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January 17, 2010

西の地の果てポルトガル紀行(3)

Skaut(コインブラのボーイスカウトの行進)
▼窮屈な飛行機に乗っていると身体が痛くなる。その痛みが取れて体調が元に戻るには、4、5日かかる。時差ぼけは大体なくなったが、痛みはもうちょっとというところだ。海外旅行に8日くらいいくと、それなりに仕事を片付けて行かなければならない。仕事は大体1ヶ月単位のルーチンワークからなりなっている。毎月決まっている仕事は前倒しで納品する。そして原稿は3本あったが、それも早めに2本仕上げる。残り1本はコラムだったので、あらかじめ予定原稿を渡しておいた。それでも新しい体験を入れて方が良いと思って書き直して、リスボンに到着してから送った。S編集長からは取材の日程に関してパリ空港にトランジットしているときに打診があった。コラムの原稿を送ったら、とても不思議がられた。しかしこれは携帯がG3対応の機種であることと、出発前に海外通話の契約をしてあれば大丈夫だ。ただし通話料金はすべて受信者であるわたしの負担となる。
Arent
(ハンナ・アーレントの本が並んでいた書店)
▼というのは国内では契約している通信会社同士が契約者の料金を徴収する。しかし海外携帯の場合、みなさんがわたしと通信する場合、契約しているドコモの東京の基地局までの通常料金を負担する。そのあとドコモからポルトガルまで送信する料金、そしてポルトガルの基地局からわたしの滞在している場所までの、それぞれ2地点はすべてわたしの負担となる。そんな事もあって仕事以外の連絡はお断りしていた。
▼パジリカですっかりキリスト教徒気分になったわたしはコインブラへと向かった。しかし夜なので伝統のあるコインブラ大学は川の対岸に町の灯りが見えるだけだった。参加者の中には夜間わざわざタクシーを飛ばして町まで出掛けた方もいらした。また作家の壇一雄がr滞在していた町まで出掛けたいとおっしゃる方もいたが、列車で3時間もかかるため諦めたようだ。夕食はカルド・ウェルデという、グリーンキャベツのスープだった。ホントは夜は毎日宴会を開きたいところだったが、夕食で小瓶のビールを2人で1本飲んだだけだ。というもの飛行機が遅延した関係でリスボンのホテルで仮眠することなく、バスですぐ移動を始めたので、2日間ほど寝ていないことになる。もう飲み食いはどうでも良いから一刻も早くベッドに横になりたかった。
Green
(グリーンサラダ)
▼翌朝である現地9日の朝はもの凄く寒かった。防水ヤッケしか持参しなかったM氏は震えていた。町を一巡して休憩時間にコーヒーを1杯飲む。現地でコーヒーというと大きなカップにエスプレッソが出てくる。その量は盃に1杯ほどである。日本で我々が通常飲むコーヒーとは現地で「ミルクコーヒー」もしくは「アメリカン」多少バカにした雰囲気で呼ばれている。自由時間にM氏を連れて衣料品店に行った。得意のなんちゃんって英語が十分通じる。店に吊してあってフリースを指さし、「ミディアムサイズプリーズ」というと青と茶色のフリースを出してくれた。「テストフッティングOK?」というと「OK」というので試着させてもらう。「色はブラウンで良い」といい、「ジャストフィッティング」というと、店主は紙に「14」という数字を書いた。という事はユニクロの1800円位の物と同じだ。「OK」と言って支払う。「どっから来た?」と聞くので「ジャパン」というと、「ジャパンのどこか?」としつこい。「トウキョウ」というと納得してくれた。
Toshokan
(コインブラ大学図書館の外観)
▼町を歩いていると学生街だから当然本屋もあり、ハンナ・アーレントの著書も並んでいた。日本の書店では「勝間」本はこのように展示されることはある。しかし間違っても哲学者のアーレントはこのように展示されることはない。また偶然ボーイスカウトの行進に出会った。コインブラ大学はポルトガルで最初に出来た大学だ。しかしその後リスボンに移動し、再びこの地に帰ってきた経緯がある。昔に作られた大学の図書館にはラテン語の原書が30万冊あるので一見る価値があるという。中は天井の高さが15mほどある巨大なもので撮影は禁止だった。今の学生はインターネットで物を調べて、この図書館までわざわざやってくる学生はあまりいないという。机はピカピカに磨かれていた。そして何故かその机を覆う大きな動物の皮が置いてあった。現地ガイドに聞くとそれは図書館内部にコウモリが住んでいたいその糞の汚れを防止するための皮だという説明だった。

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