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January 23, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(9)

Dhinaer(ディナーショーの魚料理、こちらの魚料理はみんな頭を右を向けてある。魚の頭は左だと誰か教えてやれよ。念のため裏返したら皮がむけていた)
▼昨日届いた「週刊金曜日」の最終ページに元共同通信主幹でジャーナリストの原寿雄氏(84歳)から同誌編集部に送られて来た年賀メールが掲載されている。<小沢がやがて否定克服されるべき存在であることは確かだが、今の彼の姿勢は日本の民主化に、プラスの役割を果たすメリットが十分あると考えます。私の見方では特捜部が今の様なリベンジ感情に動かされた捜査手法では、検察の正義は実現しません>(以下省略)と発言している。
Beren(ベレンの塔)
▼昨日は朝から取材があり、それは午後1時半に終わった。夕方の会議まで4時間も待たねばならない。体調もすぐれなかったので、会議は欠席してそのまま帰宅した。
Hukuyouki
(ポルトガルとブラジル間を初めて飛行した複葉機のレプリカ)
▼ファドのディナーショーが終わってBさんが梅水健康法を教えて下さった。それは無添加栽培の特別な梅をコップ一杯の水にほぐしてひと晩おく。そして翌日普通の水で3、4倍に希釈して飲むという簡単な方法だ。昨日お会いしたM氏に「続けている?」とお聞きすると「焼酎で割っている」とおっしゃる。これでは単なる焼酎の梅割で、梅の水だけで飲まなければ意味はない。わたしは実行していないが、帰国してからアルコールは一滴も飲む気が起きない。
Hakken
(発見のモニュメント)
▼それに魚料理はみんな魚を丸ごと唐揚げ状態にしたものだ。綿をとって小骨を取ることはしていない。だから21日の夜に4ch系で放映された「ヒミツのケンミンショー」に出て来た沖縄のサンマの唐揚げ弁当状態だ。それを次々「もっともっと」と持って来られても「炙り(塩焼き)はないの」と言いたくなる。
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(これが北朝鮮の猿まねモニュメント)
▼ポルトガルは湿度が高く雨の多い土地であると事前の案内で知っていた。ところが今回の旅行で雨が降ったのは観光最終日の13日だけだった。それも暴風雨の様な横殴りの雨だった。M氏は防滴のレインコートだから問題ない。しかしみんなわたしと同じダウンだけだ。傘を差しても風が強いので瞬く間にチョコ状態になってしまう。暴風雨をついてまずバスはベレンの塔に出掛ける。16世紀初めテージョ川に船の出入りを監視するために作られたものだ。あの司馬遼太郎がこれを見て「テージョ川の公女」と呼んだという。司馬は何と呼ぼうが関係ない。海と川の境に作られたこの塔は、航海に出て母国に再び戻って来ることができるかどうか分からない船乗りたちに何度も別れを告げたことだろう。2階は砲台で、1階は水の満ち干を利用した水牢になっていたという。わたしは水牢というと昔嵐寬十郎が出た鞍馬天狗の映画を思いだしてしまう。ガイドは「バスは塔に近づけないし、風雨が強いから希望者だけ下車するように」と促す。その脇に複葉機のレプリカが展示されている。ガイドの説明は聞いたが忘れてしまった。ガイドブックにも説明は出ていない。
Map(日本発見は1541年とある)
▼次はすぐ側にある有名な「発見のモニュメント」に向かう。これは1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられたものだ。この時暴風雨にわたしは吹き飛ばされるかと思ったほどだ。バスの中で待機していた人もわたしの姿を見てそう思ったという。わたしはこのモニュメントを見てふとある既視感(デジャブ)に襲われた。これはどこかで見た事がある…。そうだ北朝鮮の抗日戦争を戦った金日成を讃える巨大な像だ。これを見て、北朝鮮はこのポルトガルのモニュメントを真似したのだという確信を持った。そしてその足下には大理石のモザイクで作られた世界地図が展示されており、当時のポルトガル人がいかに世界を征服して行ったか、一目で分かる仕組みになっている。その一部に日本発見がでており、それは1541年となっている。実は種子島への鉄砲伝来は1543年だかそれより2年早く豊後に到着していたのであり、その記録も残っている。
Pieta(ピエタの像を修復中)
▼それが済むと、ジェロニモス修道院の脇にあるリスボンで有名な菓子店に入る。ガイドの説明によるとここのエッグタルトはリスボンで一番だという。わたしに取って卵黄もタルトも身体に悪いモノばかりなので見るだけにしてコーヒーだけ飲む。みんな日本までお土産に持って帰りたいと言っていたが、日持ちがしないのでここで食べるだけだと念を押される。ジェロニモス修道院は速報に書いたとおりヴァスコダガマの石棺がある他、めぼしいものはなかった。建物に入ったとたん現地の警備員から「男は帽子を取れ」と突かれる。感じ悪いと言ったらない。ピエタの像の改修はここだったかも知れない。ちょっと勘違いしていた。
Taruto(リスボンで一番美味しいとされるエッグタルト)
▼次は現地の日本人ガイドに貴金属店に連れて行かれる。見学時間はたっぷり1時間もあってガイドは店員と一緒になって一生懸命売り込みをする。きっとバックマージンが入るのだろうとみんな噂している。こちらは興味がないので外に出てM氏の買い物につきあう。傘が壊れてしまったので街角にキオスクみたな所で5ユーロだという。一旦持ち帰ると柄の部分が壊れているので、オバマの口癖のように「チェンジ」というと快く交換してくれた。
Lunch2(最終日のランチ)
▼昼食は近くのレストランに連れて行かれる。ここのデザートはまたまたエッグタルトだった。両方食べた人によると前の方が美味しいという意見だった。食事をしているとBさんが「年末の紅白は清四郎ちゃんはとても可愛かった。歌は美空ひばりだ」という話から嵐寬十郎の「鞍馬天狗」でひばりが杉作少年を演じたのを知っているか、という話になる。こういうのはとても得意は分野なのでその場でわたしは、ひばりの「越後獅子」を手振りつきで♪「風にふかれてー、逆立ちすればー、山が見えますー、古里の、わたしゃみなしご、街道育ち-」とアカペラで唄って同じテーブルのみなさんから拍手される。その後はいよいよ待ちに待った自由行動の時間である。近くに軍事博物館があることをチェックしていたので、M氏とBさんの3人で独自行動をとる事になる。

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