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January 03, 2010

年賀状の「社交辞令」を理解する必要について

▼原宿駅を降りて表参道を下っていくと両側に欅並木があるが、最近そこに表示板がとりつけられている。そこには「明治神宮100年」と書かれている。昨晩NHKHVを見ていたら、「にっぽん巡礼・2010年日本人の心の旅」とか言う番組があり、福岡の久留米でこの明治神宮が出来たとき献木したという90歳を過ぎた老婆が登場した。昔東京の女学校を出て、当時軍人だった父に連れられて出来たばかりの、明治神宮に来た。そのとき村で献木をしたが、その木はいまどうなっているか俳優の宍戸開が訪ねるという番組だった。当時献木されたのは全国から11万本であった。神宮も空襲受けて神社は焼けて資料も残っていないとされたが、森は燃えなかった。さらに管理している人が資料を調べて行くと、そのハゼの木の場所も分かる。宍戸はハゼの写真を撮ってアルバムを作り、ふたたびその老婆を訪ねるというものだった。老婆はもう歩けなくなっているので宍戸が変わって、「遍路写真家」と称して写真を持参したのだが、女性はしゃべる事はハッキリしており、父との想い出をしっかり語っていた。
▼この明治神宮とは、まったくの平地に明治天皇を偲んで植林された人口の森で、140援護(つまりあと40年)するとまったく自然の森と変わらない状態になる。森自体は空襲で焼けることもなく、空襲で避難した人たちの命を守った。そして今も森に植えられた木々の葉も木の実も外に持ち出す事は禁じられ、自然の森として再生するように、堆肥などとして使われているのだという。この話はテレビを見るまでまったく知らなかった。
▼わたしは途中からこの番組を見たのだが、10話くらいが登場した。その後の羽田空港の脇に残された楡の木の話はとくに印象に残っている。終戦前の羽田には3つの村があって漁業や海苔の養殖で生計を立てていた。ところがアメリカ軍が進駐して来て48時間以内に住んでいる土地から立ち退くように命令する。その96歳の老人は、何か自分がここに住んでいたという証を残したくなり、楡の幼木を家の前に2本植える。植えようとしていると米兵がやってきて、「すぐ立ち退け」と拳銃を3発発射する。それでも彼は怖いちいう気持ちを抑え植え終えてから悠々と立ち去る。そして63年後、もう足越した立たなくなった老人は家族に支えられて楡の木に会いにやってくる。当時から羽田空港はさらに拡張されたため、2本の楡の木は川のほとりにひっそりと、しかもしっかり根を下ろしていた。いとおしむように楡の木を見つめる老人の目は、人間の心までは立ち退かされることはない、という決意を物語っているかのようだった。
▼ある事情で今結婚適齢期の女性たちと交流がある。年賀状をいただくと「結婚しました」とか、「赤ちゃんが生まれました」、「第二子が生まれました」とか書き添えられていて驚く。最近分かって来たことだが、「○○○に引っ越しましたので、お近くにおいでの時はお立ち寄り下さい」と書いてあっても決して行ってはならないということだ。「今度近くまでいくから」とメールや電話をすると、「多忙」を理由に大体拒否される。そしておよそ1年後くらいに「結婚しました」という連絡をいただく。最近はそういうハガキをいただいたら本気にならず、だた「そうなのか」と思う事にしている。
▼昨日は表参道から新宿まで約1万歩を歩いて映画「アサルトガールズ」を見に行った。テレビで駅伝を見ているだけでは健康は決して維持できない。

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