めである。海外旅行の荷物は軽い方が良いと思って携帯一本にした。
▼ガイドの話をすべてメモするか?昨年のトルコのガイドは政治演説を滔滔とやるので参った。しかも移民が始まった年度を確認して、帰国して調べたら嘘だった。さらにその1年前のチュニジアのガイドはもっとひどかった。ジェトジェル湖という有名な塩湖がある。そこに架かる橋があるのだが、現地ガイドは第二次大戦のときナチスと戦うとき、イギリスとアメリカによって作られたと話した。わたしは地理的に変だと思って帰国してから随分しらべた。当時イギリスはエジプトから攻め、アメリカはトーチ作戦でモロッコから攻めているので、ここに橋を架ける必要はまったくない。北アフリカ戦線に関する文書は英文のものも含めてかなり読み込んだが、この橋は1970年代になって作られたものだった。現地ガイドが話をするからと言って頭ごなしに信じない方が良い。だから今回もあまりメモはしなかった。
Caster(スペインのニュースキャスター、うーんセクシー。ポルトガルは日本のNHKのように地味だった。)
▼今回の添乗員はとても一生懸命やってくれた。さすが某旅行社とは違うと思った。しかし彼も休憩時間に一生懸命「日本語」のあんちょこを読んでいたし、城や家の作り方など歴史的な部分になると慣れていないようだに思った。
▼持参したが結局一度も使わなかった物一覧。ジーパン、ドレスシャツ、水着一式、サングラス、文庫本2冊。
▼帰国するとブログリーダーで1000件も未読の物が溜まっていたが読む気が起きず、すべて「既読」にしてしまった。そしていつもなら新聞を一生懸命7日分読むのだが、未だに検察と自民党のバイアスが掛かった、御用新聞を読む気にならず、これも縛って保管場所に出してしまった。しかし実際にヨーロッパにいて日本の事などCNNや現地のニュースを見ていても一行も報道されていないのだ。以上旅行記をお読みくださったみなさんに感謝いたします。ご質問などありましたらお寄せください。

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January 25, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(11)

Stjoiro1(サン・ジョルジュ城遠景)
▼路面電車で元の位置にもどったわたしたちは、下車して夕日が美しいと言われる、サン・ジョルジュ城行きのバスを待つ。20人乗りのバスは細い路地を塗って坂を登って行く。約20分で城に着いて入場券を買うが5ユーロと結構な値段だった。というのは後述するが、この晩また部屋で最後の晩餐会を開いた。そのときワイン1本、缶ビール6本(実は間違えて梅酒の様なものだった)パンなどを買って6ユーロなのだ。まぁ旅先でケチケチしたことを言っても仕方ない。あいにく城は小雨で煙っていてテージョ川が見えただけだった。1日前のオビドス城とは違ってちゃんと手すりも完備していて安全だった。
Hiroba(ロシオ広場)
▼ふと見ると目の前に孔雀が放し飼いにされていた。ウェストポーチに猫のエサを小分けにして持っていたので、試しに与えると孔雀な競って食べてくれた。しかしそこからしばらく歩くと城で飼っているという猫が数匹現れた。飼っているというのは後にCさんが同じ場所にタクシーで向かったところ、警備員の女性がそのように語ったという。しかしエサはもう持っていなかったので写真だけ撮ってお別れした。バス停ではBさんがタバコをくわえて火を探していると、待っていた男性がすかさずライターを差し出してくれた。どこから来たのか聞くと、この男性はドイツだった。バスの運転手さんもそのドイツ人もBさん好みの男性でえらく機嫌がよかった。
Stsiro2(サン・ジョルジュ城の美しい石畳)
▼元の広場に戻ってホテルまでゆく地下鉄を探すのだが、日本とは違うマークでオレンジだったが、M氏が「これではないか」とめざとく見つけてくれた。ホテルの下車駅でセバスチャンで降りて、通りすがりの婦人に聞いた通りに歩くが、10分歩いても見慣れた道が出て来ない。M氏が「戻ろう」というので元の地点に戻って別の人に聞く。もうあたりは真っ暗だが、Bさんはこちらの制止を振り切って一人で歩いて言ってしまう。わたしはホテルの名前の入ったパンフレットを差し出して何度も聞きながら、修正して元の位置に戻る。最終的に閉店間際のカーディーラーに入ったら「ネックス・ストリート」と教えてくれたのでホテルに戻る事ができた。夕べ添乗員が「ホテルの地図を渡す」と言った時に貰っておけばこんな事にはならなかった。
Cat1(城跡にいた猫)
▼最後の晩餐にはAさんと、昨晩体調を崩して参加できなかったCさんが参加して下さった。みなさんご親切に日本から持参したお茶、ふりかけ、珍味、カップ麺、白米などをそれぞれ持ち寄ってご馳走して下さった。わたしとM氏はCさんから聞いた大きなデパートの地下売り場に行って買い出しをする。しかし広すぎて何がどこにあるのが探すのが一苦労だった。結局サンドイッチという物は売っていなかった。パンという言葉も通じない。ブレッドで、現地の言葉ではパダリーアだ。ハッチーさんにいただいたポルトガル語の絵を見て会話する「旅の指さし会話帳」も持参したが、イザというとき恥ずかしくて開いていられない。結局英語の単語を並べてクリアしてきた。今回も「出発24時間前に聴けば間に合う旅の英会話」というCDを聞いて準備した。しかし正直言って3日前、いや出来れば7日前くらいからやっておいた方が良いというのが反省である。しゃべる事ができても飛行機の中でイギリス人CAが、話しかけても一体何を言っているのか理解できない。この時は「朝食はジャパニーズかイングリッシュか」という事だったのだが、耳が慣れていないので何度も聞き返してしまった。
Stsiro3(サン・ジョルジュ城の眺め)
▼最後の晩餐は日本食で胃袋を満たしてやった。次回からは我々もカップ麺や珍味、ふりかけを3食分くらいは持参しようと固く心に決めた。しかし得体の知れない「サーラリとした梅酒」風飲料には参ってしまった。捨てるのはモッタイナイので全部飲んで来た。明日の朝のモーニングコールは何せ午前4時で、5時出発である。
Depaert(買い物をしたデパート)
▼翌朝リスボン空港で知ったのだが、今はパスポートを空港の発券機に入れるとトランジットも含め座席表を選べるのだ。もうJRのみどりの窓口と同じだ。ブリティッシュ機はゆっくりとヒースロー空港に向かったが、雪が解けていないせいか何度も旋回した。一度はドーバー海峡手前、もう一回はイギリスに入ってからだ。着陸してみてこれほど雪が残っていたのでは仕方ないと思う。第5搭乗口まではバスでかなり走る。もう40分遅れているので添乗員は必死だが、わたしたちは費用は旅行会社持ちでイギリスでもう一泊しよう等と考えていた。第5に着くと「離陸まであと30分しかないから走って下さい」と言う。老いも若きも足の悪い人も必死に走る。ところがゲートの手前で手荷物と身体検査があった。先日の「テロ」事件でイギリスは神経質になってピリピリしていた。先頭にはM氏がいて係員が英語でなにやらしゃべる。M氏は堂々と大きな日本語で「分からない」と叫ぶ。分からない時は「分からない」と自分の言葉で堂々と主張した方が良い。そうすれば向こうは何とかしてくれる。こっちは客なのだから…。慌てたのは英国の係員で、添乗員を手招きで呼び戻す。要するにベルトなど身体につけているものは全部外して裸足になれ、という事だった。
Lisbakuko(リスボン空港)
▼わたしもみんなに習って通過したのだが、手荷物の中に入れた筈の携帯電話が入っていないことに気づいた。添乗員を呼び戻して交渉してもらう。「ロスト、ハンディフォン」係は「落ち着いて」というが手荷物には入っていない。首につけている物も全部外せというから外して籠に入れた筈なのだが…。一応携帯はICカードのロックはしておいた。しかし添乗員は「そんなの犯罪組織は解除してしまう」という。Cさんは気を利かして「携帯の番号教えて下さい。掛けてみますから」というのでお願いするが、チェックに入るとき電源は切ってしまった。約5分くらい交渉していると「入り口の籠に携帯が入っている」のが見つかったという。わたしがそれを受け取りにゲートを逆行しようとしたら、係員に「ノー」と厳しく制止された。早く気づいて良かったが、こうして携帯は無事わたしの手元に戻った。これが今回唯一のトラブルだった。そして無事機上の人となるのだが、速報に書いた様に主翼が凍ってしまったので、順番待ちでそれを溶かすのに3時間も待たされることになる。
Londonkuuko(雪のヒースロー空港)
▼明日の「旅の歌と映画で考えたこと」でひとまず終わります。あとはMINさんが『鍵盤乱麻』トップページにある「guest house」に「ポルトガル紀行」を書いて下さいます。ここで記録が更新されるたびにこのブログで、更新日時をご紹介させていただきます。

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January 24, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(10)

Kyuuhou(軍事博物館の臼砲)
▼ポルトガルまでわざわざやってきて、昔からの鉄砲が展示してある軍事博物館を見ない手はない。ガイドブックで確認したが、レストランから徒歩で10分以内である筈だ。歩くと5分ほどしてミリタリー・ミュージアムと書いた建物は見つかった。しかしいくら探しても入り口が見つからない。大きなかんぬきが掛かったドアを押したがウンともしない。グルッと建物を半周すると衛兵がいる詰め所が見つかった。「エントランスはどこかと聞くとあっち」と来た方向を指さす。もう一度戻って脇にある警察で聞くとやはり向こうだという、陸軍の迷彩服を着たクルーカットの若い衛兵は「きょうは休館日だから明日来い」という。しかし今日は火曜日でガイドブックは休館日は月曜と書いてあるではないか。衛兵に何度話しても「ノー」というだけだ。庭に展示してある大砲だけ写させて欲しいと頼んだが「ノー」というだけで埒があかない。何かの事情で休みになったのだろう。
Eki(地下鉄サント・アポローニア駅)
▼仕方なく目の前にあるサント・アポローニアの地下鉄の駅に向かう。各電車に使える一日有効の共通チケットを買う。販売する人は「モアマネー」で何とか言う」。それは追加料金で5日有効のチケットだろう。Bさんはその言葉に一瞬迷うが無視する。さてこれからどの方向に行く電車に乗るかだ。ガイドブックを見ているとBさんの叱責が飛ぶ。「ミスター(わたしを叱責するとき彼女は必ずこういう)現地へ来てガイドブックを開くなんてダメだよ。道は日本で頭の中に叩き込んでくる。もしくは白地図を作ってあらかじめ叩き込んで来るんだよ。現地で地図を見ても南北が分からないでしょう。」それはそうだ。反省することしきりだ。土地の人に「地下鉄乗り場ははどこか?」と聞くと地下を指さしてくれれば良いものを、あらぬ方向を指さす。ここは終点なのだからそちらに電車は走っていかない筈だ。
Romen1(路面電車その1)
▼電車は2つ先のバイシャシアードで乗り換える。ホテルのあるところはサン・セバスチャンだという事まで分かる。次の目標は路面電車に乗ることだが、どこの駅で降りるのが合理的なのか分からない。リスボンに着いた時から現地の日本人ガイドは、観光客に一番人気のある28番路面電車は一番危ないと説明があった。さらに昨晩リスボンのホテルに入ったとき添乗員から外務省の「危機管理」に関する文書が配られる。そこにはヨーロッパにおいては5つ星ホテルにあってもセーフティボックス(日本の旅館の貸金庫)は安全ではない。それにフロントにあるセーフティボックスも危険だとある。となると従業員もグルという事になる。外務省の文書には「フロントのセーフティボックスに預けるならば、入れるときに従業員に立ち会わせ中味を確認しろ」とある。添乗員は「わたしも身体に全部巻き付けてあります」と言う。この日の自由行動は一切カバンを持たない事にしてガイドブックだけポケットに入れてきた。地図で確認するとバイシャシアードで1つ目のロシオ駅で乗り換えるべきだと分かる。
Romen2(路面電車2)
▼ロシオ広場は夕べもバスで通った所だった。それからしばらく路面電車の駅を探す。そして速報の様にようやく念願の電車に乗ることが出来た。問題はどこでケーブルカーに乗り換えるべきかである。分からないので乗っている現地の人にガイドブックを示して「カリャリースのケーブルカーに乗るにはどこで降りるか?」と聞くと、「一駅戻れ」と教えてくれたので歩いて一駅戻る。わたしたちが乗ったのはガイドブックに出ている黄色ではなく、速報にあるような銀色のステンレス製だった。坂の距離は約500mくらいで高低差は推測だが50m弱だと思う。仕組みは箱根のケーブルカーと同じで中間地点で2台の電車がすれ違う。お年よりに取っては生活に欠かせないものとなっているが、若い人は歩いてしまっている。下に着くと15分くらいの休憩があった再び坂を登る。下に着いたら老婦人が乗り込んで来て中間駅で乗り口のバーを自分で勝手に開き、唇に「シー」とウィンクで合図して降りていった。おそらく無賃乗車か何かなのだろう。
Romen3(路面電車3内部)
▼上の駅にもどり再び路面電車に乗り込む。Bさんはどうしてもせっかくだから、どうしても夕日の綺麗なサン・ジョルジュ城に行きたいというのでつきあうことにした。電車にはとても美しい娘さんを乗せた親子連れが乗っていた。Bさんは「せっかくのチャンスだから写真を撮らせてもらったら」とけしかける。恥を忍んで言えばわたしは高校時代わたしはとても内気で、恥ずかしくて女性に声を掛けることができなかった。だから今は話をしたい相手には必ず話しかける。ここで写真を撮らせて貰わないと一生後悔すると思って勇気を出して娘さんに話しかける。すると
すぐ「OK」というので3枚撮らせてもらった。しかし慌ててしまってピントは後ろの親父さんに合ってしまったのが残念である。撮った写真を女性に見せると納得してくれた。それで「ユア・カントリー?」というと「スイスランド」という返事だ。いいなこんな美しいポルトガルに3時間くらいで来る事が出来るのだから、東京・沖縄間と同じだ。わたしが「日本から来た」というと「何時間くらい掛かるのか」というので「13時間プラスアルファ」と答えると「オー」驚かれる。もっと話したかったが残念ながら下車駅が来てそれまでになってしまう。Romen4(路面電車4)

▼サンジョルジュ城に行こうと思ったのはBさんが、別のツアーで来ている老夫妻にこの電車で3度目の出会いがあって話を聞いたからだ。ご夫婦は長野県から来ている人で夫は妻を労りながら旅行していたが、コインブラ以来時々迷ってはわたしたちと一緒になった。夫は地図をガイドブックを理解して頭の中に叩き込んで、ガイドに頼らず独自の行動をしていた。
Girl(スイスから来た親子連れ。娘さんはおかあさんに似て美しい。カメラは下手だが実物はもっと美人だった)
▼仕事で書かねばならない原稿が溜まっているのでいつまでも旅行記を書いている訳にはいかない。これを書くにはデジカメのデータを確認してとても時間がかかる。あと2日ほどで終わらせたいと思っている。今回デジカメも現地時間に合わせたので検索はとても助かった。

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January 23, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(9)

Dhinaer(ディナーショーの魚料理、こちらの魚料理はみんな頭を右を向けてある。魚の頭は左だと誰か教えてやれよ。念のため裏返したら皮がむけていた)
▼昨日届いた「週刊金曜日」の最終ページに元共同通信主幹でジャーナリストの原寿雄氏(84歳)から同誌編集部に送られて来た年賀メールが掲載されている。<小沢がやがて否定克服されるべき存在であることは確かだが、今の彼の姿勢は日本の民主化に、プラスの役割を果たすメリットが十分あると考えます。私の見方では特捜部が今の様なリベンジ感情に動かされた捜査手法では、検察の正義は実現しません>(以下省略)と発言している。
Beren(ベレンの塔)
▼昨日は朝から取材があり、それは午後1時半に終わった。夕方の会議まで4時間も待たねばならない。体調もすぐれなかったので、会議は欠席してそのまま帰宅した。
Hukuyouki
(ポルトガルとブラジル間を初めて飛行した複葉機のレプリカ)
▼ファドのディナーショーが終わってBさんが梅水健康法を教えて下さった。それは無添加栽培の特別な梅をコップ一杯の水にほぐしてひと晩おく。そして翌日普通の水で3、4倍に希釈して飲むという簡単な方法だ。昨日お会いしたM氏に「続けている?」とお聞きすると「焼酎で割っている」とおっしゃる。これでは単なる焼酎の梅割で、梅の水だけで飲まなければ意味はない。わたしは実行していないが、帰国してからアルコールは一滴も飲む気が起きない。
Hakken
(発見のモニュメント)
▼それに魚料理はみんな魚を丸ごと唐揚げ状態にしたものだ。綿をとって小骨を取ることはしていない。だから21日の夜に4ch系で放映された「ヒミツのケンミンショー」に出て来た沖縄のサンマの唐揚げ弁当状態だ。それを次々「もっともっと」と持って来られても「炙り(塩焼き)はないの」と言いたくなる。
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(これが北朝鮮の猿まねモニュメント)
▼ポルトガルは湿度が高く雨の多い土地であると事前の案内で知っていた。ところが今回の旅行で雨が降ったのは観光最終日の13日だけだった。それも暴風雨の様な横殴りの雨だった。M氏は防滴のレインコートだから問題ない。しかしみんなわたしと同じダウンだけだ。傘を差しても風が強いので瞬く間にチョコ状態になってしまう。暴風雨をついてまずバスはベレンの塔に出掛ける。16世紀初めテージョ川に船の出入りを監視するために作られたものだ。あの司馬遼太郎がこれを見て「テージョ川の公女」と呼んだという。司馬は何と呼ぼうが関係ない。海と川の境に作られたこの塔は、航海に出て母国に再び戻って来ることができるかどうか分からない船乗りたちに何度も別れを告げたことだろう。2階は砲台で、1階は水の満ち干を利用した水牢になっていたという。わたしは水牢というと昔嵐寬十郎が出た鞍馬天狗の映画を思いだしてしまう。ガイドは「バスは塔に近づけないし、風雨が強いから希望者だけ下車するように」と促す。その脇に複葉機のレプリカが展示されている。ガイドの説明は聞いたが忘れてしまった。ガイドブックにも説明は出ていない。
Map(日本発見は1541年とある)
▼次はすぐ側にある有名な「発見のモニュメント」に向かう。これは1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられたものだ。この時暴風雨にわたしは吹き飛ばされるかと思ったほどだ。バスの中で待機していた人もわたしの姿を見てそう思ったという。わたしはこのモニュメントを見てふとある既視感(デジャブ)に襲われた。これはどこかで見た事がある…。そうだ北朝鮮の抗日戦争を戦った金日成を讃える巨大な像だ。これを見て、北朝鮮はこのポルトガルのモニュメントを真似したのだという確信を持った。そしてその足下には大理石のモザイクで作られた世界地図が展示されており、当時のポルトガル人がいかに世界を征服して行ったか、一目で分かる仕組みになっている。その一部に日本発見がでており、それは1541年となっている。実は種子島への鉄砲伝来は1543年だかそれより2年早く豊後に到着していたのであり、その記録も残っている。
Pieta(ピエタの像を修復中)
▼それが済むと、ジェロニモス修道院の脇にあるリスボンで有名な菓子店に入る。ガイドの説明によるとここのエッグタルトはリスボンで一番だという。わたしに取って卵黄もタルトも身体に悪いモノばかりなので見るだけにしてコーヒーだけ飲む。みんな日本までお土産に持って帰りたいと言っていたが、日持ちがしないのでここで食べるだけだと念を押される。ジェロニモス修道院は速報に書いたとおりヴァスコダガマの石棺がある他、めぼしいものはなかった。建物に入ったとたん現地の警備員から「男は帽子を取れ」と突かれる。感じ悪いと言ったらない。ピエタの像の改修はここだったかも知れない。ちょっと勘違いしていた。
Taruto(リスボンで一番美味しいとされるエッグタルト)
▼次は現地の日本人ガイドに貴金属店に連れて行かれる。見学時間はたっぷり1時間もあってガイドは店員と一緒になって一生懸命売り込みをする。きっとバックマージンが入るのだろうとみんな噂している。こちらは興味がないので外に出てM氏の買い物につきあう。傘が壊れてしまったので街角にキオスクみたな所で5ユーロだという。一旦持ち帰ると柄の部分が壊れているので、オバマの口癖のように「チェンジ」というと快く交換してくれた。
Lunch2(最終日のランチ)
▼昼食は近くのレストランに連れて行かれる。ここのデザートはまたまたエッグタルトだった。両方食べた人によると前の方が美味しいという意見だった。食事をしているとBさんが「年末の紅白は清四郎ちゃんはとても可愛かった。歌は美空ひばりだ」という話から嵐寬十郎の「鞍馬天狗」でひばりが杉作少年を演じたのを知っているか、という話になる。こういうのはとても得意は分野なのでその場でわたしは、ひばりの「越後獅子」を手振りつきで♪「風にふかれてー、逆立ちすればー、山が見えますー、古里の、わたしゃみなしご、街道育ち-」とアカペラで唄って同じテーブルのみなさんから拍手される。その後はいよいよ待ちに待った自由行動の時間である。近くに軍事博物館があることをチェックしていたので、M氏とBさんの3人で独自行動をとる事になる。

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January 22, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(8)

Nazare3(ナザレの夜明け)
▼さて私たちの部屋でパーティーは始まり、次々と参加者は集まってきた。またここでも健康維持方法についての話しあいがあった。予想された参加者が集まったところで、わたしは「確かきょうはパジャマパーティとお話ししたはずですが…」とお話しする。するとみなさん一様に「これがパジャマです」とおっしゃる。そのパジャマとはみんなスエット・スーツのことだった。そして手に手に自分の飲むべきアルコールは持参していたので、開けたワインは1本残ってしまい、再び栓をしてバッグに詰めて明日の会場へと運搬される事になった。
Nazare5
(干物を作っているアズレージョ)
▼翌朝6時頃に眼が覚めた。肝心のBさんは何故か参加しなかったので、恐る恐る朝7時に電話すると、「パジャマにお誘いの電話がなかったから」とおっしゃってすでに朝4時頃から眼が覚めていたという。15分後にフロントで待ち合わせ、まだ薄暗いナザレの町を歩くことになった。先ず海岸にでると大陽は上がっていなかった。それでも漁師さんたちの船は沖の方に灯りをともして仕事をしていた。さらに100mくらい沖にも2人乗りの漁船が作業をしているのが見えた。海岸まで砂浜から300mくらいはあった。しかし貝殻は一つも落ちていない。後で聞くと海岸からすぐ先は深く落ち込んでいて危ないのでナザレの避暑客は誰も泳がず、デッキチェアに座っているだけだという。
Nazare6
(朝から喫茶店で会話が弾むお年よりたち)
▼暗かったがすでに清掃員の人たちは勤勉にも砂浜や町の清掃に励んでいた。砂浜から戻って住居地を散歩してみる。すると個人の家でもアズレージョを使って装飾がしてあった。さらにその一枚には魚を天日干しにしているものもあった。その後何とかナザレの干物を食したいと思ったがついに見つからなかった。
▼荷物をバスに積み込んで待機していると、目の前に犬が2匹姿を現した。ウェストポーチに猫用のエサを持っていたので試しに与えると、一瞬怯んで警戒したので、一旦バッグに戻し、小分けにして与えたら一匹は美味しそうに食べ始めた。さらにBさんが近くの喫茶店に行って漁師の叔母さんたちを撮影に成功したというので、お願いしてもう一度連れて行ってもらった。ドアを開けて入るとその人達は両手をあげて歓待してくれた。これは想像だが、黒い服を着た女性たちは漁に出て遭難して夫を失った人たちではないかと思う。
Obidos
(オビドスの村の入り口)
▼バスはアルコサバに向かう。そこのサンタマリア修道院へ入る。そこは一部改修中でピエタの像を修復している学芸員たちを見る事ができた。また庭にはオレンジが実っていたので、落ちていた実を数個頂いてきた。見学が終わったあと自由時間があったので、土産物店を覗くと明らかに日本の花嫁姿をした人形(左側)が並んでいた。これはかなり年期が入ったものだが、とても驚いた。さらに集合場所に向かっているとPCPと鎌と槌を組み合わせた、ポルトガル共産党の支部と思われる建物があった。
▼車は世界遺産にもなっているオビドスへと入る。昼食はかなりしゃれたレストランだった。このオビドスは15世紀の城を改修した人口800人の村で、みなさん遺跡の中で生活をしている。思い切って城壁の上に登ってみようと思ったが、添乗員さんも始めてらしく登る方法を探すまでに苦労した。クリスマスのイベントが終わった直後だったので、張りぼての雪だるまがまだ放置されていた。ようやく一つの城壁に登る方法を見つけてBさんと一緒に登ったが、転落防止の柵がないのでかなり怖い思いをした。
Ningyou
(不思議な花嫁人形)
▼村はお土産物屋さんで溢れていたので、結構ここで買い物をする人は多かった。第二の城壁へはBさんとM氏と3人で登る事ができた。こちらは手すりがかなり工夫されていたので安心だった。眺めの良いところでは付近の様子が一望できて、いかにもヨーロッパの農村という雰囲気を堪能することができた。
Pcp
(PCPのロゴが入った建物)
▼バスはそのあと一気にリスボンを目指す。ホテルに荷物を置いたら、夜8時からファドのショータイムだ。実はこのオプショナルツアーは食事付きで88ユーロ(11800円)とかなり高かった。ガイドブックにはもっと安いファドの歌だけのショーこの3分の1くらいの金額の物があるはずだ。というのは成田を発った飛行機の中でAさんが話したことで、「自分がガイドさんなどに聞いて話をつけるから一緒に行こう」と誘われた。結局現地ガイドさんは一日ごとに交代してしまったので、直接話をするタイミングはなく、13人の客はこのツアーにいく事になった。夜のバスを降りてから石畳の道を歩いてかなり高級そうな天井の高さが10mはあろうかという半地下室のホールへと案内された。食事とデザートが出て、あとワインは飲み放題だった。演奏は二人の男性で行っていた。
Fadkashu
(2番目に登場したファドの歌手)
▼歌手が歌うときにはロウソクは消して真っ暗になる。10分くらい歌うと15分くらい休憩があり、4人の歌手が登場した。現地ガイドは何も説明してくれないので、熱唱はしている様子は伝わってくるが何を歌っているのは分からない。後で分かったことだがいつも使っている店が満員で、急遽ワンランク上の店に連れて行ってくれたのだということだった。ファドは11時過ぎに終わって再びバスでホテルに戻った。フラッシュを使って撮影してもよいと現地ガイドは言っていたが、雰囲気に飲まれて誰もカメラは撮らなかった。わたしだけ真っ暗な中でフィルム感度を最高に上げて、ストロボは使わずに何とか雰囲気だけ撮影した。

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January 21, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(7)

Memorial(メモリアル礼拝堂内部)
▼いつも成田第二空港ターミナルビルを降りると、警察官にパスポートの提示を求められる。過激派対策か?今どき成田に過激派やテロリストはいるのか?パスポートをもっていない人はかなり多いと思われるので、もしテロリストがそれをもっていたら、空港に入るのはそれほど困難ではない。現実にフィリッピンや中国から偽造したパスポートで入国している人は多いのだが、警察は真性もニセも見分けがつかないのでは意味がない。わたしは空港に配置された空港警察やガードマンの人たちはいまは雇用対策でしかないと思う。近く車での検問は緩和されるらしい。これも根っこは日本航空問題と同じに見える。現実にわたしが外国の空港敷地内に入るとき、「パスポートを見せろ」などと言われた事など一度もない。
Nazare1
(ナザレ絶景の展望台)
▼某読者から「リスボンはまだか?」とメールを頂いたが、あと4日ほど待っていただきたい。タコ雑炊を食べた後はポルトからずっと南下してポルトガル中部のナザレである。ナザレは最初に書いた1954年のフランス映画「過去をもつ愛情」の舞台となったところである。ストーリーは妻殺しの過去をもつ男と、夫殺しの過去をもつ女がリスボンで出会い、燃えるような恋に落ちる話なのだが…。この映画のテーマ曲「暗いはしけ」が有名となった。もともと漁師町であったが、いまは高級別荘地として開け、お隣のスペインからの投資が増えてバブルではないが、夏場は観光客が多いと聞く。バスはまず断崖絶壁の上に到着した。そのとき風はもの凄く強く、吹き飛ばされそうだった。
Nazare2
(展望台の土産物屋)
▼帰国直後にフートンさんは「ナザレの町の七輪で魚を焼く風景とファドという歌ぐらいです。写真きれいですね。モロッコが見えるというロカ岬、行ってみたくなりました。」というメールを下さった。これほどナザレという町をご存知の方がいらしゃるとは知らなかった。断崖の上からは町が一望でき、熱海の鏡ヶ浦を大規模にしたものと考えていただければよい。まずメモリアル礼拝堂に入ってから、すぐ近くにあるノッサ・セニョーラ・ナザレ教会に入ってお祈りを捧げた。これは速報に書いた通りだ。それから下にある町のホテルに到着する。このホテルはポルトガルに来てから一番綺麗な言わばデザイナーズホテルとも言えるものだった。トイレの写真をご紹介するが、欧米にあってこういう便座と洗い場が独立したホテルはなかり高級である。しかしウォシュレットなどいうしゃれたものはない。洗浄は手動で行うのだ。ハリウッドスターが日本に来るとみんな、ウォシュレットを買って帰るという話もうなずける。流すボタンが楕円の大小で表示されているのがおしゃれである。しかし写真には写っていないがバスタブのシャワーが地上2mくらいの所にあってみなさん苦労されたと話していた。
Wcnaibu
(デザイナーズホテルのトイレ)
▼荷物を部屋に入れるとパジャマパーティに備えてワイン類の買い出しに出掛ける。フロントで「ショッピング?」と聞くと左手を使って坂を登る降りを示し「ストレート、レフトサイド」と教えてくれる。何と徒歩で5分もしないところに店はあった。買い物はワイン2本とビール4本で5ユーロほどでとても安かった。夕食の前にフロントでくつろいでいるとカミソリで切ってしまった右唇下の黒子の部分が出血してきた。普段は何もないのだが、酒を飲み続けると黒子は充血して切れやすくなるのだ。昨晩はメンタムを塗っておいたが、乾燥したらひび割れて再び出血してしまった。この場合、傷口は自分で見えないのでM氏に頼み、みんなの前でバンドエイドを貼ってもらうと関係を怪しまれる。そこでそこにいらしたBさんに事情を話して口元にバンドエイドを貼ってもらって事なきを得た。いや成田で足止めをされている時から、「二人は仕事仲間である」と自己紹介をしていたから、いつものように怪しまれることはなかった。
Nisin
(ナザレ名物のイワシ炭火焼き)
▼夕食は名物のイワシ料理で一皿に3匹のイワシが載っており、食べているとウェイターが「もっともっと」と言ってはさらに2匹も置いていくのだが、2匹食べただけでお腹は一杯になってしまう。夜の宴会のためにワインを開けようとするとM氏が持参したプラスティックの栓抜きはついにあえなく折れてしまった。添乗員に「持っていませんか」と聞くと「Fさんご夫妻が買った筈だ」と教えてくれたので、向かいの部屋のドアをノックする。F夫人はニコニコして貸して下った。そして「今晩はいよいよパジャマパーティですね」とお聞きになる。「パジャマが薄いか身体の表面を覆う面積が低い人は無料にします」と答える。F夫人は「その判断をされる審査員はどなた?」と聞かれるので、「もちろんわたしです」と答えると再びケラケラと笑ってドアは閉まった。ワインは栓抜きを2度も借りにいくのは失礼なので、2本同時に抜いて参加者を待つことになった。どんなパジャマ姿が拝見できるか胸は高まる一方なのだ。

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January 20, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(6)

Stjoanb(ドン・ルイス橋)
▼まったくニティは毎回、いきなりブログのメンテナンスを始めるから参ってしまう。第一アクセスして下さる読者の皆様に申しわけないではないか?
Kyoukai1
(ポルトの町の見事なタイル装飾の教会)
▼風邪のため声がでなくなってしまった。幸い取材は月曜日に終わっているので仕事で不自由することはない。海外旅行をして帰国してからもしばらくの間変なクセが抜けなくなる。というのは道を歩くときの事だ。最初にベトナムに行ったとき、現地の案内人が「バッグは切られることもあるので前に回して歩くように」と注意されて、それ以後海外を歩くときはそれを守っている。それで帰国して都内の街を歩くときも後ろから足音がするとバッグをすぐに前に回す。さらにわたしは早足のせいか、ペースメーカー代わりにされることが多い。その足音が気になって、足音がすると車道を横切って隣の歩道まで素早く移動する。またはクルッと歩いて来た方向に反転し、後ろを歩いてきた人の顔をじっと見て歩き出す。気にしすぎかも知れないが、こんなクセがしばらく抜けない。
Enrike
(エンリケ航海王子の生家…とか、後の税関)
▼本日メルマガの原稿締め切り日です。出来れば一日前に投稿をお願いします。当日投稿される方で午後5時以降になるかたは、あらかじめメールを下さる時間をお知らせ下さると助かります。
▼10日の朝は8時半にBさんとフロントで待ち合わせて歩き始めた。まずアズレージョで壁面が覆われた教会に入ってみたら、日曜日のため町の人びとが集まって日曜礼拝をしていた。牧師さんは何やら一生懸命に説教をしている間、別の若い男性が皿をもって信者の寄進を求めていた。うっかりしていたが小銭をもって行かなかったのでそれをすることができず失敗してしまった。目的の一つは何とか動いている路面電車の写真を撮る事だった。途中で写真修行中のDさんとバッタリ出会ったが、彼女も30分ほど待ったが被写体を見つける事ができなかった。後で分かった事だが、日曜日はダイアがかなり違うらしい。Dさんには動く被写体を撮影するためのフォーカス・ロックについてお話しした。
Mac
(ポルトにあったマック)
▼途中エンリケ航海王子(モロッコを攻撃した)生家の前でバスは停車した。しかしその家が本当にそうなのか誰も証明できない。その後その建物は税関として使われていたという。その隣にマクドナルドの店があった。日本にあるケバケバしいその色とはことなり、ナチスの鷲のような紋章がある重厚な作りだ。実はマックのあの黄色と赤色は日本はそのまま受け入れているが、国によって規制されている。ポルトガルの様な作りならば、あのコーヒーも美味しく感じる事ができるかも知れない。見学は教会はまずサン・フランシスコ教会から始まる。ここのステンドグラスは美しかった。次に行ったのは大聖堂で、入り口には警備員がいて、男性は脱帽しなければならない。さらに内部は撮影禁止である。しかし中の装飾といったらゴテゴテのこてっちゃんだ。もの凄くカネをかけた装飾で、キリストの活躍した様々な場面がこれでもかこれでもかと宗教画で再現されている。その他一度速報で書いたが布教で海外に行って殉教した弟子達の姿がかなりリアルに再現されているので、非キリスト教徒は正直言って辟易とさせられる。つまり言葉が分からない人びとが圧倒的に多い当時にあって、自分こそキリストの正統な後継者であるという事を知らせるのが、教会という場所であったのだ。
Stfransisco(聖フランシス教会外部)
▼従って宗教画に要求されたのは、厳かでまだ行ったこともない天国や、見た事もないイエスがよりリアルに再現された方が利用価値が高かったのだ。二つの教会を見学してそう感じた。次はドウロ川沿いにある、サンデマンのワイン工場の見学だ。これも速報で書いた通りで、広告にあるサンデマンの服装をした女性が案内してくれる。この姿はコインブラ大学の卒業式で着る礼服そのもので、古くはアラン・ドロン、新しくはアントニオ・バンデラスが演じた映画「怪傑ゾロ」の服装そのものなのだ。ワインは白と赤の試飲があった。わたしは飲めないとおっしゃるCさんの分までご馳走になった。
Winec
(サンデマンのワイナリー)
▼昼食のレストランはそのワイナリーの対岸にあった。そこで名物のタコ雑炊が出た。昨日ご紹介したサラダの写真はその昼食の前菜で出たものである。この港町には朝からカモメが空を遊弋していた。さらにこの昼食をとった、川縁では羽根を休めていたが、その巨大なことと言ったらない。この大きさでは猫などエサ争いをしたらひとたまりもないと思った。みなさんワインを試飲してお腹も一杯になって気持ちが良くなった頃、バスはいよいよ昔の漁師町、現在の保養地であるナザレへと走って行く。
Polunch(タコ雑炊)

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January 19, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(5)

Sitagi(リップスティック状のライトが艶めかしいアベイロの下着ショップ)
▼午前中昨年コペンハーゲンで開かれたCOP15にNGOとして自費参加された方の取材をした。その内容はブログでご紹介する予定はないが新聞では分からない話が沢山あってとても面白かった。取材は半日で終わったが、その後身体が冷えて動くのが辛くなったので自宅に引きこもっていた。体温は上がっていないが、鼻づまりがして本を読むなどの集中力が欠けている。帰宅途中近くのCDレンタルショップで中島みゆきを1枚借りてきた。さらに正月NHKで再放送したETV特集の日本と朝鮮半島の録画して見ていない8と9を見る事が出来た。月末の31日には「10」が放映されるが、これはとても優れた作品だ。ポルトガル旅行のとき親しくなったBさんもそうおっしゃっていた。
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(入っているのは卵とジャガイモと後は不明だがとても美味しかった昼食)
▼昨日小沢氏の事を書いたお二人の方からご意見をいただいた。お一人は同感、もうお一人は小沢氏の選挙区の地元にお住まいの方で「小沢氏は辞めてもらいたい」とおっしゃっていた。それぞれの方には個別にわたしの意見をメールでお送りした。誤解のないように一言書くと、わたしは小沢氏の事は大嫌いである。先週8日発売になった「週刊金曜日」でも彼の錬金術が書かれている。それは承知の上で、検察が日本を自由に出来るような国家になったら大変だという事を言いたかったのである。
▼ポルトガルのアベイロでお菓子を全部食べてしまったところの続きだ。午後6時頃バスはポルトに到着した。やるべき事はワインとつまみの調達だ。ホテルの目の前には建物全部がアズレージョで出来た教会があったので、それを撮影してから教わったショッピングセンターに向かう。最初入った場所はパソコン類の「メディアショッピングセンター」だった。建物を半周して一階下の入り口を探して入るとそこにはグロサリーを扱っている「MINI」ショップという名前の日本のコンビニのような店があった。ワインとつまみにサラミソーセージと、チーズ、それに水を買い入れた。これは今晩の宴会用である。ちなみにレジ袋は有料で3セントくらいだったが、M氏は持参したリュックに詰めて貰って袋代は無料だった。
Cake1
(昼食に出たカステラのようなケーキ)
▼夕食ではAさんBさんそれにE夫妻も同じテーブルだった。この日もワインがあるのでビール1本をM氏と分け合った。話は健康状態をどうやって維持するかという話になった。Bさんは野菜中心の食事で食べ物には特別の注意を払っておられる。ワインなど防腐剤が入ったものは飲むべきではなく、大吟醸を飲むべきだとおっしゃる。わたしは「もしかしてBさんは念力などを使っていらっしゃるのでは…」と水を向ける。すると彼女は「そうよ食べ物にパワーをこうやって送るの」といきなり実演を始めた。まずコップの水にパワーを送る。次にタバコにパワーを送る。わたしは「タバコは吸わないのが一番ではないのですか?」と言うと、「いやパワーを送ってから吸うと良いのよ」と訳の分からないことをおっしゃる。それらを真剣にやってみせるので一同シーンと見ている。
Cake2
(女性のみなさんがアベイロで買い集めた様々な菓子類)
▼「続きはわたしの部屋で飲みながらお願いします」というとBさんは「わたしはパジャマを着てからでないと飲まないの」と言う。わたしはでは「明日(10日)の晩はわたしの部屋でパジャマパーティで飲み会をしましょう」と提案して一同納得する。さらに「もしBさんが酔いつぶれたらお姫さん抱っこで部屋にお連れしますから安心して下さい」と付け加える。夕食は野菜と分厚いポークが2枚出たが、肉はすべて残した。この頃になると親しい人には部屋の番号をお教えして行き来できる間柄になっていた。先ほどミニショップで買ったワインを開ける。栓抜きは昨年トルコのホテルでもらった小さいオープナーをM氏が持参して下さった。同席したのはAさんだが、一口飲んで「これはワインではなくて、イタリア製のスパークリングワインだわよ」と判定された。しかし不満はでないで、そのまま宴会は続いた。Aさんは「さっきのBさんの話信じますか?」とお聞きになる。「信じませんよー。でも本人が良いと思ってやるとそれは身体に良いかも知れない。それにアメリカでは白人が先住民であるインディアンの自然治癒力を学んだり、パワーを受ける祈りを学んでいるから、無意味な事ではないと思います」とお答えする。この日はAさんと3人で11時頃まで飲んで明日のパジャマパーティに期待して散会となった。

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January 18, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(4)

Ekisha(アベイロの旧駅舎)
▼昨日は日曜日にもかかわらず普段よりも大勢の方がブログにアクセスして下さった。あまず本論に入る前にいわゆる「小沢氏の疑惑」について少々触れる。朝刊を見るとマスメディアから左翼の機関紙まで口を極めて小沢疑惑とか週刊誌では「逮捕」の見出しまで躍っている。土曜日の「愛川欣也パックイン・ジャーナル」で、元特捜検事の郷原信郎氏(郷原の著書はメルマガで昨年ご紹介した。まだ読んでいないかたは図書館などで、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮社〈新潮新書〉をぜひ読んで勉強していただきたい。)が特別ゲストとして出席していた。郷原氏のビデオは以下この番組で郷原らは小沢問題を次の様に語る。普通の人が土地などを購入する場合銀行に融資を頼み、実際借り入れが許可になるまでに、自分の資金を使う事があるが、今回はそれと同じだ。逮捕されて刑務所に入っている建設会社の役員が1200万円献金したかのように言っているが、刑務所の中の取り調べは危険で、証拠能力もないし、立件出来ない可能性が極めて高い。国会議員か国会開会中は逮捕されないことは憲法で決まっているので、開会直前に民主党の議員をあえて逮捕したことは極めて政治的である。また愛川は戦前新劇の先輩が特別高等警察にとにかく、逮捕して理由は後からくっつければよいと考えていることと、地検が行っていることは同一である。その立件できそうもない事柄を、国家公務員である検事は守秘義務があるにもかかわらず、新聞記者にリークして「小沢」=「悪」のイメージを作り、細川内閣の佐川疑惑と同じように叩きつぶそうとしている。60年ぶりにやってきた国民の手による日本の政治改革を検察の手で逆戻りさせて良いのか、というのが16日の番組の主旨だった。
Iseki
(ポルトガルにもローマ遺跡がある)
▼さてポルトガルのお話し。コインブラを散歩中にBさんはファド((運命の意) 19世紀前半、リスボンに起った民衆歌謡。小ぶしを利かせた歌い回しで、哀調を帯び、ギターで伴奏する。出典広辞苑)のCDを2組手に入れた。わたしはファドについてまったく知識はない。それと同じものが欲しいというとAさんはBさんの買ったCDを持ってわたしをALMEDINAという店に連れて行って下さった。「ディス、ワンセット、モア」という様な事を言ったら店員さんはすぐ出してくれた。32ユーロだった。日本でファドを有名にしたのは「暗いはしけ」という映画の中でアマリア・ロドリゲスが歌ってからだ。映画は昔の作品でネットで探してもビデオは見つからない。昨年わたしはトルコのキャラハンサラで何かトルコのCDを買おうと思った。わたしは外国に行くと自分のためにその土地のCDだけを買う事にしている。昨年CDを買ったつもりで帰国したら、イスタンブールの観光案内のLVDとさらに、ベリダンス健康法というLVDだったのがっかりした。今回まだ封は切っていないが、AさんとBさんのおかげでゲットする事ができた。
Gondora
(ベニスには及ばないがそっくりのゴンドラ)
▼それからバスはコニンブリガのローマ遺跡へと向かった。ガイドさんは「本当に規模は小さいですからあまり期待しないで下さい」と言っていたがまさにその通りだった。わたしは過去にチュニジア、トルコのローマ遺跡を見学しているが、それと比べてもかなり小さかった。金持ちらしき豪邸の一群と一般人の境にかなり頑丈な城壁が作られていた。この差別はどこから出てくるものだろう。武田信玄が「人は石垣、人は城」と言ったのと随分違うので驚く。どの国のローマ遺跡も同じなのだがお金がないのでほとんど雨ざらしにされて破壊は進む一方だ。発掘された遺跡から出て来た貴金属だけは屋内の施設に展示されていたが、大した物はなかった。施設の庭にはオレンジがたわわに実っていた。ポルトガルではあちこちの家でオレンジをならせているが、生食することはないらしく、庭に落ちたままでもったいない。わたしはこっそりと数個もぎ取って参加者にお配りして喜ばれた。
Konpeito
(これが元祖ポルトガルの金平糖)
▼バスはアベイロへと向かう。ポルトガルではアズレージョと呼ばれるタイルに描かれた装飾タイルがとても有名だ。このアベイロの旧駅舎は全面がアズレージョで飾られている。そして街はポルトガルのベニスという名前がつけられている。速報で書いたが街は正月が終わったばかりで何かの祭りが行われ、風船の装飾やお菓子を少女たちが販売していた。ツアーの女性たちは競ってそのお菓子を買いまくり、わたしたちにご馳走して下さった。しかしとても甘味が強くそれだけで満腹になってしまい、その日の夕食は付け合わせの野菜だけ食べて、ポークは全部残してしまった。

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January 17, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(3)

Skaut(コインブラのボーイスカウトの行進)
▼窮屈な飛行機に乗っていると身体が痛くなる。その痛みが取れて体調が元に戻るには、4、5日かかる。時差ぼけは大体なくなったが、痛みはもうちょっとというところだ。海外旅行に8日くらいいくと、それなりに仕事を片付けて行かなければならない。仕事は大体1ヶ月単位のルーチンワークからなりなっている。毎月決まっている仕事は前倒しで納品する。そして原稿は3本あったが、それも早めに2本仕上げる。残り1本はコラムだったので、あらかじめ予定原稿を渡しておいた。それでも新しい体験を入れて方が良いと思って書き直して、リスボンに到着してから送った。S編集長からは取材の日程に関してパリ空港にトランジットしているときに打診があった。コラムの原稿を送ったら、とても不思議がられた。しかしこれは携帯がG3対応の機種であることと、出発前に海外通話の契約をしてあれば大丈夫だ。ただし通話料金はすべて受信者であるわたしの負担となる。
Arent
(ハンナ・アーレントの本が並んでいた書店)
▼というのは国内では契約している通信会社同士が契約者の料金を徴収する。しかし海外携帯の場合、みなさんがわたしと通信する場合、契約しているドコモの東京の基地局までの通常料金を負担する。そのあとドコモからポルトガルまで送信する料金、そしてポルトガルの基地局からわたしの滞在している場所までの、それぞれ2地点はすべてわたしの負担となる。そんな事もあって仕事以外の連絡はお断りしていた。
▼パジリカですっかりキリスト教徒気分になったわたしはコインブラへと向かった。しかし夜なので伝統のあるコインブラ大学は川の対岸に町の灯りが見えるだけだった。参加者の中には夜間わざわざタクシーを飛ばして町まで出掛けた方もいらした。また作家の壇一雄がr滞在していた町まで出掛けたいとおっしゃる方もいたが、列車で3時間もかかるため諦めたようだ。夕食はカルド・ウェルデという、グリーンキャベツのスープだった。ホントは夜は毎日宴会を開きたいところだったが、夕食で小瓶のビールを2人で1本飲んだだけだ。というもの飛行機が遅延した関係でリスボンのホテルで仮眠することなく、バスですぐ移動を始めたので、2日間ほど寝ていないことになる。もう飲み食いはどうでも良いから一刻も早くベッドに横になりたかった。
Green
(グリーンサラダ)
▼翌朝である現地9日の朝はもの凄く寒かった。防水ヤッケしか持参しなかったM氏は震えていた。町を一巡して休憩時間にコーヒーを1杯飲む。現地でコーヒーというと大きなカップにエスプレッソが出てくる。その量は盃に1杯ほどである。日本で我々が通常飲むコーヒーとは現地で「ミルクコーヒー」もしくは「アメリカン」多少バカにした雰囲気で呼ばれている。自由時間にM氏を連れて衣料品店に行った。得意のなんちゃんって英語が十分通じる。店に吊してあってフリースを指さし、「ミディアムサイズプリーズ」というと青と茶色のフリースを出してくれた。「テストフッティングOK?」というと「OK」というので試着させてもらう。「色はブラウンで良い」といい、「ジャストフィッティング」というと、店主は紙に「14」という数字を書いた。という事はユニクロの1800円位の物と同じだ。「OK」と言って支払う。「どっから来た?」と聞くので「ジャパン」というと、「ジャパンのどこか?」としつこい。「トウキョウ」というと納得してくれた。
Toshokan
(コインブラ大学図書館の外観)
▼町を歩いていると学生街だから当然本屋もあり、ハンナ・アーレントの著書も並んでいた。日本の書店では「勝間」本はこのように展示されることはある。しかし間違っても哲学者のアーレントはこのように展示されることはない。また偶然ボーイスカウトの行進に出会った。コインブラ大学はポルトガルで最初に出来た大学だ。しかしその後リスボンに移動し、再びこの地に帰ってきた経緯がある。昔に作られた大学の図書館にはラテン語の原書が30万冊あるので一見る価値があるという。中は天井の高さが15mほどある巨大なもので撮影は禁止だった。今の学生はインターネットで物を調べて、この図書館までわざわざやってくる学生はあまりいないという。机はピカピカに磨かれていた。そして何故かその机を覆う大きな動物の皮が置いてあった。現地ガイドに聞くとそれは図書館内部にコウモリが住んでいたいその糞の汚れを防止するための皮だという説明だった。

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January 16, 2010

今年初めての映画館にやって来た。

有楽町イトーシアの中にありヒューマントラストシネマ有楽町に「ミレニアムドラコンタトゥーの女」初日初回だ。エールフランスのジャンボに比べて何と快適な座席だろうか?Duke
(mobile)

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西の地の果てポルトガル紀行(2)

Ankou(アンコウ雑炊)
▼ロカ岬の次にやってきたのはイギリスの詩人バイロンに「エデンの東」とうたわれたシントラ王宮にやってきた。ガイドブックに書いてあるようなことは一切省略する。悲しい運命を背負った王女が額縁の中から悲しそうな顔を見せていた。調理場はかなり大きく、銅製の鍋は使われていない現在もピカピカに磨かれていた。そして牛や豚や猪などを丸焼きにして調理したと思われる串はかなり巨大だった。そして煙突は天まで昇るような高さで、外見は日本酒を入れる銚子の様な形をして北海道のサイロよりも大きく見えた。まだクリスマスが終わって後片付けも終わっておらず、ツリーの残骸なども残っていた。
Ressha
(シントラの坊ちゃん列車)
▼街並みはかなり落ち着いており、王宮前のレプリカ広場には松山のぼっちゃん列車とそっくりの道路を走る列車が停車していた。現地ガイドに連れて行かれた店は、かなり高いものしか売っていなかった。それでも路地裏を散歩してみると生ハムやソーセージなど美味しそうな物が並んでいた。この夜泊まったコインブラのホテルは山の丘の上で、街から隔離された場所だったので、このハムを買っておけば良かったと後悔した。そして肝心の、水だが、パリのシャルル・ドゴール空港の売店では「ビッテル」の500mlの水が2・70ユーロだったので驚いた。これで日本の500mlのビールの値段と変わらない。フランス人などは水代わりにワインを飲むという話も納得できる。この町の店頭で見ると1ユーロくらいだったので安心する。さらに次の町にゆくと1・5リットルで0・6ユーロくらいの物も出て来た。
Vitel
(ドゴール空港の水、拡大してレシート値段を見よ)
▼昼はアンコウの雑炊だった。ポルトガルは海に面しているので、この後に出される料理はすべて海産物が中心になっていた。とても美味だったのでみんなペロリと平らげる。するとボーイさんがやってきて「もっと、もっと」と言いながら、雑炊を追加して皿に盛ってくれた。
▼続いてファティマに向かう。ここは1917年に隕石か何かが落ちて、3人の子どもが聖母マリアが出現するという奇跡が起こったとされる。そこのパジリカ(礼拝堂)はとにかく広大であり、かつてローマ法王が来たときには数十万人が集まったとされるところだ。ポルトガルにはとにかくそういう神がかった場所が多い。十字架に掛けられたキリストのモニュメントはかなり近代化された斬新なデザインだ。そしてある若い20代と思われる信者は膝をついたまま、礼拝堂の周りをズルズルと回っている。聞くと日本で言うお百度参りの様なものだという話だ。入り口には直径3cmくらいのロウソクを信者が灯している場所があった。Bさんはロウソクを販売している場所を確かめて捧げたので、にわか信者のわたしも見習って一本捧げてさわやかな気持ちになる。

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January 15, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(1)

Sohumei(ロカ岬到達証明書、花文字で名前が書かれている)
▼お早うございます。昨日はまだロシア上空で朝食のイングリッシュ・ランチを食べていた頃です。ヒースロー空港は凍結のため40分も延着したため、乗り換えは30分しかありませんでした。そのため免税店での買い物の時間どころか、「走って下さい」とせかされました。その間最後のボディチェックでわたし自身のトラブルも発生しましたが、添乗員さんの機転とみなさんの協力でそれも無事に脱出できました。
▼留守中ブログのアクセス数はどうなっているか気になりました。実はナザレで滞在したホテルは出来たばかりで東芝のノートパソコンも2台自由に使える事ができました。さらにチェックすると日本語も使えました。そこで自分のブログもチェック出来ました。所がログインするときパスワードを入れたら、フリーズしてしまい、それ以降の操作はストップしてしまいました。しかし帰宅してアクセスエリアをチェックすると「ポルトガル」という国名が残っていました。通常このブログのアクセス数は1日100件前後です。しかし留守中のアクセス数は130から150人と普段よりも多かったので一安心したところです。
▼昨年はトルコから帰国して数日間、時差ぼけで苦しみました。今回旅慣れた人にお聞きしましたら、眠らずに身体を積極的に動かす事だと教えて下さいました。昨日帰国してから多少身体はだるかったのですが、積極的に動かし、午後12時近くに寝ましたら、眠気はありますが、時差ぼけの辛さはほとんどありません。きょう明日は時間を作って水泳に以降と考えています。
Choko
(ポルトのサンデマンで買ったチョコレート)
▼出発する日成田で足止めされて、ホテルで待機してから体調管理に狂いが生じてしまいました。つまり自分のイメージトレーニングでヒースローまで14時間、5時間トランジットで待って、2時間半でリスボンと考えてイメージトレーニングしていました。リスボンのホテルでは仮眠する時間もありました。しかしリスボンに着いたとたんバスに乗せられロカ岬です。エールフランスのジャンボの中は、狭くて眠る事もできず飲んだくれていました。パリからリスボンはエアバス320でとてもゆったり感じました。添乗員はスペースは同じだというのですが、明らかに巾は広かったです。
▼成田でジャンボに乗ると、我々19人と添乗員1名のグループはみんなバラバラさせられました。ご存知のようにヒースロー行きは雪で欠航になったので別の航空会社に振り分けられたからです。しかし旅行会社の力もあるかも知れませんが、ヨーロッパ便の中から20人の空き座席を5時間ほどで探し出してしまうのですから、ワールドワイドの仕事とは大したものです。わたしの座席は同じツアーの客3人が座りました。右隣はMさん左は同じツアーの見知らぬ女性でした。せっかくなので自己紹介をすると左のAさんは何とMさんの隣町にお住まいの方で、A台にお住まいでした。MさんはT台です。それで盛り上がってワインのボトルを次々に開けることになりました。
▼ツアーは一種の運命共同体ですから、バッグを積んだり下ろしたり手伝っていると、気心に知れた気の合う仲間も出来て来ます。今回はまず隣町のAさん。わたしより2歳年上なので、あなたたちよりお姉さんだと胸を張っていました。Aさんはクラシック音楽が好きで、その関係で世界を回っています。もう一人一番年上と思われる親分肌で姉御とも言えるBさん。この方も世界中を回っていて、今回いちばん助けていただきました。そしてF市在住で30歳くらいの写真修行中の若い女性Cさん。大学を出て定職にはついていないが、一番貫禄のあるアルミの巨大なバッグを抱えて、遅くても15日には帰国しないと、エステを予約してあるので困ると言う同じ年頃のDさん。最後は一番若く一生懸命働いて1年に一度世界旅行をしているEさん。そしてケラケラと明るい笑い声を常に絶やさなかったF夫妻。この人たちと話ながらポルトガル旅行は始まります。

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January 14, 2010

無事成田空港に到着しました。

携帯による通信規制をしていましたが、現時点を持って解除します。ご協力ありがとうございました。旅の記録はリアルタイムでお届けしましたので、ブログ読者の皆様も旅をお楽しみいただけたと思います。ご質問などありましたら、メールでお寄せください。明日からの連載でお知らせする予定です。
Duke(Japan)

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January 13, 2010

ジェット機の翼に不着した氷を溶かす作業に手間取り

三時間ほどヒースロー空港に足止めになっています。その分成田の到着が遅れて昼頃になる模様です。
Duke(London)

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イギリス航空のジャンボ機に着席完了しました。

離陸を待つばかり。帰りは多少短いとは言え12時間はとても辛いものがあります。では、しばしのお別れです。
Duke(London)

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雪が積もるヒースロー空港に着く

雪が積もるヒースロー空港に着く
飛行機はフランス上空で1回、ドーバー海峡で1回の計二回旋回して漸く空港に着陸すると乗客から一斉に拍手が沸いた。明日14日の朝には成田に到着できるとおもう。以後15時間ほど通信は不可能となります。写真は雪が積もるヒースロー空港。
Duke(London)

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まもなくリスボンを立ちます。

まもなくリスボンを立ちます。
日本のブログをお読みくださっている皆さんおはようございます。現地時間は朝4時です。ポルトガル旅行速報はお楽しみいただけたでしょうか。書きたい事やお知らせしたい事はたくさんあります。しかし携帯を使って書くのが苦手な私は点キーだけで速報を書くのには限度があります。
▲帰国してからのレポートにご期待ください。撮影した写真は約800枚です。同行したM氏も今回はポルトガルの食事がお口にあった様子で極めて元気です。M氏もいつもの様に、書いて下さると思いますのでご期待ください。成田向けの便が決まったら最終レポートを書きます。それから12時間くらいで、日本に着きます。帰りは偏西風に乗るので1、2時間、早く着くことができる筈です。写真はバスコダ・ガマの石棺。
Duke(Lisboa)

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January 12, 2010

リスボン憧れの路面電車に乗る

リスボン憧れの路面電車に乗る
リスボン憧れの路面電車に乗る
今朝のリスボンは台風のような暴風雨で「発見のモニュメント」を見ている時は吹き飛ばされそうだった。最終日ようやく憧れの路面電車とケーブルカーに乗ることが出来た。
Duke(Lisboa)

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ついに猫を発見する。

ついに猫を発見する。
今までなぜか猫ちゃんには出会う事はなかった。ナザレのホテルの朝手持ち無沙汰だったので、入り口近くに飼い犬が二匹いたので、キャットフードを一袋与えた。最初犬は初めて嗅ぐ臭いに警戒して、退いた。仕方なく、路上に散らばった餌を全部拾い集め、一粒ずつ与えると、ワンちゃんは果たして食べ始めたではないか。全部たべおわると、更に催促した、しかし他のは、ギャジットパッグに入れてしまったので、それで終わった。
▲つぎにオビドスと言うの人口数百人の城壁でできた村に行く。むら全体が、土産物の様になった城跡に人々は暮らしていた。その中に三匹の猫をついに発見した。写真を撮って猫撫で声で誘って見たが見向きもされなかった。他の外国人客も「ミャオーミャオー」やって見たが結果は同じだった。「写真はオビドスの城壁から見たオビドスの村」
Duke(Lisboa)

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にわか信者「その二」

にわか信者「その二」
ナザレの岬にある教会では0.5ユーロ払うと奥の院の様な所に上げてもらう事ができた。音楽はカセットかCDで、グレゴリオ聖歌の様な音楽が流れていた。
▲ポルトの大聖堂は、ゴテゴテの装飾で、世界各地に布教に出かけて行って、志半ばで処刑されたでした、弟子達の様子が図解で展示されている、豊臣秀吉に処刑された人々でている。気に入らないのは、日本が1543年等と書かれていることた。西欧の連中は、皆自分が歴史の中心なのである。
▲その中でも強烈な塑像はフランチェスカの物で胸に二本の槍と首に一本突き刺さっていた事だ。
▲それを見てふと思ったのだが、例えは悪いが、今のキューバだ。大勢の医学生を南米各地に送り込み、貧しい人々を無料で支援している。その活動もある意味で、キューバの社会主義の理念を実践活動で知らせようとしているのだとおもう。さらにボリビアで殺害されたゲバラの遺体を引き取って埋葬して、若い世代に清廉潔白の彼の生き方を学ばせようとしている。
▲レーニンはそれほど優れた人物だとは思わない。それはスターリンが、自分を正当化するために、レーニンを利用しただけなのだ。
▲キューバとキリスト教を同一に考えるつもりは更々ないが、ベトナム、朝鮮、中国や旧ソ連のやり方は何となくキリスト教の教義を社会主義に機械的に当てはめただけの様に思える。にわかキリスト教徒になって、ふとそんな事を考えた。(写真はカテドラル大聖堂)
Duke(Lisboa)

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January 11, 2010

にわかキリスト教徒になる

いま泊まっているのはナザレという避暑地だ。帰国してから写真をご紹介するが、大西洋の眺めが素晴らしい漁港だったが、マリア伝説で、イスラエルにも同名の土地がある。いまはスペインのお金持ちの別荘が多数存在している。
▲昨日出発したポルトは日本でいえば大阪にあたるとおもう。教会は多数ある。朝一番に行った教会は早いせいか、日曜日のミサが行われてていたので、思わず十字を切って、祈りを捧げた。三つ目がポルトで一番歴史のある教会で、パイプオルガンで、バッハの旋律とは明らかに違うモンテヴェルディか誰かの曲が流れていたので、家族の健康と無病息災をイエス様にお願いする。一週間前には七福神に同じ事を祈ったので、今年はきっとよいとしになるとおもう。
Duke(portugal)

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January 10, 2010

ポルトワインを試飲する

ポルトワインを試飲する
ポルトガルのワインで有名なのは、おそらくサンデマンではないかと思う。怪傑ゾロのような格好をしたラベルのデザインだ。メーカーを訪れると、その姿をした人が案内をしてくれる。元々このマント姿はコインブラ大学の卒業式で着るマントなのである。見学が終わると、赤と白ワインを二センチ程飲ませてくれた。販売コーナーにはワインからオープナー、ティシャツからチョコレートまで売っていた。私はワインは割れる恐れがあるので買わなかった。その後はタコ雑炊のレストランにいく。とても美味だったが、食べきれず、みんな半分くらいは残した。写真は見辛いかもしれないが、試飲のワインがはいったグラスだ。
Duke(portugal)

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甘ったるいお菓子ばかり

甘ったるいお菓子ばかり
昨日はポルトガルのベニスという名前のついた町に立ち寄る。町ではカーニバルが開かれステージでは、アバのダンシングクイーンが流れていた。風船を持っている少年がいたり、ケーキを売る少女があるたくさんいた。ツアーの女性は次々とえ見たこともない、菓子を買い求める。自分一人では食べきれないからお裾分けに預かる。しかしどれもクリームと砂糖、鶏卵等をたっぷり使った、甘い物ばかりた。昼御飯のデザートも元祖ポルトガルのカステラだったが、日本ノ長崎屋のカステラが懐かしかった。和菓子が世界一美味しいと思う。写真はポルトの教会でマカオのそれとそっくりだ。
Duke(portugal)

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自己紹介も出来ないツアー事情

自己紹介も出来ないツアー事情
昨日昼御飯はアンコウの雑炊を食べた事は書いた。参加者は二つの丸テーブルに別れた。添乗員が同じテーブルだったので、私は「せっかくの機会だから自己紹介をしましょう」とはなしを切り出した。ところが添乗員は慌てた様子で、「そういうのは参加者のプライバシーの侵害になるから会社から禁止されています。ツアーが終われば参加者のリストもシュレッダー行きです。」と言うのには驚いた。私の見た感じでは、今回のツアーにお忍びらしきカップルはいない。だから勝手に自己紹介をしては友達を開拓しはじめている。▲添乗員は頼りにもなるが、時代背景の説明や、ポルトガルの人口わ面積では、かなりいい加減な数字を言うので後からこっそり訂正を言いにいく。
▲昨日一番おもしろいクイズは、「皆さん外を見ると壁が白い家が立っていますが、なぜだとおもいますか?」というのがあった。添乗員氏がいう答えとは、夏は暑いから太陽光線を避ける役目がある、というのだ。
▲しかし家の作り方をみていると単にブロックを積み重ねているだけで、断熱材も、何も入っていない。もし避けるならば、屋根も真っ白に縫った方が良いと思う。私の実家も盆地にあるので、真夏の昼間は仕事にならず、昼食後は3時頃まで昼寝をして体力を温存している。暑さを防ぐには二階建てにして、人は住まずに開けて置くのが一番である。白いペンキで暑さ等防ぐ事は出来ない。そんなのは、本当の夏の厳しさを知らない人がいう言葉だ。
3時いまはポルトの町に泊まり、これからワインの栓を開ける所だ。写真はアベゥイロの町で。
Duke(portugal)

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January 09, 2010

まだ猫には会わない。

今回は前回のトルコ以上に猫のエサを持参した。しかし1日目は一匹も出会う事が出来なかった。理由はまだ分からない。今朝のポルトガルは一度位だと思う。テレビの予報を見ているとヨーロッパは軒並みマイナスだ。イギリス回りでも確実に帰国できる保証はい。ま、その時は旅行会社持ちで暫く滞在だ。何か仕事をやれと言われたら、掃除・洗濯に風呂屋の三助に、ベビーシッターでもやる。冗談は兎も角寒いから猫もいないのではないかと思う。昨日のロカ岬に立っているとブロンテの「嵐が丘」の世界である。添乗員さをからは事前に電話があったとき、厚着をしてホカロン等を持って来た方が良いと忠告されたが、同じ時期にもしポルトガルを旅行されるかたがいたら、万全を期して頂きたい。薄着できて泣きをみている同行者が隣に一人いる。ところでポルトガル美人の話だ。Nさんがもしスペイン系の良いとするなら、そういう見方もできるかも知れない。しかし美人の定義は千差万別である。昔スペインが、ポルトガルの美人を略奪したとしても根こそぎ何十万人も連れ去る
事は不可能だと思う。町を歩いていると日本と同じ割合で美人に会うことが出来る。
Duke(portugal)

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January 08, 2010

リスボンに午前9 時30分に到着する。

リスボンに午前9<br />
 時30分に到着する。
今回のツアーは添乗員も入れて20人だ。所が空港の荷物引き渡し場で二人分パリで止まって出て来なかった。最初に行ったのはロカ岬だ。わたしは今回ここを見れば他はどうでも良いくらいに思っていた。ユーラシア大陸最西端の場所に位置する。丘の上にって南大西洋を見ると、アフリカ大陸にあるモロッコの土地が見える、ガイドさんに聞いたら、千葉の銚子市と姉妹都市の関係を結んでいるのだという。昼御飯はアンコウ雑炊だった。リゾットのような味だが、かなり美味しい。ただ残念な事に入れ物が平皿で食べにくかった。リスボンは月曜日にゆっくり歩く予定だが、とても落ち着いた町並みだった。(写真はロカ岬)
Duke(portugal)

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14時間遅れて、フランスの

▼シャルル・ドゴール空港にたどり着く。気温はマイナス七度、うっすらと霧が流れています。エール・フランスなので、ワインは飲み放題です。おまけにシャンパンまで。わたしなど結婚式やクリスマスでも、スパークリングワインしか飲む事ができません。ここぞとばかり二杯いたたきました。
Duke(paris)

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January 07, 2010

6日のテレビを見ていたら、

▼イギリスのマンチェスター空港が雪で閉鎖されている、というので悪い予感はした。7日の朝8時30分成田第一空港ターミナルに着くと添乗員が、深々と頭を下げBOAC航空は雪で飛んでいないという。イギリスから来なければ、乗る飛行機はない。ロビーは乗れない客で溢れていた。イギリスがダメならイタリア回り、ドイツ回りなど等々次々プランが発表され、そのたびに、ぬか喜びさせられた。昼まで、そんな事が続く。最終的に成田日航ホテルに連れて行かれた。決まったのは、21時30分エールフランスでバリにゆく。そこから乗り換えて、8日朝8時55分にリスボンに到着する。仮眠もホテルに立ち寄る事もなく、そのまま観光バスに乗ると言う計画だった。行きたくない人は全額キャンセル料は払いますという。誰もキャンセルを申し出る人はいなかった。成田のホテルでバイキングを食べて、風呂に入り、持参したパジャマに着替えフライトに備え熟睡した。5時30分頃には夕食を食べてバスで10分ほどの成田空
港に向かう。つまり現時点で、八時間程遅れ、皆さんに海外のご報告は出来ない。
Duke(narita.japan)

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◇「アサルト・ガールズ」を見る

▼毎度の事ながら昨日は「出発24時前で間に合う旅行英会話」のCDを聞いていた。しかし現実に文法はほとんど必要なく、度胸とどれだけ単語を知っているかが勝負なのだ。
▼押井守のこの映画は「アヴァロン」の続編という形になっている。アヴァロンはポーランドで撮影されたが、これは予算の関係かエンディング・ロールを見ると伊豆大島の三原山で撮影されている。映画が始まると5分くらい英語と日本語の字幕で押井の哲学が滔滔と流れて来る。つまり電脳の世界が発展すると貧富の格差はなくなり、結果として電脳空間ので遊びがもっとも選ばれた者に許された遊びなのだ、という事になる。というかわたしには良く理解できないが、押井はそういう事を言いたかったのだろう。だとすると2年前のあの特攻隊を美化するかのような「スカイ・クロラ」は何を云いたかったのだろうか。
▼八岐大蛇が住むような原野に、20ミリ高性能機関銃を持った男がやって来るが、所詮一人では太刀打ちできず、初回は敗退する。そこに現れた黒木メイサ分する、アサルト・ガール。彼女の他に2人いるので「ガールズ」という複数形で表現される。他の2人とは菊池凜子と佐伯日菜子である。ボディに密着したスーツはセクシーだ。しかしマスクはとても不格好だ。空気の吹き出し口を右か左に寄せるとデザイン的にすっきりする。このマスクではまるで競走馬の様にみえて悲しい。
▼それでメイサは男に共闘を呼びかける。分け前を巡って一悶着あるが、結局メイサの言う事を聞く。ガールズは単発の狙撃銃で狙い、その隙に男の20ミリを使おうという作戦だ。簡単に言えば作戦は成功し八岐大蛇は死んでしまうが、これはあくまでも電脳空間でのゲームである。ガールズは勝ちポイントだけ頂き逃げ去る。「待て!、逃げるな!」と言われて立ち止まる泥棒はいない。
▼見た感想では黒木以外のキャラクターは存在感がない。というか性格付けが極めて曖昧でお飾り。映画自体も前作に比べて訴える物が感じられない。次回は日本時間の8日午前0時頃ヒースロー空港でのブログの更新にご期待下さい。

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January 06, 2010

「ポルトガルに美人はいない」直前に衝撃報告

Hasunuma(蓮沼海岸の初日の出、レッド・マッカチンさん提供)
▼昨日メールマガジンを送信したのは午後6時過ぎでした。ところが午後7時半に星林さんから投稿を頂きました。今までは午後8時が締めきり時間だったので、それに合わせて送信してくださったのだと思います。掲載できず申しわけありませんでした。次号でご紹介させていただきます。締めきり時間に関してお願いです。可能ならば締めきりの前日にお送りください。おそくとも締めきり当日の午後6時をメドにお送りくださると助かります。というのも最近PCのディスプレイを見つめて作業するのが、かなり辛くなってきたのです。それでPCを使う仕事などは午後5時には電源をオフにしています。投稿がもしおそくなる場合は午前中におおよその時間をあらかじめお知らせ下さい。
▼昨日午後10時過ぎと4日にN県の方から集中的にアクセスして下さった。大変ありがたいことだが、わたしの書いているのは二次資料である。正確な事を知りたいのであれば、図書館などで一次資料を当たる事をお勧めする。ここに書いていることは学術的な価値はほとんどないので、勉強や研究をなさるのでしたら、自力で原書や専門書等をお読み下さい。
▼調べたら映画「ニューワールド」はバージニアが舞台だった。ポカホンタスはそこの先住民の酋長の娘という事になっている。しかし民族や部族を捨て去りイギリスに連れ去れて洗礼を受けるというおバ○なのだ。西洋で書かれている彼女の物語は異教徒がキリスト強に帰依することをいとも美しく描かれている。映画ではその様子も克明にでてくる。
▼「ポルトガルは良い」と教えて下さって、今回行くきっかけとなった方にもメールをお送りした。するとあらまし次の様なご返事を頂いた。
▼美人はいません。なぜかと言うと、昔スペインの国王がポルトガルを支配していた時があり、その時にスペインのいわゆる美人ではない人をポルトガルに送り込み、ポルトガルの美人をスペインに連れて行ったため、今でもポルトガルはスペインに比べ美人が少ないと現地のガイドが言っていました。
▼ちょっとガッカリしたが、美人を見にゆく事が最大の課題ではないので、確かめた結果はまた現地からご報告したい。
▼正月の「愛川欣也パックイン・ジャーナル」や「「ニュースにだまされるな!」を録画してあるが、いずれも特番で3時間、4時間もあるので長すぎて見る時間がない。

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January 05, 2010

「アバター」と「ニューワールド」の似ているところ

▼今朝早く11万番がでたようです。時間帯から推測していつもアクセスして下さっている方ではないと思われます。昨日は午後1時半までに1万7千歩を歩きました。挨拶回りなのでかなり急ぎ足であちこちを歩きまわったため、実現できました。それに早足でしたのでそれほど疲れは感じませんでした。最後に伺った団体は、昨年は4日に開いていたので大丈夫かと思っていくとシャッターが閉められていたのでガックリ。持参した「年賀」は仕方なくそこから数百メートルの距離にある郵便局に持ちこんでゆーパックで発送を依頼しました。「中味は何ですか?」と聞かれたので「お菓子」ですと答えました。そうすると相手の局員は同僚に「はしという文字はどう書くんだっけ」」と相談し始めました。「ほら竹かんむりに」と説明し始めたので、「箸ではなく、菓子です。草かんむりに果物の。発音悪くてすみません」とお話しして納得して貰えました。菓子を包んでいるバッグはカステラのN屋なので分かって貰えるかと思ったのですが、難しいです。
▼本日メルマガの締め切り日です。正月休みなので、どなた様も読書をたくさんなさったと思いますので期待しています。TVだけならその感想でも構いません。3日にみなさんと飲んだとき「アバター」をごらんになっている方がお二人いらっしゃいました。一人は普通の画面でもう一人は3Dメガネでごらんになったとおっしゃっていました。ストーリーはやはりありふれた内容のようでした。予告から推測するに05年にコリン・ファレルが主演した「ニュー・ワールド」に酷似しています。西欧人が未開の島(おそらくハワイ)を訪ねて綺麗な娘(ポカホンタス)に出会う。西欧人は最初友好的な態度で接するがやがて侵略を企てる。娘(この俳優は美しかった)を守ろうとするファレルは、自分が所属する先進国という味方を裏切ることしか考えられない。しかし…という話だった。この「西欧・先進国は正しい」とする映画自体は不評でヒットしなかった。
▼3日夜のNHKHV「夢の美術館スペイン、アルタミラからピカソ」までを見ていてこんな事を思った。本家・本元、老舗・元祖、正統・傍系を争う出来事は世の中に数多(あまた)ある。スペインはまさにこれを地で行ったのではないだろうか。つまりイスラム勢力がスペインを席巻したあと、キリスト勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)、そのあとはマルチン・ルターによる宗教改革の嵐。そのとき「正統派」もしくは「元祖派」を名乗る人びとは自分を正当だとする宣伝方法として、今のようにマスメディアはなかった。それで荘厳な教会を建てたり、巨匠によって美しい宗教画を描かせる。そこに参拝した人びと、あるいは絵を見た人は「ハ、ハーありがたい事でございます」とその権威の前にひれ伏す。あるいは宗教行事を見る事によって「こちらこそ本物に近い」と確信する。あるいは「あの絵に描かれたイエス様こそ本物だ」と思い込ませる。つまりスペインに荘厳は建築物や絵画が多く残っているのはそういう手段として使われたからなのだ。

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January 04, 2010

恒例の七福神めぐりで歴史論議をする

▼恒例の『鍵盤乱麻』七福神めぐりは、JR金町から柴又までの、江戸川ライン七福神めぐりコースを歩いた。集まったのは結果として昨年と同じメンバーだった。金町で下車するのは久しぶりだ。北千住から乗り換えはかなり迷ってしまう。いつ行ってもとても分かりにくい。駅員さんに聞くと「水色の線をたどって下さい」という。しかし辿り着くまでに3人の駅員さんに聞く事になった。あとで家族に聞いたら、「一度駅の外に出てしまえ」ということだった。わたしは決められた時間の時報とともに駅に着くことが出来た。
▼歩いた歩数は帰宅までに1万6千歩だった。しかしコンクリートやアスファルトの上なので、かなり膝にくる。終点から立石まで徒歩と電車を使う。星林さんの古巣でもある立石は行きつけの店は全部閉まっていた。開いていたのは焼き肉やさんだけだった。そこで盛り上がった話は明治になって福沢諭吉が朝鮮を見下した論文を発表した背景、征韓論のでてきた理由から論議がはじまる。日清戦争とは国家間の戦争ではなく、当時の中国の一部族とのたたかいであり、中国は「負けた」とは思っていなかった。どうじに日露戦争でもロシアはそう思っていなかったから、賠償に応じなかったなど話は盛り上がった。後で気づいたのだが、録音をして再現した内容をこのブログでご紹介すれば良かったと思っている。
▼それで立石には1000円で足腰が立たないくらい飲ませてくれる店があるというので、2月上旬にその店で飲み会を開くことになった。参加したい方は詳細をお知らせするのでメールでご連絡いただきたい。なお来年の七福神めぐりは「日野」に内定した。
▼きょうからわたしも仕事始めなので、これで終わり。

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January 03, 2010

年賀状の「社交辞令」を理解する必要について

▼原宿駅を降りて表参道を下っていくと両側に欅並木があるが、最近そこに表示板がとりつけられている。そこには「明治神宮100年」と書かれている。昨晩NHKHVを見ていたら、「にっぽん巡礼・2010年日本人の心の旅」とか言う番組があり、福岡の久留米でこの明治神宮が出来たとき献木したという90歳を過ぎた老婆が登場した。昔東京の女学校を出て、当時軍人だった父に連れられて出来たばかりの、明治神宮に来た。そのとき村で献木をしたが、その木はいまどうなっているか俳優の宍戸開が訪ねるという番組だった。当時献木されたのは全国から11万本であった。神宮も空襲受けて神社は焼けて資料も残っていないとされたが、森は燃えなかった。さらに管理している人が資料を調べて行くと、そのハゼの木の場所も分かる。宍戸はハゼの写真を撮ってアルバムを作り、ふたたびその老婆を訪ねるというものだった。老婆はもう歩けなくなっているので宍戸が変わって、「遍路写真家」と称して写真を持参したのだが、女性はしゃべる事はハッキリしており、父との想い出をしっかり語っていた。
▼この明治神宮とは、まったくの平地に明治天皇を偲んで植林された人口の森で、140援護(つまりあと40年)するとまったく自然の森と変わらない状態になる。森自体は空襲で焼けることもなく、空襲で避難した人たちの命を守った。そして今も森に植えられた木々の葉も木の実も外に持ち出す事は禁じられ、自然の森として再生するように、堆肥などとして使われているのだという。この話はテレビを見るまでまったく知らなかった。
▼わたしは途中からこの番組を見たのだが、10話くらいが登場した。その後の羽田空港の脇に残された楡の木の話はとくに印象に残っている。終戦前の羽田には3つの村があって漁業や海苔の養殖で生計を立てていた。ところがアメリカ軍が進駐して来て48時間以内に住んでいる土地から立ち退くように命令する。その96歳の老人は、何か自分がここに住んでいたという証を残したくなり、楡の幼木を家の前に2本植える。植えようとしていると米兵がやってきて、「すぐ立ち退け」と拳銃を3発発射する。それでも彼は怖いちいう気持ちを抑え植え終えてから悠々と立ち去る。そして63年後、もう足越した立たなくなった老人は家族に支えられて楡の木に会いにやってくる。当時から羽田空港はさらに拡張されたため、2本の楡の木は川のほとりにひっそりと、しかもしっかり根を下ろしていた。いとおしむように楡の木を見つめる老人の目は、人間の心までは立ち退かされることはない、という決意を物語っているかのようだった。
▼ある事情で今結婚適齢期の女性たちと交流がある。年賀状をいただくと「結婚しました」とか、「赤ちゃんが生まれました」、「第二子が生まれました」とか書き添えられていて驚く。最近分かって来たことだが、「○○○に引っ越しましたので、お近くにおいでの時はお立ち寄り下さい」と書いてあっても決して行ってはならないということだ。「今度近くまでいくから」とメールや電話をすると、「多忙」を理由に大体拒否される。そしておよそ1年後くらいに「結婚しました」という連絡をいただく。最近はそういうハガキをいただいたら本気にならず、だた「そうなのか」と思う事にしている。
▼昨日は表参道から新宿まで約1万歩を歩いて映画「アサルトガールズ」を見に行った。テレビで駅伝を見ているだけでは健康は決して維持できない。

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January 02, 2010

自分流「読むスタイル」を考える

▼元旦はいかがお過ごしであっただろうか?わたしの場合朝8時に「七福神めぐり」の問い合わせ電話がかかってきた以外は平穏な一日だった。年賀状の返信率は初日だから50%くらいだ。最終的には80%くらいまで行くと思う。しっかり確認したつもりでも出し忘れがあるから、慌ててプリントアウトしてポストまで行く。
▼昨日夜TV東京系で「芸能人格付けチェック」という番組を放映していた。何となく毎年見ているのだが、加賀友禅とストラディバリウスだったかな?を使った室内楽の演奏と安い楽器を使った演奏は当てることができた。あと飲み物、食べものは実際できないので分からない。ここではっきりしていることは、芸能人の世界も稼いでいる人とそうでない人の、言わばデジタル・デバイドならぬ、収入による格差が歴然としていることだ。ソムリエを自分で雇ったり、自宅のワインセラーに1本100万円もするワインを10本持っている人と、普段居酒屋でしか飲む事ができない人と比較するのは、見ていてかなり不愉快である。まあバラエティテレビを見て怒っていたとしても仕方ない。
▼元旦の新聞のCMを見ていると大晦日の紅白に出た歌手たちは、今年様々なイベントを使って売り込もうとしていたことが改めで分かってくる。視聴者はそれにうまく載せられていたという訳だ。朝日では「読むスタイル」というの特集が比較的面白かった。まぁみんな大した本は読んでいない。その中で大江健三郎は日記はつけていないが、小さい時から読書ノートをつけているという。大江は大学に入ったとき、恩師である渡辺一夫の手紙を整理しているときハーバート・ノーマンの事を知って系統的に読むようになったと語っている。それがきっかけになって渡辺一夫、ノーマン、安藤昌益、丸山眞男、加藤周一、テツオ・ナジタがつながってくる。たしかに読書というのは芋掘りに似ていて、蔓を一本引き当てると、文字通り芋づる式に面白い本を引き当てることができる。
▼もう一人読むテクニックとして吉岡忍が出ている。彼は書庫を2つ持っていたが狭くなってどうしようもなくなる。いまやっていることは献本や読まなければならない本は、手に入れたらすぐに解体して、両面一度にできるドキュメントスキャナーで全部読み込んでパソコンに取り入れるのだという。彼のノートパソコンに入っているのは1500冊で50ギガの容量をつかっている。それを始めたもう一つの理由は視力が衰えて小さい文字が読めなくなったという事もあるという。しかし本を解体できるのは、資金がある人にしかできない。それに「地球の歩き方」もパソコンに取り込んであるというが、あの1cmくらいの厚さの本は本で持参した方が絶対便利だと思う。現地でパソコンが壊れたり、電源がなかったらどうしようもないではないか。
▼本日は初夢を見る事ができる日である。このブログの読者に特別サービスをする。それは昨日、隅田川七福神で頂いてきた「宝船」をPDFファイルで一面下に取り込んだ。必要な方はプリントアウトして、今晩枕の下に入れるときっと良い夢が見る事ができるに違いない。

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January 01, 2010

新年のご挨拶

▼あけましておめでとうございます。本年もこのブログをお読み下さっている皆様のご健康と、仕事がますます発展されることをお祈り申し上げます。
▼毎年恒例の『鍵盤乱麻』七福神巡りの日程はメルマガ12月1号と2号の<編集後記>に書いてありますので、それをごらんになって参加下さい。
▼年賀の挨拶をいただける方はメールで十分です。ただ一斉メールは有り難みがないのでご返事はしません。
▼押井守の作品は、一応「アヴァロン」から見ているので、「アサルト・ガールズ」を年末新宿まで見に行こうと思っていたが時間がなかった。今朝あるサイトを見ていたら、押井がキャメロンの「アバター」にはとうていかなわないと語っていると紹介されていた。後者ならば近くの映画館で見る事ができる。予告を見ている限りストーリーは大した事なさそうなので、その制作技術なのだろうと思う。
▼ケーブルTVの「シネフィル・イマジカ」で12月から「バンド・オブ・ブラザーズ」の再放送をしているので、録画して見ている。実はこのTVドラマを見るのは3回目だ。初回は某読者からビデオ録画したものをお借りした。2回目はDVDを買って見たが、それは見てから売り払った。そして今回懲りずに3回目の録画鑑賞だ。話はノルマンディ作戦に参加した一中隊(バンド)がヨーロッパ各地を転戦する話だ。3度目を見ていると新しい発見がある。スコット・グライムス軍曹を演じているアーチー・モリスだ。彼は「ER14」でいささか腕の立たないドナルド・マライヤ―医師を演じている。
▼ERで思い出すのは鵜の目さんの事だ。毎回シリーズが始まるのを楽しみにして、メールでストーリーの情報交換をしていた。だがこのシリーズからそれをする相手もいなくなってしまった。はっきり言って「ER」はシリーズ9あたりからつまらなくなってしまった。10以降はあまり真剣に見ていなかった。ところが今度の14はとても面白い。それは医師や看護師たちの人間的な苦悩がかなり克明に描かれているからだろうと思う。コバッチュがクロアチアに帰国中妻のアピーは病院のクリスマス・パーティで上司と一夜の過ちをおかしてしまう。そしてそれを誰にも言えずアルコール中毒になり、いま苦しんでいる最中なのだ。
▼休み中は電話もメールもほとんどないので読書に集中できるのが楽しみです。
▼近くのコンビニにいつもとは違う新聞を読もうと思って出掛けたら、不思議なことに全部売り切れていた。

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